24話 化学反応
前話の続きからです。
「氷菓子が高いってことは、やっぱり氷も高いの?」
ほとんど駄目元の質問だ。
「いいえ」
「やっぱり、そうだよね……ん?ちょ、ちょっと待って、高くないの?」
わたしはガッとお母さんの手を握る力を強める。
「え、ええ、そうだけれど、どうかしたの?そんなに顔色を変えて……」
……氷さえあればアイスクリームが作れるんだよ!
わたしは顔を覗き込むお母さんに詳しく話して欲しいと頼む。
「エマの言う「高い」の基準がどのくらいなのかはわからないけれど、少なくとも氷菓子よりは安いはずよ。」
お母さんが言うには、氷は魔術具でも作成可能だがそれ以外にも手に入れる方法があるのだそうだ。
「それで、その方法って何?それが氷が安い理由なんでしょ?」
「そうよ。ところで、エマは魔獣を知っているかしら?」
お母さんが訊いてくる。魔獣が氷とどう関係があるのだろうか。わたしの頭に疑問符が浮かぶ。
「知ってるよ。お父さんに教えてもらったもん。でも、それがどうしたの?」
「知っているのなら話が早いわ。魔獣に氷を作らせるのよ。」
わたしは目を瞬く。
「魔獣に!?」
「そう」
お母さんが微笑みを浮かべて話しを続ける。
「魔術具は、魔術を行使出来る人にも適正など色々あって全ての魔術を行使出来る人がいない、という背景から自分たちの生活をより良くしようと考えた先人たちによって力を補う為に作られるようになったものと本に書いてあったわ。でも魔術具に頼る事の出来ない人は別の方法を考えるしかないでしょう。それが、魔獣に作らせるということなの。魔術や魔法と呼ばれる力は何も人だけが持つ力ではないという発想らしいわ。」
わたしは納得して頷く。グリルスによる手紙のやり取りや、ワイバーン飛行機もそういう発想からきているのだろう。手懐け易く利用価値のある魔獣は活用するのだと思う。それ以外は素材を取るのだろう。
「他にも雪原竜の生息地などは年中氷がとれるから、そこで確保することもあるそうよ。でも、魔獣に作らせる方が一般的で安全な方法ね。」
……お母さんマジ博識!大人はやっぱ物知りだね!
『亀の甲より年の功』とはよく言ったものだ。そう考えながら空を見上げた。
「エマは氷が欲しいの?」
「え、あ、うん。でも、高いんだったらいらないよ」
初めは氷を手に入れることが出来ればいいなと思っていたのに、いつの間にか別の事を考えていた自分の思考を現実に戻して返事をする。氷菓子より安いといってもどの程度違うのかわからないので、むやみに欲しいなどと口走ってはいけないと自分を制御しての返事だ。
両親の言う高いはかなり高く、安いはアテにならないとやっと学習したので、自分で価格を調べなくてはならない。お母さんは氷の値段を覚えていないようだから尚更だ。お金持ちの感覚で暮らしていたら金銭感覚がズレて大人になった時に困りそうなので少々手間がかかるけど、仕方がない。
「そう」
お母さんが小さく言って、束ねていた髪の毛からサラリと垂れていた後れ毛を耳にかける。流れるような動作で、綺麗だなと思って見つめていると、ニコリと微笑まれた。
次の日の朝、ご飯を食べに行くと、食事を用意してくれたであろうお母さんが嬉しそうにニコニコ笑っていた。
……何かいい事でもあったのかな
「おはようエマ、あ、ロベルトを起こしてきてくれないかしら。彼、まだ寝ていると思うの」
「わかった」
わたしはクルリと踵を返して2人の寝室に向かうと、お父さんを起こす為にベッドにダイブする。声掛けと揺するだけなら、起きないというのは経験済みで知っていたので、今のわたしにとっては当然の行動だ。まだ子どもで小さく、軽い体だからできる荒業である。それでも当たりどころが悪くならないように気を付けているわたしは偉いと思う。
……引き受けた仕事はちゃんとするよ!
わたしの与えた振動で布団の中のお父さんがモゾモゾと動いたのがわかった。わたしはすかさず「朝だよー!起きて!」と声を張る。すると布団の塊が「うーん」と言いながら又モゾモゾ動き始めた。多分起きてくれたのだと思う。
朝食の準備がお母さん担当になってからわたしもお父さんも起きるのが遅くなった。お父さんに関しては寝起きが悪くなったと思う。これが元々で、お母さんが帰って来るまで頑張ってくれていたのかもしれない。
お父さんの起床により任務を完了したわたしは、台所に戻ってお母さんと一緒にお父さんが来るのを待った。着替え終わったお父さんが席に着くと三人で朝食を摂る。今日は何をするかだとか、他愛もない会話が和やかな空間を作り出す。
食事が終わって、お父さんが仕事に出掛けた後、お母さんがニコニコ笑いながら、話しかけてきた。やはり何か良い事でもあったのだろうかと思い、お母さんの話す言葉に耳を傾ける。
「見せたいものがあるのだけれど、少しここで待っていてくれるかしら」
「うん?」
言われるままにその場で待機する。お母さんは食糧庫の中に入っていったが、すぐに出てきた。「おまたせ」と言うお母さんはボウルを抱えていた。
わたしは座っていた椅子から降りて、お母さんの近くまで行き、背伸びをしてピョンと飛び跳ねる。
「何が入っているの?」
中が見えなかったので、わたしが訊ねると、見やすいようにボウルを少し傾けてくれて、得意そうな声色で、「エマが欲しいものよ」と答えてくれる。
……わたしが欲しいもの?
ボウルの中には、透明で光を反射してキラキラ光る小さな物体がゴロゴロ入っていた。
「こ、氷!!え、でもどうして……?」
もし高いものだったら無駄遣いになると、一人でアワアワとしていると、その様子を見たお母さんがわたしを落ち着かせるように穏やかな口調で話し始めた。
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。あなたが心配する程高価な物という訳でもないのだから。」
……でも、お母さんの金銭感覚ってアテにならないじゃん!絶対高価な物だよ!年端もいかない子どもに高価なものをポンポン買い与えちゃダメです!教育に良くないよ
そんな事を言って説教できるわけもなかった。
「でも……」
「本当に大丈夫よ、これは知り合いに頼んで手に入れたものだから、お金は掛かっていないの。それにしても、エマは心配性ね、心配しなくても蓄えはあるのよ」
眉尻を下げたお母さんが、わたしの頭を撫でる。
……『いつまでもあると思うな親と金』だよ!
ずっとそんな事を考えていても、お母さんの気持ちを無駄にする事になるので、素直に「ありがとう」と言うことにする。お母さんの気持ちは純粋に嬉しいと思うのだ。
「ありがとう、お母さん」
「どういたしまして」
お母さんは、ふふっと笑う。
「エマが欲しがるものは料理に関係する物ばかりでしょう、あなたはいつも気にするけれど、わたしたちは高価な玩具をねだられて購入した訳ではないのだからそんな風に気にしなくてもいいのよ。それより、今日はどういった物を食卓に並べてくれるの?」
ワクワクした表情で問いかけられた。
……ん?わたしが気にしているのは自分の将来の為に金銭感覚を正常に保つ事なんだけど……まあ、いいか。
「昨日の氷菓子みたいに冷たくて、シャクシャクした食感の物を沢山作るにはやっぱり魔術具じゃないと出来ないだろうけど、少しだけなら作れると思ったの。」
「作れるの?」
わたしはコクンと一つ頷く。
「うん、でもそれには氷が必要なんだよ。」
「でも、それでは液体は固まらないのではなくて?」
「そうだよ。まあ、『百聞は一見に如かず』だから、見てて!」
わたしは胸を張って言う。
「ヒャクブンワ??」
……ヤバっ、日本語になってたっぽい
ヘラっと笑って誤魔化すと、作業に取り掛かる。甘みの強いジュースを使ってシャーベットを作る事も出来るが、今日は生クリームを使った濃厚アイスクリームを作る事にした。材料は生クリーム、卵、砂糖と好みのトッピングだけである。全ての材料を混ぜ合わせた液が入った金属のボウルをテーブルの端に置き、氷の入った木のボウルを自分の方に引き寄せる。そして、その中に予め食糧庫から取り出していた塩を目分量で氷の質量の3分の1投入する。こうする事で零下20度くらいまで温度が下がると昔何かで読んだことがる。氷は解ける時に周りから熱を奪い、塩は水に溶ける時に周りから熱を奪う。前者は融解熱、後者は溶解熱だ。その2つの相乗効果により、温度が下がるのだが、塩水は凍らない為化学反応は止まらず、どんどん温度が下がるという訳だ。
もっとも、目分量である為、絶対に質量の3分の1にはなっていないので、どこまで下がるか知らないが。
その後は、木のボウルに金属のボウルを乗せると言うよりは、はめ込んで金属のボウルの中にある液をかき混ぜる。
それまで、黙ってわたしの行動を見ていたお母さんが口を開いた。
「エマ……あなた、もしかして、」
「えっ!」
急に真剣な声が耳に入り、驚いたわたしは声を上げた。
「魔術の才があるのでは無くて……」
「は?」
お母さんが、真剣な顔でわたしの体を触るが、何のことかわからないわたしは間抜けな声を出してしまった。
「液体が凍り始めているわ……まさかふ、いえ、でもそれは……」
お母さんが口元に手を当ててボソボソと呟くのを聞きながら、お母さんの目線を追う。ボウルの液体に向いているのに気づいたわたしは、お母さんが何故「魔術」などという単語を口にしたのか合点がいった。多分こちらには化学という概念がなく、その代わりに、魔術があるのだろう。そうでなければ、お母さんがお菓子作りで「魔術」と言う言葉を使い、こんなに真剣な表情を見せるとは考え難い。
……魔術は貴族が使うものだから、わたしが使えると思ってビックリしたのかな?でも、使えるならこんなにめんどい事しないし、寧ろ使えるようになりたいよ。魔術大歓迎だよ!!
「これは、魔術じゃないよ。使えたら良かったんだけど、使えないから氷と塩で代用したんだよ。」
わたしは誤解を解くために、ゆっくりとした口調で話した。
お母さんは信じられないという表情で「……氷に塩を入れるだけでそんな事が出来るというの?」と呟く。
その呟きをきいた瞬間、わたしは思ってしまった。化学という概念がない世界で、その事を語るのは良くないかもしれない。と。今日、わたしがした行動は間違ったものかもしれない。と。
天才で片付くならマシだけど、もっと違う方向、例えば、知識の出所を問われたらわたしは上手く誤魔化す事が出来るだろうか。失敗したら、自分の身を自分で滅ぼすのではないか。居場所が無くなるのではないか。様々な考えが頭をよぎり、自分の行動が軽はずみ過ぎたと今更になって思う。
少しの間沈黙の時間が流れる。
「……あ、あのね」
わたしは目の前の母に手を伸ばす。
次の瞬間、その手はしっかりと握られた。
「こんな、方法を思いつくなんて凄いわ!!」
「……へ?」
「わたしの娘は天才ね、将来が楽しみだわ」
わたしはギュッと抱きしめられた。
その時のわたしは肩透かしを食らったような顔をしていたと思う。
そんなこんなで出来上がったアイスクリームは2人で食べた。お父さんにも残してあげたかったが、帰って来るまで置いておくと解けてしまうからである。また今度、お父さんがいる時に作ろうとお母さんが言っていたので多分そうなるだろう。
夕食後、自室に戻ると、今日の出来事を思い返す。そして、ホッと胸を撫で下ろした。
価格を調べる前に氷が手に入りました。
なんだかんだで化学反応を利用して念願のアイスを食べる事が出来ました。
次は鉄の手 です。