6.班分け
翌朝。
先輩がたの動きに流されるままに演習場へ出た新人たちに、乱雑な班分けの指示が飛んだ。
「おい、ルコックド!」
白い息を散らして、イグヤがキューナの元に駆け寄ってきた。
「あ、おはようイグヤ。同じ班だね、よろしく」
信じられないものを見るような目で、キューナを指さして、戸惑いの表情を浮かべるイグヤ。
「お前……だって、リュデ少将とだったじゃん!」
「そりゃ新人相手だもん、手加減してくれるでしょ」
なんてことないように答えれば、イグヤはきょとんとしたあと、
「……ち、女はずりぃな」
と不満そうに言った。キューナは適当に笑っておく。
近くに立っていた体格の良い短髪の男が、周囲の人数を数えて、G班集合、と声をあげた。
「これで全員だ。まず、いつも通り、班長と副班長を決めないとな」
そう言ってメンバーを眺める。誰も返事をしない。
それを見かねてキューナが手を挙げ、
「誰もやらないなら、やりますけどー」
と呟くと、全員がぎょっとしたように年若い少女を見た。
「わっバカ何言ってんだ! すんません、何でもないです!」
イグヤが焦ったようにキューナの頭を掴んで、一緒に下げさせた。疑問符を浮かべるキューナの耳に、怒り交じりの囁き声。
「何してんだよ! 今のでぜってぇ、ナマイキな新人だってインプットされたぞ!」
「何って……誰もやらないなら私がやってもいいなって、班長」
「いーから黙ってろ!」
キューナはぐいぐいと頭を押さえてくる手に少し反発するように首の力を込めて、隣のイグヤの横顔をじっと見る。イグヤの焦りに満ちた顔は真剣そのもので、キューナをバカにしている気配はない。
中央でのクウナは、部下より年下なのが当たり前で、『生意気』という形容はよく褒め言葉として頂戴していて、身分の差とか年齢の差とか階級の差とかを、あまり気にしたことはない。おじいへの敬意をもっときちんと表せだとか、年長者への配慮がどうのうこうのだとか、何度ウォンちゃんたちからお説教を受けたことか。まぁ逃げ出したけど。
……とにかく。そのままのスタンスでいてはいけないことは理解できた。ここはイグヤの判断に従うことにして、キューナは、
「はーい」
と答えて口をつぐむ。イグヤはほっとしたように息をついて、キューナの頭から手を離した。
先ほど集合をかけた短髪の男が、前髪をいじりつつ、何かを考えるように視線を宙に投げる。
「一番年長なのは俺みたいだが、俺、仕切るの向いてねぇんだわ。てことで副班ならやってもいい。アサト、確かお前が一年下だったよな」
イグヤの後ろに隠れるように立っていた細身で猫背の青年が、過剰に反応して、怯えたように首を振る。
「い、いやっ、俺はムリ……その……あ、ソイくんが!」
要領を得ない返答の最後に、ぱっと顔を輝かせて一人を指さした。
指された青年は、少し離れたところにあぐらを掻いて座り込んでいて、面倒そうな表情を隠そうともせずに浮かべた。
それを見て、副班が「ああ」とうなずいた。座り込む青年の前まで歩いていって、からかうように口角を上げて、びしりと一礼。
「軍曹殿、班長職をやっていただけませんか」
あぐらの上で頬杖をついていた腕がぱたりと倒れる。面倒そうな顔が、一瞬で酷く不愉快そうなものに変わる。
「……やめろ、それキッモい」
「……てめぇ、そこまで言うか」
座ったままの青年は諦めたような息を吐いて、程よく均整の取れた肉付きの両腕をぶらぶらと揺らす。
「はー、確かにこのメンツじゃあ、自分でやったほうが楽かもな。去年の二の舞は嫌だし。いいよ。俺、班長ね」
軽い承諾の言葉に、アサトと呼ばれた猫背の青年はほっと息をついて、期待をこめた目で班長を見る。
「よかった……頼もしいよ」
班長はへらりと笑い、後ろに手をついてアサトを見上げた。
「あはは。アサトさんに言われても、皮肉にしか聞こえないなぁ」
「え」
アサトは口を押さえて青ざめ震え始める。それをからかうように班長の青年がまた二、三、言いつのる。
気安いやりとりを傍観していたイグヤが眉を寄せ、小さく呟いた。
「一体、誰が何年目なんだか」
隣のキューナもうなずく。
――と。
赤ら顔の男が褒賞を揺らして向かってくるのに気づいて、先ほど副班長に決まった青年が声を張り上げた。
「我が班を指揮してくださる、アゴロ大尉だ。敬礼ッ」
周辺の喧騒が止み、一斉に敬礼。正面に立ったアゴロ大尉は、ふん、と鼻を鳴らすと、「面倒をかけるなよ」とだけ小さく言って去っていく。
隣を見れば、色々と指導してもらえると思っていたらしいイグヤが消化不良の顔をしていた。
「あ」
その奥にもう一人、似たような表情をしている少年がいた。見覚えのある顔だ。
「入隊試験で2年目のひと気絶させてた人だよね?」
キューナが寄っていって聞くと、
「お、オレってば有名人?」
浮かれた笑顔でポーズをとる少年。尖った八重歯がくっきりと見える。
イグヤが嫌そうな顔をした。
「俺は全然知らねー」
「おい、くっちゃべってんじゃねぇよ新入り」
いつの間にかすぐ近くに来ていた班長がぼそりと言う。
「すっすんません」
竦みあがるキューナたち新人3人を眺めたあと、面倒くさそうに頭を掻いた。
「クソ。この班、2年いないのか」
「あ、ハイハイ、俺3年目っす」
濃い緑色の髪を後ろでくくったやせぎすの青年が、緊張感のない笑いを浮かべながら片手を挙げた。
班長と副班長が同時に顎で示す。「あい」と軽く答えた3年目の青年が右手の先にあった小屋を指さして――いきなり怒鳴った。
「もたもたすんな! 今すぐ単管運んでこい!」
「は、はいッ」
追い立てる声に反射的に駆け出す少年2人。あとを追うキューナの後ろで、3年目の青年が狂ったように爆笑する声がした。
***
3人がかりで、小屋の重い扉をこじ開ける。
「せーのっと、」
「おわ動いた」
「錆びてたんだね」
「うっわ、埃っぽいな」
先に頭をつっこんだイグヤが、むせ込む口元を袖で押さえて中に入っていく。
キューナはもう一人の少年の名前を呼ぼうとして。
「あ。名前聞いてなかった。何ていうの」
「オレ? ヤサルタ。そっちは?」
「キューナ=ルコックドです。あっちはイグヤ」
「おっけー、よろしくな!」
ヤサルタは機嫌よくニコっと笑う。裏表のない表情になんだかほっとするなぁ、なんてキューナが考えていると、室内からイグヤの声がした。
「くっちゃべってねーで手伝えよ」
「あ、ごめんごめん」
薄暗い部屋の隅で箱を開けているイグヤに近寄る。頭上から突き出た金属をよけて、砂利だらけの床を踏む。
「たぶん、これのことだろ」
箱から金属の棒を数本取り出したイグヤが、それをキューナに渡した。キューナはそのままヤサルタに渡しつつ、キューナは首をかしげた。
「うーん、何本いるのかな、人数分?」
「聞いてくっか?」
「やめとけ。どうせ怒られる」
「持てるだけ持ってく?」
キューナの案に二人もうなずいた。ヤサルタがはりきって腕いっぱいに棒を抱え、
「おっと!」
腕の中から一本落ちて転がった。自分の分をせっせと取り出しているキューナの足に当たる。
「悪ぃそれ取って、なぁキューナ、キューちゃん――いって!」
ごちん、と小気味言い音がした。
キューナが振り向いたときには、うずくまるヤサルタの上で、激怒顔のイグヤがこぶしを握っていた。
「こっの非常識が!!」
「何キレてんだよいきなり」
涙目のヤサルタがきょとんとする。キューナは「別にいいのにー」とへらへら笑っている。
「なにが? オレ、何かした?」
はー、とイグヤがこれみよがしに長いため息をついた。
「女性は姓で呼べ。ましてや、会った初日に愛称なんてなぁ! ……って、なんで俺がこんなこと、同い年相手に」
「あ、違うよー」
「あ?」
「オレ、実は卒業してから一年働いてたから、お前らより一年、年上なんだぜ?」
ふふん、となぜか得意げに笑ったヤサルタを、
「なおさらだっ」
イグヤが息を切らして怒鳴った。それから疲れきった顔をした。
「ていうかあんた年上かよ」
「あー、ひっでぇ」
「お前、今までずっとこんな感じで……」
「オレ、今まで女友達なんていなかったし!」
イグヤは急に冷静な顔をして、胸を張るヤサルタを見た。
「……だろうな」
「うわぁ、ひっでぇ」
そのやりとりを、大変そうだなぁ、でも楽しそうだなぁ、なんてキューナはのんびり見守る。
イグヤが咳払いをひとつ。
「とにかく、『ルコックド』だ!」
ヤサルタは不服そうに唇をとがらせる。
「えー、もう友達じゃーん。仲良くなったじゃーん」
「だってお前が『キューナ』で俺が『ルコックド』ってのはオカシイだろ」
「はー?」
さすがにキューナもつっこまずにないられない。
「そういうことだったの?」
「何その意味分からんコダワリ。貴族じゃあるまいしカタくね?」
イグヤの顔が怒ったようにカッと赤くなる。
「別に普通だ! 先行くぞっ」
棒を掻き集めて真っ先に小屋を飛び出していく。イグヤが去ってから、ふぅむと眉間にしわを寄せたヤサルタは、顎に指を当てて探偵よろしく。
「……ふーむ、あやしいな、アレは」
「ていうか、ヤスラが年上って件はスルーされたけど、ヤスラは敬われなくっていいの?」
「おう。俺はそのほうが気楽。ヤスラって呼んでよ、ルコックド」
「わかった」
昨晩のエイファとの会話を思い出して、キューナはうなずいた。
***
「遅いぞ何やってた!」
「すっすんません!」
戻った先には、3年目と名乗った緑髪の青年がたった一人。肩をいからせ腕組みをして立っていた。
「そーかそーか、そんなにぶん殴られてーのか」
にいぃ、と不気味に口角を上げたかと思うと、側にいたイグヤの腕から棒を一本取り、くるりと回し。
「とーりゃあああ!」
「――っぐ?!」
ぶん殴られたヤサルタが、腹を押さえて吹っ飛んだ。ばらばらと棒を落とす。
「ヤスラ!」
「はっははは! 無様! あれだな、む、虫けらだな!」
狂ったように高笑いする青年からイグヤが一歩下がって、睨んで身構える。
「……お前……」
イグヤの態度を見た青年が、ニヤリと笑った。
「は? 先輩に楯突こうっての? いいぜ殺してやる」
青年が放り投げた棒が草の上に落ちる。キン、と鳴った音が何か理解する前に、
「……っぶね……!」
イグヤが上体をひねってかわした。突き刺さる寸前だった剣先が、真新しいジャケットの前打ち合わせを引き裂く。イグヤが腕に抱えたままだった金属棒が草の上にばらばらと落ちた。
青年は、腹を抱えてのけぞって、声をあげて笑う。ひとしきり笑ったあと、手元の剣を構えなおして。
「ほら早く逃げろよ、殺しちまうぞ」
遠慮のない太刀筋で真剣を振り回す。戦場で敵を見るような目と、迷いなく殺す構えに圧倒され、青ざめつつ丸腰のイグヤが下がっていく。ヤサルタの脇にしゃがんでいたキューナは、そっと棒を下ろした。一番錆びてなさそうな一本を握って、周囲を見回して――不意に、青年の上から影が差した。
「なーにを、やってん、だ」
ごつん、と鈍い音が響く。
目玉を飛び出さんばかりに目を見開いた青年が、脳天を押さえてうずくまった。その後ろから現れたのは――
「……班長……」
赤鈍色の髪をした軍曹の青年が、しかめっ面でこぶしを握っている。
腰が抜けたらしいイグヤが、呆然とその場にへたり込んだ。
剥き身の剣を振り回す、さほど体格の変わらない相手を拳骨一つで黙らせた班長は、フン、と鼻息を鳴らし、手首をぷらぷらと振りつつ振り返る。
「はー。やっぱな。オサム、こいつなんつったっけか、ダメだわ。使えねー」
副班長はその声を無視して、少し離れた場所に、担いでいた的をどんと立てた。返答を期待していなかったらしい班長は肩をすくめるだけで、踵を返そうとして――
「まぁ、いっぺん脅しとくか」
と不穏な言葉をめんどくさそうに言い放ち、足を止めて剣を抜く。
流れるような無駄のない動きで、三年目の青年のあごに、ぎらりと光る刀身が肉薄する。
「お前オオリっつったっけか。いーかー? 余計なことしてんじゃねーよ」
傾けた刃先で、ぺしぺしと頬を叩く。オオリの顔が蒼白になりひきつった。
「俺が班長のこの一年は、今後こういうこと起こしたら、理由が何だろうと、俺はまず、お前を斬るからな」
間延びした話し方と眠そうな目のままだが、構えと立ち方に隙がない。いつでも殺せる状況だった。さっきと違ってここから割り込んでもたぶん間に合わないな、とキューナは冷静に分析する。
「それは単に人手の問題だ。お前がこいつら全員潰したら、誰の仕事が増えると思う? お前が4人分働くのか?」
「ひっ……」
「簡単なことだろうが馬鹿。分かったか」
オオリの全身がぶるりと震えた。班長の目がゆっくりと細くなり、押し殺したような小さな声。
「返事」
「は、はいっ」
ふぅと息を吐いた班長が剣を引き――収めることなく、今度は足元にへたりこんだままのイグヤの額に、わずか数センチの間隔を開けてぴたりと止めた。
イグヤは呼吸を止めた。
「お前らも勝手に死んでんじゃねぇぞ」
尊大に言ってのけた班長の後ろで、副班長が「横暴だな」とぼやいている。
かちん、と剣が鞘に収まる。
「よし、さっさと片付けろ」
ヤサルタとイグヤが威勢よく返事をして、あたりに散らばった棒を拾い集め始める。キューナは足元に置いた分を集めて抱えなおす。
「あの、班長、集めました」
腕組みしたまま動かない班長に声をかけてその目線を追えば、オオリが未だに同じところにしゃがみこみ、ガタガタと震えている。
「あーあ」
班長が肩をすくめる。
「やっぱ『持ってる』奴かコイツ。使えねー」
「壊したな」
ぼそりと副班長が言う。
「っせ、どこで潰れようが大して変わらねぇだろ」
「あ、あの、どうし……」
「あー、ソイツはほっとけ。ジュオ、一年にはお前が指示出せ」
班長に命じられた大柄な坊主頭の青年は、黙って隣を見る。見られた青年は、眉を下げて苦笑した。
「なんで俺を見るの。順当に年少順で、ジュオの仕事でしょ」
「ムリ」
短い即答に、人のよさそうな青年はやれやれと頭を掻いた。
「じゃ、かわりに俺の分も運んできて」
「おう」
やはり短く答えて、大柄な青年は班長たちと一緒にさっきの道を戻っていく。
それを見送ってから、「さて」と笑顔の青年がキューナたちを振り返った。
「5年目のログネルです。あっちの、でかいワガママな奴が4年目のジュオ。これ、覚えれば簡単だから、さっさと組み上げちゃおう」
「はいっお願いしますっ」
温厚そうな青年にヤサルタがほっとしたように駆け寄った。
輪になってしゃがみこんで棒を組み、固定の仕方を教わる寸前に――笛の音が演習場に響いた。
ログネルが棒を放り出して、俊敏に立ち上がる。
「時間切れだ。それ置いて。行くよ」
「え?」
門に向かって駆け出すログネルを、慌てて三人も追いかける。
確かにあの笛は4班集合の号令だけど、こんなに静かなのに有事ってことはないよな、とキューナはいぶかりながら走って。
先に着いていた班長が4人の到着を見て顔をしかめ、
「遅」
言う前に、
「遅い!!」
大地を揺るがすほどの怒号。別の班の班長から迅速な謝罪の号令がかかり、一年目以外の全員が一斉に頭を下げた。キューナとイグヤが慌てて倣い、ヤサルタが続き、合わせそびれたH班の一年目の少年二人がアゴロに蹴り飛ばされる。
門の前に立派な幌馬車が数台止まった。アゴロの口角がくいと上がる。
「来たな。運び出せ!」
わっと群がる騎士たちを馬鹿にしたような目で笑い、アゴロは御者と少し話をすると踵を返して本棟に消えた。
「おらとっと動け!」
飛び交う怒号に押されるようにして馬車の荷台に飛び乗る。
キューナはてっきり武器商人か何かだと思っていたのだが、幌布を持ち上げて中を見ると、アーチ型の骨組みに届きそうなくらいに積まれていたのは麻袋の山。
兵糧の穀物かな、と手を伸ばしたキューナは、嗅いだことのある異臭に動きを止めて、そっと眉を寄せた。指示通りに麻袋を抱える前に、ジャケットの襟を立てて鼻と口を覆う。偶然隣にいたイグヤが気づいて、素早く周囲を見る。口元に布を巻く先輩が何人かいるのを見つけ、意味が分からないというような顔をしながらもキューナの仕草を真似た。
乱雑に置かれている麻袋の中から、体積がやや少なめで口がしっかり封されているものを選んで、両腕で抱える。
「よっと」
荷台から両足で飛び下りる。本棟へと続く駆け足の行列に混じって、ペースを合わせて付いていく。
行き先を知らないまま本棟に入り、廊下を進み、階段を駆け上がる。首を動かさないように注意を払いながら、扉に掲げられた文字を盗み見ることも忘れない。汽車の中で覚えた将校たちの階級とフルネームに照らし合わせて、順序どおりに脳に刻み込む。
辿りついただだっぴろい部屋の端の、毛足の長い絨毯の上に麻袋を積み上げる。
「あ、違うよルコックド、G班はこっち」
皆に倣ってもとの道を戻ろうとしたキューナの袖をログネルが引いて、隣の山を指さす。班ごとに積んでいるらしい。短く返事をして積みなおす。続いて来たイグヤとヤサルタにも簡潔に伝えてから、また駆け足で門まで戻る。
5回目の往復を終えたところで、駆け込んできた班長たちが「もうない」「終わりだ」と口々に言う。キューナは足を止めた。
口元から布を外しジャケットの下に隠すように仕舞う人たちの仕草を見て、麻袋を気にしながらも襟を元通りに整える。
全身汗だくだが、気休めに額のそれだけをぬぐう。
そのタイミングで、ハト胸を精一杯反らして、満面の笑みのアゴロ大尉が部屋に入ってきた。後ろに連れた大男にへこへこと頭をさげては、しきりに媚びたような声を出している。
「こちらです、少佐」
その声を聞きつけた班長が焦って声を張り上げる。
「並べッ」
無言かつ乱暴に腕を引かれ、引きずられるようにして列を作る。
「G班、敬礼ッ」
全員が一斉にかかとを鳴らして敬礼。
少佐と呼ばれた紺の瞳の男は、アゴロ大尉の横に立ち、麻袋の山を黙って見ている。その貫禄ある横顔に圧倒されて、少し青ざめたイグヤが小さく呟く。
「……つ、強そうだな。さすが少佐」
そうかな、と思わず分析しそうになったキューナは、中将時代の癖を振り払うように目を閉じた。
少佐の指示に威勢のよい返事をしたアゴロが、部屋の隅に控えていた商人らしき小太りの男を呼び寄せる。少佐と商人がなにやら話し始め、少佐が中央のカウチにどっかりと体を沈める。恭しく差し出される筒を当然のように受け取って、目を閉じて息を大きく吸う。すぐさま酩酊した顔になり、少佐は口から白煙を吐いた。
「うむ、今年のはなかなかだな」
「ありがとうございます」
誇らしげに商人が頭を下げる。その後ろで他の班員と並んで一列で敬礼したまま、人知れずぼやくキューナ。
「……よくもまぁ、真っ昼間から本棟の応接室で堂々と……」
重い麻袋を運んだ後に敬礼の姿勢で直立不動を命じられて、腕の筋肉がじわじわと痛んでくる。通常、あれくらいの重量の荷運びは台車を使うものだけど、その設備すら北州騎士団にはないというのだろうか。それとも、ただのシゴキか。
同じような痛みを感じているだろう左右の仲間の腕が軽く痙攣しているのと、それを堪えるように奥歯を噛み締めているのが見える。キューナは音を立てないように深く息を吐いて感覚を散らした。どうしても肺に入ってくる白煙は仕方がないので気にしないように努める。大丈夫だ、常用すると酷い中毒性があるけれど、即効性はない。
少佐とアゴロがこちらを向いていないことを確認してから、キューナは眼球だけを動かして部屋全体を観察する。目の前の少佐も、並んでいる先輩たちにも中毒症状は見られないし、少佐の言葉から推察して、今年初めての吸引なのだろう。連日これが続く訳じゃない、と結論付ける。
少佐が筒をローテーブルに置いて立ち上がる。途端に、部屋に緊迫感が満ちた。
「さて――」
騎士の列の前を通り過ぎた少佐は、麻袋の山の前でぴたりと足を止めた。
高さの違う4つの山が並ぶ。一番低いのは――右端。
並んでいる列の右側から、唾を飲む音がいくつか聞こえた。
「アゴロ。手抜きがいるようだが?」
「はっ、失礼しましたッ」
冷淡な声に対して俊敏に頭を下げたかと思うと、アゴロが列の前まで歩いてきて、一人の胸倉を掴んで強引に引っ張り出した。
「H班。俺は一班あたり、どれだけ運べと言った?」
班長らしき男は萎縮しきっていて、口が開けないどころか呼吸すら止めている。
「役立たずが!!」
悲鳴が上がった。H班の全員が蹴り飛ばされて床に倒れた。
キューナは目をそらすことなく彼らを見つめ、口をかたく閉じる。左手が、コートに付けられた腰のフラップを、剣のない心もとない布きれを握り締める。
絶対に口に出すべきではない反論が、列に並ぶ全員がわかっているだろうその理由が、ぐるぐると腹の辺りに溜まっている。門でアゴロに散々蹴られて負傷したH班の一年目二人が、真っ赤な顔で懸命に麻袋を運びながらも、ずっと片足をひきずっていたのを、すれ違うたびに見ていた。
少佐はまた筒を吸い始めた。
アゴロは満足するまで散々殴り倒してから、キューナたちH班以外の列に向き直って怒鳴った。
「何してる、次は倉庫整備!」
「はいっ」
全員揃って返答し、慌てて部屋から廊下へと駆け出す。
その後ろで、少佐が立ち上がる気配をキューナは走り去りながら感じ取った。アゴロ大尉の戸惑う声が、追いすがるように続く。
「少佐、どちらへ?」
「仕事に戻る。あとは勝手にやっておけ」
「は、はいッ、このアゴロにお任せくださいッ」
アゴロは反り返らんばかりに、鼻息荒く叫んだ。
***
続いてアゴロに先導されて向かった先は、馬小屋の横に建つ、石造りの貯蔵庫。扉の両脇には、直立不動の衛兵がぎらぎらとした目をして立っている。
オオリがひひっと笑って、ヤサルタとイグヤの肩を引き寄せ、脅すように囁いた。
「少佐殿が私有する兵糧庫だぜ、指示されたとき以外にうかつに近寄ると、みじん切りの重罪だからな?」
青くなった少年たちの顔色に、オオリが満足したような笑い声を上げる。
班長の指示でジュオが扉を開けた。中には――うずたかく積み上げられた、今にも崩れそうな木箱の山。
すげぇ量、とイグヤが呟いた。
その横で、同じように木箱を見上げたキューナは、なんだこれは、と顔をしかめる。通常の兵糧の量ではない。しかも、『私有』とは一体何だ。
「明日追加が来るからな、奥に詰めるぞ。前列のものは一度外に出す」
アゴロが誇らしげに言った。
「……最初から詰めて入れとけよ」
班長がアゴロに聞こえないように呟いた。ついキューナもうなずく。
その後は、日が暮れるまで、入隊試験で使った山を走らされた。
***
「……よく食えるな、ルコックド」
その声に顔を上げれば、昨夜の騒動を一緒に見守り今日のハードワークをなんとかこなした同期メンバーが、げんなりした顔でキューナの平然とした食べっぷりを眺めていた。彼らの前には、決して多いとはいえない量の夕食がほとんど手付かずのまま残されている。その背後には、その貴重な食料をいつ奪おうかと狙っている、飢えた先輩方の視線が見える。
「あー、まぁ、」
キューナは目をそらしながらぼやく。
「……暴力には慣れてるし」
その小さな呟きを聞きつけた周囲が愕然とする。
「どんなところにいたんだお前」
「ん、なんでもない。ほら、無理にでも食べないともたないよ」
キューナはごまかすようにそう言って、薄味の芋料理を掻き込む。
「……昨夜の奴、死んだらしいよ」
先輩が話してたの聞こえた、と一人が呟いた。
嫌な静寂が満ちる。
キューナの隣に座るヤサルタが、少し曲がったスプーンを握り締めて言った。
「……なんだよ、こんな仕事。なんの意味もないじゃんか。オレらがガキの頃に憧れてたのは、こんなんじゃなかった」
今にも泣きだしそうな目が、ぬるいスープの水面を睨みつけている。
「さっきだって、オレは、オレは何もできなかった。おかしいって思ったのに、止めるべきだったのに、びびって動けなかった!」
「あれは、それで正解だろ」
イグヤの押し殺したような声に、堪えきれなくなったヤサルタが席を立ってイグヤの腕を掴んだ。
「――なんでそんなこと言うんだよ!?」
「じゃあお前はあんな、上官の気まぐれなんかで早死にしたいのか? お前に、あれが止めれるのか。お前が無謀なことやらかして、俺まで巻き添え食らうのはゴメンだ。G班全員の命を背負う覚悟があるのなら、いつでも出しゃばれよ」
「そ、そん……」
いきなりの剣幕に、ヤサルタの手が離れる。
更にその隣、キホが諦めたように首を振って、ぽつりと呟きを落とす。
「……まだ一日目だけど、よく分かった。俺たちは過信しすぎてた。ここでは、強くない。何もできない」
死刑宣告のような重い重い響きに、全員が黙り込む。
黙って固い穀物をかじった一人が、
「これで無償なんだからありがたいよな」
現実逃避のように呟いて、食物を眺める。
「キューナー! ご飯終わったら一緒に部屋戻ろ、って……あ!」
雰囲気を吹き飛ばす明るい声。エイナルファーデがキューナにとびついてきて、頭越しにキホを指さした。
キホも顔を上げて返す。
「ああ、同じ班の……」
エイファがへこっと頭を下げる。
「二年目のエイナルファーデです。よろしくー」
「キホ。トードキルホです。俺も含めて、このへんに座ってるの全員一年なんで。よろしく」
「……なに、今更自己紹介?」
呆れ顔のイグヤ。キホが首を振る。
「始終、話せる雰囲気じゃなかった」
「そうそう。すっごく恐いんですうちの班。でも、よかった、キューナの知り合いだったんだ」
「キホは心強いよー」
キホが照れたように咳き込む。その正面でイグヤがにやにや笑っていた。
2015/5/24 誤記修正