襲撃
指が動く動く
教室に戻り、また机に突っ伏して次の授業の時間を待つ。次の授業はなんだったかなぁ。
すると急に扉が開く音がした。アイサ先生だ。まだ休憩時間のはずなのにどうしたんだろうか。
「皆さんに連絡があります。町中に魔物の侵入を許したとの報告がたった今教頭経由で入りました。そのため本日の授業はいったん中止。皆さんは体育館に避難してください。教師陣は要請があり次第魔物の殲滅に合流しますので、避難後は校長と教頭の指示に従うように、いいですね?」
緊急事態のようだが、冷静に話すアイサ先生の口調のせいか、一瞬緊急事態だと言うことが認識出来なかった。
魔物? 魔物だって?
「魔物が町に!?」
「うそでしょ!?」
だが僕達新入生からすれば衝撃的な事実だ。
魔物が町に入り込んだ。それはすなわち自分の家族にまで危害が及ぶかもしれないから。
「皆さん家族が心配でしょうが、今はまず自分の身を守ることを考えてください。貴方達はまだまだ戦士足り得ず、戦場に出たとしても足手まといにしかなりません。決して体育館から出ては行けません」
恐らくこういう事態は初めてじゃないんだろう。でも不思議だ。今までは魔物が町に入り込んだなんて話は聞いたことがない。
もしかしたら混乱を避けるためによほどのことじゃなければ町にその情報が行き渡ることはないのかもしれない。これから戦場に立つためのこの学園だからこそ、こういう情報が入ってくるんじゃないかと思う。僕の勝手な想像だけどね。
つい先程まで剣術の授業で使っていた体育館にもう一度移動する。
そこには既に一年生と二年生と思われる学生が大勢集まり、みんな口々に家族の安否を話し合ったり、自分なら魔物を倒せるなどと息巻いている者もいたりと様々だ。
「魔物か、今の俺なら弱い魔物くらい倒せそうだけどな」
おっと、ここにも一人いた。やっぱり渡辺君か。
「そうね、渡辺君なら倒せるかもね」
「それに五十嵐さんもいるし!」
人が大勢いることに安堵したのか、徐々に皆興奮してきているようだ。
「魔物を甘く見るな。死ぬぞ」
いつの間にそこにいたのか、校長先生が声をかけてくる。
「戦場では楽観した奴から死んでいく。例え強かろうが実力を出す前に殺されたら同じだ。ワシはそのような者を戦場に出すつもりはない」
体育館の中が徐々に静まっていく。
「いい機会だから言っておこう。二年生は既に過去数度こういう状況があったから説明は不要だろうが、一年生は今日が初めてじゃからな。今回侵入を許した魔物は比較的小柄なウルフ種が多い。じゃが報告では上空をワイバーンが飛んでいたとの連絡も受けておる。教師陣は既に戦闘に向かっておるからこの学園を守るのはワシとヒースの役目じゃ。それと三年生の有志連中も学園の警護に当たっておる」
いつしか私語を話す人間は誰もいなくなっているようだ。校長先生にはどこか歴戦の戦士を思わせる威厳があった。どことなく香那ちゃんのおじさんに似ている。
「三年生は卒業後戦場に立つ人間もおる。だから有志という前提じゃが、戦闘への参加を許可しておる。無論、戦闘の最中で命を落とすことも本人が承知の上で、な」
学生にして命を落とすことを承知する、かぁ。ちょっとまだ想像がつかない。
「先輩や先生が命を賭けて守ろうとしているお前達の命をむざむざ失わせるわけにはいかぬ。戦闘が終わるまでこの体育館を出るでないぞ」
そう言って校長先生が体育館から出ていく。そして体育館には生徒だけが残された。
だけど誰も先程のような軽口を叩くような者はいない。納得出来ているかは定かではないが、恐らく校長先生の言ったことを理解はしているんだろう。
それでも懲りない人というのはいるわけで。
「ああは言ってるけどさ、きっと大したことないんだよ。最初は怖がらせておいて実戦では大したことないってやつ? きっとそういう教育方針なんだろうな」
例によって例の渡辺君が仲間に話しかける。他の子もそうだよな。とかうんうん。とか言っているが、さっきより表情はどことなくぎこちない。
少なくとも彼等は校長先生の言ったことが理解出来てるんだろう。
「なあ、どうせここまで魔物は来ないんだろ? だったらちょっと外の様子でも見に行こうぜ」
「お、おい、やめとけよ」
「そうよ、校長先生だって絶対外に出るなって言ってたでしょ?」
懲りないなぁ。一体何が彼をここまで駆り立てるんだろうか。
「全く、根性なしばっかだなぁ。五十嵐、お前はどうだ? お前なら話が分かるだろ?」
「断る」
即答だった。
「チッ、なんだよつまんねえの。じゃあ俺だけで行くからいいよ」
どうしてここまで人の話を聞かないんだろうか。むしろ本当に行くつもりなのか。
「危ないからやめておきなよ」
「あ? 腑抜け野郎は黙ってろよ」
一応僕も忠告しておいたが案の定一蹴された。分かってはいたけどさぁ。
渡辺君が人の群れを避けながら入り口の方へ向かう。
「ぐはっ!!」
その時体育館の外から転がり込んでくる人の姿があった。見たことない人だけど制服を着ている。きっと戦闘に参加した三年生なんだろう。
「うおっ!」
「キャアアアアア!!」
その姿を見てそこら中から驚愕の声や悲鳴が上がる。よく見れば身体は傷だらけで出血もあるようだが、命に別状があるわけではなさそうだ。
「学園の上空に……ワイバーンの群れが……校長先生に……」
そこまでは聞き取れたが、その生徒は気を失ったのかそれ以上は聞き取れなかった。死んで……はないよな?
不意に足元が揺れた。続いて何かを打ち付けるような音が体育館に響き渡る。
「いや!! なに!? なんなの!?」
「くそっ、騎士は何をしてるんだ!! 魔法師は!? 先生は!?」
体育館中が更にパニックに陥る。かく言う僕も今何が起きているのか把握出来ておらず、足が震えているのが分かる。
「あっ、香那ちゃん!!」
そんな中、香那ちゃんが体育館を飛び出していった。くそっ、足が震えて歩こうとしない。
「五十嵐!! 俺も行く!!」
続いて渡辺君が飛び出して行く。それでも僕はまだ動けない。
落ち着け、落ち着くんだ。僕が行ったところで何も出来やしない。足手まといになって殺されるのがオチだ。
だからここで大人しく待ってた方が賢明なんだ。大丈夫、香那ちゃんは強いからきっと大丈夫。
そう考えると少しだけ震えが治まってきた。
そして同時に愕然とした。僕は今何を考えた? 香那ちゃんが強いから大丈夫だって?
違う。違う違う違う。
それはただ見捨てるのと同じだ。強いとか弱いとかじゃない。僕は今幼馴染みの女の子を見捨てようとした。
ただ魔物が襲撃してきたという事実だけで、ただ足が震えて動けないという事実だけで。
確かに僕が行ったところで何が出来るわけでもない。もしかしたらあっけなく殺されてしまうかもしれない。
それでも香那ちゃんは女の子で僕は男だ。僕が震えて、怯えてたってどうにもならない。
気付けばまた足が震えていた。この震えは魔物に対する恐怖か、それとも香那ちゃんを失うかもしれない恐怖か。
だったら香那ちゃんを失う方が怖いに決まってる!!
今度は足が動いた。歩くことが出来た。だからそう、この震えは香那ちゃんを失うかもしれない恐怖に対する震えだ。
だからこそ外に向かうことが出来る。魔物よりも怖いことが起きるかもしれないから。
パニックになっている生徒達の波を押し退けながら外に向かう。そしてそこで見た光景は。
--空に浮かぶ魔物の群れの姿だった。
これがワイバーンという魔物か。初めて見たけどなんて凶暴な顔をしているんだろう。
それより香那ちゃんを探さないと。
自分の体力のなさも忘れて走り出す。ワイバーンの群れはどうやら体育館を狙っているようで、僕の方には目もくれない。
今がチャンスだ。
広い校庭を見渡す。恐らく三年生だろう。多くの生徒が魔法でワイバーンに攻撃を仕掛けながら、ワイバーンが吐く火球を盾を持った生徒が防御する。よく連携の取れた攻撃だと思う。
けれど校庭に横たわるワイバーンの死骸は空に浮かぶそれらよりも圧倒的に少なく、思ったよりも成果が出ていないことを裏付けていた。
「匠! 何故出てきた!!」
すると後ろから急に怒鳴り付けられる。ああ、この声は。
「香那ちゃん! 無事だったんだね!!」
「私は問題ない。それより何故出てきた。お前が出てきても戦力にならないことくらい自分が一番分かってるだろう」
「如月も来たのか。五十嵐の前でカッコつけようってか?」
香那ちゃんの後ろについて渡辺君が声をかけてくる。
「それは……香那ちゃんが心配だったから」
「お前が私の心配? 笑わせるな。お前に心配される筋合いなんぞない」
「そうだ! お前は足手まといなんだよ! とっとと体育館に戻りやがれ!!」
二人に何故出てきたのかと責められ、先程までの決意はなんだったのかと少し悲しくなる。
「私のことなら心配はいらない。こいつと同じ意見というのは癪だが、匠、お前は体育館に戻れ」
「で、でも香那ちゃんは?」
「私は戦う。あのまま体育館にいたところでどうにもなるわけじゃなさそうだったからな」
「俺も戦うぜ!!」
僕には戻れ、自分は戦う。何故? 僕が弱いから?
「いいな? すぐに戻るんだぞ」
「お、おい待てよ五十嵐! 俺も行くって!!」
結局また一人取り残されてしまう。やっぱり弱いから? 足手まといだから?
しばしの間その場で呆然と立ち尽くす。ワイバーンも戦意のない者には興味がないのか、僕に対して攻撃が来ることはなかった。
攻撃されないならいい。体育館に戻っても仕方ないし、このままここにいよう。
半ば自暴自棄になっていると自分でも思う。けれど自分が奮い立たせたはずの勇気は真っ向から否定されてしまった。
視線は香那ちゃんへ向かう。僕とは違って強く勇ましい彼女の姿を追う。
「行くぞ! コン、一尾だ!!」
--ああ、そうだったな。
彼女にはとっておきの武器がある。おじさんから譲り受けたという武器。
『コオオオオォォォン!!』
人の声ではない。動物の鳴き声でもない。頭に直接響くような精霊の声。
「狐火!!」
彼女の愛刀、小狐丸。そしてその刀に宿る精霊コン。
香那ちゃんは剣術、魔法、そして精霊を使役することが出来る。正に戦闘のサラブレッドだ。
何もかもが僕とは違う。剣術は覚えても使えない。魔法は使い方を知っていても使えない。おまけに精霊なんて一般人が持つことすら叶わない。
香那ちゃんの放った一撃はワイバーンの一匹を捉え、その身体を地に落とす。渡辺君が驚き、香那ちゃんを称賛しながら、地に落ちたワイバーンに対してファイアボルトを撃つ。
次々とワイバーンを地に落としていくうちに、ワイバーンも香那ちゃんのことを驚異と見たのか、次第に香那ちゃんに対する攻撃が数を増していく。
渡辺君はそれを察してか、徐々に香那ちゃんから距離を取り、遠くから地面に倒れ伏すワイバーンに魔法を撃っていたが、魔力が切れたのか、いつしか撃つのを止めて更に遠くへ避難していた。
僕は動かない。
香那ちゃんはワイバーンの吐く火球をかわしながら、狐火を撃ち続ける。火球では効果が薄いと判断したのか数匹のワイバーンが直接香那ちゃんへ向かって急降下し始めた。
それでも香那ちゃんはそれを逆手にとって直接小狐丸で斬りつけ、着実にワイバーンの数を減らしていく。
カナカナ言い過ぎ感