39.最後の少年(前編)
目の前には真っ白な演習場が広がっている。この地域にしては例年以上の豪雪だそうだ。
いつもなら、朝食を終えた頃にはある程度解け始めて土壌が見えているのだが、ちっともその気配がない。
塀までずっと続く白銀の景色と曇り空をぼーっと眺めていたキューナは、
「お前ら、北限からなんか連れてきたんじゃねえの」
と、班長が別の班の人間に絡まれているのを廊下の先に見つけた。親しげに肩を組もうとするその青年をめんどくさそうにあしらって、班長がキューナのほうに歩いてくる。
「何してんだ、こんなところで」
「見張りです」
がっちりと凍りついた窓が一箇所だけ薄く開いているのを、手袋をはめた手で指さす。冷気が吹き込んでくるのに嫌そうな顔をして班長が数歩遠ざかる。その窓枠が、がたがたと音を立てて揺れた。
「あ、帰ってきた」
キューナは窓枠に手をかける。何とかこじ開けて、先ほど宿舎の外にでていった数人が寒さに震えながら入ってきた。
「伝令! 伝令! 豪雪のため、本日に限り、屋内作業のみとする!」
言伝を伝えると、そこかしこで安堵の言葉が交わされた。
***
班長の采配で他の班より早く作業を終わらせて、他の班を尻目に昼過ぎに解散。
班長たちが打ち合いに使うからと、新人三人は広い作業場を追い出された。イグヤは患部を押さえ「寝る」と言って部屋に戻った。ヤサルタはウルツトに見つかって「手伝え」と首根っこをひっつかまれ、拉致されていった。キューナは上手いこと言いながら逃げた。さも仕事があるような顔をして廊下をぶらついていたキューナは、
「お姉さん!」
弾む声にそう呼び止められて振り返った。
「やっほ」
がたつく踏み台の上で、懸命に手を伸ばして霜の降りた窓硝子の拭き掃除をしていた小さな少年は、キューナを見かけると台から飛び降りて、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「さいきん見ないから、死んだと思ってた!」
縁起でもないことをはっきり言う。
「ちょっとね。北限基地に行ってた」
少年が驚いた顔をして、雑巾を振り回してぴょんぴょん飛び跳ねる。
「すげぇ! ほとんど生きて帰ってこれないってとこでしょ! どうだった?」
「うん。すっごく寒かった」
「うおー」
恐がっているような、それでいて目を輝かせている少年。好奇心のほうが上らしい。
「今日のこんな景色が、ずっと続いててね」
キューナが窓をみていると、男の子がうかない顔になって、窓の外を見つめる。
「どうしたの」
「……昔は、こんな日はさ、騎士はみんな、街の雪掻きに行ってた」
「雪掻き……」
「うん。こんな丈夫な建物、街にはあんまないし」
黙って、降り積もる雪を見ていた。
「もう、潰れちゃったかなぁ」
男の子がぽつりと呟く。その指先が窓枠に触れる。
「それ……突き指?」
左手の中指が赤く腫れているのを見つけて聞くと、少年は気まずそうに手を隠しながらうなずいた。
「あ、うん、指ね、なんかおかしくなった」
「診せて」
怯えたような顔をする少年は、ちょっとためらってからキューナに左手を出した。あかぎれとマメの多い小さい指をじっくりと診て。
「普通の突き指だね」
「突き? それって、も、もう動かないってこと?」
涙目になる少年を安心させるように笑って。
「まさか。――ついてきて」
厨房に呼んで、勝手口を開けて、その段差に座らせる。
冷凍庫の氷を少しだけ砕いて取り出して、手持ちの布にくるんで少年に手渡した。
「冷やせば痛くなくなるから」
「でも、これ、氷、使ったのバレたら」
そわそわする少年に、大丈夫、と答える。
「厨房に来るのって1・2年だけだし、誰か来たらこの扉閉めて外で冷やしてればいいよ。氷が溶けちゃえばバレないでしょ」
「そ、そっか」
納得して冷やし始める少年の隣に座る。
「どんな人だった?」
少年の丸い瞳がついと上がって、キューナの顔を映す。
「それ、やったの」
俯いた少年は、座り込んだままの膝をもじもじとこすり合わせる。
「だ、大丈夫だから」
「いや、知っときたいなあって、私も警戒しなきゃ」
「大丈夫だよ! でも先輩たちが手加減してくれるから、平気なんだけどね!」
ははっ、と少年は不自然に大きな声で笑った。キューナはそれをじっと見つめて、小さく返事をして、その小さな背をゆっくりとなでた。
少年の笑い声は夜の闇に空しく響いた。やがて、少年は両肩を落として呟いた。
「わかってるんだ、オレが怪我したり、し、死んだりしたら、面倒な仕事が増えるからってだけなんだって」
「すごいことだよ」
「え?」
「先輩たちの役に立ってるんでしょ? すごいじゃん、北州騎士団本部の何人の騎士を支えてるの? 殺されないくらいには必要とされてる、大切にされてる」
呆然とキューナを見上げた。だからキューナは微笑みかけた。
「そんな人、なかなかいないよ。ね、誇ろうよもっと」
「そんなふうに言われたの、初めてだ」
まぶしいものをみるかのように目を細めて、少年はキューナを見上げた。キューナの手が少年の頭を優しくなでる。
それから、キューナは少年に請われるまま、北限基地でのあれこれを話して聞かせるた。少年はいちいち歓声をあげ、目を輝かせて聞き入った。
「いいなぁ、おれも早く騎士になって、行ってみたい!」
きらっきらの顔で言って、はっとして周囲を気にするそぶりを見せて、
「……な、なんてね!」
慌てた様子で舌を出して笑う。
そっぽを向いた顔が夕焼けに照らされているのを眺めて。
「いいんじゃない。かっこいいもんね。キミくらいのとき、私も憧れたもんだよ」
キューナの優しい肯定に、少年の顔がぱっと輝いた。
「ほ、ほんとう? 僕でも、なれるかな」
「うん。応援するよ」
閉じた口許がそわそわと動いた。
「みんなのためにも、頑張るって決めたんだ!」
「みんな?」
「うん。オレが最後の一人だから」
ああ、とキューナは思い至る。以前は彼みたいな子がたくさんいたんだろう。男の子はうつむいて背を丸めた。
それから、キューナをじっと見上げ、口を開こうとして、すぐにうつむく。
「……どうしたの?」
「あのね、前に居た騎士のヒトでね、人の名前を呼ばないって人が居たんだ。どうしてだか分かる?」
「……」
何となくは、分かる。
幼い少年はひどく大人びた、諦めたような悲しそうな笑みを浮かべた。
「み、みんな、すぐにいなくなるからだって。誰がいつ居なくなるかも分からないから、名前、覚えないようにしてるんだって。――おれ、変なのって思ってたんだけど、その意味ね、最近やっと分かってきた。みんな死んじゃっていなくなるのに、誰もおれのこと呼んでくれないのに、おればっか、あいつらのこと覚えてて、空しいもん」
ひく、と喉を鳴らして、赤い目でまっすぐにキューナを見上げて。
「でも……」
「キューナ=ルコックド」
キューナは胸に手をあて、笑顔で言った。
少年ははっとなって。
「おれはミンリオ!」
「うん、ミンリオね」
くすぐったそうな顔で、ようやく、年相応の表情で笑った。
仕事を再開するというミンリオと別れたキューナは、それから厨房に戻り、昨晩ドックラーの秘書官に手渡された紙切れを燃やして隠蔽した。
その足で待ち合わせの場所に向かう。
ペヘルは先に来ていた。
対面の席に腰かけフゥと息を吐いたキューナが、肘を立てて指を組んで、「さて」と微笑む。
「少し長い話になるなるけれど、時間は平気?」
「もちろん、よろこんで」
少年は使い古した手帳を開いた。
窓の外にぶらさがる凶器のように長いつららの先端から水滴が落ちて、窓枠で跳ねた。
「ありがとう。お疲れさま。想像以上の大冒険だった」
メモを取った手帳を閉じて、感服したように長い息を吐く。
礼代わりにと、ペヘルはG班の留守中に本部で起きた出来事をかいつまんで教えた。
「あと、何か知りたいことはある?」
公平性を重視する律儀な少年はそう尋ねた。キューナは苦笑して、膝の上で組んでいた指を組みなおす。
「ただの日常会話のつもりだったんだけどね。じゃあ、情報料代わりにさ、ひとつ頼まれてくれると嬉しいな」
コクリとうなずく少年に、黒髪の少女が告げる。
「さっきの話、全部、できるだけ多くの人に広めて欲しい。もちろん、あくまで一例と前置きした上で」
めがねの向こうで、少年の瞳が驚きに揺れた。
「ここまで聞かせておいて、キミの情報料を奪うようなマネを頼むのは申し訳ないんだけど」
「いや、それは別に、」
言いかけて、首を振る。思考のまとまらないペヘルは、まじまじとキューナの顔を見て。
「だけど……ルコックドの正義感は、すごいよね」
「周りの人が死ぬのが嫌なだけだよ」
キューナは南州騎士団時代からの口癖を繰り返して、あっけらかんと笑った。
***
なんだか久しぶりだなぁ、なんて思いながら、キューナは暗い廊下を足音を忍ばせて進んでいた。目当ての部屋の前で立ち止まり、扉の隙間から室内をそっと覗きこむ。トララードと男が、カウチに座りローテーブルをはさんで向かい合っている。男が身を乗り出し、熱心そうな語調でトララードに言い募る。
「どこで手に入れた? 譲ってくれる気はないか」
見覚えのある顔だ。晩餐会の群集の中に居た一人だ。
「いえ、そのような……」
「アカデミーのツテか? ああ、詮索する気はない、一時的に貸してくれるだけでもいい、もちろん報酬は支払う」
「い、いえ、あの、」
キューナはトララードの仕事内容を一割も知らない。もしかしたら的外れな予想をしているのかもしれないが、目の前で気弱な青年が困惑していることは明白に見て取れた。覆面を付けたキューナは、ひとつ息を吐くと、ノックもなしに扉を開けた。室内の二人が驚きに振り向いたところに告げる。
「出て行け。これ以上、その人を困らせるな」
機嫌の悪いらしい覆面を見てぎょっとなった男は、交渉どころではなく逃げるように退室する。当たってたか、と元通りに閉まった扉を見てから、キューナは見知った青年に向き直った。
「悪いね、少し留守にしていた。こういうの、今までにもいくつかあった?」
「ええ、まぁ……」
先ほどの男が座っていた席に腰を下ろす。
トララードが入れた茶を、礼を言って受け取り、口元の布を緩めてから美味そうにすする。
「なにか、ご用件が?」
固い声で問うたトララードの緊張をほぐすように、覆面は手袋をはめた左手をひらひらと振ってみせた。
「緊急の用件はないよ。ちょっと聞きたいことがあって」
「そうでしたか」
二人同時に、カウチの背もたれにどっかりと寄りかかる。
「昨晩の騒動で動いた人間を知りたい」
覆面の依頼に、聡明な青年はゆっくりと目を細める。
「ドックラーの一件ですか」
「うん。殺し合いがあったって聞いたけど」
思考を整理するように目線を宙に投げてから。
「通信士が一報を受けたのが昨日の昼過ぎのことです。文官の直轄責任者であるカイラム中将に指示をあおぎました。本来、使節団レベルの対応は即時元帥に報告すべきなのですが、中将は報告しないようにと厳命。また、G班の北限行きを指示した人間を早急に割り出すよう、人員管理課に問い合わせがありました」
「カイラム中将はI~P班の担当だよね。そのままじゃ報酬が一切得られないから必死ってわけか」
「はい。更に、彼の期待をよそに、推薦状を出した人間は、衛兵のファンゾルクとその部下の少尉でした」
「衛兵がなぜそんな申請を?」
「不明です。彼らG班の上官と、対立関係にあったということでしょうか」
「……」
衛兵とのいざこざか、聞いたことない。
「うん、それで?」
「はい。中将に申告者の名を伝えると、推薦状を中将の手の者の名に改ざんするようにという指示がありました」
覆面がため息をついた。
「その動きをどこからか嗅ぎつけたファンゾルクが中将に反発し、小競り合いの末に殺されました」
「……なるほど」
「そして、これらの騒動がトゥイジ元帥の耳に入り、中将の暴走はそこで止まりました。その後、深夜過ぎにG班を乗せた馬車が到着し」
「ああそこから先は知ってる」
「そうですか。では、ご報告できることは以上です」
いつもの講義のような、気弱な声でしめくくった。想像以上の収穫に、キューナはただ驚くしかない。
「……文官の情報網、侮れないね」
「たまたま、文官が多く噛んだ案件でしたので。恐れ入ります」
本当に恐縮しきった顔で頭を下げる。
キューナはカップを持ち上げ、意味もなく水面を揺らす。
「ファンゾルク殺害で、実際に手を下したのは中将本人?」
「はい。私の部下が見ておりましたから間違いありません」
「ファンゾルクの部下の少尉は?」
「反発しなかったため存命です」
「そう」
飲み干して空になったカップをローテーブルに置いて、トララードの前まで滑らせる。それから、コートの襟を開く。
「不足してる物資があったら、隠し持てる範囲で、どうぞ」
ばらばらとテーブルに落とされる、無数の小包。先ほど、降り積もった豪雪の上を駆けて基地を抜け出し、ドックラーの手紙にあった伝馬局の私書箱から受け取ってきた物資の小包だ。警戒しながらそのひとつを摘み上げたトララードが匂いをかぐ。その顔が驚きに染まる。
「薬、ですか?」
「うん。それは解熱の薬。こっちは食料、火種と、蝋燭、針と糸、それから……そういえば、文官の子が骨折られたって聞いたな」
痛み止めの薬を、部下思いの青年の手のひらにのせてやる。
「あ、ありがとうございます」
「いや、私も関係ないとは言い切れないし」
文官の子の怪我は、間接的にではあるが、キューナの行動のせいでないとも言い切れない。
覆面の言葉に、トララードは反射的に好奇心が浮かびそうになる瞳を、そっと伏せて隠した。
「ま、そもそもはファンゾルクのせいだけど。どうして衛兵が出てきたのかな」
「その件、何か分かりましたら報告しますね」
「うん、無理せず」
「はい」
用件をすべて済ませたキューナの目が、窓際にあるトララードのライティングデスクに向けられる。乱雑に散らばっている書きかけの書類を見つけ、指さす。
「だいぶ時間をもらってしまったし、それ、手伝えることがあれば手伝うよ」
トララードが書類を振り返ってから、眉を下げて覆面を見る。
「……その、詮索しないという約束ですが、あの、」
「うん、何?」
「貴方は、武官ですよね?」
ためらいがちにそう言った青年の目が、キューナの胸と腹部の間くらいをさまよう。
「ああ」
ちょうど、いつもナイフを取り出すくらいの位置だ。キューナは答えずに立ち上がると、デスクから何枚かの羊皮紙をつまみあげ、続いて近くの書棚から何冊か取り出してカウチに戻る。さらさらとペンを走らせ始めたキューナを見て、
「……不思議な人ですね」
と青年が呟いた。
***
「……ん?」
トララードの部屋を辞したキューナは、G班の北限行きの推薦状を出したという少尉の部屋にいた。立ち止まり、机の上に無造作に置かれていた一枚の白い書類をつまみ上げる。
市民からの要請状、という名の嘆願書だ。形式としては一応存在しているが、北州騎士団においてはほとんど無意味な、形骸化しただけの代物。
その文面を読んで、しばらく考えて――ニヤリ、と悪役のような笑みを浮かべるキューナ。
近くに立てられていたペンをとり、鼻歌交じりに筆を滑らせ、軽く振って乾かすとそれを持って廊下に出る。隣の部屋に入ろうとして、明かりが漏れていることに気づいて眉を寄せる。その背に影が落ちる。
振り返ればいつもの門番が立っている。
「ちょっとここ見張っといてくれる?」
返事を聞く前に、扉を開けて無人の室内に滑り込む。暖炉も燭台も煌々と付いたままになっているその快適な部屋に入り、デスクの端に置かれているトレイに持って来た紙を載せて、すぐに部屋から出た。
「ありがと。あのさあ、そういえば……」
聞こえてきた足音にキューナは口をつぐんで、警備兵の背後、壁との隙間に入り込む。長身の騎士と足の立ち幅を揃えて、背中合わせに立つ。目を閉じて呼吸を揃える。
キューナの存在に何も反応することなく、警備兵は置き物のように身動きしない。
しばらくすると、廊下の端から二人の高官が姿を現した。警備兵は黙って敬礼をした。
「ご苦労」
二人の高官は警備兵など見もせず、連れ立って明かりのついた部屋に入った。
暖炉の薪を足す音、カウチに座る音。それから、一枚の紙を持ち上げた音がした。
ほう、と中佐がわざとらしい感嘆の声をあげた。
「感心だな、少尉。市民のために自ら労働を申し出るとは」
「は? 私は何も――」
「何言ってる、こんな立派な志願書まで書いておいて」
「いや、それは私では……」
焦ったように言いながら、少尉が書類を受け取る音がする。慌てて目を通した少尉は、その文面に目を瞠った。過去の自身の功績、今後の騎士団の展望、この作業がいかに騎士団の利益に繋がるか、などがしっかりと織り交ぜて書いてある。これならば、成功すれば多少の昇進が狙えるかもしれない、と昨日のドックラー氏の大騒ぎを思い出して胸を高鳴らせる。
「わかりました、やります」
その返答に、中佐が満足そうに承諾の言葉を返す。
少尉が意気揚々と退室の挨拶をした。扉が内側から開く。警備兵が敬礼を向ける。浮かれた背中がまっすぐに歩き去っていくのを警備兵とキューナが見送る。
その足音が消えたころ、部屋の中では、閉まった扉に向けて中佐が上機嫌にぼやく。
「まんまと引っかかるとは本物の馬鹿だな。誰か、仕掛けた奴がいるんだろう。あいつなんざ潰しても面白くないだろうに」
誰も彼も必死だな、と呟いて、暗く笑った。
同時に、扉を隔てた先でも同じような笑みを浮かべている人間がいた。警備兵の広い背中に勝手に寄りかかって、腕組みをして天井を見上げるキューナ。
北限では大変な目に遭ったんだから、これくらいの意趣返しは許してもらおう。
何か言いたげな目が見下ろしてくるのに、ウインクで返す。
上官だってしっかり働いてもらわないとね、と声に出さず唇の動きだけで言う。
警備兵が唐突に歩き始める。キューナは背を離して、足音をそろえるようにして横に並んだ。
本棟の出入り口、本来警備兵が立っている場所まで来ると、男は足を止めた。その横からひょいと顔を出して、キューナは警備兵の精悍な顔を見上げた。
「どうもありがとう」
キューナの言葉に、警備兵は前を向いたまま答えた。
「ああ」
「またよろしく」
わずかに顔をしかめる。
「……気を付けろ」
「はーい」
笑って敬礼し、立ち去ろうとするキューナの背に、警備兵の言葉がかけられる。
「トキルトが脱走事件の犯人を探してる」
キューナは足を止めた。
なるほどとキューナはうなずいた。ファンゾルクが死んで動きやすくなったというわけか。
警備兵は続ける。
「点数稼ぎのために、お前、ダフォンに売られるかも知れないぞ」
「大丈夫だよ」キューナはのんびり笑った。「人は選んでる」
「どうだかな。非常時、人間、なにするか分からない」
「逆だよ」
キューナは指をくるりと回した。からかうような動きを追った警備兵の目がしかめられる。
「非常時だから――切り札は迂闊にその場しのぎには、手放せない」
「……」
警備兵はまたそれきり動かなくなった。




