10話 お菓子作りと西の森 後編
「うーん」
次の日のお昼、わたしは一人台所で唸っていた。明日持って行くお菓子を作ろうと台所に立ったは良いがクッキー以外に作れそうなものが浮かばない。マフィンやマドレーヌと言った焼き菓子も作りたかったが型がない。型については予めお父さんに頼んでおけば用意してくれていたかもしれないが、幾らかかるかわからないし、自分のお金でない以上、無駄使いさせるわけにはいかない。
……はぁ、それにしても持ち運んでも形が崩れなくて、傷まないものか……
暫く考えていたが家にある食材や器材、覚えているレシピの事を考えても、やはりクッキーしか浮かばなかった。ずっと考えていても時間の無駄なので今日はクッキーを作り、他のものは追々ということにして、生地作りに取り掛かる。材料をそろえてひたすらこねるだけだ。出来上がった生地は3等分にして、プレーン、木の実、茶葉の味になるように仕上げた。
……プレーンだけだと飽きちゃいそうだもんね。
「結構早く終わっちゃた。後はこれを暫く寝かして、成形して焼けば完成!」
思いの外、生地作りに時間がかからなかったため、生地を寝かしている間の時間に夕食の準備と明日のお弁当の準備も済ませることにした。夕食にはポテル芋を使ったサラダを作ることにしたので、ついでにポテトチップスならぬポテルチップスも作成する。これもお菓子の一種だが明日になると油と湿気でシナシナになると思うため森には持って行かない。
全ての準備が終わったわたしがクッキーの生地を取りに食料庫に向かうと、早めに帰宅したらしいお父さんの「ただいま」という声が聞こえた。食料庫に居る為、普通に返事をしても届かないので声を張り上げて「おかえり」と返事をする。
「ここにいたんだね。声がするのに姿が見えなかったから……ん? その手にあるものは?」
お父さんが食料庫の扉に手をかけた状態で身を乗り出して聞いてきた。
「お菓子の生地だよ。これから石窯で焼こうと思って。あっ、そうだ、お父さんも手伝って。」
……竈は料理で使ったことがあるんだけど、石窯の使い方はいまいちわかんないんだよね。勘でやろうかと思ってたんだけど、せっかくお父さんが帰って来たんだしやってもらった方がいいよね。
そんなことを考えながら、一人で納得してこくこくと頷いていると「それで私は何を手伝えばいいんだい?」と質問をされた。
「あ、えっと、わたしがこの生地を成形して鉄板に並べるから、お父さんには石窯の準備をしてもらいたいの。」
「わかったよ。」
お父さんが快く引き受けてくれたのを見届けてから、わたしは食料庫から出る。そして、石窯の準備の仕方が分かるように、父さんの姿が見える位置に移動して自分の作業を開始した。石窯の準備が出来た後は、鉄板に並べた生地を運んでもらい、焼く。焼き過ぎると炭になってしまうので焼き加減を真剣にチェックする。
……お、良い感じに色がついてきた、いい匂い。そろそろかな。
「お父さん、焼けたよ!出して出して!」
お父さんを急かせば、パパッと鉄板を取り出して、火を消してくれた。実に素早い動きである。小さなわたしには真似できない。わたしだったら多分焦がしてしまっただろうと思う。
「一つ食べてもいいかい?」
「うん。でも焼きたてだから熱いし、少し柔らかいと思うよ。」
そんなやり取りをした後は、ご飯を食べたり食器を片付けたりといつも通りの時間が過ぎていく。その中でポテルチップスについての会話もした。お父さんはかなり気に入ったみたいでペロリと平らげてしまった。その内、ポテルの備蓄が増えそうだ。
次の日の朝、わたしは初めて西の森の土を踏んだ。家から西の森までの距離は小さいわたしがかなり頑張ればたどり着けるくらいである。つまり頑張ったわたしの息は上がっている。
……疲れた。めっちゃ疲れたよ。歩幅が狭いって大変。
「疲れたの?」
「うん」
息を整えてからコクリと頷く。
「じゃあ、少し休んでからごはんにしようか。森の中を見て回るのはそれからだね。」
「そうだね。」
わたしはお父さんの提案に賛成してその場に座り込む。ほんの少し湿っている地面がひんやりして気持ちいい。するとそんなわたしを見ていたお父さんは近くにあった大きな切り株の所に歩いていき、表面を掃ってわたしに向かって手招きをした。
「エマ、こっちにおいで」
呼ばれたわたしはすくっと立ち上がって、自分のお尻をチェックする。さほど汚れてはいない。パパッと手ではたけば落ちる程度だ。わたしがお尻をはたいてパタパタとお父さんのところへ駆け寄ると、お父さんはわたしを抱きかかえて切り株に座らせた。そして自分も空いたスペースに腰を下ろす。それから、二人でお弁当とお菓子を食べて、森の探索を始める。
ザク、ザッ、ザッ
……ふふ、落ち葉を踏むのって楽しい。気持ちいい。
落ち葉を踏む感触にご機嫌になったわたしはどんどん歩いていく。
「あ、『椎の実』! 『どんぐり』も! あれは『ツルウメモドキ』!」
……椎の実は炒ったら香ばしくておいしいから、お菓子をアレンジするのにいいかも。ツルウメモドキとどんぐりは奈留の時にクリスマスのリース作りに使ったことがある。懐かしい。こっちにはクリスマスないもんね。
途中で歩くのをやめて地面に落ちている椎の実やどんぐりを、拾ってはポケットに突っ込み、拾ってはポケットに突っ込みしていると、側にいたお父さんが顎に手を当てて首をかしげて声をかけてきた。
「さっきから何を言っているんだい? 『シイノミ』?」
……あーこっちの言葉で椎の実とかって何て言うんだっけ? 知らない単語だとついつい日本語が出るのは難点だね。反省、反省。
「お父さん、これはなんて言うの?」
「ああ、小さめの方はピングーリ、こっちはコングーリだよ。」
どうやら椎の実はピングーリ、どんぐりはコングーリと言うらしい。名前が似ていて間違えそうだ。わたしが拾った実を見つめながら頭の中で何度か名前を繰り返していたら、お父さんが「ちょうど良かった。その実はキーンが好きなんだ。」と言ってピィーと指笛を吹いた。わたしは驚いてきょろきょろと辺りを見回す。すると、東の方からバサバサという音と共に何かが凄いスピードでこっちにやってきているのが分かった。ちょっぴり怖くなってさっとお父さんの後ろに隠れる。
「鳥!?」
その鳥のような生物はお父さんの肩に乗ると「キュイ」っと鳴いて指示を待っているようだった。見た目は大きいカラスで体の色は濃紺、瞳は水色だ。
「キーンはグリルスという種の魔鳥だよ」
「と、鳥じゃないの? 魔鳥って何?」
「そうだね……魔物の一種と言えば分かるかい?」
「え?」
コテンと首をかしげたわたしに、お父さんはわかり易く解説してくれる。魔物は種族によって魔獣だったり魔鳥だったりと区別されていて、基本的に普通の動物より攻撃的で、それぞれが特殊能力を持っているらしい。グリルスはその中でも温厚で飛行速度が速く、風を操る能力がある為、一部の人はグリルスをしつけて情報伝達やちょっとした荷物運びに使ったりするのだそうだ。キーンは怪我をしているところをお父さんが手当てしたことで懐いて、この街に来る前からの長い付き合いなのだと教えてくれた。
……おおふ、不思議生物。魔物って本当にいたんだ。家にある本にも登場してたけど物語だけの空想の生物だと思ってたよ。……って、今攻撃的だって言ってたよね……この森一人で来るの危険じゃない?
お父さんの袖をチョイチョイと引っ張って「魔物はこの森でもでるの?」と恐る恐る尋ねる。お父さんはこちらを向いて頷き、優しく笑って「でも、攻撃的な魔物は出ないから大丈夫だよ。」と答えてくれる。どうやら西の森には魔物は滅多に出没しないみたいで、出たとしても温厚な小物ばかりらしい。少し安心した。
わたしは、ほっと胸をなでおろして、先程からずっとおとなしくしているキーンに呼びかけることにする。
「キーン」
キーンはわたしの呼びかけに「キュイ」と一声鳴いて、パサリと飛び上がり数秒空中をさまようとポスリとわたしの頭の上に落ち着いた。呼ばれたから飛び上がったはいいけれど、大きさ的に頭以外に止まれそうなところが無かったからだと思う。わたしは木の実好きだと聞いていたことを思い出して、ポケット一杯に詰め込んでいたピングーリとコングーリを半分取り出して、お父さんに差し出し、キーンにあげてと頼む。それをキーンは待ってましたというかんじで、パクパクと食べていき、あっという間にすべてを平らげてしまった。わたしは目の前でお父さんの手のひらから木の実がなくなっていく様をぽかんと口を開けて見つめていた。
「エマ、口が開いてるよ。」
その指摘にさっと口を押さえる。
「ねぇ、お父さん、グリルスは食べる速度も速いの?」
「ん? キーンぐらいじゃないかな。それより、キーンはエマの事が気に入ったみたいだよ。グルグル鳴いている。」
……さっきから、グルグル言っていたのは親愛の証だったんだね。でも、頭の上で鳴かれると振動が頭に響いてきて、何とも言えない気分だよ。頭もあまり動かせないし首が痛い。
微笑ましいものを見るように笑っているお父さんを見ながら、どうしたものかと悩んでいると、それに気づいたらしいお父さんがキーンを頭の上から自分の肩に移動させてくれた。それからはキーンを含めて森の探索を再開する。その間に秋の森で採れる木の実や薬草について簡単に教えてもらった。ナイフの使い方や罠のつくり方は今度教えてくれるらしい。ナイフは使えるけれど、罠は作ったことがないので実に楽しみである。
「ここまでにしようか。もっと奥があるけれど、今のエマじゃ帰るのが大変になりそうだからね。もう少し大きくなってから行ってみると良いよ。それより、今日は沢山動いたから体が汚れたでしょ? 帰りにギルドに寄ってお風呂に入ることにしようか。」
「えっ! 本当!? やったー、アネットさんに会える!」
お風呂に入ることが出来る事と、アネットに会えることが嬉しくて小躍りしていると、お父さんが困ったような表情で「本当に、アネットの事が好きだね」と小さく呟く。それに対してわたしはニコリと笑って返事をした。
次はお風呂です。