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虎と燕と江戸町乱歩  作者: 蟬時雨あさぎ
邂逅篇
9/21

捌――相対と再会


(こま)其奴(そいつ)が今、どこに座っているか分かるか?」

「奥から二番目の長椅子だにゃ。けっ、呑気に美味そうな饅頭(まんじゅう)を食ってるにゃあ」

「そうか。それは何よりだ」


 花芽屋(はなめや)の裏。日の影の中で、虎影(とらかげ)と狛はこそこそと店の中の様子を伺っていた。


(万が一にも、追い詰めたのが人違いでした、なんて事になったら……当の本人を取り逃がしかねないな)


 これは、罪人を捕らえる千載一遇(せんざいいちぐう)の機会であるのと同時に、まだ見つかっていない清を取り戻す機会でもあるのだ。虎影は深呼吸をして、ごくりと唾を飲みこむ。

 頭の上の毛むくじゃらは、二つに分かれた尾っぽをゆらりと揺らす。


「行くぞ、狛。逃げようとしたら、引っ掻くなり噛み付くなりしてくれ」

「あまり期待はしにゃいでくれるかにゃ?」

「……猫としての本分を思う存分発揮してくれるのだろう?」

「悲しいかにゃ、踏まれたり蹴られたりして、返り討ちに遭うのが関の山ヨ……」


 けっけっけっ、と切なそうに笑うと、狛はぴょいっと虎影の頭から飛び降りる。軽やかに地面は着地すると、にいっと笑って虎影を見上げた。


「わっちは外で待ってるでにゃ。後は頑張ってくだせぇ」


 見守ってますぜ、と言い残すと、ゆらゆらと尻尾を揺らしながら三毛猫は表へと歩き行った。飽きたのか、面倒なのか、いかにも猫らしい奔放さである。その姿を見送って、虎影は、何故今此処にいるのだろうか、と思った。


 剣を習った事もない。体格がいいわけでも無い。体術を得ているわけでも、ない。ある意味、ただ単なる好奇心で動いているのかもしれない。

 それでも、ここで歩みを止めるなんて(つも)りは毛頭無かった。


(下手な野次馬よりも、よっぽど性質(たち)が悪いよな)


 自身の判断に皮肉めいた笑みをこぼして、虎影は足を進めて表へと出た。日がより傾いてきており、人通りも少し減ってきた。すぐ左手を見ると、目的の花芽屋(はなめや)がある。


(紫黒(しこく)の旦那に教えてもらった魔除けの印が、人間(ひと)に対しても効けば良いんだけれどなぁ)


 あり得ることのない事を考えながら、虎影は花芽屋の暖簾(のれん)をくぐった。





 花芽屋の中はやはり夜が近づいてきたからだろうか、客は少なく、席がまばらに空いていた。

 見渡すと、狛が言っていたところには少し汚れた着物の男が座っていた。それほど年は若くはなさそうな、少しやつれた髪の乱れた男で、何個目かもわからない饅頭を頬張っていた。

 人の目も気にしない、堂々たるその態度は、足がついていないという自信から来ているのだろう。


 迷いなく、そちらへと虎影は足を進める。


 虎影が目の前に立ち止まると、男は(ようや)く不思議そうに視線を向ける。


「何でぇ。お前、なんか用か」


 睨みつける男を他所(よそ)に、虎影は飲みかけの湯呑(ゆのみ)を見る。中に注がれていたお茶は、番茶ではなく一番茶(・・・)であった。

 一番安いものであろうが、少し値の張る一番茶を頼んで飲んでいるだなんて、身形(みなり)の割には羽振りが良すぎる。

 にこっと笑って、虎影は男に向き直った。年相応のあどけない感じで、声を出す。


「おじさん、なかなか太っ腹だね」

「まあな。入ってきたお金は、こうして直ぐにぱあっと使っちまう方がいいのよ」


 はっはっと笑った男は湯呑を手に取るとずずず、と茶を啜った。そしてまた、饅頭を齧る。


「確かにそうだね――」


 そこで区切ると、打って変わって虎影は普段通りの、低い声で大人びた口調で言う。


「――他人(ひと)の子を(さら)って売って儲けたお金なんて、手元にない方が良いものだからな」

「ごふっ!?」


 その言葉に驚き、男は饅頭を喉に詰まらせて咳き込む。何食わぬ顔でいたが、当たりだったようだ。

 咳き込んでいるその隙に、虎影はさっと背後に回り込み、男の体を長椅子に押し倒して体重をかけた。


此奴(こいつ)人攫(ひとさら)いだ! 取り押さえるのを手伝ってくれ!」

「何だと?!」

「本当か?!」

「きゃー!」


 ゆったりとした雰囲気が流れていた店の中が一変、修羅場になる。

 虎影の言葉に、花芽屋の主人(しゅじん)は驚きで眼を見開き、棒立ちになる。お盆片手に饅頭を出していた女子(おなご)は叫び逃げ、数名の客が助太刀せんと立ち上がる。

 しかし、男もそう簡単にお縄につく訳にはいかない。


「こんの……子ども風情(ふぜい)が!」

「うがっ……!」


 体重をかけようとも子ども一人だけでは抑え込められず、男に思いっきり起き上がりながら振り払らわれて、虎影は地面に転がされる。頭を打つことはなかったものの、身体を強打してしまう。


「大人しくしやがれ!」

「誰が黙って従うかよ!」

「待てぇ!」


 その後も、幾度となく立ちはだかる客達を振り払い着き飛ばし、男は入り口の暖簾へと一直線に駆けていく。


「へっ……ちょろいもんだぜ!」


 背後に転がっている虎影や客達を見て、ひひひ、と下卑た笑いをする男。

 そんな、外へ逃げ(おお)せるまでもうすぐ、というところだった。一人の客が花芽屋の暖簾をくぐって入ってきたのは。


 入り口には、俯き加減で菅笠(すげがさ)を目深にかぶり、合羽を羽織った旅人(たびびと)が立っていた。


「邪魔だ、退()け!!」

「頼む、其奴(そいつ)を止めてくれ!!」


 男の罵声と、立ち上がった虎影の叫びが重なる。

 その声に顔を上げて、さらにすっと菅笠の鍔を上げると、旅人は男を睨みつけた(・・・・・)


「っ?!」


 その瞳の鋭さに気圧されたか、息を飲んで男は足を止めかける。が、しかしここで立ち止まれば捕まってしまう。男は軽く歯軋りをすると。


退()けぇ!!」


 なりふり構わず旅人の方へと突進する。動じることなく、旅人はその目をじっと見据えると。


「そういうわけには、いかねぇな」


 少し左に避けて突っ込んできた男の腕を取って旅人がくっと力をかけると、男が前のめりに一回転。背中を打ちつけ、地面にのされ(・・・)たのだった。男を裏返すとそのまま両腕を捻り上げ、旅人はしっかりと拘束する。


 流れるような、静かな動作で瞬く間に行われたそれに、虎影も、店の主人(あるじ)も、店の中の客達も言葉を失い、呆然とする。

 その最中(さなか)、罪人を捉えた闖入者(ちんにゅうしゃ)は菅笠越しにぐるりと店の中を見渡すと、ただ一点、黒鳶の羽織を着た()()を見据えて口を開いた。

 

「虎影ー、止めたついでに捕まえたが、後はどうすりゃ良い?」

「その声……まさか、燕、か?」


 驚きに目を丸くした虎影の問いに、旅人の闖入者――もとい(つばめ)は、にんまりと笑って頷きを返したのだった。口をほうっとあけたまま、虎影は自分らしからぬ呆けた顔でその様子を見つめていた。


(何故、ここに燕が居る? 私が向こう側に行けたのならば燕が此方側に来ることも出来ない訳ではないだろう。それに何で黒い髪なのか……いや、そんな事より)


「……とりあえず、そのまま抑えていてくれ」

「あいわかった」


ふぅ、と深呼吸して虎影は心を落ち着かせ、燕の方へと近づいた。隣で膝付き、顔を覗き込むと、どうやら男は気を失っているようで白目を向いていた。

 突き飛ばされてたりしていた客達も立ち上がり、何もできないままでいた花芽屋の主人(あるじ)も加わって虎影と燕を取り囲んだ。


(すげ)ぇ……」

(あん)ちゃん、強いなぁ!」

「何もできなくて、……かたじけねぇ」

「へへ……まぁ、たまたまですよ」


 あまり視線を合わさないようにと菅笠に隠れるようにしつつ、燕は応対する。少し照れたような、そんな声だった。その傍ら、虎影は男を見つめて、口を開く。


「後は、町奉行に引き渡すだけだな……だが」

「何だ、どうかしたのか?」


 その視線には、様々な、複雑な感情が絡められていた。


失神していては(このままでは)、お清の行方は分からずじまい、か……」


 罪人を捕らえたものの、一番重要な清の行方は分からずじまいだ。

 それに加えて、先程の男の言動だ。もう既に清は――売られてしまったとみて良いのだろう。

 しかも、(さら)い子を売るという事ならば、身元が割れないようにしているのだろう。身元保証のある娘しか買い付けない天下の吉原とは違い、買い手は碌な商売をしていないことが想像に難くない。


「やりすぎちったみたいで……すまない」

「いや、燕が居なかったら逃げられてしまっていた。本当にありがとう」


 そう言いながらも、虎影が口を真一文字に結んでいるのを、申し訳なさそうに横目で燕が見遣ったその時。


「大変だにゃ、黒鳶(くろとび)!」


 狛が、疾風の如く人々の脚の合間をすいすいとすり抜けて虎影の元に駆け寄った。その声には焦りが滲み、只事ではないことを察知させる。


「どうした狛」

「うわ、喋った!」


 何事もなく返答する虎影に対して、燕が驚きの声を上げる。驚嘆の声に、狛は見慣れぬ青い瞳を睨みあげた。


「猫が喋って何が悪ぃのかにゃ? じゃにゃくて!!」

「珍しい、猫だが……話してるのか?」

「なんか、(すげ)ぇにゃーにゃー鳴いてるぞ?」


 虎影と燕以外の周囲の人々には鳴いているようにしか聞こえず、不思議そうにその様子を見つめていた。

 虎影は宥めるように、興奮した様子の狛の背を優しく撫ぜる。少し俯き加減に、狛は鼻息荒く呼吸をする。


「落ち着け、狛。何が、あった?」

「わっちが、小童(こわっぱ)の連れ去りについて探っているってぇのを、聞きつけた猫仲間が、急いで教えに来てくれたんで、さぁ」


 所々息を切らしながらも、言葉を紡いでいく狛。一旦虎影と燕は目を見合わせると、真剣な目つきで三毛猫に視線を戻した。

 二人を見上げて、狛は口を開く。


「今日の日の昼頃に、悪鬼憑(おにつ)きの男がその小童を買ったところを見たって! 早く、早くしないと……」



「夜になったら、小童が、悪鬼に喰われてしまうにゃ!」


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