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虎と燕と江戸町乱歩  作者: 蟬時雨あさぎ
邂逅篇
11/21

拾――祓い、封ず


 目を閉じると、懐かしい声が思い起こされた。




 それは丁度、虎影がその男を絵の師として、勝手に慕い始めた頃だった。


『――そろそろ、私の(じゅつ)を、君に教えようと思ってね』

『術?』


 不思議な雰囲気を纏った男は、いつだったかそう言って筆を取ると、紙に何やら書き込んでいた。

 すらすらと動く筆元を虎影が覗き込むと、二重の円に、五芒星。北、南、西、東の四方位が書き込まれた、見たこともない不思議な模様だった。


『この江戸(まち)は、比較的穏やかな妖怪達で溢れている。……しかし時折、あまり良くない(やから)が、人々を脅かすような……悪さをすることもあるんだよ』

『そう、なんだ』


 そこまで言うと、男――清弦(せいげん)は筆を置いて、虎影を真っ直ぐに見据えた。


『君には、妖怪を紙に閉じ込める(・・・・・・・)術を教えましょう。これは、人間(ひと)に害をなす妖怪に、対抗する力です』

『……』


 黙って、虎影は耳を傾けていた。普段と違った、丁寧な口調が、周囲の空気を厳かなものへと変貌させる。何故、そんな力を持っているのか、何故それを自身に教えるのか。清弦の真意を探ろうとしたが、ただただその瞳は優しげに、そして少し哀しげに揺れるだけであった。


『……この力は、強大です。いつか、この力が必要なときが来るでしょう。しかし、力に溺れないでください。どうかきっと、君は正しく使ってください。君の、正しいと思ったように使ってください――』




(……私にとって、今がその時です。清弦師匠)


 虎影が考えていた手立てとは、遠き日に師から教わった、妖怪を紙に閉じ込める術であった。


 虎影は、黄金(きん)の瞳でまっすぐと悪鬼憑(おにつ)きの男を見据える。懐から折り畳まれた一枚の紙を取り出し、両手で広げる。

 言わずもがな、模様の書き込まれた――師匠直伝の陣が書き込まれた、紙であった。


「!!」


 それまで訝しみ、睨めつけていた男だったが、その陣を見た瞬間、明らかに狼狽える。ちっ、と舌打ちをし、荒れた口調で咆哮した。禍々しい、嫌な波動が、声に乗って虎影にぶつけられる。


「あんた……まさか彼奴(あいつ)の仲間か?!」

「さぁ、どうだか。知った事じゃないな」


 夜が、直ぐ其処まで来ていた。

 日が暮れて、人間の支配する時間ではなく、妖怪達の支配する時間が来ようとしていた。


(大丈夫だ。きっと、上手くいくだろう)


 ふぅ、と深呼吸すると、意識をすっと男――その中に入り込んだ悪鬼に集中させる。


 そこに見えたのは、揺らめく紅い炎。熱しやすく冷めやすいところも鑑みると、悪鬼は火の眷属であるらしい。


 妖怪は必ず、火、水、地、風の四つの内どれかの眷属に属している。四つの要素は互いに影響しあい、水は火に、火は風に、風は地に、地は水に強いという四すくみの関係にある。

 虎影はその四すくみを利用し、それぞれを司る四神――順に朱雀(すざく)青龍(せいりゅう)玄武(げんぶ)白虎(びゃっこ)の力を借りることで、より悪鬼を閉じ込めやすくしようという魂胆であった。


 悪鬼が火の眷属である以上、力を借りるのは、水を司る四神、青龍であった。

 力を借りる為の言の葉も、同じ頃に師匠から教わっていた。虎影は、一音一音を噛みしめるように音を紡ぐ。


「〈……遥か東方(とうほう)御坐(おわ)します青き龍よ どうか手前(てまえ)にお力を授け給え……〉」


 言い終えると、ふわりと虎影の周囲に淡い青色の光が舞い踊った。水の眷属の、紛れもない青龍の加護であった。

 苦手とする眷属の力に、男――いや、男を完全に乗っ取った悪鬼は焦りを滲ませる。


「このまま、封じられてたまるかよ!!」


 虎影は、すぅ、と空気を吸う。その瞬間、虎影に向かって駆け出し、男は右拳を振りかざした。


「この、……人間(ひと)の子風情が!!」

「……くっ!」


 殴られる。そう身構え目を(つむ)った虎影だったが、来るべき衝撃はなく。硝子(がらす)が割れるような、ぱきぱき、という音を耳にして目を開けると、男が仰け反り後方へ吹っ飛ばされていた。


『一度だけ妖怪の牙を跳ね除けるものさ』

(……魔除けの呪か!)


 紫黒の旦那に書いてもらった魔除けの呪が、悪鬼の攻撃を撥ねつけたらしい。悪鬼が衝撃で気を抜いているこの好機を逃すわけにはいかない。虎影は、流れるように誦文(じゅもん)を唱えた。


「〈我、此岸と彼岸の狭間を視詰(みつ)める者 秩序を保ち、(いん)(よう)の均衡を守る者〉」


 両手で持っていた紙の陣を、悪鬼に向ける。浮遊していた、青い光の粒が瞬く。


「〈汝、我に仇なす者 絵となり紙の、悠久に閉じよ――!〉」


「……う、あ、あっ!」


 起き上がった男が、自身に向かって飛び来る青光(せいこう)に慄き、声を上げる。

 身体を縛り上げるように軌跡を描き、くるくると男の周囲を青い光が舞う。そして、一際強く光ると、男の中に入り込んでいた悪鬼が引き剥がされてその姿を現した。火の眷属の、厳つい赤鬼であった。

 憑かれていた男は、気を失ったように地面に倒れ伏した。


「くそ……! この子ども風情がぁ――!!」


 がなりたてるように言葉を言うや否や、青い光がぐるぐると取り囲み、赤鬼は小さな光球に押し込められる。

 その光球は一直線に虎影の手元の紙――陣に吸い込まれると、淡い青い光を散らす。


 陣の描かれていた髪のまっさらだった裏面には、荒々しく猛々しい、墨で描かれた鬼の絵が浮かび上がっていた。


 紙に閉じ込められた妖怪は、紙の中で一つの絵となる。浮かび上がってきた鬼の絵は、術が成功した証であった。


「子どもを、甘く見るからだ。……まぁ、私が少し普通ではないだけだけれど、な」


 少し疲弊した笑みを浮かべて、絵に向かってそう虎影は返答した。




♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎




 一夜明け、虎影(とらかげ)(つばめ)(こま)(まだら)と共に福茶屋でみたらし団子に舌鼓を打っていた。店の中の一角、長椅子に並んで座り、虎影は一口茶を啜ると松に声をかける。


「お松、団子をもう後二串」

「はい、二串ですね」

「んにゃ! わっちも食べたい! 黒鳶、わっちの分もう一串!!」

「げ、この猫又、まだ食べるのかよ……」

「……すまん、お松、加えてもう一串くれ」

「はあい、分かりました。計三串、少し待っていてくださいね」

「狛、呆れるねぇ……あんたって本当に、食べることについては節操が無いねぇ」


 化けていない狛と斑は、客達には見えてはいない。よって皿の上には、虎影と燕二人が食べたとしても多すぎる串が、既に平らげられていた。




 昨晩、無事(きよ)を取り戻した後。倒れ伏す男を見て、どうしたものかと虎影は頭を悩ましていた。

 禍々しさを押し隠していたことから、憑いていたのは、なかなか力の強い悪鬼と見受けられた。きっと、憑かれていたここ数日間の、彼自身の記憶はすっぽりと抜けていることだろう。

 本人にとっては無実の罪を問われることとなるに違いないが、真実を話しても大衆は受け入れないことが目に見えている。

 燕が清を助けた後の詳細と共に、そう虎影が話をしていると。


『じゃあ、清が頑張って逃げてきたってことにすれば良いと思うの』

『え?』


 先程までその悪鬼に捕まって怯えていた清が、口を開いた。その足元にいた猫二匹は、様子を見守る。


『だって、鬼さんが悪いだけなんでしょう? 清を拐ったおじさんも、この人の顔は見てないの。清が何も言わなかったら、この人はきっと疑われないよ』

『確かに、それなら辻褄も合うな。虎影、これなら良いんじゃないか?』


 清の言葉は、思っても見ない申し出だった。それができればこの上もなくありがたかったが、本当に良いものかどうか、心配そうに虎影は問いかける。


『いい、のか?』

『うん。清ね、鬼さん見たことあるの。だから、お兄ちゃん達の言ってることを信じてるもん』

『そうか。ありがとう、お清』

『ううん。それは清が言わないと。お兄ちゃん達、ありがとう。お兄ちゃん達が清を助けてくれたから、いいの』


 そう言ってのけた女の子(おなご)は安堵の混じった優しい笑みを浮かべていた。燕が、優しくまた清の頭を撫ぜた。


 清の提案に乗り、隙を見て清が一人逃げ出した、という風に口裏(くちうら)を合わせることとし、清を丹呉屋に送り届ける。その後、燕と共に虎影の住まいである割長屋に帰って、二人は一夜を明かしたのだった。




「はい、黒鳶さん! お団子三串、お待ちどうさま!」

「ああ、お梅、ありがとう」


 団子を乗せたお皿を持ってきたのは、にこっと笑みを浮かべた梅。そっと長椅子に置くと、虎影が一串、燕が一串、気がつくと不自然に一串消えていった。


「黒鳶さんが沢山食べてくださるのは嬉しいけど、団子作りが間に合わないって竹姉(たけねえ)がもう、おかんむり(・・・・・)よ!」

「そうか、……では、お竹に美味しい団子をありがとうと伝えておいてくれ」

「わかった、言っておくわ。旅人さん、竹姉のお団子、美味しいでしょ?」

「うん。本当に、とても美味(おいし)い! もう五串は平らげたな」

「でしょう! ちゃんと食べに来てくれて、ありがとうね!」


 そう言うと、他の客に呼ばれて、梅は席を離れていった。今日も福茶屋は大賑わいであった。お茶を出す松も梅も、中でせかせかと団子を作っている竹も忙しいことだろう。


 頼んだ最後の一串を平らげると、虎影と燕は湯呑を手に取り、番茶を飲み干す。腹を膨らませて苦しそうに横になっている狛を、呆れた目つきで斑は見下ろしていた。


「じゃあ、そろそろお(いとま)するか」

「そうだな」

「わっち()もおさらばするとするかにゃ」

「その様子じゃあ、歩くことすらできなさそうだけれどねぇ」

「そ、そんにゃこと……あるわけが、にゃかろう」


 苦しそうな狛と呆れる斑と別れ、虎影と燕は福茶屋を出たのだった。




「じゃあ、俺も江都(えと)に帰るよ。掛軸も渡したことだし」

「そうか。絵についても、紫黒(しこく)の旦那によろしく頼むよ」

「あいわかった」


 虎影と燕は割長屋に戻ると、新たに壁に掛けられた掛軸を前に別れの挨拶をしていた。


 燕が江戸に来た理由。それは、虎影にとある掛軸を渡すためであった。

 勇猛な虎が描かれたその掛軸は、妖世(あやしよ)現世(うつしよ)を行き来するための(とびら)の役割も担うものとして紫黒が用意したもの。

 向こう側ではたぬ吉が商うたぬき屋の二階に繋がっており、燕と虎影が自由に行き来できるようにということらしかった。


「じゃ、またな、虎影」

「ああ、またな」


 握り拳をこつんとぶつけ合わせると、にっと二人して笑った。燕はすっと掛軸に触れる。そして、旅人は掛軸の向こう側へとぴょんと飛び込んだのだった。


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