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Hard Days' Knights  作者: 里崎
改革編
52/73

ソイ見舞い編

本編47話の途中。クウナの快復祝いの話。

平時は人の出入りも少なく静寂に包まれている部屋から、煌々と明かりが漏れている。それだけでなく、にぎやかな笑い声が聞こえてきて、その部屋に向かおうとしていた青年は徐々に歩調を落として、暗い廊下で一人、顔をしかめた。

部屋の中から、老婆の怒った声が聞こえる。

「北州騎士団の長い歴史の中で、ここをこんな宴会場にしたのは、間違いなくあんたらが初めてだよ。一体どこから持って来たんだい、その馬(・・・)。さすがは奇天烈な娘っ子を上司に持つだけはあるね!」

くどくど続くお説教への返答はなぜか、わはは、という盛大な笑い声。老婆の苛立ちなど屁ともしないらしい能天気なざわめきの中に、他よりもやや硬質な声がため息混じりに老婆に言った。

「医師殿、大変申し訳ないが、この阿呆どもにはもっと直接的な説教でないと通用しませんよ」

「わかっとるよそんなことは、そこのじゃじゃ馬を診たときからね。そんで、あんたが謝る必要もない」

「恐れ入ります」

「ああもういいから、その馬鹿みたいに度数の強い酒、ああ、それだ。それだけは他の患者に飲ませるんじゃないよ。それと、どんだけ酔ってもちゃんと宿舎に戻るんだよ、ここのベッドに空きはないからね!」

はーい、とかなり野太い、子どもじみた良い返事。

部屋の扉から少し離れた廊下に立つ青年の眉間が、あまりの幻滅っぷりに、神経質そうにぴくぴくと動いた。

数秒後、闇の中に一人立ち尽くす彼を置き去りにして、せーの、で樽を割る音と、盛大な乾杯の合図。威勢よく始まった宴会のバカ騒ぎの中、長身の騎士が一人、怒り続ける老婆を背負って部屋から出てきた。背負った老婆を振り向いて問いかける。

「医師殿、お部屋はどちらですか」

二人は、廊下の青年が立っているほうとは反対に曲がって、のんびりとしたペースで歩いていく。

「ひとつ上の階の、西側の突き当たりだ」

「かしこまりました」

「かしこまる必要なんてないんだよ、なんだいお前は。もっと堂々としたらどうだい」

老婆はしっかり抱えられている足を不満そうに揺らし、肩越しにしわしわの手を伸ばして、騎士の男の襟元の階級章をつつく。男は苦笑して優しい声で答えた。

「貴女はいまや、この騎士団唯一の貴重なお医者様です。なにより――貴女がいなければ、我らがアルコクト中将の命はなかったかもしれません。一同、皆、感謝しております。お腰が快復された折にはぜひ、我々に歓待させてください」

「……あれよりも、もう少しは大人しい宴会にしておくれよ」

「はは、善処しますが、厳しいかと」

二人の姿が角を折れて見えなくなる。

「……」

壁に寄りかかって天井を見上げていた青年は、帰るか、と小さく呟いて壁から背を離した。直後、部屋の中から、ぱたぱたと軽い足音が廊下に向かって近寄ってくる。

戸口近くで問いかける声。

「クーさんどこ行くんすか」

「だめっすよ主賓が逃げだすのは」

「ちょっとトイレー」

部屋を出た少女は、迷いなく青年のいるほうに顔を向けて、その名を呼んだ。

「班長」

クウナの耳は、先ほど部屋の前で不自然に途切れた、ひとつの足音を捉えていた。

こんばんは、と笑顔で敬礼するクウナに、

「オイ馬ってなんだ馬って」

来る前までに考えていた全ての文言を差し置いて、ソイは開口一番、思わずそう聞いていた。数日前まで班の下っ端として一緒に居たときとちっとも変わらない笑顔を浮かべ、少女が答える。

「あ、食べます? 昨日知り合いの貴族のお屋敷で、老いた馬が一頭骨折したんですけど、そこのおうち、いま喪中で、宗教上その期間は馬肉食べれないらしくて」

一頭丸ごともらっちゃいました、ととんでもないことをべらべら言いながら、クウナは出てきたばかりの部屋に戻っていく。

残されたソイがややあってぽつりと言う。

「……頭いてぇ」

食用の馬肉なんて、下級貴族が一生に一度食べれるかどうかの高級品だ。平民の食卓には一切れだって並ばない。走れない馬でも一頭売れば半年分近い稼ぎになる。

部屋に戻ってきたクウナが料理を手にして再び部屋から出て行こうとするのを、早くも酔い始めた数人が笑いながら引き留める。

「水臭いなー。誰と食べるんすか、ここに呼べばいいじゃないすか」

「あ、さては呼べないような関係の?」

男の声で情けない悲鳴が上がる。あのカロって人の声かな、とクウナが医務室に運ばれてからずっと心配ばかりしていた男をソイは思い浮かべる。

「ええっと、ミンリオなんだ」

クウナの答えに、

「ああ、あの『おそれおおい』子か」

少年を知っている人間が何人かいたらしく、途端にわいわいと騒ぎ立てる。

打撃の従者(キッパー)でしょ、俺話してみたいんすよね。囚われの我らが姫君を牢獄から救い出した……」

「もっと持ってけよ中将、あいつ食べ盛りだろ」

「えー、あのチビ助にこんな時間に食わせていいんすか」

「少なめにしとけ、おれみてぇな腹にさせちまうぞ」

「いや、腹減ってんだろ食わせてやれよ」

無責任な酔っ払いたちが好き勝手に騒ぐ賑やかな笑い声の中から、やがてクウナがひょっこりと出てきた。料理を持つ手とは別のほうでソイにVサインを向ける。幼いハウスキーパーの少年の名を借りることになった10歳近く年上の青年は、情けない表情を浮かべ、コートの裾を払ってその場に座った。その横にちょこんとクウナが座り、山盛りの肉の皿を差し出す。明らかに子ども一人分の量ではない。

まさかばれてんのか、と思うと同時に、まぁいいかと思い直す。

「はい、班長、どうぞ。まだ温かいですよ」

肉に手を伸ばしつつ、ソイは少女にぼそっと言う。

「もうお前の班長じゃねーっつの……って、やべ」

何か言いかけて、口を開けたまま動きを止め、ぐっと眉間にしわを寄せると、腕を組み。

「……くっそ。なぁ、おい、」

「はい?」

歯に物が詰まったかのようにもごもご言っていたソイは、頭をかきむしり、ヤケのような声を出して。

「あー、おい、アルコクト」

「はい」

「で、いいな」

「はい?」

「お前相手に敬語とか、無理」

きっぱり断言されて、ああそのことか、とクウナは笑う。

「そうですね、私もです」

気にしたふうもなくにこにこと応じる年下の、どう見ても普通そのものの、「中将」なんてゴツい階級の似合わない少女。

だけれどもこれだけは言っておかねば、とそっぽを向いて、ソイは呟く。

「……が、その、アルコクト中将には忠誠誓ってる、から、な」

間。

真っ赤な顔で詰め寄って叫ぶ。

「今の忘れろ!」

「ええ? 嬉しかったですよ?」

とぼけた回答をするクウナに、ソイはああそうだこういう奴だった、と諦めて、長いため息をついた。

それから、骨付き肉をひとつ掴んでかじる。クウナも小さめの欠片をつまんで、数回噛むと満足そうに頬を緩めた。

「ああやっぱり、馬肉はさっぱりしてて美味しいですねー」

「『やっぱり』ってなんだ」

まさか食べたことあるのか、と白い目を向ければ、

「残り半分は、新宿舎の厨房で燻製にして、これをくれたおうちに後日お返しするつもりなんです。よかったら班長も燻製作り、やります?」

あからさまに話をそらすから、青年は確信した。

「分け前があるんならな」

「もちろん」

「で、お前はもう出歩いていいのか」

「はい」

このとおり、と両手をぶんぶん振ってみせるクウナ。

ソイはにぎやかな部屋を指さした。

「それと。いいのか、お前が主賓の宴会なんだろう。あれだったら出直すが」

「大丈夫ですよー。これから当分一緒にいるメンツなので」

そこまで確認してから、ソイは用件を述べた。

「どーにもつかめん。サシで話させろよ」

「はい、私も班長と話したかったんです。それはいいんですけど……うーん、でもそれで納得してもらえるかどうか」

「なにが」

「よく、つかみどころがないと(そう)形容されるので」

ソイが呆れ顔を向け、クウナはなぜか照れたように頬を掻く。

「まぁ……いいや」何から聞くべきか、とソイは思考を切り替えて。「初めから、あんなことするつもりで北州に来たのか」

「いいえ。噂になってたとおり、普通の視察官として来たんですけど。新人と間違われたので、ちょうどいいし潜入しちゃおうかなーと」

「……その無計画さと豪胆さこそ、演技じゃなきゃダメなとこだろうよ」

「あはは、よく怒られてます。次は何やらかすんだって、今回のでまた見張りが増えちゃって」

「お守の間違いだろ」

「そう言う人もいますね」

「いるのかよ」

ソイは座る位置を少しずらし、肉の脂が付いたままの指を少女の眉間に突きつける。

「大体、お前さ、どっからどこまでが嘘だ」

クウナの両目が天に向く。

「名前と階級と出身地と剣の腕以外は全部ホントですかね」

「……まぁそのほうがバレにくいだろうけど……そうかよ」

ソイの手が骨だけになった食べかすを皿の端に転がし、別の肉を手に取る。一口かじり、ほおについたソースを指で拭い。

「で、お前のおかげで北州は今、無事、この現状なわけだが――お前、本当にどうにかできるって思ってたのか?」

「できるって思わなきゃ何事もできないですよ。ドックラーくんには止められましたけどね」

「じゃあ、北に骨を埋める覚悟もあったのか」

これがソイには理解できない。アルコクト中将は南州の出身だというのは有名な話だ。北州に縁があるという話は聞かない。

なのになぜ――北州騎士団の再興に、たった一人で命を賭けることができたのか。

予想に反してクウナは首を振った。

「危なくなったら計画頓挫でどうにか脱出する手はいくつかあったんですよ。仲良しの警備兵もできたし、顔見知りのリュデくんもいたし、通信室に忍び込めましたから中央州との通信もできたし、土日はこっそり基地の外に出たりもしてましたし」

「は? どうやって外に?」

クウナの右手が形作った指人形が、膝の上で助走したのち上向きの弧を描く。

「塀、飛び越えて」

「……今度教えろ」

クウナは食べ終えたばかりの馬の骨を上唇に当てたまま、じっとソイの全身を見渡して、

「班長だと、たぶん数ヶ月の練習が必要ですけど、それでいいなら」

「おう」

クウナは快諾する。


それから数十分。

部屋から漏れ聞こえる騒ぎ声にいびきが混じり、廊下に座っていると底冷えがしてきたころ。

そろそろ戻る、とソイが腰を上げた。

「――クウナ」

初めて呼ばれた名に、空の皿を持とうとしていた少女はついと顔を上げる。

月明かりに照らされたソイの怜悧な横顔が、窓越しの夜空をまっすぐに見ていた。

「お前が北に来てくれて良かった。お前がこの無謀な計画を推し進めてくれたこと――北州を救ってくれたこと、北州の全員が感謝してる」

クウナは息を止め、呆然とソイの顔を見上げた。黒い瞳がじっと青年を見つめる。言われたばかりの言葉を何度も反芻する。

「……そんなこと、初めて言われました」

ぽつりと呟くクウナ。

その表情を観察した班長は一度目を閉じ。

そうか、と青年は珍しく上機嫌そうに、ぐっと口角を上げる。

「お前の勝手な所業、中央の奴らは色々文句言ってんだろうな。なら――俺らが何度だって言ってやるよ、いつでも聞きに来い」

ソイの瞳が、クウナをまっすぐに見下ろした。

「クウナ=アルコクト、お前と同じ班で良かった。一ヶ月、楽しかったぜ」

「私もです、班長」

かっこいい笑みを浮かべて、綺麗な所作で敬礼をひとつして、ソイは振り向くことなく歩き去っていった。

その後ろで、クウナがうっすら涙ぐんでいたことに、気づいていたのかいなかったのか――それは分からないが。

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