49.日常
腕組みをしたクウナと、呆れ顔のウォルンフォラドと、残り少ない後頭部の毛髪を掻く元帥。3人は並んで元帥用の執務室の戸口に立って、室内を眺めている。
窓の外で、朝の鳥が鳴いて、群れをなして羽ばたいた。
他の二人に吟味する時間をたっぷり与えてから、クウナは二人に聞いた。
「で、これ、どうする?」
眉間に深いしわを刻んだ元帥の、渋い返事。
「決まってるだろう」
隣のウォルンフォラドもしきりにうなずく。クウナはへらっと笑った。
「だよねー。一応確認してからにしようと思って。じゃあみんな集めてくるねー」
さっそく部屋から出ていこうとするクウナを、「おい待て」とウォルンフォラドが呼び止める。振り返るクウナに、ウォルンフォラドが眉を下げる。
「ついでに、俺のとこのも持ってって」
「あ、やっぱり? 私のもそうしようと思ってた。執務室の? それとも宿舎の?」
「両方」
即答にまた「だよね」と笑うクウナ。
「……というか、あれだな、クー」
部屋に入り調度品を見て回っていた元帥が、窓際で立ち止まり、額を押さえて振り返る。
「回収を前提に、いっぺん、上官全員に聞いて回ってくれ」
「あはは、はーい」
二人にひらりと手を振り部屋を去ったクウナは、階段を下りながら一人考える。
「……あ、リュデくんはどうしたんだろう」
天井の汚れを眺めながら呟く。
すでに勝手に売り飛ばして剣とかに代えていそう。
「うん、とってもありえる」
数段飛ばしで飛び降りて、踊り場で一人、ニヤリとして呟く。
一階の角を曲がったところで、廊下でばったりと出会ったのは一人の男。
「ごっ、ごきげんようアルコクト大将っっ」
クウナを見るなり慌てたように立ち止まり、猫なで声でそう言った。彼のひきつった顔とぎこちない敬礼を、クウナはわざとじっくりと見上げてから。
「あはははは」
真顔、棒読みで言ってやった。
以前、G班に矮小な嫌がらせをしてきていた上官は、青い顔をして肩を落とした。
彼とすれ違ってすぐ、地下の階段から、洗濯籠にめいっぱい詰まれた衣服が左右に揺れながら歩いてきた。
クウナは黙ってそれを見つめる。
すれ違うところで、ちょうど、てっぺんにのっかっていた大きめのくつしたがクウナのほうに落ちた。
「ちょっと待った」
気づかずに進んでいこうとするのをに声をかけて、しゃがみこんで拾ってやる。
衣類の山から身をよじって顔を出したミンリオが、クウナを見つけて元気良く言った。
「ありがとう! って、アルコクト大将。お疲れさまですッ」
両手がふさがっているせいでできない敬礼と、足りない身長とにだけ目をつぶれば、上官に物怖じしない立派な返答は、もう一人前の騎士そのものだ。
「あはは、はい」
以前は聞けなかった元気な挨拶に自然、笑顔が浮かぶ。
「あれ? ていうか、これって誰の?」
クウナは山になった洗濯籠を見下ろして聞いた。
洗濯は、上官も含め、各自の仕事と決めたはず。
「医務室にいる騎士さんの!」
「ああ、そっか。ありがとうね」
それから、ミンリオの後ろから同じようなカゴを持ってよたよたと歩いてくる、更に背の低い子にも挨拶を投げた。
「カナフェも、お疲れさま」
ぱっと顔をあげて花の咲くような笑顔を見せたのは、壁の外に暮らしていたあの子どもだ。組織を再編成する際、街で宿舎のハウスキーパーを募集する前に、クウナの進言で真っ先に雇った。
ちなみにカナフェが本部に駆け込んできた先の一件は、アルコクト中将の隠密行動の伝令を果たしたというだけでなく、直接あのトゥイジ元帥に物申したということで、ある種の武勇伝として本部内で語り継がれている。特に、トゥイジ付きだった伝令たちからは『伝令見習い確定』と勝手に言われて勝手に可愛がられている。青田買いも過ぎる、とトララードにたしなめられていたが、本人も乗り気のようで。
でも、先輩であるミンリオになついた素直な子どもは一緒に武官になりたいとも言っていて、自由に選べる進路に随分迷っているようだ。
「ねぇねぇクウナ!」
「ん?」
クウナがそこまで考えたところで、やたらと目を輝かせたミンリオが足元から言った。
「オレにも言って! あのね、上官っぽく、将校っぽく、すっげー偉そうに言って欲しい!」
「えぇー、なにそれ」
「いいから!」
ううん、とむずがゆくなる背中を揺らして笑って、何となく襟元を引っぱって整えてから、おじいが前に立つときの仕草を思い出して、両手をゆるく腰の後ろで組んで。
「――ご苦労、ミンリオ」
努めて低い声で、言ってみる。
ミンリオはとたんに真っ赤な顔になって、わあああ……、と余韻を引きずる歓声を上げる。
「いい! 今度からそれで挨拶して!」
「よくわかんないなー」
苦笑しつつ去ろうとして、あ、と足を止める。
「こういうのはやっぱり本物に頼もうよ、おじいならやってくれる」
「い、……いい! 元帥になんておそれおおい!」
途端に悲鳴のような声をあげて尻込みするから、身分とか権威とか親しみやすさとかいうものにあまり頓着しない性質のクウナは、やっぱりわかんないなぁと苦笑する。
***
本棟を出たクウナは旧宿舎に向かった。
「失礼しまーす」
声をかけてひょいと覗き込むと、食堂の中にいた全員がこぞって席を立ち、びしりと敬礼する。
「き、緊急招集ですかっ」
手前に座っていた見覚えのある青年が緊張した面持ちで言う。
「ううん、違う違う。ちょっと人手が欲しいんだけど、座学のあと空いてる班ってE~H班とあとどこだっけ?」
「はっ、M~P班です!」
「A~D班も半刻ほどで合流できます!」
「うん。それだけいれば充分。じゃあ、座学が終わったら本棟の通用口前に集合で。合流組が来る頃には荷物運び始めてると思うから、適当に助っ人に入ってね」
一斉に返ってきた勇ましい了解の返事を聞いて、じゃあと立ち去ろうとしたクウナは、何か言いたげにもごもごしている数人を見つけて「どしたの」と聞いた。クウナの問いかけに一瞬で気絶しそうな顔になった少年は、ひっと悲鳴のような声を上げてから、引きつったような声で答えた。
「お、恐れながらッ、大将殿のお手を煩わせずとも、伝令をお使いいただければと……」
尻すぼみになって消えた至極もっともな進言に、うーん、そうなんだけど、と眉を寄せたクウナはのんびりと天井を見上げた。
「私、まだ全員覚えてないからさ」
「はあ? 伝令を?」
そんなわけはないだろうと言わんばかりの声はクウナの背後から。クウナは背中をうんと反らして、視界の中に逆さに映る、見慣れた仏頂面を見つけた。
「あ、班長ー」
能天気にそう呼ぶと、ソイはうんと気まずい顔になる。
「もうお前の班長じゃねーっつってんだろ、――ってぇええ!」
甲高い悲鳴をあげたソイが、いきなりクウナの視界から消えた。クウナが首を戻して、きちんと体ごと振り返ると。
「大っ変、申し訳ありません」
ほぼ直角に腰を折って頭を下げたオサムの足の下で、踏み潰されているソイがじたばたもがいている。
「斬り捨てます。アサト、手伝え」
青年の手元でカチンと柄が鳴る。
「うええええ……?!」
「ちょっと待てオサムてめぇ」
「あーごめんなさい、そうです、私も了承したことなんで、足、どけてあげてください」
怪訝な顔をしたオサムが、ひとまずクウナに言われるままに足を上げる。背筋の力で立ち上がったソイが、お返しとばかりに全力でオサムをぶん殴った。数歩よろめいて反撃に転じるオサム。アサトの悲鳴。
どうどう、と苦笑したクウナが割って入って、乱闘はなんとか止まった。
肩で息をする大柄な二人の間で、ニコニコ笑う少女が説明する。
「ええとですね、当面はこのまんまでいいよね、って話をしたんですよ」
「そういうこと。いっぺん試したが、カユい。考えてみろよ、コイツは俺らのことずっと騙してたんだぜ。こんくらいでイーブンだ」
「……騙してたわけじゃないだろう」
「いえ、正式な任務ではなかったので、あれはただの身分詐称なんですよね。それに、私も、そんなに畏まられても嬉しくないし。副班長も、よかったらまた仲良くしてくださいー」
そんなことを言う上官らしからぬ上官の態度に面食らいながら、オサムは了承の返事をした。
「……それにしても、いつ、そんな話したんだ?」
クウナの身分がバレてから直接話す機会なんてなかったはずだが、とオサムが首をかしげてソイに聞くと、間髪いれずにクウナが答えた。
「お見舞いに来てくれたときに」
「あ、こらテメェ」
「ん? あ、すみません秘密だった?」
途端に真っ赤になった珍しいソイの顔をじっくり見てから、オサムが口角を上げてクウナに言った。
「G班で見舞いに行こうって話になったとき、ソイだけ行かないって言ってたんですけど、ふーん、あとから一人で行ってたんだな、お前」
「あー、そういえば皆は一緒に来てくれましたよねー」
いたたまれなさに逃げ出そうとしたソイの腕を、がっしりとオサムが掴んでいる。
「腕離せオサム! くそっ、アサトさんまで笑ってんじゃねーよ!」
怒鳴られても堪えきれないらしいアサトは、うつむいて両手で顔を覆ってぶふふと吹き出した。
***
「キホ、キャッチ!」
いつだかどこかで聞いた覚えのある言葉。頭上から降ってきた声に見上げたキホは、飛んできたものを反射的に掴んで、それから、それが何かを知った。
「……俺の……」
折られて、捨てたはずの槍。
声のしたほうを見上げれば、最上階の窓に腰かけて、久しぶりに見るキューナ、もといクウナがニコニコと笑っている。
「ごめんね、修理遅くなった! ね、今度それで手合わせしてよ!」
かけられた言葉は相変わらず親しげで、キホはほっと息をついた。キホの手が槍の柄を滑る。なじんだ木の感触が手に伝わる。
「ありがとう」
槍を握り締め、キホは丁寧に言った。
敬語ではなかったけれど、それがキホの心からの言葉で、
「うん」
それが分かったから、クウナもことさら嬉しそうにうなずいた。
***
倉庫の床を磨いていたイグヤは、入口から聞こえてきた衛兵の、うろたえるような声に作業の手を止めた。
「いえっそのような」
「だって私ローテーションに入ってないんだよ。あ、大丈夫、やり方は知ってるから」
「そのような心配はしておりませんが、そのぅ」
「聞いたよ、娘さん待ってるんだって? ほら、ここは私が責任持つから」
衛兵の礼の声と、足早に去る足音がして。
「やっほーイグヤ。変わりない?」
箒を持ったクウナが顔を覗かせた。
「おう。……何してんすかクー大将」
「えーさっきたまたまあの人の娘さんが病気で臥せってるって耳にしたからさぁ。でも、衛兵、今日、人数足りないらしくて」
「お前だってヒマじゃねーだろ」
「でも、ちょうどイグヤに話したいこともあったし」
既に掃き掃除を終えている床を見て、箒を壁に立てかけたクウナは、イグヤの隣にしゃがみこんでブラシを手にとり、同じように床をこすり始める。
「イグヤはあんまり聞きたくない話かも知れないんだけど、一応伝えといたほうがいいかと思って」
「……さっぱり見当がつかねーんだけど。何。さっさと言えよ」
ばしゃん、とブラシを乱暴にバケツに放り込んだイグヤが、そのバケツを持ち上げようとクウナに背を向けて。
「昨日、オデューロさんに会ったよ」
ばしゃ、とバケツの水面が大きく揺れて水がこぼれた。じわじわ広がる水溜りをほったらかして、イグヤがぎこちない動きで振り返る。
「……ロスキン=オデューロ?」
複数ある選択肢の中から、一番確率の高そうな名を口にしてみる。
「うんそう。州令議官の。お父さん? おじさん?」
「……父親」
長い長いため息をついて、イグヤは一度持ち上げたバケツを下ろす。ふぅん、と笑顔のクウナがうなずいて、完璧に磨き上げた一枚のタイルを満足そうになでてから、隣の一枚に移る。
「じゃあ、あとの二人はお兄さんか。みんな元気そうだったし、いい人だったよー」
「おっお前なにしに行ったの?!」
そこそこ以上な立場にいる三人が全員揃うような会議体なんて、イグヤは聞いたことがない。
クウナはけろりと答える。
「ん? おじいの護衛」
「おじい?」
クウナはさらりと答える。
「ワンリス元帥」
「お前、元帥のことなんつー呼び方……」
詰め寄ろうとしたイグヤは、自分の立場とクウナとの身分差のほうがまずいと思い至り、口をつぐんで息を吐いた。
「……ああ、まぁそれなら、俺のこと話す暇もなかったろ。ならいい」
「いや? 一緒にお茶してね、イグヤがいなかったら私も死んでたと思うし、改革も頓挫してただろうって伝えたら、お父さんすごく喜んでたよ? それから、普段の様子とか聞かれたからこの前の」
「分かったもうそれ以上言わなくていい!」
赤面したイグヤがクウナの胸倉を掴んだところで、入口の扉が外から開く。
「いたいたクーさん、って、お?」
掃除用具をほっぽりだして至近距離で向かい合う赤い顔のイグヤときょとんとした顔のクウナを見つけて、フェルが首を傾げる。
「あれ? お前らそうなの? そっかぁ、俺の見立てだとてっきりクーさんは、ウォンさんかカロあたりかと思ったんだけどなぁ」
「なんの話? ってイグヤ何して、どうどう」
動揺のあまり剣の柄に手をかけようとしていた真っ赤な顔のイグヤを慌てて止めるクウナ。
「で、クー大将、お取り込み中すみませんが、元帥がお呼びです」
「うん、今行くよ。掃除の途中だけどごめんねイグヤ。代わりの人呼んでおくから。じゃあねー」
「お、おう」
手を振って二人を見送った後。
あああ、と叫んで、イグヤは倉庫のど真ん中にうずくまった。
「あああ俺のバカ! 普通に話してんじゃーねよ! 出世のチャンスだってのにー!」
***
書斎机、寝台、応接セット、などなど――無数の豪華絢爛な家具一式。若手たちが上官の部屋から運び出したばかりの不要物が続々と馬車に積まれていく。
「たくさんあるから早い者勝ちね。捌けるだけ持っていっていいよー」
連絡を受けて飛んできた貴族相手の家具商たちに、クウナはそう言った。家具商たちは質の良い商品に目を輝かせて、クウナに何度も礼を言いながら去っていく。
文官たちが、見たこともない金額を入れた皮袋をおっかなびっくり開けては、慎重を期して帳簿に数字を書きとめる。
「うーん、余りそうだね。ドックラーくんとことハンちゃんとこからも流してもらって、中央に持って帰るか……。とりあえず、そっちの部屋にまとめておいてくれる?」
体力のありそうな大柄の騎士たちにそう指示を出し、
「さて、もう一仕事! 代わりの家具を買いに行くよ!」
クウナは残りの騎士たちを引き連れて、慌しく部屋を出る。
「……お」
たかたかと廊下を駆けていたクウナは、一人の衛兵を見かけると速度を落とした。
相変わらず無口で表情の読めない、職務に真面目で身動きしない彼に寄っていって、その胸当てをコンと叩く。
わずかに眉を寄せた衛兵は、返答の変わりにきっちりとした敬礼を返した。




