42.整理
銀製のたらいが吹っ飛んで、けたたましい音を響かせる。
班長が大柄な少年の胸倉を掴んで壁際に押し付けている。そのすぐ近くに、うずくまっている少年が二人。
「俺が出るまでもねぇか、楽な班だな」
下劣な笑みを浮かべた上官が腕を組んで壁に寄りかかる。それ以上に嫌な笑みを浮かべた班長が意気揚々と剣を抜いた。
伝令の少年が上官を呼びに来て、上官の靴音が遠ざかる。
「よし、行ったな」
扉近くに立っていた副班長がぼそりと呟く。
「も、もう行ったよ! 行ったってば!」
半泣きのアサトが、ソイの背中にしがみついて止める。残念そうな顔をした班長が剣を仕舞う。
「うおお、班長まじ名演技!」
うずくまっていたヤサルタがばっと顔を上げて班長にとびつこうとして蹴り飛ばされていた。
この前やったときは、気弱な上官が通りかかって怯えた顔をし、いつもなら尊大な顔をして劣悪な指示を飛ばす上官に「ほどほどにな」と班長が肩を叩いて諌められた。
「生き生きしてますね班長」
「うるせぇ」
G班は一丸となって、こうやって時々仲間割れのふりをして上官たちを欺いていた。
見張りのように突っ立っていた上官がいなくなったことを確認してから、班長がどっかりと座り込んだ。それを中心にして、床の上にあぐらをかいて、輪になって座る。
「さて、演習の話するか」
「前回のリベンジだな」
ヤサルタが肘でイグヤをつつくのに、イグヤは不機嫌そうに顔をゆがめる。
「黙ってろ」
前回も、前々回の剣術演習も、イグヤにとって悔しい結果に終わった。班長から「定石だな」と一見誉めてるようでじつは却下の合図だった言葉を三回頂戴して、提案のやり直しを食らった挙げ句に、結局班長の案でいくことになった。
「じゃあ、バカな策、いっぺん試したいんすけど」
その回答に、班長はにやりと笑って先を促す。
「『若いうちは何でも挑め』がイソセ家の家訓だ」
「で、その役目、私でいいの?」
あまり目立つようなら手抜くしかないんだけどな、と思いながらキューナは念を押した。
「というかそれは演習になるのか?」
副班長が顔をしかめる隣で、班長がにやにや笑う。
「いいんじゃねーの。一回くらい、頭使って楽に勝とうぜ。それに、連発すりゃ演習自体のルールが変わるかもしれねぇし」
「何がしたいんだ」
さっそくやるぞ、と言って、班長がキューナを手招く。
***
そして翌日。
そこかしこで威勢の良い声が響き、木刀が打ち鳴らされる。毎週恒例の剣術演習。G班の一戦目が行われていた。
見覚えのある一年めの少年が、ヤサルタめがけて駆け寄り、先手必勝とばかりに棒を振るった。素早く頭を下げたヤサルタが不恰好な体勢のまま、棒を上段に振る。
木の棒が顎を仕留める鈍い音がした。
「いよっしゃー! 初勝利!」
顎を押さえてしゃがむこむ相手を確認してから、ヤサルタは雄たけびを上げた。
そのすぐ隣で、どの相手に向かっていこうか吟味していたイグヤが目を見開く。
「な」
「おー」
キューナはできるかぎり盛大な拍手を送った。
「ふっふっふ見たか! ウルの自主練についてってたんだぜ!」
「はぁ? ずりィ、俺らも呼べよ!」
「いいぜ、今度な!」
イグヤとヤサルタが昨日の打ち合わせ通り、二人で連携する作戦を話しながら、残っている若手に向かっていく。
拮抗する試合展開に、L班の班長が焦りをにじませた。一方、それに応戦するソイは相変わらず、何を考えているのか全く読ませない無表情を貫いている。いや、それどころかつまらなそうに見えるのは気のせいだろうか。隙を見せない年下の相手にじれて、大きく一歩踏み出したとき――こつん、と間抜けな音がした。断じて攻撃とはいえないレベルの、ちょっと、そう、後頭部をつつかれただけだ。
「……は?」
呆けた顔で振り返ると、構えなどなにもなく、ただ木刀を突き出した少女がかわいらしく笑っている。
「でかした!」
ソイはそう叫ぶなり、身を翻してオサムの助太刀に向かった。
「てめっ」
反射的に追おうとしたL班の班長を、ジャッジの上官が諌めた。少女が手に持った棒を振って「これ、木刀を振って」と分かりきった説明をしてくれる。班長は諦めて肩を落とし、痛みも何もない後頭部を掻いた。
「いつの間に……」
「昨日、忍び足の練習をしました。あ、ちょっと行ってきますね」
嬉しそうに答えた少女は別の打ち合い目がけて走っていき、L班の副班長も同様の手口で倒した。
耐え切れなくなったL班の班長が、不甲斐ない応戦っぷりの自班に向けて叫んだ。
「おい! そいつだ! 女を狙え!」
ソイが青筋を浮かべる。
「こらてめぇ死んだんだから口出しすんな!」
「うっせぇ、軽傷だから指示は出せるんだよ!」
「バカ言うな頭斬ったじゃねーか!」
などと騒いでいる間に、演習場の一角が急に、盛大にざわめく。
「お? なんだ?」
どこが勝ったのかと振り返る。そこに――元帥が立っていた。
「元帥……どうされました」
上官たちが慌てて駆け寄る。
「街も接待も書類にも飽きた、たまにはな」
ちょうど、目の前で決着がついた。判定の声に、トゥイジは軽薄に笑う。
「ちょうどいい機会だ。整理しておくか」
そう言って、剣で肩を叩き芝を踏みしめて歩いてくる。
「負けた班、ここに並べ」
震えながらも俊敏な動きで従う。
他の班員が逃げるように一箇所に集まり、こそこそと囁きあう。
「お、おい、あれって」
「X班らしいぜ」
一列に並んだX班の前にトゥイジが立つ。
「役立たずはいらん」
そう言って、班長が袈裟懸けに斬られた。崩れ落ちる身体。吹きだす鮮血。
騎士たちが騒ぎ出す。
悲鳴を上げて列から逃げ出したX班の班員の一人を、真っ赤に染まったトゥイジの剣が背中から刺し貫いた。
「門を封鎖しろ」
冷徹な声が冷静に命じて、逃げ出した騎士を追わせる。穏健派の上官たちが、とばっちりを避けるように駆け出していく。
流れるような動きで隣の二人を続けて斬ると、残る三人が絶叫しながらばらばらの方向に駆け出す。
「逃がすな、もれなく仕留めろ」
トゥイジが言い放つ。一人にファートフが切りかかり、腰を抜かし命乞いをする騎士の声を陶酔しきった顔で聞いてから息の根を止めた。
もう一人をギーンが一撃で斬り捨てた。
いつものとは、何かが違っていた。
(これは、一人二人死ぬどころの騒ぎじゃない)
キューナは冷静に様子を伺う。
明日の来賓に備えた準備のため、今はほとんどの上官が出払っている。これまで、わずかでも抑止力になってきた人の目がない。
つまり――止まらない。
「……殺しつくす気か」
実際そうなのだろう。高笑いをしながら返り血を浴びている気狂いを睨む。
そして、最後に残った副班長を、民族調の衣を着た青年――フォワルデがどこからともなく現れて、斬り殺した。
ひとつの班の全員が血だまりの中に沈んだ。
「……X班、全滅……」
キューナのすぐ後ろで、誰かが呆然と呟いたのが聞こえた。
何人かが失神した。大半は身動きできずに立ち尽くす。
目の前に散らばる七つの赤い死体に、何人かがうずくまって嘔吐した。
調子に乗った上官の一人が、トゥイジから少し離れたところで、
「お前は……そうだな、――リュデ少将の執務室から、備品の申請書類を取ってこい。あの若造、無能なくせに気取った態度、常々気に入らないと思ってたんだ」
と勝手な指示を出す。
トゥイジが「さて」と言って、群集に向き直る。既に恐慌状態にあった演習場はさらに異様な動揺を見せる。
「や……やめろよ!」
堪えきれず叫んだのは――青い顔のヤサルタ。
キューナの背後から、イグヤのため息と班長の盛大な舌打ちが聞こえた。
トゥイジの瞳が、ゆっくりと一人の少年に向けられる。たったそれだけで、ヤサルタは竦みあがって身動きが取れなくなる。息が止まる。全身から変な汗が吹き出る。
――終わった、と本能が告げた。
あれだけ、イグヤに、キューナに、忠告してもらっていたのに、だ。
がたがたと手が震える。
でも、だったら。
こうなったら、やるべきことはひとつ。
ヤサルタの手が剣の柄を掴み、引き抜く。元帥に向けて剣を構えた若い少年騎士を、周囲は驚きの目で見つめた。上官たちが同情混じりにせせら笑う。ヤサルタを知る者たちは例外なく青ざめる。
少年の肩が震える。
「こんなん、こんなん、何の意味があるんだよ、何にもならないじゃねーかよ、使えねぇならクビにして逃がせばいいじゃんかよ、何で殺すんだよ、なんで!」
「……ほう、よほど死にたいらしいな」
滅茶苦茶な叫び声をあげて駆け出し、剣を振り上げた。
横殴りに吹っ飛ばされる。
「ぐ………!」
「ヤスラ!」
雪の溶け残る草の上を数回転がり、うずくまって止まった。
「命拾いしたな。だが、まぁ」
トゥイジが剥き身の剣をフォワルデに押し付ける。剣先からぽたぽたと赤い液体のしたたるそれを受け取り、無表情の青年はすぐさま代わりの剣を差し出す。日差しを受けて銀光を放つ真新しい剣を満足そうに見てから、トゥイジはそれを構えた。
息を呑む群衆にまぎれて、キューナは視界の端に時計塔の文字盤を入れて、口の端を僅かにゆがめる。
「……ちょっと早いんだよな」
ごく小さく呟く。目を閉じて、一瞬、祈るような表情を浮かべる。
「――」
それから、目を開けた。少女の足元の草の上に、音を立てて木刀が落ちる。
トゥイジは虫けらを見るように、少年を見下ろした。
「これで最期だ」
満足そうに、狂気じみた瞳が輝く。かちり、と柄を握りなおす音が響く。
容赦なく下ろされる上官の太刀に、死を覚悟した少年騎士はきつく目を閉じた。
――そこに、草を踏んで近づいてくる、軽やかな足音が一つ。
「な……?!」
トゥイジの驚いた声と、とても短い剣戟音。
何事かと目を開けたヤサルタは、頬をつたう鮮血を拭うこともできないまま、すぐ前に立ちはだかる少女の背を呆然と見上げた。
風になびく隊服と綺麗な黒髪。
少女が吹っ飛ばした上官の剣が、遠くに建つ土門にぶち当たって、草の上に落ちた。
不意をつかれ負傷した腕を押さえて、青ざめたトゥイジの怒号が響く。
「な、何してるか分かってるのか新人!」
そう。
彼女もまた、新人だった。今ここで瀕死になっているヤサルタと、同じ日に同期として入隊した仲間。同じG班として、苦楽をともにしてきた、大事な仲間だ。
――そのはずなのに。
彼女は今、北州騎士団で最も歯向かってはいけない存在にまっすぐ剣を向け、堂々と立ちはだかっている。北州騎士団で段違いの強さを誇る元帥トゥイジの腕を、不意打ちとはいえ斬りつけ武器をふっとばした、という事実に、周囲は驚きざわめきだす。
決して高くはないキューナの背はすっと伸びていて、高官相手にひるむ様子は微塵もない。守られていることに気づいたヤサルタは血相を変え、既に全く動かない全身を奮起させて震える声で叫んだ。
「バカ、逃げろキューナ!!」
振り向いたキューナは――場にそぐわぬ、とびきり綺麗な笑顔を向けた。
「大丈夫大丈夫、ちょっと予定より早いけど、まぁ何とかなるっしょ」
時計塔を横目に、意味のわからないことを言って。
そして一人、勇ましく立つ。
北州騎士団一の上官に向け、量産型の剣を正眼に構えて、新人騎士キューナ=ルコックドは言った。
「――さて、そろそろ全員黙ろうか」
とても新人とは思えない、生意気で凶悪な笑みを浮かべて。
「元帥、剣を」
飛ばされた剣をアゴロが取ってきてトゥイジに差し出す。トゥイジはそれを、見もせずにひったくった。アゴロはよろめいて、頭を下げてその場から俊敏に下がる。
「片付けます」
剣を抜いたソニカが迅速に進み出て、キューナの前に立ちはだかった。
「どこの班だ」
ソニカの固い問いかけに、キューナは無言で一歩踏み出し――俊敏に動いた右手の何かがソニカの胴を弾き飛ばした。女の体はあっけなく地に伏して、そのままぱったりと動かなくなる。
「ソニカ中尉を一撃で……」
「さ、鞘だぞあれ!」
少女の右手に握られているものに、どよめきが走る。愛用の剣を持ち壮健だったはずの中尉を一撃でしとめたのは、何の変哲もない、量産型の安い剣の黒い鞘。
「このっ」
ファートフが剣を抜いて斬り込んでくるのを、キューナはかがんでよける。懐に飛び込むと足払いをかけ、バランスを崩したところで――ばきん、とファートフの剣が中腹で折れた。
「な……」
その金属を折ったのは、左手に握られた量産型の剣ではなく――またも、右手の鞘。あっけにとられて動きを止めた男の顎を、少女の左膝が捉える。
ファートフもまた、早々に地面に沈んだ。
誰もが呆然と、化かされたようなその光景を見つめた。たやすそうに見えるその戦いが、いかに洗練されていて圧倒的なものであるかを、皮肉なことに、この場に集まる全員が、戦闘経験のある騎士たちは驚きとともに理解していた。
キューナは鞘をくるりと回してから、トゥイジの立つ方角に向かって歩き始めた。さくさくと草を踏む音。
トゥイジ元帥は、悠然とした足取りで歩み寄ってくる少女を見た。迷いのない、無駄のない太刀筋が頭に焼き付いて離れない。どう見ても鞘だったが、まるで真剣のような威圧感があった。自他の死を恐れない冷徹で冷静な目は、どう見ても前線を経験し生き残った者のそれ。
「お前……お前は……まさか」
声は震えた。思い当たるのはたった一人。
「ご名答」
間髪いれずに返される肯定。
「……そうか」
だとしても、たった一人だ。すでに手負い。技術がいくらすごくても、その手が持っているのは今にも折れそうな、下っ端用のぼろい剣ひとつ。
知らなかったとは言え、中央の上官に剣を向けた時点で、トゥイジに科された処罰はもう消えはしない。その上、これまでの所業の数々も全てバレているということだろう。
トゥイジが生き残る道は、ひとつ。
――ここで、この少女の息の根を止めるより他はない。
いや、それで事は全て丸く収まる。元通りの天下だ、平穏な日々が来る。
騎士人生最大の賭けに身震いしつつ、トゥイジは剣の柄を握りなおし、その名を呼んだ。
「フォワルデ!」




