伍――散策と怪
少し日が傾いてきている。しかしまだ空は青く明るく、大通りともなれば人通りも多い。流石に振売の姿は減ったが、帰路につく者、宿へ向かう者など様々な人が歩いていた。
その中、虎影は黒の羽織を翻し、さっささっさと行きつけの団子茶屋へと足を運んでいた。可愛らしい三人姉妹で有名の、その名も福茶屋だ。
お松は、姉御肌で頼れる一番上の娘。真ん中のお竹は内気で大人しいが、団子作りの腕は確かである。また末っ子のお梅は天真爛漫で笑顔が愛らしいと評判、と三人姉妹目当てに連日大賑わいだ。
そんな福茶屋の馴染みである虎影は、ここ数日、訪れていないだけで福茶屋の団子が食べたくなっていた。熱々、作りたてのみたらし団子。もちもちとした、甘辛い味をしみじみと思い出していると、声が響いた。
「おっ、黒鳶じゃにゃーか!」
「……?」
立ち止まり、振り返ったり周りを見渡すが、知り合いと思われる人は居ない。確かに、虎影を呼ぶ声がした、が。
「黒鳶、こっちや。下向き、下」
「下?」
言われるがまま下を向くと、一匹の猫が虎影を見上げる。背中にまだら模様を背負い、尻尾が見事に二つに分かれていた。言わずもがな、妖怪――猫又である。その姿を見るや否や、虎影はちっと舌打ちをした。
「その顔! 子どもの癖に、辛気臭くてかなわんわ」
「なんだ、狛か……」
「いつもながら連れねぇ奴ちゃのー」
そう言うと、まだら猫――狛はぴよいっと飛び跳ねると、虎影の頭の上に乗る。すると、徐に早足で歩き出し、虎影は狛を振り落とそうとする。
「うわわわ、こーんな可愛いわっちを煙たがるのは黒鳶ぐらいや」
必死で頭にしがみつく狛を気にすることなく、当初の予定通り福茶屋を目指して足を運んだ。
「……で、何の用なんだ?」
「前、生真面目な同心と丹呉屋に行ったやろ? あの娘さんがな――」
かくかくしかじかと事の顛末を狛は話す。その内容に、次第に虎影の足は止まり、眉間に皺が寄って子どもらしからぬ表情へと変わる。大通りの真ん中、邪魔そうにする人々の視線もそっちのけに、無言で考え込んでいた。
拐かし、その殆どは金銭目的や人身売買目的で行われる、が。
(話を聞く限り、お清を拐ったのは人身売買目的か。だが、何か引っかかる)
「黒鳶、考え込むのはいいけんど……こんな所で立ち止まってると邪魔やで?」
「……そうだな」
歩き進めた虎影に、猫又らしく、狛はけっけっけっけっ、と不気味に笑い声をあげる。狛はゆらりゆらりと二股に分かれた尻尾をゆっくりと揺らしていた。
「ところで、何処に行くんや?」
頭の上の毛むくじゃらは聞いてくる。どうやら、降りる気は毛頭ないらしい。他人には見えないからいいものの、少々頭が重くて困る。
「福茶屋で団子でも、と思ってな。だが、今は八兵衛に会う方が先か」
「例の兄ちゃんか。丹呉屋の件があってからあっちへこっちへ大忙しだからにゃー。何処にいるかは、流石のわっちでも判らんにゃ」
「そうか……ならば、福茶屋の三姉妹に聞いてみるとするか。何かと情報通だから、何かしら手掛かりがあるかもしれない」
「じゃあ、わっちは団子を一串。にしても、あと同心――八兵衛じゃっけ? 黒鳶を見かけないようなって、拐かしが起きてからというものの眼の下の隈が段々濃うなって……」
「……それは悪い事をしたな」
虎影の眉間に、自然と皺が寄る。
やはり目の前で人一人が消え去るというのは、八兵衛には衝撃が強過ぎたようだった。それに、清が誘拐されたとなればあの生真面目で仕事熱心な堅物は責任感を感じているに違いなかった。
少し、福茶屋へと進める足が早まった。
「……ところで、団子食う気なのか。猫の癖に団子なんて食べると喉に詰まらせるぞ」
「けっけっけっ! 黒鳶よぅ。よーく考えてみれ。わっちは猫又、化け猫さぁ。団子を喉に詰まらせるなんて笑止千万よ」
けっけっけっ、と不気味に笑う狛。確かに最もだ、と虎影は思った。
福茶屋は、ちょっと一休みを、という人々で賑わっていた。暖簾をくぐり中に入ると、外の騒がしさが少し遠のく。腰掛けたお客達は、話したり茶を啜ったりと各々休息をゆったり楽しんでいた。
その中、少し幼いめかしこんだ女子が一目虎影を見ると、何も言わず溢れんばかりの笑みをこぼす。そしてすぐさま店の奥まった方へ駆けていった。三人看板姉妹の末っ子――梅であった。
「ありゃ、どうしたんじゃろ?」
「さあ……? お松を呼びに行ったとか? しかし、そうする理由が無いからなぁ」
狛とともに不思議そうに、虎影は立ち尽くしたままその様子を見ていた。
猫又は人は見えぬもの故、一人でぶつぶつと呟く虎影を、近くで休んでいたお客は気味が悪そうに見遣った。しかし、黒鳶色の羽織に気がつくとふっと視線を逸らし、そそくさと店を出ていってしまう。団子がまだ一串残ったままの空席を、狛はぎらりとした眼で見ていた。
梅が連れてきたのは、案の定一番上の姉、松であった。連れてくると、にっこりと虎影に笑いかけてから、梅は松の代わりにお茶運びを始めた。
「黒鳶さん、お久しぶりです」
「や、お松。団子が食べたくなったのでね」
「直ぐにご用意しましょう、と言いたいのですが……八兵衛様から言伝がありまして」
その言葉に、少し目を開く。少し自身より背の高い松を、虎影は見上げた。
「それはどのような?」
「丹呉屋に来てくれ、と」
狛が尻尾をゆらゆら揺らした。
丹呉屋を訪れると、一度会っている店の主人・龍ノ助が疲弊した笑みで出迎えた。虎影の頭には、変わらず狛が乗り続けている。さしずめ、気分は物見遊山といった所だろう。
「ああ、黒鳶さん。 ようこそ、おいで下さいました」
龍ノ助に招き入れられた店内は、閑散としていた。綺麗な晴れ着や着物達が飾られている。しかし、主人の疲れた空気も相まって、少しくたびれたように見える。
「こんにちは。以前、共に訪れた同心から、此処に向かうように言伝を受けまして」
「ええ、ええ……。六蔵様から、お越しになったら詳しくお聞かせするように承っております」
聞き覚えのない六蔵、という名。龍ノ助との会話に少し齟齬が生じているように虎影は感じたが、後回しにすることにした。
龍ノ助に促されるまま、上がり框に腰掛けて話を聞く。ぴょい、と狛が頭から飛び降りて、虎影の横に座り込んだ。
龍ノ助の話した内容は、狛の話よりも少し詳しいものだった。
清がいなくなった時、辰は清と共に街へと出ていたと言う。多くの人で混みあった大通りを二人は手を繋いで歩いていたが、あまりの人の多さに繋いでいた手が離れてしまったという。近辺を辰は探したが、そのまま清は行方知れずとなってしまった。
一方その頃、龍ノ助は丹呉屋にて商談をしており、そんなことはつゆ知らず。商談が終わった頃、大慌てで駆け込んできた辰に事情を聞き、店を飛び出したところにいた与力に話をしたと言う。
それからというものの、その与力らが捜索に当たっているが未だ見つからない。
「なぜ、こんな事になってしまったのか……! 私がもっと、清のことを考えていれば……!」
最後にそう龍ノ助は言うと、俯いて拳を握りしめた。虎影は黙って、じいっと様子を見つめていた。
隣ではどうでも良さそうに、狛がくわっと欠伸をこぼしていた。