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Hard Days' Knights  作者: 里崎
試験編
4/73

3.おつかい


 再び北州騎士団本部の敷地内に戻ってきた少将に、待っていた男が敬礼を返す。

「大変お疲れ様でありましたリュデ少将!」

 胸に息を詰めたような威勢ばかりの声で、初老の小太りの男が言った。

「一言申してくだされば、代わりのものを走らせましたのに」

 猫なで声のそれをリュデはあっさり無視。正門に目をやり、それから時計塔を見上げて、後方の志願者たちに言った。

「後方集団が追いついてくるまで休憩とする。集合には遅れるなよ」

 外套のすそが風にはためく。

 リュデの姿が建物の中に消えて見えなくなると、

「ぅはー……」

間抜けな声をあげて、イグヤがその場に座り込んだ。

キホが意外そうな顔をする。

「充分に回復する時間は確保してくれるんだな」

「うへ。次は何するんだかな」

「私、ちょっと散歩してくる」

一方のキューナはそう言って、北の方角に歩き出した。二人が後ろで何か言っていたが、気にしない。視察前の準備として頭に入れてきた北州騎士団本部基地の平面図を、脳内で辿る。排気口から工事夫用の通路やら、今はもう使われていない地下牢、それに上官用の隠し通路など、一応すべてみておいたのが幸いした。宿舎と馬屋の間にある日当たりの悪い一角に歩いてきたキューナは、周囲に誰もいないことを確認してから、敷地を囲む塀に駆け寄り、――軽い掛け声とともに、宿舎よりも馬屋よりも高い塀を、一足飛びで駆け上がった。

「よっ、と」

石壁のふちを片手で掴んで、全身を塀の上へと引っぱり上げる。地面近くとは違う風が吹いている。敷地の外側には田舎町が広がっていて、塀より高い建物は、敷地内の監視塔以外なにもない。その塔からも、先ほど走ってきた近くの山々からも死角になる位置が、ここだ。

 東西南、他のどの基地よりも頑健だと言われている北の防護塀は、数歩進まなければ反対側を見下ろせないほどの厚みがある。確か、どんな積雪に遭っても決して倒れないようにしてあるのだと、昔、南の上官から聞いたことがある。その中央あたり、どちら側からも見えないだろう位置にキューナは座り込んだ。おもむろにジャケットの前を開け、隠し持っていた紙とペンを取り出した。足の間に紙を広げ、走っている間じゅう考えていた文面をざっとしたためる。

「よーし」

 一回読み直して中身を確認してから、二つに折る。

 おもてに書くのは、宛名と差出人。北州騎士団本部最高指揮官であるトゥイジ元帥の名を書いて、そこで筆が止まった。

「……あー、何て名前になってるんだろう、偉いほうの私は」

 中央から東西南北間の伝達過程で誤字脱字(スペルミス)が発生するのは、別に珍しいことじゃない。地名とか支部名とか、騎士の名前でもしょっちゅうだ。正確に伝わっているか分からないので、スカラコット国中央州騎士団本部、とだけ書いておく。

 キューナの右手で、ペンがくるりと回った。

 頭上で鳥が鳴く。一度振り返って、演習場に向けて耳をすます。定時演習と思しき威勢のよい掛け声が聞こえてくるが、おそらく入隊試験はまだのようだと確認して、キューナは作業に戻る。

 ペン先を回して取り外し、内側のインク筒を引っこ抜く。インクの充填されている筒を指で押して傾けて、ポケットから取り出した金ボタンにインクを一滴垂らした。ボタンが一気に青に染まる。すぐさまそれを『スカラコット国中央州騎士団本部』の文字の横に押し付ける。ボタンに彫られていた階級紋がくっきりと紙に写る。

「よっし」

 キューナはできばえに満足そうな笑みを浮かべた。紙を振ってインクを乾かしながら、数歩歩いて外側の塀の下をのぞきこんだ。

「ねぇ! あのさあ!」


挿絵(By みてみん)


叫んだ相手は――ちょうど真下で、塀に寄りかかるように座り込んでいた子ども。突然どこからか聞こえた声に、きょろきょろと周囲を見回している。

「上だよ!」

キューナが教えてやれば、すぐさま仰ぎ見てきた子どもの、緑色の目が驚きに見開かれた。それはそうだろう。この高い塀の上に人がいるなどと思わないだろうから。

「ちょっと頼まれてくれないかな!」

キューナが笑顔で言って手紙をひらひらさせるのに、子どもは地面に投げ出していた棒のように細い足を動かして立ち上がった。キューナが手を離すと、手紙は木の葉のように空中を揺らいで、子どもの手元へと降って来た。

「それを、北州騎士団(ここ)の入り口に届けてほしい」

角を曲がってすぐ脇にある正門の方向を指差して告げる。

「できるだけ偉い人に直接渡してほしいな。ただし、どこでどんな人から受け取ったのかは、どんなに聞かれても、決して答えてはいけない。――できる?」

手紙をじっと見ていた子どもは、不思議そうな目をして、はるか上にいるキューナをまっすぐに見上げた。

「……おねーさんは、騎士団の人じゃないの」

「騎士団の人だよー」

 子どもは、難題を前にしたように、途方にくれた顔をする。

「……これ、何か悪いこと?」

 不安そうな子どもに、キューナは笑って首を振った。

「読んでみればいい。私がしばらく休みます、って書いてあるだけだよ」

「字、よめない」

「そう」

キューナは塀のふちに座って、両足をぷらぷらと揺らした。

「あのね、いいことを教えてあげようか。今度こういう『おつかい』を頼まれたときは、中身を知ろうとせずに、やるかやらないかだけ、答えたほうがいい」

 身に覚えがあったのか、子どもはハッとなって口をつぐむ。キューナは小さくうなずいて、ズボンのポケットから銀貨を取り出して指で弾いた。スピンしたコインは日の光を反射しながら塀に沿って落ちていく。足元に落ちた破格すぎるチップを、呆然と見てから、子どもは慌てて拾って握り締めた。

「アドバイス二つ目。もし、悪そうなおつかいじゃなかったら、届けた先で『着払い』って言うと、そっちでも報酬(チップ)もらえるかもよ」

続いて降って来たキューナの言葉に、飢えた子どもは目を輝かせて、正門へと走っていった。


***


 数時間前と数十分前に入隊志願者たちを通した門番は、駆けて来た小さな子どもに不審な目を向けた。

「ここは騎士団の敷地だ。とっとと立ち去――」

追い払おうと一歩近づいた門番は、子どもが薄汚れた手で差し出している真っ白な羊皮紙に目を留めた。目の前の小さな子どもが書いたとは思えない、達筆な筆記体が踊る。署名(サイン)と、その末尾に押された紋章が示すのは――

「『アルコクト国中央州騎士団本部』、だと……?!」

文字だけなら、たちの悪いイタズラだと子どもを一蹴したに違いない。しかし、この希少な紋章が押されているとなると話は全く違ってくる。この地方ではめったに目にかかれない、大きな意味を持つ印だ。

 よく見覚えのある、権威の象徴。

 奪い取ろうと伸ばした騎士の手が、ひっこめられた手紙のせいで空を切る。むっとする目つきの悪い門番にびびりながらも、大事そうに手紙を抱えた子どもは、はっきりと言った。

「中に入れて」

「……あ?」

物騒な返事に、子どもの肩が震える。泣きそうな顔で言った。

「え、偉い人に、ちょくせつ渡してって、言われた」

「……」

門番は目を眇めて、子どもの顔を覗き込んだ。

「言われた、って……誰にだ」

子どもは真剣な顔で男を見上げた。

「これをくれた人」

「……名前は」

子どもはきょとんとしてから、黙って首を振った。

門番はため息をついた。肩越しに振り返って、守衛室に入っていた照合官に声をかける。

「なぁ! ガキが中央騎士団の紋の入った手紙を持って来やがった。こーいう場合はどうすんだっけか?」

 照合官は驚いた顔で、脇に抱えていたバインダーを見下ろす。

「急げ!」

「あ?」

「アルコクト中将殿だ! 本日の昼から、視察にいらっしゃるという話だっただろ!」

 鬼気迫った様子で叫ぶ照合官の言葉に、門番もざっと青ざめる。

「な……今日だったか!」

 約束の時間はとっくに過ぎ、すでに日も暮れかけている。門番は慌てて子どもを抱えあげた。

「行くぞチビ! 誰に渡せって?」

「で、できるだけ偉いひと!」

突然の浮遊感に、子どもはあわあわしながら門番の太い腕にしがみついた。

「……よし、元帥か……!」

途端に門番は緊張しきった顔になって駆け出す。子どもはあっというまに敷地内にひきずりこまれた。

揺れる足場と高い視界とめまぐるしく流れる景色に、子どもが目を回し始めたころ、

「失礼します!」

急に立ち止まった門番が威勢よく叫んだ。同時に子どもは床の上に下ろされた。

眼前に立ちはだかっていた重厚な扉が開く。門番は気合を入れて敬礼をして、声を張り上げた。

「報告します! 北州騎士団本部、警備部隊所属ッ、大尉トキルト=ドッデーニが申し上げます。中央騎士団からの手紙を持った子どもが来ましたッ」

部屋の奥に座っていた大柄な男が文机に手を置き、席から立ち上がった。硬い靴を鳴らし、いかめしい顔をしたまま歩いてくる。直感的に身分のある者だと悟った子どもは、震える手で手紙を差し出した。ひったくるように受け取った男が紙を広げる。ざっと目を通してから、大きく息を吐き、男は二人に背を向けた。

「ご苦労」

ほっと胸をなでおろす門番。子どもがぽつりと言った。

「……チップ」

門番がぎょっと子どもを見下ろした。即座に振り向いた男は、二人がすくみあがるほどの形相を浮かべていた。滑らかな所作で、手袋をはめた男の右手が腰の柄に伸びる。風を切るような金属音に、子どもは固く目を閉じた。

 静寂の中、数秒が過ぎる。

「……?」

 そっと片目を開けた子どもが見たのは、直近に迫る剣先と、

「おい、ガキ」

窓のほうを見る男の鋭い横顔だった。彼の手の中で渡したばかりの紙が音を立てる。

「この手紙、どこで受け取った?」

男の手に握られた剣を凝視しながら、子どもは泣きそうな声で答えた。

「言えま、せんっ」

「この近くか」

「い、言えませんっ」

「殺すぞ」

カチリと柄が鳴る。子どもは声をあげず、静かに涙を落とし始めた。

だが、それでも答えない。

子どもの涙と痩せた体を見た男は、わずかに語調を緩めて、更に言った。

「わかった。金ならたくさんやる。メシも食わせてやろう」

子どもは首を振った。

男は呆れた顔をした。

「……なかなか優秀な遣いを雇われたな」

 男は剣を納めた。驚いて見上げる子どもの前で、男の手が上着に伸びる。襟元に北州騎士団の紋章が光るジャケットの下からコインを一枚取り出して子どもに渡した。

「駄賃だ。ご苦労。帰っていい」

コインを手にきょとんとした子どもを、門番が慌てて引っつかんで敬礼し、

「失礼しましたッ」

男の気が変わらないうちにと、元来た道を走り出した。小脇に抱えられた子どもの両足がまぬけに揺れて部屋から消える。開け放たれたままの扉を見ながら、男が呟く。

「ガキを()けろ。行動範囲を割り出せ。隊服を着た、腕の立つ若い女だ。姓はアルコクト。位は中将。探せ、先方には決して気づかれるなよ」

「はッ」

身動きせず脇に控えていた細身の男が短く答えて、音もなく廊下に消える。

男は後ろ手に手を組み、窓のほうを見た。窓の外、重厚な塀の向こうにそびえる雪色の峰を眺めてぼやく。

「ガキが歩ける距離まで近くに来たということだ……直接来ればいいものを。何を考えているんだ、アルコクト中将殿は」


***


 建物から出たところで、子どもは頭上から盛大な安堵のため息を聞いた。

「自分で歩け」

と言って下ろされる。

さっさと歩いていく門番を小走りになって追う。突然の事態で来た道は一切覚えていないが、出口までまだ遠いことは分かる。

「しっかし、お前さー……」

追いついてきた子どもが横に並んだところで、門番が声を潜めて言った。

「ここで一番偉い人、って、どんな人だか知らんわけないだろ? よくもまぁ、なんつーか……」

複雑な顔をした門番に、子どもはぽつりと返した。

「……頼まれた、お仕事だもん」

 もちろん、キューナは知るよしもないが。

 この地域に大勢いる似たような境遇の子どもに与えられるこういった仕事は、ひどく不定期で、決して多くはない。とびぬけて足の速い子とか、頭のいい子とかには、名指しの仕事も回ってくるが、そういったものにありつけるのはごくわずかだ。大抵は早い者勝ち。力と頭がなければ奪われることも多い。商人からの荷物を受け取ることができず他の子どもにおいていかれて、どうしようもなくなって座り込んでいた子どもに、道行く大人のように蔑むこともなく、かけられた明るい声。

 これは、初めて自分一人だけに頼まれた仕事だから。

 だからこそずっと、右手の貴重な銀貨よりも、左手の手紙をこそ強く握り締めていた。

 子どもはぼんやりと言う。

「役に立ったかなぁ」

「……立っただろ」

「ほんとう?」

「じゅーぶん」

門番が真剣な顔で答えてやると、子どもは嬉しそうに笑った。

 すれ違う同僚に軽く手を振って合図して、

「俺も見習わなきゃかー?」

門番は低く言って後頭部を掻く。

「……つーか、今度からお使いあったら、お前に頼むな」

子どもは驚いた顔をしたあと、とんでもなく嬉しそうな顔をして、元気よく礼を言った。

2015/5/24 誤記修正

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