3.南への船出
「やーなんか、みすぼらしい船だねー」
川べりの船着場に俺達を待っていたのは、耐用年数を遥かに超えたオンボロの木造船だった。
全長七メートル半ぐらい、小さいながらも船室はあるし、二人でゆっくりと川下りするにはちょうどいいかもしれない。
「再建したばかりの灰雪国も財政に余裕がないから、この船で精一杯だったんだろう」
「あれほどの財宝を残していくのに、こんなオンボロ船と交換なんて、相変わらずお人好しだね勇者くんはー」
とりあえず海まで行けるなら、俺はどんな船でも構わない。
船をチェックすると、食糧や水の入った樽などもちゃんと用意されている。
うん、これなら大丈夫。十分すぎるぐらいだ。
「それよりシドン、もう勇者って呼ぶのは止めてくれよ。俺には剣持ダイスケって名前があるんだから」
「名前で呼ばれるの嫌がってたのに、もういいのー?」
そんなこと言ったっけか。
そう言えばもう戻れないんだし、勇者として戦うために過去は忘れたとか言ってた。その日々すらも、俺には過去になった。
俺が勇者として戦った四年間で、日本はどうなっただろう。
まあどうせ戻れないんだから気にしてもしょうがないか。
「それより、シドン。本当に俺なんかに付いてきて良かったのか」
俺の身体はまだ本調子ではないから、最上級の回復魔法や治療法を駆使できるこの長耳幼女が付いてきてくれるのは本当にありがたいのだが。
シドンだって、大魔王討伐が終わったらやりたいことがあったのではないか。
「ボクはさー、大魔王との戦いが終わったら、戦乱で傷ついた人々を癒しに世界中を回りたいと思ってたんだよー」
「立派な夢じゃないか、それなら俺のことはもういいんだよ」
シドンは笑いながら、小さい指を俺に向けた。
「キミがそうじゃん、ボクが知ってる中でキミが一番傷ついてる人だよ。少なくとも、キミの身体が完全に治るまで、ボクは絶対に側を離れないよ、剣持ダイスケくん」
「ありがとう、そんなに言ってもらって……」
ちょっと本当に、ウルッと来てしまって俺は言葉に詰まった。
いつも飄々としてるシドンに、まさか泣かされることになるとは思わなかった。
「まあいいってことよー。ちょうど南の国にも行ってみたかったしー、ちょうどいい機会だから、二人でのんびり船旅と洒落込もうじゃないかー」
「シドンそれじゃあ……」
俺が言いかけた声を、バサバサッと大きな羽の音が掻き消した。
「ハハハッ、遅くなったな勇者殿!」
「にゃおーん!」
なんだにゃおーん! って。
そう思った瞬間、空から身の丈二メートルもある、巨大なアメリカンショートヘアーがドスンと降ってきた。
激しく上がる砂煙に、俺達は眉を顰める。
巨大なアメショの上に乗った猫竜騎士イーミャが、猫の鳴き声よりも高らかに笑い声を上げる。
猫竜というのは、クリクリッとした可愛らしいエメラルドグリーンの瞳をしたアメショにしか見えない巨大幻想生物。
黒と白のシマシマ模様の巨大な体躯、高い運動能力と大きな足を持つ猫竜は、なんと羽が生えていて空も飛べる。
ドラゴンとネコの中間みたいな生物だ。
しかし、猫というのは小さいから可愛いのだ。
身の丈二メートルもある猫竜の瞳がギラッとこっちを睨んでいると、ちょっとビビってしまう。
イタズラっ子っぽい顔で、俺の身体に鼻をこすりつけてクンクンされるのは恐怖である。
レベル1まで落ちた今の俺なんか、その鋭い爪の生えた前足でじゃれつかれただけで、一溜まりもない。
いや、それ以前の問題だよ。
「イーミャ! 猫竜なんか連れてきてどうするつもりなんだよ」
「ハハッ、チャンドラーと私は一心同体。旅の勇者殿をお守りするために参上つかまつった!」
つかまつったじゃないよ、つかまつるな!
ちなみに、チャンドラーとはイーミャの騎乗している愛猫(と言っていいのかこれ)の名前である。
付いてくるとか、こないとかの問題以前に、そのデカい猫竜がこのオンボロ木造船のどこに乗るんだよ。
「イーミャは邪魔だからかえれー。ダイスケくんの治療は、大賢者のボクがいれば十分なんだよー!」
小さいシドンが、声を枯らして叫んでいる。
その必死の叫びが届かなかったのか、猫竜イーミャは、猫竜に乗ったまま、船に足を踏み入れようとする。
やめて! 俺の大事な船が沈む!
川船だからしょうがないけど、この木造船は喫水が浅い。
全財産賭けていいが、猫竜が前足を乗せた段階で絶対転覆する!
いきなり船が無くなったら俺達の旅はここで終わりだ。俺も慌てて、イーミャに懇願する。
「イーミャ、もう冒険者じゃないから戦闘力はいらないんだ。せめて猫竜だけは、置いてってよ!」
「ハッ、チャンドラーと私は一心同体。旅の勇者殿をお守りするために参上つかまつった!」
まただよ、イーミャの会話できるのに、話が通じないパターンだこれ!
どうしようと、シドンの顔色を窺う。
「しょうがないなぁー、とりあえず大賢者のボクがすぐ魔法で何とかするー」
「すまんシドン……」
いや、俺がなんで謝ってんだって感じだが。
とりあえず旅のスタートから、船転覆で絶望のゲームセットは免れた。
「おおー、さすがシドン殿だ。この船なら百人乗っても大丈夫だな!」
「にゃおーん!」
シドンが船にかけた浮遊魔法のおかげで、辛うじて川船は転覆を免れた。
本当に何も考えてない猫竜と飼い主。
俺の旅は、本当に大丈夫なのか。
さあゆっくりまったりのスローライフの船旅がはじまりました。
なんか船がいきなり沈没しかかってますが、たぶん気のせいです。