フエフ編(後編)
その日の日没後。通信室。
だかだかだかだかだか。
「あはは、速い速いフエフ読めない」
片手で酒を飲みつつ、へらへら笑いながらクウナが片手で打ち返す。
『っざけんな、んなわきゃねーし。ナニ寝ぼけてやがるクソクウナ』
「こっち、何人かいるんだよ。音読できる速さでお願い」
『……順に名乗りやがれ』
「あ、出た、フエフの人見知り。えっとねー、」
部屋の中を見回しつつフエフが知っていそうな中央の面子の名前から順に打っていくと、途中でフエフからのストップがかかる。
『待て待て待て……クウナ』
「なに?」
『いったい何人いるんだ』
「私が直接誘ったのは二人なんだけどね。こんなに大所帯になるとは私も思わなかったよ」
その言い様を聞きつけた近くの騎士が言う。ウォルンフォラド直属の部下たちだ。
「夜通し酒盛りって聞いたら来るに決まってるだろ」
「しかも暗黙の了解で、上官のお叱り一切なしとはな。通信士の特権なんてあったんだな」
「俺、腕もげたら通信士になるわ」
「バーカ、片手でできる仕事じゃねぇっつーの」
「でもほら、クウナ大将、片手じゃん」
「あれはあの人がすごいだけです……」
近くにいた宿直の通信士がうなだれる。先ほど「打ちましょうか」と進言した自分が恥ずかしくてたまらないらしい。片手なのに通常の通信士より速いなんて。
「エイファー」
ひとしきりフエフとの会話が落ち着いたところで、クウナが、端の席に座っていた少女を手招きで呼び寄せる。エイナルファーデはカップを置いてぱたぱたと駆け寄ると、クウナの隣の空席に腰かける。
クウナが言う。
「言ったとおりに打つからね」
「うん、ありがと。――えっと、は、はじめまして」
『うん? また別のヒト? どちらさん?』
フエフの問いかけに、エイナルファーデは見えるはずもない相手に向け、背筋を伸ばして座りなおし。
「エイナルファーデ=ハノアッジ二等兵と申します。練り香油の件で、大変お世話になりました。あのときは、本当にどうも、ありがとうございました」
『あー……あの。礼は言われたくねぇなぁ、結局、見つけらんなかったわけだし』
「いえ、でも、嬉しかったので。なんだか、遊撃部隊の皆さんにも祝ってもらっちゃったみたいで。忘れられない誕生日になりました」
『…………オイ、クウナ、これ、お前のたちの悪い人格捏造イタズラじゃないよな?』
「あはは、まっさかー」
『ウワ、速い! 席替える間がなかった!!!』
「誤解、誤解、二等兵って言ったでしょ、代打してるんだってばー。ねぇ、遊撃部隊が北州に来る予定ってないの?」
『んー、聞いてねぇな。ま、そのうちあるだろ』
エイナルファーデがぱっと顔を輝かせて、
「フエフは通信室に住み着くから、ここに来れば十中八九会えるよ」
クウナの言葉にうなずいてその背にとびついた。黒髪の頭上にぽすんと頭を乗っけてたずねる。
「ねえねえクウナ、フエフさんってどんな人?」
「うーん。あ、ねぇフエフ、フエフが通信士見習い時代に部隊長を背負い投げしちゃった話、していい?」
近くにいた中央からの騎士たちが、クウナの言葉に何かを思い出したらしく、ぶはっと盛大に吹き出す。
『……もうしてんじゃん』
フエフのふてくされた仏頂面がクウナの脳裏に浮かぶ。
「何それ何それ!」
エイナルファーデが顔を輝かせる。
えーっとねぇ、とクウナが口を開く。
「文官の中でもちっこくて大人しかった通信士見習いのフエフが、俺の部隊専属の通信士になれーって部隊長さんに力づくで迫られたことがあってね。その人、そのとき一番強いって言われてた筋肉自慢の部隊長なんだけど、キレたフエフが軽々投げ飛ばしちゃって、一発KO」
「あー、あれはすごかったな。宿舎の壁ぶち抜いたんだっけ?」
「あんまり騒ぐもんだから、勘違いした衛兵が警報鳴らしちまったんすよね!」
「部隊演習が中止になってなー」
ベテラン騎士たちが思い出してげらげら笑うのに、なんですかそれ、と若い騎士たちが顔をひきつらせる。
「それを聞きつけた近衛部隊とか遠征部隊とかまでがフエフのこと欲しがっちゃって、でもフエフは遊撃部隊一筋だったよねー」
なんでまたそんな偏狭なところに、と色んな人に何度も聞かれたが、それで意志を曲げるフエフではなかった。
「フエフさんに権威というものは無意味ですからね」
呆れたような懐かしそうな目をして、フェルがうなずく。クウナの首肯。
「てゆうかそもそも、フエフが騎士団に来たのって何だったっけ、騎士団の通信を傍受してたのが見つかって、本部近隣の家の屋根裏でおじいに捕獲されたんだっけ?」
「……だ、第三等犯罪ですよね、それ……」
宿直の通信士が青ざめてぼそりと言うのに、クウナは軽く首を振って、
「ううん、上官クラスの秘匿回線だったから二等」
「え」
「でもまだ初等学舎も卒業してなかったからお咎めなしで、ひとまず騎士団で預かって教育するってことになってー」
「……へ?」
『何年前まで遡るんだよ、てゆうかなんでオマエそんなことまで知って……って、オマエのせいか!』
「あ、久しぶりー」
隣のエイナルファーデが疑問符を浮かべるのに、クウナは機器を指さして説明。
「フエフのとこに、フエフのお義姉さんが来たみたい。フエフの、お兄さんの奥さん」
「うーんと、お義姉さんが同僚ってこと?」
「そうそう。ていうか、同僚がお義姉さんになったっていうか」
突然の色恋話にエイナルファーデの目がぱっと輝く。打鍵を読み取ろうとして、クウナがけらけら笑う。
「あはは、二人で一台打たないでよ、読めないって。ホント仲良いなぁ」
クウナの軽口に、向こうからの通信が一度止む。
「フエフが真っ赤になって姉ちゃん押しのけようと暴れてる姿が目に浮かぶなあ」
指を止めたまま応答を待ちつつ、クウナがぼやく。
「なんていうか、フエフさんって、奔放な人だねぇ」
エイナルファーデがまじまじと言うのに、
『……珍しく町娘みたいなカッコで出歩いたらチンピラにナンパされて、ほいほい着いて行った先のキモい男を回し蹴りで仕留めたら、ソイツが騎士団総手で行方追ってた盗賊団のボスで、ちょうどいいからって丸腰単身で根城まで乗り込んでいって全員ぶったおして、その事件自体は無事解決したけど、そのあと一週間ウォンとカロに外出禁止令出された、とても奔放なオマエの話してやれよクウナ』
「あっそれはやめて」
音読の途中で焦り始めたクウナに、
「何、何、全部読んでよクウナ!」
エイナルファーデが身を乗り出して、クウナの手をばちばち叩く。
そこへ、
「クーさぁん」
部下の一人が酒を片手にふらふらと寄ってきて、杯を傾けながら、クウナの座っている丸椅子をがしがしと蹴る。
「何?」
クウナがその振動に振り向けば、そこには部下の後頭部。
「あの子、アイツ、いーんすかね」
「んん?」
彼が指さしている先には、本日の功労者。
「あ、ティーフがしこたま飲まされてる」
わいわいと騒ぎ立てる屈強な男たちに、されるがまま右に左に揺れているうつむきがちな赤い顔。飲み慣れてない人間の動きだ、とクウナは判断して、傍らで日誌を繰っていた宿直の通信士を呼ぶ。
「ここちょっと任せて良い? ――フエフ、人替わるよ」
『オイちょっと待てし、お前『打徹』の意味わかって』
「るよー。いいじゃん、たまには色んな人とも話してみなよ」
椅子を回してくるりと向き直って、先ほどから好奇心いっぱいの目でフエフの言葉を聞いていたその通信士を見上げ。
「はい。聞きたいこと聞いていいよ」
「ありがとうございます、あの、ですが、」
わいわいとしきりに騒ぎ立てる機器の向こう側を、通信士が心配そうに見やる。
「大丈夫大丈夫、フエフはちょっと人見知りだけど、通信士トークすればすぐに打ち解けるよ。どんどん質問攻めにしちゃって」
「は、はいっ」
通信士と席を替わって立ち上がるクウナ。
「ティーフ、ティーフ、」
床の上に座りかがみこんでいる少年に黒髪の少女が駆け寄る。同じ体格くらい少年の両脇を後ろから抱えて、群衆の中から引っこ抜いた。少年は緩慢な動きで、うっすらと赤くなった顔を上に向けた。
「リュデくんが話したいって」
クウナが笑顔で指さした先には、片隅に一人座り込んで杯を傾けつつじっとこちらを見ている青髪の男。テルテュフトの周囲が一斉に納得いったような顔をして、少年の肩にまわしていた腕を離す。
「ちょっと借りるね」
引きずるようにしてテルテュフトをあっという間に運んだクウナが、彼をリュデの横に座らせ、その反対側にすとんと座り込む。
リュデは前を向いたまま、
「別に、そういうわけでは」
ふてくされたように呟く。
「ティーフ救出のダシだよ、ありがとね」
調子よくウインクしたクウナは、近くに転がっていた空瓶を拾い上げてテルテュフトに手渡す。ほどなくそこに、
「お待たせしました、はいコレお水っ」
エイナルファーデが駆け寄ってきて、水差しからよく冷えた水を瓶に注ぐ。
テルテュフトの色素の薄い瞳が、少女の横顔を映してまたたく。見覚えのある顔に、いつもキューナと一緒に食堂にいた子だ、と気づく。
「旧B班の子、だっけ」
「そうだよー、覚えててくれたんだ! あたし、エイナルファーデって言います。エイファって呼んでね」
「テルテュフト。クウナ大将とかはティーフって呼ぶ」
二人のそんなやりとりをニコニコ見守るクウナ。その、年齢に不相応なまでに気の利く、時折老成したような言動を見せる不可思議な少女のつむじを、リュデはじっと見下ろした。
「あの槍、」
見上げてきた黒い瞳にリュデは言う。
「ん?」
「良かったのですか、こんなことに使って」
数年前の贈呈式に参列していた男の、責めるような言葉に、クウナはへらりと笑う。
「たまには使ってくださいって、この前、整備士さんに泣かれちゃってね」
「泣……?」
怪訝な顔をしたリュデに、
「お弟子さんのほう」
と告げれば、ああ、と納得する。どうやら知っているらしい。
「実戦で使って壊したり汚したりしてもアレだし。リュデくんこそ、あれ使わないの? 一昨年の剣術大会の戦利品」
リュデの眉がわずかに動く。
「……柄の太さがどうもしっくりこないのですが、下賜品に手を加えるのもどうかと思いまして」
「あーそうだね。そういうことあるよね。使わないなら私に貸」
「しません」
「ちぇー」
唇を突き出し、ばたばたと脚を揺らすクウナ。リュデは相変わらず涼しい顔。
「そういえばこの前、中央に戻ったときにリュデくんの話したらみんな懐かしんでたよ。そのうち手紙とか来るかも!」
かつてのリュデの同僚や部下の名をいくつか挙げて笑う。
――と。
フエフと熱心に話し込んでいたはずの通信士が立ち上がり叫んだ。
「ア、アルコクト大将! フエフ殿から緊急支援要請です!」
蹴り飛ばされた丸椅子が転がる。突然の事態にどよめく室内。クウナは一人目を輝かせ、
「よしきた」
と笑顔で立ち上がり、シャツの袖をまくりながら忙しなく騒ぎ立てる機材に向かって歩み寄る。その背にリュデが訊く。
「退席させましょうか」
「いいよ、みんなはそのまま飲んでて。すぐに片付ける」
頼もしい台詞とともに椅子を起こして腰かける。通信士が、聞き取ったばかりのサロトの状況をクウナに端的に伝える。ひとつうなずいたクウナが言う。
「コモ、担当の文官を呼んできて。それから、伝令!」
短く答えたコモが素早く部屋から出て行く。入れ替わるようにクウナの脇に控えた二人の伝令も、クウナの指示を受けて同様に駆け出していく。
リュデも立ち上がり、
「昨年の本基地の提議資料、取ってきます」
と言いながら、打鍵を始めたクウナの近くに水の入った瓶を置く。
「うん。私の部屋から明細書のファイリングも取ってきて。西側の棚の黒い箱の中」
「はい」
突然の状況についていけない皆が呆然とリュデ小将の去っていくのを見送った。
おろおろと周囲を見回す騎士たちの中、悠々と酒瓶を傾ける男が一人。左右の部下たちが感心したように見てくるのに、
「大将がいいっつってんだ。必要とあらばお呼びがかかるだろうよ」
と言って、部下たちの杯を引き寄せ、飲みかけの酒を乱暴に注ぎいれる。酒が跳ねて周囲に飛び散る。
ばたばたと足音が近づき、バン、と通信室入口の扉が外側から開く。
「何が楽しくて、ほぼ自分の家みてぇなトコの人間と、こんな夜中に仲良くお話ししなきゃなんねぇんだ」
仏頂面に寝癖つきのソイが、戸口に寄りかかって立っていた。寝起き声で文句を全て言い切ってから、室内にすし詰めになっていた人間の多さにぎょっとなって。
「あ、来た来た。班長ー、サロトの組織構成教えてください」
最奥から聞こえてきたいつも通りののんきな声と手招きの仕草に、安堵の息を吐いて歩み寄る。その後ろから、真っ赤な顔で息を切らした伝令の一人が続く。
カタカタと打鍵しながらのクウナに、聞かれるがままに答えるソイ。
そこへ、必要書類を抱えたリュデが部下とともに戻ってきて、クウナの近くの椅子に座り、手早く資料をめくる。
***
五分後。
一通り説明し終えたソイが、椅子の上に立てひざをついてクウナの作業を見守る。
「俺を叩き起こした代金は高くつくぜ」
クウナに命じられてソイを起こした伝令が、ひっと小さく悲鳴を上げる。
「んー、ティーフの剣を教えるってのでどうですか」
「短剣のほうな」
満足そうにうなずいたソイが椅子をくるりと回して背後の連中に目を向ける。突然睨むような目を向けられたテルテュフトは反射的にうなずく。機材に向いたままのクウナが人差し指を立てて、くるりと回す。
「で、そのあとそれ、同じ班の人たちに教えてください」
「オイそれ、俺使われてるだけじゃねぇか」
うわはは、と数人の騎士たちが愉快そうに笑う。
「さっすが大将」
「……ん?」
一緒に笑っていたクウナが通信機器に顔を戻して、いきなり音読を始める。
『大将殿、本基地の不手際に巻き込んですまなかった。助かったよ。おかげで無事に片付いた。本部には後日改めて御礼にうかがおう。――ところで、この人員――そちらにイソセという姓を冠した、赤毛のクソ生意気なガキはいるかい』
「……って、どちらさん?」
いきなり口調の変わった応答を丸ごと読み上げてから首を傾げるクウナの後ろで、
「げ」
と呟いたソイが、椅子からずり落ちた。
「班長のお父さん?」
「ちげぇよ、なんつうか世話係っつうか、剣の師匠っつうか……」
目をそらしてごにょごにょ呟くソイを見て、クウナが数回まばたき。
「ふぅん。――はじめまして! ここにいますよ!」
「馬鹿やめろ!」
悲鳴を上げてクウナに飛びかかり、
「オイ通信士、これどうやって切断するんだ!?」
慌てふためくソイの姿に、顔見知りの何人かが指を指してげらげら笑った。




