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虎と燕と江戸町乱歩  作者: 蟬時雨あさぎ
江都篇
18/21

陸――ひらり舞う蝶


 花守はなもり達の詰め所の中。七瀬ななせの部屋もかなり奥まっていたが、そのまた奥へ、奥へと(ぎん)達は連れられて進んでいった。


 進めば進むほどに限られた者しか通行できないのか、すれ違う者の数が減っていく。どうやら、蝶々ちょうちょうという者は隔離されているようだった。それも、亜人あひとならば頷けない事もない。


 亜人。それは、姿形はなんら人間ひとと変わりない者ではあるが、妖怪達とは比べ物にならないほど強い力を持った者のことである。


 何故、強いのか。

 何故、彼らがそう呼ばれるようになったのか。


 詳しいことは何一つ分かっていないが、江都えとの要職の殆どは彼らが担い、妖怪達からは畏怖と尊敬の混ざった視線が送られる、それが亜人なのである。


 乱れることなき早歩きで、七瀬は板間を歩いていった。余裕そうな萩矢(はぎや)とは反対に、普段おっとりとしている吟にはついていくので精一杯である。


 そして、その歩みはぎしり、と床板が鳴ったところで止まる。何もない、ただの廊下の途中。


「どうした?」

「……蝶々の存在は、この花守の中でも秘匿されてるの。その力の強さと――危うさから」


 そう言うと振り返り、吟と萩矢の方へと向き直る。その目は仄暗い色合いをしていた。何かを思い出しているようでも合ったが、その印象は薄過ぎて見取る事が出来ない。


「ここから先で見たこと、聞いたことの一切合切については口外無用こうがいむよう。良い?」

「勿論です。しかし、それならば何故私達に会わせようと……?」


 吟の至極真っ当な疑問に、七瀬は苦笑いを浮かべて返した。すこし疲弊したような、言うなれば、手間のかかる子を思う親の顔がそこにはあった。


「その世の中から隔離された身故に、限られた者共としか接触できないのが……その、どうにもつまらないらしくてね。癇癪を起されては困るから、時々こうして目を盗んでは、“お仕事(ひまつぶし)”を運んでいるのさ」


 とは言っても、直接会わせるのは貴方達が初めてだけど。


 そう付け加えられた言葉に、萩矢は嫌な予感がした。ちらり、と横目で見遣ると、気が付いた吟がどうかしたのか、と眼で聞いてくる。軽く首を振ったが、赤い瞳にはお見通しなのだろう。


 昔から、七瀬はこういった立ち回りの上手い奴だった。事件解決に力を貸すというていで、面倒な子守も済ませようという魂胆だろう。


 周囲の者を上手く利用している七瀬あねでしが羨ましかった。と同時に、その振る舞いが少し萩矢は嫌でもあった。


 そんな萩矢の胸中は露程も知らず、七瀬は右手の方の壁に手を当てると、思いっきり押した。じりじり、と物が擦れる音、その次の瞬間。

 壁が柱を軸に横回転し、向こう側の空間があらわになった。真っ暗な闇が、行く手に立ち込めている。


「……仕掛け扉、ですね」

「この先よ。ちゃんと付いてきて」


 そう言うと、七瀬は自身の指先に小さな火を灯した。萩矢も同じようにして火を灯す。

 中に入って仕掛け扉を閉じると、そこは何の変哲もないただの壁に元通り。それ程厳重に隠されているということが、蝶々の危険性を物語っているように吟は感じた。


 程なく進むと、またもや暗闇の中で七瀬が立ち止まる。目を凝らしてみても、吟の瞳には別段何も映らない。


「蝶々、私だ。客人を連れてきたから入れておくれ?」


 虚空へ向かってそう声を飛ばす。その刹那、目の前を包んでいた漆黒が、蠢きだした。

 そして、ひらひらとくうを舞い始めその合間から薄光が漏れ出てくる。その向こう側にあったのは、雑然としてはいるが茶室のような部屋だった。


 不思議と明るいその部屋の床には、沢山の積み上げられた書物。部屋の真ん中には高価だろう並べられた三つの大きな鏡。そして、鏡を眺めるように背を向け、黒檀のような長髪を床に散らばして座っている――一人ひとりの女性。


「残念……侵入者かと思ったのに」


 可愛らしい、鈴を転がすような声だった。その独特の波動は、あどけなさの中に危うさを孕んでいる。


「判りきっていただろうに。それより、“お仕事”だ。この二人の頼みを聞いてやってくれ」

「んー。今回は何かしらあ?」


 七瀬の言葉に振り返って此方こちらをみると、笑みを浮かべ蝶々は目を輝かせた。


「まあ! なんて可愛らしいの!」

「……えっ!?」


 目にもとまらぬ勢いで、吟の元へ来ると明るい部屋の方へと引っ張り込む。両手で頬を挟み込み、覗き込むようにして近くから瞳を合わせられる。

 萩矢は驚きで硬直し、やれやれ、といった様子で七瀬は溜息を吐いた。


「珍しい……! まるで赤珊瑚のよう。いえ、もっと透き通っていて……貴女、名前は?」

「ぎ、吟です……」


 突然の出来事に驚きながらも、辛うじて返答する。その眼に映ったものは、純然たる好奇心、それだけ。たったそれだけである事が、吟へ畏怖と異端さを感じさせる。


「吟ちゃんね。蝶々よ、よろしくねえ」

「蝶々、やめなさい。困っているでしょう」

「……七瀬に言われたら仕方ないわあ」


 そう言って、名残惜しそうに蝶々は吟を手放した。すかさず我に返った萩矢が、吟を背後から手の届くところに引き寄せた。肩に添えられた大きい手の温みが、動揺を落ち着かせてくれる。


「で、蝶々に何の御用?」


 首をこてんと傾げながら言ったその声は、少し不機嫌そうであった。吟と目が合うと、にっこりと笑顔を返される。七瀬が間を見計らって、口を開いた。


「この二人の友人が、何者かに連れ去られたらしい。黒蝶こくちょうで探してあげてはくれないかねぇ」

「ふうん、そうなのお。そうねえ……」


 蝶々は、自身が作り出した黒い蝶を通して、離れた場所の景色を鏡で見ることができる。その力があれば、拐われた燕達を見つけ出せるのではないか。七瀬の考えは、こう言ったものだった。


 先程の呟きの後何かを考える素振りをし、少々間を開けてから蝶々は続きを口に出した。


「また、吟ちゃんが蝶々とお話に来てくれるなら、いいわあ。やってあげる」


 あどけない笑顔で蝶々はそう告げると、どうするのと問うように吟を見つめた。その心に嘘はなく、期待が詰まっている。


「……いいよ。また会いに来よう。だから蝶々さん、お願いできるだろうか……?」

「勿論!」 


 やんわりと笑んだ吟に花の舞うような笑顔を見せると、蝶々は三面の鏡を前にして座り込んだ。

 ばさり、と長い髪が床に散らばる。七瀬がにやりとしたり顔で、萩矢が真面目な顔付きで、それぞれ様子を眺めて居る。


「それで……探してるのはどんなお方? 髪の色とか目の色とか、何かしらあるでしょお?」


 その言葉に、吟は黙す。

 (つばめ)(あき)(つき)の内の、誰の特徴を述べるべきか。やはりここは、より特徴的な方がいいだろう。そう逡巡してから口を開いた。


「髪の色は白で、目は空の青の……現世(うつしよ)から来た人間(ひと)で、名は燕」

「嗚呼! その人、蝶々知ってるわあ。少し前に、現世(むこう)から来た真っ黒な人間(ひと)と一緒に居た人ねえ」

「真っ黒な人間?」

「あらあ、知らないの」


 振り返り仰ぎ見て、蝶々は紡いだ。


「今、江都に居るみたいよお? 蝶々と似てるけど違う、変わった人」


 うっそりとした笑いを浮かべると、蝶々は鏡に向き直った。そして、ふわりと両の手を鏡に(かざ)す。

 裾の隙間、暗い影からゆらゆらと黒い蝶の形をした何かが羽ばたき出ずる。


「まあ、とりあえず。その白い人を探してみましょうかあ」


 綺羅綺羅(きらきら)と光の加減で煌きながら、ひらりと舞ってその黒蝶は鏡の端で羽を休める。


「さあ、教えて?」


 蝶々の言葉を端に、鏡の中が湖面のように揺らめきだした――。



♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎




 草鞋わらじを片手に、向かったのは掛軸の向こう側。


「ここに繋がっていたのか」


 たぬき屋の二階、部屋の中を見渡した虎影とらかげはそう呟く。窓のその先には青い空が広がり、様々な妖怪達が行きかっていた。その有り得ないであろうその光景が、酷く懐かしい。

 階下に行くと、其処には美味そうに湯呑ゆのみを傾ける大狸おおたぬき


「たぬきちさん」

「おおっ! 虎ちゃんじゃないかい!」


 帆前掛ほまえかけを揺らしにっこり笑顔を見せたのは、飯処めしどころたぬき屋の主人あるじ化狸ばけたぬきのたぬ吉である。

 

「何だい、妖世あやしよに来るなんて……。何か用があって来たのかい?」

「先程、紫黒しこくの旦那と会ったんですよ。その時に燕の相手をしがてら、来たらどうかと勧められて」

「そうかい、旦那と現世で会ったのかい」


 だから居なかったんだねぇ。そう言ってたぬ吉はずずず、とお茶を啜った。

 虎影は目を瞬かせ問いかける。


「? 何か、旦那に用事が有ったんですか?」

「いや、燕ちゃんがね。此処のところ、変な夢を見るらしくてね~。旦那なら何か分かるかもしれないと思ったんだけれど」

「成程、そういうことですか」


 たぬ吉の言葉に合点がいった虎影は、その金色(こんじき)に染まった瞳を細めた。


 さしずめ、紫黒の旦那は燕の親代わりといったところである。燕には分からないことも、旦那なら何やら知っているかもしれない。そう思うのは必然だろう。


「それで、燕は?」

「朝餉を食べてったきり、此処には来てないねぇ。きっと、辺りを散歩してるんじゃないかなぁ?」

「そうですか。では、私も散歩することしましょう」

「そうかい、気を付けて行ってくるんだよ~」


 そう言ってたぬき屋を出た後、虎影は一人、町を歩く歩く。

 前に燕と町を歩いた時とは違い、不躾なほどに奇異の視線を四方八方から感じる。やはり、白燕はくえんの腕っぷし、そしてその存在感は町に知れ渡っているようだった。


 遠巻きに視線を送る妖怪達の、密やかに話す声のかけらが耳に入る。


「おいあれ! 人間ひとじゃないか?」

「白燕と一緒に歩いていた……」

「本当に人間ひとなのか? あんな目の色をした者が……」

 

 襲い来る雑多な音から、必要な情報だけを抜き取る。虎影を取り巻く環境は、殆ど変わらない。それが、人間(ひと)であるか妖怪であるかなんてのは、瑣末(さまつ)なことであった。


 その無関心さが故に、虎影は気が付かない。

 こちらへと向かって一目散に駆けてくる、小さな影に。


「うわっ……!?」

「わぁっ!?」


 正面から派手に衝突し、お互い尻餅をつく。周囲の妖怪共がどよめいた。


「すまない! 怪我は無いか?」

 

 くすんだ銅のような髪の色。その間から生えた、犬や猫のような獣の耳。虎影より幾分か小さなその体は、何故かひどく汚れている。

 差し出した手を見上げたその子どもは、目を真ん丸にしていた。


「なんで、人間ひとがいるの……?!」


 そう言いながらも手をとり、立ち上がると軽く土を払う。が、すぐに片膝をついてうずくまってしまう。


「っ!」

「! ……おい!?」


 何やら、左足首を押さえているようだった。手を退けさせて見てみると、腫れて赤くなっている。どうやら、足を痛めたらしい。


「どこか痛むのか?」

「あ、足が」


 うずくまる相手に視線を合わせるようにして、虎影も膝を折った。途端に、獣耳の子どもは、ぽろぽろと涙をこぼし始めてしまう。


「ねえ、人間ひとさん、助けて」

「え……?」


 助けて。その言葉に、今度は虎影が目を丸くする。




つきが――大事な月が、連れていかれちゃった!」





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