肆――透き映す瞳
「この様な状況とはいえ、太夫たる芍薬殿とお話ができるたぁ光栄ですよ」
隣でそんな事を言う萩矢を他所に、するすると布を緩め、久しぶりに人前に目元を晒す。とはいっても、布を外したのは右目だけで、あいも変わらず左目は布の下ではあるけれども。
花街の一角、とある遊郭にて。部屋を移した後、萩矢、吟が隣り合わせに座り、そしてそれに向かい合うようにして芍薬が座して居た。
「……まあ」
ぱちりぱちり、と吟が瞬きをしていると、芍薬が目を少し見開く。流石の遊女といえども、驚きを隠せなかったのだろう。
人間の生き血を閉じ込めたような、鮮やかな赤色の瞳。妖怪の中でも一際珍しい色合いを、吟の眼は持っていた。
「珍しい、色合いでありんすね」
「……」
芍薬の言葉に、どう返していいのか分からずに吟は苦笑いをする。そんな様子を見て、萩矢はにやりと笑って片手で乱暴に頭を撫でた。自身の意と反するように、ぐるぐると景色が揺らぐ。
「うわっ」
「綺麗でしょう? 夕陽をそのまま写しとったみたいで、俺は好きなんですがね」
「ふふふ、わっちもそう思いんすよ。しかし……」
そこで一区切り、芍薬はにっこりと微笑みながらも視線を鋭くさせる。
「わっちの目の前で他の女子の話をするとは、好かんねえ……」
「はは、こりゃすまんな」
少し妬みを滲ませた、これぞ太夫という妖艶な笑みから放たれた言葉。それに萩矢は少し目を見開いてから、にやりとしつつもそう返す。
吟は横目でそのやり取りを見ながら、先程とは一転、少し顔を強張らせる。決して、萩矢が花街一の美姫に鼻の下を伸ばしているからではない。
妖怪とは、曖昧な存在である。
正確な定義を持たず、人間らしいものもいれば浮遊するだけのもの、性別らしい性別がはっきりしないもの、固有の姿を持たないものなど様々な者が居るのだ。
勿論、人間らしい見た目を持ち、男らしさや女らしさを持っていたり、直感的に性別が判断できるものも居る。
例えば、萩矢は見た目からしても男であろう。がっしりとした身体つき、声は低く体力もある。逆に、日と月はまだ子どもであるのもあるが、男か女かはっきりとしていない。が、吟の見立てではどちらかというと日は女の子、月は男の子だろう。
そして、吟自身はというと、人間らしい容姿ではあるが、男らしさも女らしさも持ち合わせていないのである。敢えて言うならば女なのだろう、といった程度の認識だ。
現に、萩矢も出会った頃はどちらか見抜けず、男かなとさえ思っていたという。
しかし、芍薬太夫は一目で見抜き、そしてわざわざ断言したのだ。それが、さも当たり前かのように、迷い無く。
「どうかしなんしたか、吟」
気がつくと、芍薬が憂いた顔でこちらを見ており、萩矢もこちらを見つめていた。少し口角を上げて、やんわりと笑みを作る。
「……いえ。お美しいなあ、と」
端的に言えば、胡散臭いのだ。
「ふふ、其方のその瞳も綺麗でありんすよ。きっと、赤珊瑚の髪飾りが似合いんす」
「……そうでしょうか」
艶然とする芍薬には、どんな飾りも映えるだろうと思えた。またもや苦笑いを返すと、萩矢から視線を感じる。小さくこくり、と頷くと、低い声が響いた。
「では、そろそろ始めるとしますか」
「ええ、わっちはいつでもかまいやせん」
会話の最中、吟はふう、と軽く息を吐いてから目を瞑る。そして目を開くと、何一つ見逃すまい、と覚の力を目の前の芍薬に集中させる。
普段分散されている力を集約することで、ただ感情や思いを読み取るだけでなく、制約が付くが関連する記憶も覗くことが出来るようになるのである。
「では、まず、失せ物があると気がついた時のことをお聞かせ下さい」
その制約とは、見たい記憶に関連した質問をするということ。
本人が思い出そうと積極的に思い描いたものを、吟の力は読み取るのだ。
「はい。それは、偶然でありんした。わっちがふと飾りを仕舞っている抽斗を開けたところ、簪の数が足りないことに気が付きんした……」
二、三本、より珍しいと言われる簪が無くなっていたのでありんすよ。
そう、落ち着いた様子で芍薬は淡々と話す。その様子を吟はじっと凝視する。
「初めは、わっちの妹分の仕業かと思いんした。そうでなくとも……わっちの部屋に入れる者は、そう多くはありんせん。それゆえ、早々に見つかると思いんしたが……」
「見つからなかった、と」
萩矢がそう後を引き継ぐと、芍薬は深く頷きを返した。
「もし、わっちの妹分や、他の同じ遊郭の女郎が羨んで盗んだという事ならば、わっちもとやかく言うつもりはありんせんした。しかし……」
芍薬は訴えるようにこちらを見つめる。その表情には、様々な感情が混ざりあって。
「誰とも分からぬ輩に、わっちを思って贈られた簪が盗まれたと考えはじめんしたら、憤りやら悔しさで居ても立っても居られなくなりんした」
「成る程ねぇ」
美人ほど怒る姿が怖いものは無いだろう。そう思わせるほどに、整った芍薬だからこそ、眼を吊り上げ、憤る迫力は凄まじかった。
その様子に、まぁまぁ、落ち着いてくださいよ、と宥める萩矢。
「しかし、失礼かとは思うが……芍薬殿の妹分や女郎仲間が、嘘を付いているという事は?」
「かようなことは、ありんせん」
提言に、芍薬がすぐさまはっきりとそう否を唱える。きっぱりと、断言した。
「婆様にもお伝えして、再三、婆様と共に問いただしんした。婆様には……どんな女郎も、例えわっちのような太夫でも、逆らうことなぞありんせんから」
婆様、というのは、遣手のことだろう。遊郭の中で、遊女達を監督・監視する役割を担う者の事だ。その多くは女性で、かつ長く世を生きた経験豊富な者が任命される。立場が立場ゆえに、元は遊女だった者も多いらしい。
「他に……気になることはありんすか?」
芍薬の言葉に、萩矢が顎に手をやった。
ここ迄の芍薬の話を鑑みると遊郭の中ではなく、外部の者が盗人であると考えるの妥当と思われるのだが。
萩矢を見ると、どうだった、と言いたげな視線が返ってくる。
さて、どうするべき、なんだろう。
一旦芍薬殿に退出してもらい、萩矢と話をするべきか。それともこの場でこのまま、畳み掛けるか。
「吟。気になることがあるなら、今聞いておいた方がいいぞ。芍薬殿もお忙しい身だろうしな」
表情の変化は乏しくしているものの、萩矢にはお見通しなようであった。じっと視線を投げかけると、頷きが返ってくる。
「何でもきいてくんなまし、吟」
重ねて、笑みを浮かべながらそう言う芍薬を、吟は真っ直ぐと見据える。
「……では、お聞きします」
上っ面だけなら、幾らでも着飾れる。しかし、無意識に思い起こされる記憶や、その場の感情までもを制御することはできない。
吟はそっと手を伸ばして、隣に座る萩矢の左腕をきゅっと掴んだ。腹に力を入れて、凛とした声音で吟は告げた。
「芍薬殿、……何故このような真似をされているのですか?」
「……どういう意味で、ありんすか」
「わかっていらっしゃるでしょう」
そう応えると、不快感を露わに芍薬は睨め付ける。萩矢が、ぽんぽんと掴んでいた手を叩いた。服の布地から手を離し、膝の上へと置き直す。
「貴女……貴女は、芍薬殿ではない。そう、ですよね?」
「なっ……!?」
何を言うのでありんすか!!
困惑を隠せない顔で、芍薬が声高に捲し立てた。
「わっちは、妖花三太夫が一人……芍薬でありんす。それは、紛れもなく、疑いようの無い事実」
「それは、偽りだ」
「同じ言葉を、そっくりお返しいたしんす。吟、いきなり何を言い出しんすか」
「もう、おやめください」
「何を以ってして、かような事を……萩矢、何とか言ってやっておくんなまし」
「ははは、まあ……双方落ち着いてくださいよ」
ぴりぴりとした吟と芍薬の空気とは対照的に、和やかな声で軽く笑う萩矢。ふぅ、と吟が息を吐いて隣を見やると、そこには優男のような人の良い笑みが浮かべられていた。
「……わっちが、取り乱していると言いたいのでありんすか?」
「そう言う訳じゃあない。奉行である俺だけ蚊帳の外だなんて、酷え話しではないですか」
先程とは一転。少し残念そうな顔をすると、萩矢は立ち上がって芍薬の方へと歩み寄る。そして続け様に言葉を紡いだ。
「なぁ、――菊代さん?」
一瞬の出来事。
芍薬。そう先程まで呼ばれていた女は、飛び退いて距離を取ろうとする。即座に萩矢が十手を翳し、身動き取れないように妖力で縄を編み上げて捕縛する。吟も立ち上がると、萩矢の二、三歩後ろからその様子をただただ見ていた。
「くっ……!」
「綺麗な顔した女に手荒な真似はしたくないんでね、大人しくしてくれよ」
下唇を噛んで顔を歪ませる、芍薬もとい菊代。妖縄から何とか抜け出そうと足掻くが、余計に縛り付けられるのみである。
吟が読み取った断片的な記憶の中。彼女は、菊代という名で呼ばれていた。藍色髪の男と隻眼の奉行について話をしていたり、遊女独特の言い回しを練習していた。そして、遊女らしく髪を、顔を整え、煌びやかな服に袖を通して。
つまり、彼女は遊女の――芍薬太夫の振りをしていたのだ。
その、吟が見た彼女の記憶を、腕を掴んだ際に萩矢に見せたのである。
菊代に視線を移すと、緊張、重圧、焦り。加えて、何故と言う疑問が目に映り込んできた。
「さあて、色々と聞かせてもらおうか?」
口を歪ませて、菊代は睨みを利かせた。何か読み取れないかと、その様子を凝視し続ける。
誰も微動だにせず、ただ時間が流れる。
そして、静寂は菊代の呟きで破られた。
「……潮時か」
ぱちぱちっ、と空気が爆ぜる音。
「萩矢!!」
いくつもの狐火が、萩矢の周りで弾けた。閃光を伴って、空中で燃え上がる。驚きと眩しさによって妖縄が緩んだその刹那を、菊代が逃す筈がなかった。
すぱっと襖を開き、隣部屋へと逃げられる。燕や他の太夫が居る部屋だ。
「待て……っ!」
吟が取り抑えようと着物を掴みに飛びかかるも、捕まえた感触がなかった。
服を脱ぎ残し、一匹の狐がすばしっこく走り抜ける。
「くそ、化かされたか!」
眩みから立ち直った萩矢が妖縄を放つが、ひらりと躱された。そのまま、化狐は床の間に飾られた掛軸へと躊躇いなく飛び込んでいく。
虎影も通った絵を媒介にして繋げられる通行路、二つの離れた場所を繋ぐ不思議な道である。
菊代が残した着物地の上、伏せていた吟が立ち上がり気がついた。
「……おかしい。誰も居ないなんて」
待機を頼んでいた燕と、太夫の牡丹、百合の姿はどこにも見当たらない。
萩矢が駆け寄り、掛軸にぺたりと手を触れる。
「逃げ道の確保もされていた。これは周到に準備されてたみてぇだ」
もう既に繋がりは断ち切られてるな、向こう側が燃やされたか。
そのまま、続け様に萩矢は考えを次々と言葉に出していく。
「にしても、燕はどこへ行った? ……そうだ、子狐達は」
萩矢はそう言うと、吟を振り返る。唇を噛んで、視線は鋭いながらも哀しみが含まれた表情だった。
やけに静かなところを見ると、この遊郭自体が用意されたものの可能性が高い。
「まんまと、やられたよ」
いや、集中して見れば吟にはお見通しだった。人の気配が無い事など、文字通りに一目瞭然なのである。
「燕も、日も月も、――拐かされてしまったみたいだ」
廓言葉で変なところが目に付きましたら、ご助言くださると有難いです。




