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Hard Days' Knights  作者: 里崎
北限基地編
39/73

38.帰還

一方、走り出した馬車の中。

一定のリズムを刻んで揺れる車内で、メイドがにっこりと笑った。

「さて。ようやく落ち着きましたね。そちらの方は、屋敷までもうしばらく辛抱していただけますか」

「は、はい」

イグヤの返事を聞いてから、キューナに向き直って一礼。

「ご無沙汰しております」

「は?! 知り合い?」

「うん、前にこちらの旦那さんの、お屋敷の警護を担当してね」

ていうことで、いいのかな――と伺うようにメイドを見れば、小さくうなずかれる。

イグヤが得心いったように、キューナがいなかった二日間を思い出した。

「あんときか」

「それで……どうして3人きりでこの街に? 脱走中ですか?」

でしたらお手伝いしますよ、と歌うように言ったメイドに、三人は慌てて首を振った。

「違う違う、オレたち駐屯の帰りで! 明日までに本部に戻らなくちゃいけなくて!」

「あら、そうでしたか。明日までに。……と、すると……」

メイドは急に真面目な顔になると、席を立って御者と話し始める。減速した馬車の御者台から、助手席にいた従者らしき若い少年が飛び降りて、砂利道を駆け出していく。直後、馬車はぐんと速度を上げた。

しばらくして戻ってきたメイドに、会話を漏れ聞いていたキューナが息せき切って聞いた。

「もしかして、本部まで乗せていってくれるつもりですか? ま、間に合ったりします?」

「ギリギリですね。でも、大丈夫ですよ。みなさんが上官の方に怒られてしまうようなときは、私も一緒に怒られますから。ね?」

ぬか喜びしていた男二人が、戻った先に待ち受けるものを思い出して、ざっと青ざめた。

「だ、ダメですメイドさん死んじゃいます……!」

「あら、大丈夫ですよー」

のほほんと笑う、どこからどう見てもただの細身の女性メイドに一抹の不安を覚える。

ヤサルタがはっとなる。

「て、いうかいま気づいたけど、こんなん乗せてもらえるほどオレら路銀とか持ってな」

「あバカ言うな」

イグヤの制止にヤサルタが振り向いて、

「はー? お前またそういうこと」

「大丈夫ですよ、お手伝いさせてください」

メイドが穏やかに微笑む。

「いやいや」

「では、万が一困るほどの不足分が発生した場合は、あなた方の上司にツケておきますから。ね?」

「あいつらが払うわけ……」

メイドはキューナに向けて、茶目っ気あふれるウインクをひとつ。ああ、とういうことね、とキューナは二人の肩越しにこっそりうなずいた。

メイドが続ける。

「その代わり、もし何か困ったことがあった時は、ぜひともご助力をお願いしますね」

満面の笑みに魅了されたヤサルタが赤面しながら、

「もちろんです!」

メイドの両手をはっしと握り締める。

「こら手ぇ握るな!」

それをイグヤが払いのける。

……という一連のやり取りを、キューナは「やっぱり、さすがはドックラーさんとこのメイドさんだなぁ」なんて思いながら黙って眺める。そのコートの裾を、イグヤがこっそり引いて耳打ちした。

「気前良すぎるだろあのメイド。何者なんだ? その、旦那さんの愛人か何かじゃねぇの?」

「……ちなみにその旦那さん、ドックラーさんっていうんだけど、表では好色ジジイで通ってるけど実際は超真面目で、そういう冗談だいっ嫌いだから、会うときは言葉に気をつけてね?」

キューナが真顔プラス低い声で脅すと、イグヤは、う、と身構える。

数分後、御者がメイドを呼び、右後方を指さした。

脇道から飛び出してきた小ぶりの馬車が、速度を上げて追いついてきている。しばらく併走したあと、ぎりぎりまで車体を寄せて、箱を抱えた二人の男性が飛び移ってくる。反射的に身構えるキューナの肩に、メイドがぽんと手を置いた。

「屋敷の専属医と、御者です」

メイドからの簡単な説明。御者と呼ばれた初老の男は、一礼してからメイドに告げた。

「屋敷には寄らず、このまま直行、との指示です」

「なるほど、そのほうが早いですね」

メイドがうなずくのを確認してから、御者席に叫ぶ。

「いつでも交替するぞ」

「あいよっ」

気のいい返事が返ってくる。そのやり取りの中、コートを脱いだ白衣の男性が、息を切らしたまま手早く箱を広げる。

「怪我人は?」

「はい。まずはそちらの奥の男性を。それから、こちらの女性をお願いします」

イグヤを指すメイドの手がキューナに向き、ヤサルタがえっと声を上げる。

「は? だって両手は治ったっつって」

「いや、さっきの火事だろ」

メイドは答えずにこにこしているだけなので、キューナが肯定した。

「あぁ、うん、そう。ちょっとね」

良く見てるなぁと感心してしまう。

「――さて。まず、君か」

オネガイシマス、となぜかカタコトで言ったイグヤは息を吐いて、ジャケットを広げる。

患部のどす黒い皮膚を見たヤサルタが蒼白になった。

「おおお折れてたんじゃん!」

「うっせぇ騒ぐな! 折れてねぇよ!」

「ヒビですね」

てきぱきと処置を施し、

「固定しました。もう動いていいですよ。安静にしていれば、数週間で治ります。それと、これ、痛み止めの薬です」

すぐ飲むように、と言い添えて医師がイグヤに粉薬を手渡す。メイドが足元のバスケットから携帯用の水差しを取り出す。着衣を直したイグヤは薬を受け取り、殊勝に礼を言って頭を下げる。きちんとしたしつけを受けているらしいその礼儀正しい少年に微笑んで「お大事に」と返した医師は、「さて」と言ってキューナに向き直る。メイドが、キューナと医師に移動するように言い、馬車の中央を仕切るカーテンを引いた。

キューナは、脱いだコートとジャケットをメイドに渡し、シャツのボタンを外して肩を外気に晒す。患部を見るなり医師は顔をしかめる。キューナの上着の汚れや破れをチェックしているメイドを睨んだ。

「……あなたが治療順(トリアージ)を誤るとは珍しい」

メイドは驚いてキューナを振り返り、

「まぁ、ひどい火傷!」

恐縮したように頭を下げる。手早く薬を取り出し始める医師の手際を眺めつつ、キューナはけろりと笑う。

「痛みには強いほうなので」

重症にも関わらず血色の良いキューナの顔と、全身の古傷に目を細めつつ、そのようですね、と医師は小さく呟いた。

「俺がよわっちいみてーじゃねーか」

とカーテンの向こうでイグヤがぼやくのが聞こえた。

医師が苦笑する。

「いえ、そのケガで固定もせずに放置していたのでしょう? たいしたものですよ」

「放置というか……ねぇヤスラ、そっちに地図ある? どれくらい進んだか確認しといてくれる?」

「おう、これか。えーっと……」

「そこは州都だ馬鹿。貸せ」

呆れたようなイグヤの声がして、がさり、と地図を掴む音。

「えーと……かなり歩いたと思ったけど、地図で見ると大して進んでねぇな」

待機しているほうの御者の、驚いた声。

「この距離を徒歩で?」

医師が手を止めてカーテン越しに御者にたずね、御者が街の名を言った。馬車を降りた街の名だ。うかがうような医師の目にキューナがうなずき返す。

医師が「どおりで患部がああなるはずだ」と肩を落とした。

「はい、もういいですよ」

「ありがとうございました。……あ、念のためにこっちも診てもらっても」

両腕を差し出した。ヤサルタがわめく。

「そいつ凍傷になりかけたんです!」

「問題ありませんね、経過は順調、治りかけです」

言いかけた医師は、皮膚から漂うわずかな刺激臭に、おやと目を瞠った。

「……この薬草は、どこで?」

「遊牧民の人たちに塗ってもらったものが残ってる……のかな?」

腕を引き寄せ嗅いでみる。医師の目線がキューナの耳に移る。それに気づいたキューナは笑って首を振った。

ひょいとメイドが覗き込んでくる。

「もしかして、アンペラント・フラーデス?」

医師がうなずく。

「誰?」

キューナがそう言うのに医師が笑って。

「人ではありません。この薬の元となる草の名ですよ、学名です」

「キューナさんっ」

目を輝かせたメイドが施術中の医師をいきなり押しのけ、キューナの両手をぎゅっと握りしめる。

「もし、もし万が一、もう一度このような機会に恵まれた際には、おひとつもらってきていただけませんか?」

「縁起でもないなぁ……」

苦笑しつつも承諾する。メイドはぱっと顔をほころばせた。

「でも、何に使うの?」

「一度研究してみたいと、以前、だんな様が」

「なるほど」

両腕に清潔な包帯を巻きなおしてもらって、メイドからジャケットを受け取る。広げて羽織ろうとして、気づく。

「あ、上着……破れたところ、繕ってくれたんだね」

繕ってあるところと――襟元の、さりげない程度の膨らみに触れる。

「……何から何まで、ありがとうございます」

「いいえ~」

にしても、ドックラーさん、本当になにから何まで教えちゃってるんだなと感心してしまう。


***


この街に着くまで馬車を引いてくれていた栗毛の馬は、荒い息をして今にもへたり込みそうな状態で、商人の手につながれている。そして馬車には、また違う馬がつながれている。

馬を消耗品のように買い換えるメイドを馬車の中から悠然と眺めつつ、丁寧に処置された患部を撫でながらイグヤがぼやいた。

「俺、こんな馬車の乗り方、初めて知ったぞ……」

「お待たせしました。さ、また飛ばしますよ」

商談を終えたメイドが、再び馬車に乗り込んでくる。

「あの、あっちの馬は……」

御者が答えた。

「大丈夫です、休ませれば明日の朝には元通りに走れますよ」

「そうですか……」

それは、ほっとしたような、とてももったいない売買をしているような。

これだけ走れる大きな馬一頭の、中央での相場を知っているので、資源の足りない北州ではそれより高価だろうというのは想像に難くない。この旅程でドックラーのふところからいくら飛んでいるのかは、怖いのであえて考えないことにした。

それでも、そのキューナの一連の思考を限りなく正確に読み取った聡いメイドは、

「堂々としていらしてよいのですよ」

と言葉を添えた。

「私どもの街の、焼失していたかもしれない地区の再建費には遠く及びませんから」

「そ、そうだあの火事!」

「大丈夫です。先ほどの手紙に報告がありました。遺体の確認はすべて終わって、復建作業が始まっているそうです。……ただ……」

メイドが表情を曇らせる。

「火災の原因ですが、不審火、つまり放火の可能性が高いと。治安が悪いのは一向に回復しませんね」

「騎士団は?」

悲しそうな顔をして。

「大変申し上げにくいのですが、それはもう連日、こんなに側仕えを雇った覚えはないのだがと、旦那さまがおっしゃるくらいには」

「使えねー」

「まさに。それで自警団ができたのですわ」

「あれだけ大規模な組織は珍しいよね」

声を潜めて、

「ここだけの話、決してそうと分からぬように、旦那さまが間接的に援助しております」

優秀な領主の手腕に、若い騎士たちは感心した声をあげる。

「ですから、いつもならあんなムチャはしないんですよ。団長さんとも仲良しですしね?」

「……うん」

メイドさんの登場シーンにぎくりと強張った団長の顔が忘れられなくて、キューナは半笑いで頬を掻いた。

イタズラを見つかって叱られるってびびってる息子と母親って感じかなぁ、なんて考える。


***


御者の広げる地図を横から覗き込んでいたヤサルタが、現在地を教えてもらって、おおと歓声を上げた。

「すっげー、もう半分来たぞ!」

メイドが皆を呼んだ。

「お手伝いいただけますか?」

「はいはい! 何でもします!」

「お前またそういう……」

「ふふ、ありがとうございます。では、ヤサルタさんとイグヤさんには、買い出しをお願いしようかしら」

「はい!」

メイドが一番手前にいたヤサルタに向かって差し出した布袋を、横からぱっと取ったのはイグヤで。

「よし、俺は財布持って品物選ぶから、お前は荷物持ちな」

「おおし!」


挿絵(By みてみん)


有無を言わせず駆け出していく二人を見送って。

「はー、イグヤはもう……」

「うふふ、でも適材適所だと思いますよ、イグヤさんはまだ全快したとは言いがたいですし。決しておっしゃいませんけど、この揺れ続きでは、相当な痛みだと思います」

「……」

それはキューナも薄々思っていたことだけれど。

「そのストレスもあるんじゃないかしら」

「うーん、でもイグヤのあれはいつものことだし……」

頭を掻くキューナに、メイドがぽんと手を叩いた。

「あら、でしたら良かったですわね! 実を言いますと、昨日まで寡黙な方だと思っていましたの。いつものイグヤさんの軽口が、やっと戻ってきたってことですね」

「そういう考え方もある……か。うん、そうだね」

自分のことのように嬉しそうな笑顔を見せるメイドに、キューナも笑顔を返した。

「それで、私はなにを手伝えば?」

「はい。打鍵をお願いできますか?」

丁寧なしぐさで示された先に建つのは――政府高官用の宿舎。こういう施設はどこも入口近くに通信室を備えているものだ。

「……なるほどね」

ヤサルタ一人で事足りそうな用事に、まだ全快とはいえないイグヤを歩かせてまで遠ざけた理由がわかった。

「おっけー。そうだよね、機密技法だし、いくらメイドさんでもこれは打てないよねー」

あはは、と笑って席に着いたキューナの後ろから、ええ、とメイドが応じる。

「何度か口頭で教えていただいたことはあるのですが、やはり実際に打ってみないことには練習できませんし」

「……教えちゃったの、ドックラーくん。もー……」


***


日はとっくに沈んでいる。

深夜、一台の豪華な馬車が、北州騎士団本部の正門前に停車した。優雅な外装とは正反対に、荒々しい動作で停車したかと思うと、馬はぜぇぜぇと荒い息を吐く。

守衛室から、寝ぼけ眼の門番――トキルトが顔を出す。

「ほら、ここまで来たんだから覚悟決めろ、下りるぞ」

そう言ってイグヤに引き摺り下ろされるヤサルタ。続いて馬車から降りたキューナは、市街地のほうから壁沿いの大通りを通って近づいてくる男性に気づいた。メイドが一礼したのを見て、とおりの向かいから歩いてくる男は気安く右手を挙げて返す。

イグヤが目を細めて彼を見た。

「お、あの人がドックラーさん?」

「いいえー、彼はだんな様の第8秘書官ですわ」

「ひ、秘書官……?!」

唖然とするイグヤの横で、荷物を持ったヤサルタが首を傾げる。

「って、偉いの、偉くねぇの?」

「い……バカか!」

「いって!」

遠慮なくヤサルタを殴ったあと、イグヤはキューナに掴みかからんばかりに詰め寄った。

「ドックラーさんって、ドックラー=ファステルハインツ中央使節団副団長のことかよ!」

「うん。あれ? 言わなかったっけ」

「ああ聞いたさドックラーさんっつー名前だけな! お前らが気安く呼んでるから、てっきりどっかの小さい貴族かと! 中央の政府高官なら早く言えー!!」

「うえええ!?」

遅れてヤサルタも驚いて。

「うるせぇえ!」

イグヤが切れて、

「いや、お前もうるせぇよ!」

ヤサルタとぎゃいぎゃいやっている間に。

「時間通りだな」

秘書官の男がやってきて、帽子を外し、よく通る声でメイドに言う。

「そちらもね。――では、参りましょう」

ふわりとレースのスカートを揺らして、メイドが先頭に立って歩き出した。服装如何によってはどこかの令嬢と偽っても差し支えない、毅然として優雅な所作。止める暇もなく、彼女は門番に声をかけた。

「夜分遅くに失礼致します。先ほど連絡した、ファステルハインツの遣いの者です。トゥイジ元帥にお目通り願いたいのですが、通ってもよろしいかしら?」

「……は、」

そこまでの権限も判断力もない門番が、豪華な馬車と毅然としたメイドを見比べている間に、敷地内から一人の男が転がり出てきた。

「お待ちしておりました! どうぞこちらへ!」

「あ、アゴロ大尉……!」

身を竦ませるイグヤとヤサルタには一瞥もくれることなく、アゴロは秘書官にへこへこと頭を下げて本棟へと誘導する。

「ど、どうすんだこれ」

うろたえるヤサルタを一睨みで黙らせると、アゴロは三人に「ついてこい」と短く命じた。


そして、通されたのは。

「ここ、って……」

――トゥイジ元帥の執務室。まさかこんなタイミングで入室することになるとは。

苦笑しそうになる表情を努めて殊勝なものに維持しつつ、キューナは衛兵の数と配置をさりげなく確認しておく。

部屋の中央に立つ正装姿の男に気づいたメイドが、丁寧に頭を下げる。その横から一歩前に進み出た秘書官が、正式な面会の口上を述べた。

「お会いできて光栄です、トゥイジ元帥」

正装姿の男二人が握手を交わす。秘書官を目の前のカウチに誘導するトゥイジの目線が、続いて、どう扱うべきか戸惑うようにメイド姿の女性に移る。メイドは手を振って辞退し、キューナたちと一緒に並んで立った。

カウチに座った秘書官が、対面に座ったトゥイジに再度、頭を下げる。

「本来ならば、こちらから依頼すべきところでしたが、恥ずかしながら手が回っておらず……そんな中、特段のご配慮を賜り非常に恐縮です。さすがは北州騎士団。抜かりない」

「いや、なに、市井の治安に目を配るのは、騎士団として当然の責務ですから」

威厳のある顔を保とうとしているが、代理とはいえ権威ある地位の者に手放しに賞賛されて、どこか嬉しそうだ。

「礼はこの通り」

お納めください、と頭を垂れた秘書官が手元の書類鞄から書面を差し出す。男性の肩越しでは、キューナの位置からは、紙を縁取るアラベスク模様の装飾しか見えない。ぎょっとなったイグヤを見れば、

「小切手」

と小声で教えてくれる。

額面を読み取ったキューナは、先日の別れ際に見た、ドックラーの心配顔を回想した。そこまでしてくれなくっても大丈夫なのに、と、年の離れた気のおけない友人の配慮に感謝する。

後ろ暗いところなく受け取れる正当で破格な臨時収入に、上官たちの目が輝く。

金額の明細の説明を終えた秘書官は、窓の外を見ておやと腰を上げた。

「そろそろ失礼します。ああ、夜も遅いですし、見送りは結構です」

「いえ、そういうわけには……おい、」

見送りの役に、いつもなら飛びつく上官たちだが今日は誰も名乗り出ようとしない。必死に包み隠そうとしているようだったが、全員の目線と意識は机上の小切手に向けられている。秘書官が退室した途端、あれの配分が始まるのだから、その場にいなければ取り分を逃してしまうことは明白。キューナは内心、しらけた笑いで全員の顔を見上げた。

それから一歩踏み出して、敬礼。

「元帥、私たちが参りましょうか」

良く通る声で告げた。左右の少年二人がぎょっと身を竦ませる。

トゥイジはちらと少女を見て――正確には、その顔と服装から階級を把握して、

「――英雄じきじきにお見送りいただけるとは、光栄です」

トゥイジが答える前に、秘書官が微笑んで頭を下げた。トゥイジはその様子を見て、問題ないらしいと納得して、

「ああ、それでは任せよう」

と軽く答えた。キューナは左脚を半歩引いて一礼する。左右の二人も慌ててそれを真似る。

「お前たち、直属の上官は」

「はい、アゴロ大尉ですッ」

ヤサルタが必要以上の大声で答える。

トゥイジは珍しく機嫌よさそうに目尻を下げてアゴロを呼んだ。

「ご苦労。あとで褒賞を出す」

「は、光栄です!」

顔を真っ赤にして胸を突き出し、誇らしげに敬礼するアゴロ。その背をねたましそうに数人が睨みつけている。

その様子を、涼しい顔の秘書官とメイドが注意深く眺めていたことなんて、彼らは気づいていないだろう。

騎士団ではない、部外者の人間とはいえ、あそこまであからさまな態度をとっているのに、言及しないことが不自然。

つまり――観察している。じっくりと値踏みしている。

彼らのみっともない利益争いは、ドックラーくんの教育を受けているだろうこの秘書官にははじめから丸分かりなんだろう、とキューナは憂いた。ここであからさまな欲を出さなければ、ドックラーくんお手製のブラックリストに載ることもなく、もしかしたらドックラーくんと友好的な関係を築くことができたかもしれないのになぁ、とひとごとながら残念に思う。

一挙手一投足、事細かにドックラーくんに報告されちゃうんだろうなぁ、と扉の閉まるぎりぎりまで上官たちの顔から目線を外さない秘書官の怜悧な横顔を見上げる。

ほんと、敵に回したくない。


***


「おやすみなさい。楽しい旅でしたわ」

正門の前まで来ると、メイドが振り返って皆に握手を求めた。順に握手を交わす。同じように秘書官がキューナに手を差しだし、何の疑いもなく握り返したキューナの手のひらに何かを握らせる。

男の顔が近づき、小さく囁く。

「中央のドックラー殿からです。駆けつけられず申し訳ないと」

「ううん、充分だよ。どうもありがとう」

同じ音量で素早く囁き返すと、手は自然に離れた。

騒々しく別れを惜しむメイドとヤサルタとイグヤの様子を眺めつつ、帽子をかぶりなおした秘書官はキューナにたずねた。

「それと、よろしかったのですか、あなたがたは退室してしまって」

「ああ、若手は利益に関係ありませんから」

取り分に関係のない若手が同時に退室するのはトゥイジとしても望ましかったのだろう。キューナとしても、あんなに息の詰まる部屋からは早く出て休みたかったし。間取りと衛兵の位置、それからあの場にいた上官については把握できたし。

眉を寄せた秘書官が小さく、その件についても報告しておきます、と付け足したのでキューナはけらけらと笑った。


***


三人は足音を忍ばせて、寝静まった宿舎に入る。

げ、とイグヤが顔色を変えた。

「なぁ、食堂の明かりついてんだけど」

「え、仕事あるのか?」

歓待されていたとはいえ連日の長旅で体力は限界だ、今日くらいは揺れないベッドで休みたい。

扉の隙間から恐る恐る覗き込むと、

「あっ来た!」

顔見知りがわっと集まってきた。深夜だというのに起きて待っていたらしい。

真っ赤な顔をしたエイナルファーデがキューナに飛びついてくる。

「わわっ」

キューナはあわてて抱きとめた。

「おかえりおかえり! 置いてきたって聞いたからてっきりもう……な、なのにまさか使節団副団長さんと戻ってくるとか言うからもう……もう!」

「心配かけてごめんね、ただいま、エイファ」

涙目のエイナルファーデが勢いよく顔をあげ、頬をふくらませて、キューナの頬をつねる。

「いててて、あはは」

反撃しておいた。柔らかな紅色の頬をつねり返す。

きゃいきゃいやっているその横にペヘルが寄ってきて、労いの言葉をくれる。好奇心一杯の目が眼鏡越しに注がれる。

「詳しいことは後日、聞かせてくれると」

「うん、もちろん。こっちは何か変わったことは?」

「特にはないな。あ、でも、今回の件、手柄の奪い合いでさっそく何人か殺されたらしいよ」

「え、G班のみんなは」

「無事だよ。争ってるのは高官たち」

「ならまぁいいかな」

「良くねぇだろ! あれがなんで上官の手柄になんだよ?!」

叫んで、イグヤがいきなりテーブルを叩いた。

「どういうことだ?」

キホが聞くのに、ヤサルタが説明する。

「北限に行ったのはG班のメンバーだけで、上官は一人も着いてってねーの。帰りのあれも、特に指示をあおいだわけでもねぇし。連絡なんか一度もねぇし」

「たく、なんだっての!」

皆が口々に不平不満を言い合う。怒るみんなの中央で、ただ一人、

「まぁそうだよね」

とキューナがへらんと笑った。皆、あっけにとられてのんきな少女の顔を見た。

「お前ね……」

「だって、そうならないことを予想した?」

 キューナはしれっと言って、椅子を引いて適当な席に座る。

「……」

煮え切らない表情で全員が黙る。もちろん、反論はない。

息をついたキューナの対面に、いつもどおりの仏頂面のソイが座った。

「あ、班長、ただいま戻りました」

挨拶を遮るように、険しい顔をしたソイは、キューナの前に身を乗り出す。

「で、どうやったんだ」

副班長が「このテの話にお前が食いつくなんて珍しいな」と班長を眺めて言いつつ、その隣に座る。

キューナは――視線を天井にずらす。

「何がですか?」

「とぼけんじゃねぇ。お前らの武勇伝はもう基地中に蔓延してるぜ」

「俺も気になるな。ええと、市街地の大火災の現場に颯爽と現れてそれを食い止めた上、同時に、長らくはびこっていた盗賊の一団を一滴の血も流さず街から追い出した――だっけか」

「うわあ……」

妙に正確に、というか大げさに伝わりすぎている、これは一体。

キューナの隣の椅子を引いたペヘルがこともなげに言った。

「言ったでしょ、手柄の奪い合いだったんだって。昨晩、ドックラー氏からの一報が入って以来、上官たちが背びれ尾ひれ付けて大声で言い合ってたんだよ。もう大騒ぎ。そのせいで皆知ってるってわけ」

「で、どうやったんだ」

催促されて、三人にじっと見られて、キューナは目を泳がせる。

「えーと……火事場の馬鹿力ってやつですかね……」

あまり覚えてないです、と正直なところを告げる。

「てめぇ、しらばっくれても――」

「あの、それ今日じゃないといけないですか? 休ませてあげましょうよー」

エイナルファーデがキューナの後ろから不満そうに主張する。

もっともな意見に、ソイが舌打ちしながら席を立った。その背にキューナが頭を下げる。

「あ、班長、期間延長してくださってありがとうございました」

「うるせー。使節団なんか味方に付けやがって、結局いらなかったじゃねぇか」

「いやいや……」

……もしかしてそれで怒っているんじゃないだろうか、とキューナの頭にふとよぎる可能性。


***


キューナは寝台の上にいた。

毛布の下に頭までもぐりこみ、先ほど秘書官から受け取ったものを取り出す。丁寧に包装されたとても小さな小包だった。裁縫用の紺色の糸を引いて包みをほどくと、皮袋に包まれた傷薬が出てきた。なくさないよう、そっと服の下に入れる。

包装紙の内側にはびっしりと細かい文字が並んでいる。使節団と中央州騎士団との通信で使っている専用暗号文だ。

「ええっと……」

毛布の中でもそもそと寝返りをうって、隙間から取り込んだ月明かりで読解を図る。

――中央は勢力争いが激化しているが、特に騎士団が動くような問題はなし。

――国境警備隊に目立った動きはない。

――それから、北州騎士団本部の上官たちの、部外から窺い知れた罪状。

証拠品はまだ確保できていませんが、目撃者や共謀者など関連する役人の名前は控えてありますので、有事の際にはお問い合わせください――

「さっすがー」

頼んでもない仕事の早い友人に、頼もしい、と口角をあげた。

追伸、と書かれた最後の一行をじっと見て、伝馬局の私書箱の番号をしっかりと暗記して、紙を手の中で丸める。

目を閉じると、すぐに眠気が襲いかかってきた。

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