陸――ひらり舞う蝶
花守達の詰め所の中。七瀬の部屋もかなり奥まっていたが、そのまた奥へ、奥へと吟達は連れられて進んでいった。
進めば進むほどに限られた者しか通行できないのか、すれ違う者の数が減っていく。どうやら、蝶々という者は隔離されているようだった。それも、亜人ならば頷けない事もない。
亜人。それは、姿形はなんら人間と変わりない者ではあるが、妖怪達とは比べ物にならないほど強い力を持った者のことである。
何故、強いのか。
何故、彼らがそう呼ばれるようになったのか。
詳しいことは何一つ分かっていないが、江都の要職の殆どは彼らが担い、妖怪達からは畏怖と尊敬の混ざった視線が送られる、それが亜人なのである。
乱れることなき早歩きで、七瀬は板間を歩いていった。余裕そうな萩矢とは反対に、普段おっとりとしている吟にはついていくので精一杯である。
そして、その歩みはぎしり、と床板が鳴ったところで止まる。何もない、ただの廊下の途中。
「どうした?」
「……蝶々の存在は、この花守の中でも秘匿されてるの。その力の強さと――危うさから」
そう言うと振り返り、吟と萩矢の方へと向き直る。その目は仄暗い色合いをしていた。何かを思い出しているようでも合ったが、その印象は薄過ぎて見取る事が出来ない。
「ここから先で見たこと、聞いたことの一切合切については口外無用。良い?」
「勿論です。しかし、それならば何故私達に会わせようと……?」
吟の至極真っ当な疑問に、七瀬は苦笑いを浮かべて返した。すこし疲弊したような、言うなれば、手間のかかる子を思う親の顔がそこにはあった。
「その世の中から隔離された身故に、限られた者共としか接触できないのが……その、どうにもつまらないらしくてね。癇癪を起されては困るから、時々こうして目を盗んでは、“お仕事”を運んでいるのさ」
とは言っても、直接会わせるのは貴方達が初めてだけど。
そう付け加えられた言葉に、萩矢は嫌な予感がした。ちらり、と横目で見遣ると、気が付いた吟がどうかしたのか、と眼で聞いてくる。軽く首を振ったが、赤い瞳にはお見通しなのだろう。
昔から、七瀬はこういった立ち回りの上手い奴だった。事件解決に力を貸すという体で、面倒な子守も済ませようという魂胆だろう。
周囲の者を上手く利用している七瀬が羨ましかった。と同時に、その振る舞いが少し萩矢は嫌でもあった。
そんな萩矢の胸中は露程も知らず、七瀬は右手の方の壁に手を当てると、思いっきり押した。じりじり、と物が擦れる音、その次の瞬間。
壁が柱を軸に横回転し、向こう側の空間が露になった。真っ暗な闇が、行く手に立ち込めている。
「……仕掛け扉、ですね」
「この先よ。ちゃんと付いてきて」
そう言うと、七瀬は自身の指先に小さな火を灯した。萩矢も同じようにして火を灯す。
中に入って仕掛け扉を閉じると、そこは何の変哲もないただの壁に元通り。それ程厳重に隠されているということが、蝶々の危険性を物語っているように吟は感じた。
程なく進むと、またもや暗闇の中で七瀬が立ち止まる。目を凝らしてみても、吟の瞳には別段何も映らない。
「蝶々、私だ。客人を連れてきたから入れておくれ?」
虚空へ向かってそう声を飛ばす。その刹那、目の前を包んでいた漆黒が、蠢きだした。
そして、ひらひらと空を舞い始めその合間から薄光が漏れ出てくる。その向こう側にあったのは、雑然としてはいるが茶室のような部屋だった。
不思議と明るいその部屋の床には、沢山の積み上げられた書物。部屋の真ん中には高価だろう並べられた三つの大きな鏡。そして、鏡を眺めるように背を向け、黒檀のような長髪を床に散らばして座っている――一人の女性。
「残念……侵入者かと思ったのに」
可愛らしい、鈴を転がすような声だった。その独特の波動は、あどけなさの中に危うさを孕んでいる。
「判りきっていただろうに。それより、“お仕事”だ。この二人の頼みを聞いてやってくれ」
「んー。今回は何かしらあ?」
七瀬の言葉に振り返って此方をみると、笑みを浮かべ蝶々は目を輝かせた。
「まあ! なんて可愛らしいの!」
「……えっ!?」
目にもとまらぬ勢いで、吟の元へ来ると明るい部屋の方へと引っ張り込む。両手で頬を挟み込み、覗き込むようにして近くから瞳を合わせられる。
萩矢は驚きで硬直し、やれやれ、といった様子で七瀬は溜息を吐いた。
「珍しい……! まるで赤珊瑚のよう。いえ、もっと透き通っていて……貴女、名前は?」
「ぎ、吟です……」
突然の出来事に驚きながらも、辛うじて返答する。その眼に映ったものは、純然たる好奇心、それだけ。たったそれだけである事が、吟へ畏怖と異端さを感じさせる。
「吟ちゃんね。蝶々よ、よろしくねえ」
「蝶々、やめなさい。困っているでしょう」
「……七瀬に言われたら仕方ないわあ」
そう言って、名残惜しそうに蝶々は吟を手放した。すかさず我に返った萩矢が、吟を背後から手の届くところに引き寄せた。肩に添えられた大きい手の温みが、動揺を落ち着かせてくれる。
「で、蝶々に何の御用?」
首をこてんと傾げながら言ったその声は、少し不機嫌そうであった。吟と目が合うと、にっこりと笑顔を返される。七瀬が間を見計らって、口を開いた。
「この二人の友人が、何者かに連れ去られたらしい。黒蝶で探してあげてはくれないかねぇ」
「ふうん、そうなのお。そうねえ……」
蝶々は、自身が作り出した黒い蝶を通して、離れた場所の景色を鏡で見ることができる。その力があれば、拐われた燕達を見つけ出せるのではないか。七瀬の考えは、こう言ったものだった。
先程の呟きの後何かを考える素振りをし、少々間を開けてから蝶々は続きを口に出した。
「また、吟ちゃんが蝶々とお話に来てくれるなら、いいわあ。やってあげる」
あどけない笑顔で蝶々はそう告げると、どうするのと問うように吟を見つめた。その心に嘘はなく、期待が詰まっている。
「……いいよ。また会いに来よう。だから蝶々さん、お願いできるだろうか……?」
「勿論!」
やんわりと笑んだ吟に花の舞うような笑顔を見せると、蝶々は三面の鏡を前にして座り込んだ。
ばさり、と長い髪が床に散らばる。七瀬がにやりとしたり顔で、萩矢が真面目な顔付きで、それぞれ様子を眺めて居る。
「それで……探してるのはどんなお方? 髪の色とか目の色とか、何かしらあるでしょお?」
その言葉に、吟は黙す。
燕、日と月の内の、誰の特徴を述べるべきか。やはりここは、より特徴的な方がいいだろう。そう逡巡してから口を開いた。
「髪の色は白で、目は空の青の……現世から来た人間で、名は燕」
「嗚呼! その人、蝶々知ってるわあ。少し前に、現世から来た真っ黒な人間と一緒に居た人ねえ」
「真っ黒な人間?」
「あらあ、知らないの」
振り返り仰ぎ見て、蝶々は紡いだ。
「今、江都に居るみたいよお? 蝶々と似てるけど違う、変わった人」
うっそりとした笑いを浮かべると、蝶々は鏡に向き直った。そして、ふわりと両の手を鏡に翳す。
裾の隙間、暗い影からゆらゆらと黒い蝶の形をした何かが羽ばたき出ずる。
「まあ、とりあえず。その白い人を探してみましょうかあ」
綺羅綺羅と光の加減で煌きながら、ひらりと舞ってその黒蝶は鏡の端で羽を休める。
「さあ、教えて?」
蝶々の言葉を端に、鏡の中が湖面のように揺らめきだした――。
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草鞋を片手に、向かったのは掛軸の向こう側。
「ここに繋がっていたのか」
たぬき屋の二階、部屋の中を見渡した虎影はそう呟く。窓のその先には青い空が広がり、様々な妖怪達が行きかっていた。その有り得ないであろうその光景が、酷く懐かしい。
階下に行くと、其処には美味そうに湯呑を傾ける大狸。
「たぬ吉さん」
「おおっ! 虎ちゃんじゃないかい!」
帆前掛けを揺らしにっこり笑顔を見せたのは、飯処たぬき屋の主人・化狸のたぬ吉である。
「何だい、妖世に来るなんて……。何か用があって来たのかい?」
「先程、紫黒の旦那と会ったんですよ。その時に燕の相手をしがてら、来たらどうかと勧められて」
「そうかい、旦那と現世で会ったのかい」
だから居なかったんだねぇ。そう言ってたぬ吉はずずず、とお茶を啜った。
虎影は目を瞬かせ問いかける。
「? 何か、旦那に用事が有ったんですか?」
「いや、燕ちゃんがね。此処のところ、変な夢を見るらしくてね~。旦那なら何か分かるかもしれないと思ったんだけれど」
「成程、そういうことですか」
たぬ吉の言葉に合点がいった虎影は、その金色に染まった瞳を細めた。
さしずめ、紫黒の旦那は燕の親代わりといったところである。燕には分からないことも、旦那なら何やら知っているかもしれない。そう思うのは必然だろう。
「それで、燕は?」
「朝餉を食べてったきり、此処には来てないねぇ。きっと、辺りを散歩してるんじゃないかなぁ?」
「そうですか。では、私も散歩することしましょう」
「そうかい、気を付けて行ってくるんだよ~」
そう言ってたぬき屋を出た後、虎影は一人、町を歩く歩く。
前に燕と町を歩いた時とは違い、不躾なほどに奇異の視線を四方八方から感じる。やはり、白燕の腕っぷし、そしてその存在感は町に知れ渡っているようだった。
遠巻きに視線を送る妖怪達の、密やかに話す声のかけらが耳に入る。
「おいあれ! 人間じゃないか?」
「白燕と一緒に歩いていた……」
「本当に人間なのか? あんな目の色をした者が……」
襲い来る雑多な音から、必要な情報だけを抜き取る。虎影を取り巻く環境は、殆ど変わらない。それが、人間であるか妖怪であるかなんてのは、瑣末なことであった。
その無関心さが故に、虎影は気が付かない。
こちらへと向かって一目散に駆けてくる、小さな影に。
「うわっ……!?」
「わぁっ!?」
正面から派手に衝突し、お互い尻餅をつく。周囲の妖怪共がどよめいた。
「すまない! 怪我は無いか?」
くすんだ銅のような髪の色。その間から生えた、犬や猫のような獣の耳。虎影より幾分か小さなその体は、何故かひどく汚れている。
差し出した手を見上げたその子どもは、目を真ん丸にしていた。
「なんで、人間がいるの……?!」
そう言いながらも手をとり、立ち上がると軽く土を払う。が、すぐに片膝をついて蹲ってしまう。
「っ!」
「! ……おい!?」
何やら、左足首を押さえているようだった。手を退けさせて見てみると、腫れて赤くなっている。どうやら、足を痛めたらしい。
「どこか痛むのか?」
「あ、足が」
蹲る相手に視線を合わせるようにして、虎影も膝を折った。途端に、獣耳の子どもは、ぽろぽろと涙をこぼし始めてしまう。
「ねえ、人間さん、助けて」
「え……?」
助けて。その言葉に、今度は虎影が目を丸くする。
「月が――大事な月が、連れていかれちゃった!」




