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虎と燕と江戸町乱歩  作者: 蟬時雨あさぎ
邂逅篇
3/21

弐――黒い虎、白い燕


 食事処のたぬき屋の二階で、どうしたものか、と(つばめ)は白髪をぼりぼりと掻いていた。

 そこへ(ふすま)をあけて中を覗く者が一人。


「よゥ、燕。()()の様子はどうだい」

「お、紫黒(しこく)旦那(だんな)。どうもなにも、一向に目を覚まさねぇよ……」


 燕は、目の前の布団の中、横になって眠る虎影を見つめ、溜息をついた。

 中に入ってきた紫黒の旦那は長く真っ直ぐな黒髪を耳にかけ、紫玉(しぎょく)の瞳を微笑ましげに揺らす。そしてそのまま、窓際の壁に寄りかかりつつ座った。


「かれこれ二日も経つんだぜ? お寝坊(ねぼう)さんにも程があるっての」

「まぁまぁ()しねェ。なんだかんだ言ってほっとけなかったから助けたんだろう?」


 旦那の言葉に何も言えず、燕は黙り込む。


 燕にとってあの日、黒い羽織を着た虎影(おのこ)を助けたのは、単なる気紛(きまぐ)れであった。

 実際、あのまま捨て置くこともできたのだ。

 この世の中、世知辛いかもしれないが、誰かを助けるということは難しいことなのである。育ての親である紫黒の旦那にも口が酸っぱくなる程言われてきていた。


 しかし、まだ自分自身より小さな幼い虎影(おのこ)悪鬼達(ごろつき)に囲まれているのを見て、何故か、助けねばと思ったのであった。


 助けるべきだ、と思ったのであった。


 しかし、空を飛び運んで、馴染みのたぬき屋に連れてきたものの、当の本人である虎影(おのこ)は気を失っていた。

 とりあえず、痛めていた両足首の手当てをして布団に寝かせているが、寝たきりの状態のまま早二日経つ。


 このまま、目が覚めなかったら。


 そう考えると、どうにも苦々しく、燕は気が気ではなかった。


「まァ、ゆっくり待つことだ。見た所、此奴はお前さんと一緒のようだよ」

「俺と一緒って、……どういうことさ?」


 旦那の言葉に首を傾げた。

 何が一緒なのだろうか。髪の色から瞳の色、肌の色も違うというのに。


現世(うつしよ)から来た人間(にんげん)のようだ」

「本当か!?」

「……嘘はつかねぇヨ」


 燕の驚き様に、悪戯っぽく笑う旦那。


「人が空を飛ぶなんてこたァ、現世ではあり()ねぇからな。多分、天地がひっくり返るぐらい吃驚(びっくり)しちまったのさ」

「そうか……。そうか、人は空を飛ばないんだよな。そりゃそうだよな」

「まぁしかし、それあっちの世界での話だ。こっちの世界じゃア、人も飛ぶんだヨ」


 人が空を飛ばない、という考え方に、燕は衝撃を受けているようであった。その様子に、懐から取り出した煙管(きせる)に火を点け、(くゆ)らせながら紫黒の旦那はくっくっと笑う。


「そうは言っても、こうも目覚めねぇと心配になってくる……」

「まぁまぁ。そういう時は飯でも食って休憩しな、燕ちゃん」


 優しげな声のする方を見ると、一つ御膳を持っている――(たぬき)


「たぬ(きっ)さん!」

「毎度言うけどたぬ(きち)ね」


 二本足で立ち、丸々とした大きな体に、人の良さげなにんまり顔が印象的である。たぬき屋の主人、たぬ吉であった。


「お邪魔してるヨ」

「いつもどうもでさぁ。それより紫黒の旦那、聞いてくださいよ〜。燕ちゃん、朝ご飯まだ食べていないんですよ?」


 その途端にぐるぐる、と腹の音が鳴り響く。

 そう、燕は朝から何も口に入れていなかったのだった。お茶は飲んだものの、いつ目覚めるものかとずうっと眺めていたもので、すっかり忘れてしまっていた。


「おいおい、燕。朝ご飯くらいしっかり食べねぇと、お腹が空いてちゃ何もできねぇよ?」

「いやはや、すっかり忘れていたもんで……」

「ほれ、燕ちゃん。蕎麦(そば)食べな? 天麩羅(てんぷら)、おまけしといたから」


 たぬ吉が持ってきた御膳に乗せられていたのは蕎麦であった。それを燕の目の前におく。


「やった! いただきまーす」

「しっかり食べてくれよ?」

「ありがとうございます!」


 微笑ましそうに紫黒の旦那とたぬ吉が見る中、美味しそうに燕は蕎麦を頬張った。





♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎





 ずきり、とした痛みで虎影(とらかげ)は目が覚めた。


 目に入ったのは見覚えのない天井。ぼんやりとした頭がだんだんと覚醒していくのを感じた。

 半身を起こして部屋を見渡すと、窓の外から青い空とのどかな街並みが見えている。

太陽がてっぺん近くまで昇っているようで、柳の木の真下に短い影ができていた。


「昼、か?」


 虎影が住まう割長屋(わりながや)よりも、少し広い、畳ばりの部屋に寝かされていた。


(どのくらい寝ていたのだろうか)


 ずっと寝ていたのだろう、背中が痛かった。それと共に、ずき、と小さく左足が痛みを訴える。


(生きてるんだよなぁ、多分)


 両の手を見つめ、何かおかしくて虎影は少し笑った。

 その視界の端で、何かもぞもぞと動くのを認識する。見遣ると、寝かせられている白い布団が何故か動いていた。


「うわっ?!」


 否、布団ではなく、人。


「は、白燕(はくえん)……?」


 (つばめ)が、白い布団の端に同化するかのようにうつ伏せになって寝ていたのである。

 白い短髪に淡い色合いの桜の柄の入った白い着物故、一目では分からないくらいである。居どころが悪かったのか、もぞもぞと寝返りを打っていたのだった。


 なかなか目が覚めない虎影にずっと付いていた燕だったが、その内うたた寝をしてしまい、そこからずっと虎影の布団の横で眠りこけていた。


「おぅ、起きたかい?」


 一つ、すっと開けられた襖から、黒い長髪の男が虎影に笑いかける。紫黒(しこく)旦那(だんな)であった。

 状況がよく分からず、困惑するばかりであるがとりあえず頷く。


「……おはよう、ございます?」

「おゥ、おはよう」


 そのまま、ゆらりと中に入って布団の側に寄る。そして、やけに横長い白い布団に気が付いた。


「おいおい、本当のお寝坊さんはお前さんじゃねぇかィ」


 うつ伏せの燕をひっくり返して、ゆさゆさと揺すっている。目をまん丸にして虎影は見ていた。その瞳の色は黄金(きん)である。


「おい、寝坊助(ねぼすけ)。起きろ」

「はっ、……紫黒の、旦那っ!?」


 寝ぼけ眼をぱっちり開き、跳ね起きたその様子は、自身を助けたあの不敵な姿とは似ても似つかぬ、幼さを感じさせるものであった。



♢♦︎♢♦︎♢



「掛軸を通って此方側(こちらがわ)に来た、か。何とも不思議な話だなぁ」


 一通り、悪鬼に取り囲まれるようになった経緯(いきさつ)を説明すると、何と面妖(めんよう)なといった様子で燕は呟いた。


「大方、行商人か誰かが通行路として繋げたのが残っていたか、偶々(たまたま)繋がっただろう」

「でも、旦那。虎影は鬼門町(きもんちょう)に放り出されたんだぜ? そんな所に通路があるなんて、悪巧みしてるようにか思えねぇよ」

「まぁ、そうかもしれん。しかし、放り出された後に道は切れたンだ。最早どうしようもできねぇだろうよ」

「そうか……それもそうだな」


 並んで座り、掛軸について話す二人の様子を出されたお茶を啜りながら虎影は観察していた。


 経緯を話すに差し当たって名を教えてもらったが、二人は普通の町人、といった様子であった。とは言っても、真っ白でわんぱくそうな少年と、黒を(まと)った飄々とした旦那という取り合わせに、(いささ)か視界に違和感があるが。


(まるで父子(おやこ)のようだが、血は繋がっていないんだろう)


 思ったことを言い合い、相手の意見を聞き合う。時に子を(いさ)め、時に子に気付かされる。

 きっと、世の中の父子(おやこ)はこういった様子なのだろうと、虎影は二人を見て漠然と感じていた。


(彼奴(あいつ)とは大違いだ)


 啜ったお茶の苦味がやけに強く感じられて、虎影はすぐに飲み込んだ。


「時に虎影、お前さんはこれからどうするんだィ?」


 煙管(きせる)(くゆ)らせている紫黒の旦那が、じっと虎影を見つめていた。ぱちり、と目を丸くし瞬きをする。


現世(うつしよ)に帰るんだったら、足が治ってからだけど、俺がひとっ飛びしてやるよ」


 燕はにっと笑いかける。

 虎影は、ただただ現世、という聞きなれない言葉に眉をひそめ、困惑した表情で燕と旦那の顔を交互に見遣る。


「うつしよって言われても……私が住んでいたのは江戸の根岸(ねぎし)、なんだが……」

「だから、現世だろ? 現世の――」

「待て燕」


 紫黒の旦那が遮る。真面目な顔をして虎影を見つめた。

 当惑した顔を変えずに見返す。


 ふうっ、と煙を吐き出して、旦那はまなじりを下げる。


「燕、虎影は全く何も知らないで(・・・・・・・)此方側にきたんだ。真逆(まさか)とは思ったが、……本当に何も知らないようだねェ」


 よく分からないが、知らないという点のみを以って、虎影は黙って首肯する。本当に何から何まで知らないのである。何処であるか、何故妖怪が跋扈(ばっこ)しているのか、見当もつかない。

 嘘だろう、というような顔を燕が引っ提げているが、本当なのである。


「見る物全てに驚きました。表通りを見たら嫌な波動を放つ鬼達に、空には天狗や龍が飛ぶ始末……。江戸でも、こんな事は無かったのに……」

「そりゃあ、そうだよなァ」

「そうなのか?」


 旦那は納得した顔をし、燕は興味深そうにする。虎影は、掛軸に呑み込まれてからの事を思い出し、ごくり、と唾を飲んだ。


「おまけに」


「人が空を飛ぶなんて……」

「……そうかィ」

「それはすまん!! 本当にすまん!」

「いや、あの時は助けてくれてありがとう……」


 急上昇によってもたらされる未曾有の体感、所謂(いわゆる)浮遊感を思い出し、顔色がだんだんと悪くなる。

 燕が慌てに慌てている様子を見て、くつくつと笑いながら旦那は煙管(きせる)を咥えていた。


 仕切り直すように、一口、湯飲みに残っている茶を一気に啜り飲み干す。


「此処は、何処なんですか? 私が住んでいた江戸じゃないことには、薄々気づいてます」


 真っ直ぐと見据えられた紫黒の旦那が、口元に弧を描く。


「そうだよ、此処は江戸じゃない。お前さんの住む江戸は現世――人界(じんかい)にある」

「じんかい……」


 はっきりと意味はわからないが、何となく今を感じ取る。ぽつりと反芻(はんすう)すると、燕が頷いた。


「ここは、妖世(あやしよ)――妖界(ようかい)。妖怪どもが住まう、もう(ひと)つの()だヨ」


 にっこりと旦那が笑む。


 虎影は苦笑いを浮かべることしかできなかった。



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