37.復路
往路よりもいくぶん早いペースで広大な雪原をひた進む、8人の姿があった。全員の疲れきった顔を見回して、ヤサルタがキューナに聞いた。
「なぁ、合流できたのに何急いでんだ?」
前を歩いていた副班長が振り返らずに答えた。
「行きと同じだ、遠征期間内に戻らなければ、脱走兵と見なされ処罰の対象になる」
「げ」
「三つ先の町まで行けば馬車が手配されてる」
「あの距離、また歩くのかぁ……」
「お前らが遊牧民なんだりから、いくらかかっぱらって来たっつうならは話は別だが?」
ヤサルタの説明したこれまでの経緯を、信じてるんだか信じてないんだか分からない冗談にして班長が答えた。
冗談の通じないヤサルタが馬鹿正直に首を振る。
「いや、お金って持ってないみたいで、物々交換してましたよ。なぁ?」
「聞いてねぇよ」
ため息をついた班長がさっさと歩いていく。取り残されたヤサルタは疑問符を浮かべるばかり。
「んー? どういうこと?」
ログネルが寄ってきて優しく答えた。
「君たちが息災で、班長も嬉しいってことだよ」
「婉曲にも程があるだろ」
その背をジュオが蹴り飛ばした。
「いたた……えー、そのくらいじゃない? あんな冗談、さっきまで言える雰囲気じゃなかったよ?」
うんうん、とアサトと副班長がうなずいている。
キューナは先頭の班長に並んで、広げた地図を横からのぞき見ていた。班長の目がついとキューナに向かう。
「で、あれはなんだ」
肩越しに、最後尾でうつむく足取りの重いイグヤを示す。
「この状況で、ガキみたいに拗ねてるわけじゃねぇだろ」
「怪我してるみたいなんですけど、大丈夫って言い張って、診せてくれなくて」
「……ま、大した手当てもできねぇけどな」
眉間にしわを寄せた班長が地図をしまい、最後尾に向かう。なにやら言い争っていたかと思うと、すぐにため息をつきながらキューナの横に戻ってくる。
キューナが聞いた。
「あの、ミトラさんは?」
「緊急招集で一日早く基地に帰還した。内部抗争だと」
部下が何人か惨殺されたらしい、と物騒な話をとても冷静な声で説明してくれた。
「……北州の基地は、どこもそんな感じなんですかね」
「さあな。少なくとも、俺が遊びに行ってた頃のサロトは、それに比べりゃマシだったぜ。賄賂は黙認されてたが、殺し合いはきちんと処罰されてた。でもま、人の心配してる場合でもないだろ」
「そうでした」
思考を振り払い、口をつぐんで、さっきまでよりも大きめの一歩を雪に刻んだ。
***
数時間後。周囲は相変わらずひたすらに白い。
班長は、ようやく追いついてきた一年の3人を小さく振り返った。目の前に広げていた地図をたたんで、これみよがしの盛大な舌打ちを鳴らした。
「先に行って報告しておく。おまえらは後から来い」
ぽいと投げられた地図を受け取ったキューナは、絶句する二人をよそに、
「ありがとうございます」
意味を正確に理解して、そう答えた。
黙りこくる全員の中央で、班長は愉快そうに口角を吊り上げて、班員の中で一番小柄で、一番先にさっさと脱落すると思っていた黒髪の少女を見た。
「お前は本当に、肝すわってんな」
副班長が背負っていた皮袋のひとつを奪って、キューナに向けて放り投げる。ずしりと重たい中身は、北限と山分けした戦利品だ。
「足りないと思うが、あとはどうにかしろ」
「ありがとうごさいます」
「明後日の夜までだ。一日、どんな手を使ってでも延ばしといてやる。明後日までに、必ず帰って来い」
「はい。ありがとうございます」
「……じゃあ、あとでな」
「は、班長、待っ……」
ヤサルタの追いすがるような声に、ちょっと振り返ろうとした班長は、一呼吸置いた後、「行くぞ」と副班長に声をかけて、振り返らずに進んでいった。
「なんだよ……あれ!!」
呆然と見送って、見失ってから、ヤサルタが足元の小石を蹴り飛ばした。
「自分の立場が危ういからって簡単に見捨てるのか! 最低だ! 心底、軽蔑した!」
「そうじゃない。そうじゃないよ、ヤサルタ」
キューナの重い声に、ヤサルタの闇雲な激昂が少し引く。
「苦渋の決断だったんだよ。英断、だよ」
すごいと思う。国全体から優秀な人材が揃う、中央の上官の中にも、なかなかいない。こういう決断力は、教えて身につくものではない。キューナのもっとも苦手とするところだ。
下手をすれば、班が丸ごと全滅する。だけど、キューナたちは新人で、その上、遭難という絶望的なトラブルを乗り越えて合流したばかりだった。
イグヤが呟く。
「なんで、お前らまで残ってるんだ、先に行け」
「お前、そんなふらふらで言ってもね」
奥歯をぎり、と鳴らしたイグヤが、渾身の力でヤサルタを殴った。まさか殴られるとは思っていなかったヤサルタは、かっとなって胸倉をつかみ。
「ってえな!!」
「――行くよ、二人とも」
地図を広げたキューナだけが前を向いていた。
「……」
冷静な声に、二人はぐっと押し黙った。
***
渡された路銀を全て使って夜通し馬車を走らせ、下りた街からはひたすら徒歩で進んでいた。
イグヤの顔色はいっそう悪くなっていた。
「少し休んだほうが……」
「平気だ」
「あ、水飲む?」
「平気だ」
なにを言われても「平気だ」とうわごとのように言って足をひきずりながら歩く。すぐに小さな石に引っかかって、派手に転んだ。
「だから肩貸すって!」
ヤサルタの手を無言で払いのけて先へと進む。
そんなことが何回か続いて、そのうちそうも言ってられなくなったイグヤが、ほとんどもたれるようにしてヤサルタの肩を借りて歩く。
やがてそれすら困難になって、反対側からキューナも支えて歩く。
完全に立ち止まったイグヤを抱えて、そわそわしていたヤサルタがついに癇癪を起こした。
「あぁもーもういいよ、逃げようぜ! このまま頑張って戻っても、オレらぜってぇ殺されるんだって!」
「……でも、今頃、班長が決死の覚悟で交渉してくれる。あと一日だけ頑張ってみようよ」
黙っていたイグヤが、意識はあったらしくあずけていた腕をヤサルタの肩から外した。突き飛ばすように二人を振り切って、ふらつく足で石畳をゆっくり進んだ。
掠れた声で呟く。
「……お前らは、どこでも行けよ。俺は必ず戻る。死ぬ気で入ったんだ……こんなところで死んでたまるか」
ジャケットの下からナイフを取り出す。
「お前、何……」
そのまま、進む向きを変えて、通りの端に向かっていくイグヤがポツリと言った。
「馬、盗ってでも」
「だめだって!」
ヤサルタが飛び乗るように押さえつけた。イグヤの首が変な音を立てて、二人して路上に転がった。
「どけ!!」
息を荒くしたイグヤが全力で暴れた。
「お前落ち着けって! オレたち北州騎士団だろ?!」
「だからなんだ! 俺は別に正義気取って騎士になったわけじゃねーよ!」
「そん……」
あまりの剣幕に二の句が告げないヤサルタを押しのけるようにして。
そろそろ限界だ、とキューナの冷静な部分がひっそりと思った。
このままのペースじゃ班長の言った期限には到底間に合わない。それどころか、こんなことをしていれば、全員の生死が危うい。
――どうするか。
周囲を見回せど、思考をめぐらせど、名案は出てこない。
それはそうだ。当たり前だ。
満身創痍の3人が居る以外に頼れる人もいない、路銀はほとんど尽きている、物資だって手荷物だけでほとんどない、体力も限界に近い。
ヤサルタが叫んだ。
「でもオレは騎士だ! お前は仲間だ、だからお前が行くって言うなら引きずってでも連れてくし、でも、お前がそういうことをするっていうのなら、オレは止める!」
「意味わかんねぇ!」
反論できるほどの思考の余裕は、既にイグヤにはなかった。
心臓の音がやけに大きく聞こえる。足の感覚がすでにない。
霞む視界にかろうじて、見覚えのある塔がいくつか見える。馬車で何度も通ったことのある道だと気づいた。
小さい頃から。
これだけは死んでも絶対に使わないと決めていた選択肢がふいに浮上する。イグヤは唇を噛み締めて――
「……実家が近」
諦めにも似た響きで、小さく呟いたとき、
――爆音が鳴った。
「な」
顔を上げた3人にもはっきりと嗅ぎ分けられるほどの、煙のにおい。もうもうとした白煙が一気に巻き上がり、空を覆う。
「か……」
通りの向かいを歩いていた男が青くなって叫んだ。
「火事だ!!!」
唐突過ぎる、あまりの猛威に、3人はしばらく呆然と空を見上げていた。
「ご――ごめん、先行ってて!!」
キューナはそう叫んで、あっさりと身を翻した。
「おい、どこ行くんだよキューナ……――!」
呼び止める声を無視して、逃げる市民と真逆の方向に――風上に向かって石畳を駆け抜ける。
このときのキューナには、もちろん、「ここで首になっても中央州騎士団中将としての自分には問題ない」なんて保身的な考えは、全くなくて。ただ、あぁこれで本部からの駐在の任務は失敗になるかも、とは思った。
おじいやウォンちゃんたちなら、絶対にしない判断ミス。
何度これで「青い」「若い」と叱られたっけ。
でも、何度間違えても――まだ、私はこの考えを貫きたくて。
だって、国立騎士団の全ては、今目の前で死にかけている、守るべき民衆のためにあるのだから。
「……騎士団のごたごたなんて、あとでどうにでもしてやるよ」
いつも通りの、精一杯の虚勢で呟いて。
そして、ごうごうと音を立てて燃え盛る木造家屋の前に、キューナはたどり着いた。
止めるもののない火勢は、すでに周囲数軒にわたって燃え広がっている。
抜け目なく睨むように周囲を見回しながら、小さく呟く。
「……例大祭の大火事……」
それは、数年前に首都で起きた、前代未聞の大災害。
職人たちは何と言っていた?
それから、さっきまで見ていた地図を思い出す。この近くに大きな水場はない。
風を読む。地形は知っている。乾いた風がゆるやかに吹き降ろしてくる。こういう土地の火の回りは、非常に速い。
消火は不可能。逃げるしかない。それが通説だと、職人たちに聞いた。
「とすると、必要なのは――」
近くにあった、まだ人の声がする酒場に飛び込んだ。
扉をぶち破り、テーブルの間を進んで、一人の男の前に立つ。
「儲け話がある」
単刀直入に言った。ヒゲ面の屈強な男は、飛び込んできたぼろぼろの若い女騎士をじろじろと眺め回し。
「……せめて隊服は脱いで来な、お嬢ちゃん」
下卑たジョークに、低俗な笑いが酒場に満ちる。だからキューナはここぞとばかりに、ほこらしげに襟を立てて見せた。
「それは残念だ。ここまで潜り込めてることの証明くらいには、なると思ったんだけど」
「…………なに?」
男が睨むように見上げてくるのに、一切ひるまず、笑顔で見返す。
数秒後、男は傾けていたグラスをテーブルに置いた。指を立てて後ろの数人を呼び寄せ、椅子に座りなおす。
「話くらいは、聞いてやろうか」
***
悲鳴が上がった。
家屋が壊れる音がする。
少し離れたところでその様子を見守っていたキューナの襟首が、ぐんと引かれる。振り向くと、真っ青な顔のヤサルタが息を切らして立っていた。
「なん……お前まで、何してんだよ?!」
目の前の光景が信じられないらしく、襟を掴んでいる手は酷く震えていた。
「大丈夫」
だから、キューナは安心させるように笑ってみせて。
「いやぁ、おばかな酔っ払いばっかりで助かったよ」
キューナが指示した民家だけを、実に忠実に襲ってくれた。延焼してしまいそうな風下の家屋だけを、壊してくれた。
ほら、とキューナが指さす先に、襲い来る火の手が見えた。キューナは物陰から一歩出て、存分に暴れている彼らに言った。
「そろそろ路銀も貯まったでしょ、火と追っ手が来る前に、街の外ににげたほうがいい。さっき、通りの向こうで結構な数の自警団を見かけたよ」
「おう。んとに、至れり尽くせりだねェ」
ぴゅうと口笛を吹いた男、キューナが酒場で声をかけた――彼らのリーダーが、おい、と号令をかけた。
「逃げっぞ!」
彼らもこの地方のこの時期の火事の恐ろしさは身を持って知っているせいか、この街の自警団の数を把握しているのか、それ以上欲張ることなくあっさりと去っていく。
全員がきちんといなくなったことを確認してから、キューナは火のほうへと向かった。
盗賊の手によって火の回ってきそうな家屋はあらかた倒されていたし、その家の人間は追い払われていた。が、彼らの目的は窃盗だ。家屋の破壊が目的ではない。必要であれば自警団に声をかけて、残っている木材に燃え移らないように、どかす必要がある。そう思って燃え移り始めた家を見ていると――
――不意に、人影が窓に映った。
「着いてこないでねヤスラ!」
キューナはそう叫んで、家の扉を開いて、迷うことなく飛び込んだ。襟を立てて口元を覆い、今にも崩れ落ちそうな階段をのぼって二階に駆け上がる。向かうは先ほどの窓の部屋。炎の中に身動きできずにしゃがみこんでいたのは、見覚えのある顔。
「こっち! 早く!」
金品欲しさにキューナの言葉を無視して炎の迫る家屋に侵入した、盗賊の残党。ためらう男の頭上めがけて崩れ落ちてきた柱を見つけ、キューナは反射的に床を蹴った。
――鈍い音。気のせいでなければ、じゅ、という燃焼音も、すぐ近くから聞こえた気がする。
「……ぐ」
襲いくる激痛に、さすがにうめき声がもれた。
燃え盛る柱を右肩で支えたまま、左手で剣を抜き――ほとんど炭と化している柱はたやすく分断された。ごとん、と柱が落ちて、すぐ床板に燃え移る。
「う、うわ……」
ひるんだ声をあげる男の手を掴んで、渾身の力で引き寄せる。よろめくようにして近寄ってくる男を連れて、
「行くよ」
先ほど階段のあった――今となってはただの穴に、飛び込んだ。
***
ふー、と息を吐いて、キューナは立ち上がった。
「立てる?」
天井も大して高くはない民家だ、頑強な肉体を持つ男に怪我はないだろうが一応確認する。
「なんで……」
戸惑いを含む呟きに、
「寝覚めが悪いじゃん?」
と言ってキューナは笑った。男はあっけにとられて、ススで黒く汚れた少女の顔を見つめた。
「あんた……」
「ん?」
「あんた、騎士だな」
「それ、言われて一番嬉しい言葉だね」
ほころぶ笑顔で礼を言う。それから広い背中を目の前の扉に向けて押し出した。
「ほら、早く出て」
玄関扉の向こうから人の声がする。男の躊躇う様子に、ああと彼の職業に思い当たって。
「こっち」
また手を引いて、脇の窓から外に抜けて、裏道を駆け出した。先を走りながら説明する。
「追いつけるか分からないけど、みんな、林に入って道沿いにまっすぐ行ったから」
三人で通ってきた道と地図を思い出して、その先にある町の名を告げる。
「今から走ればぎりぎり日暮れ前には着くってとこだろうから、あの町に泊まるつもりだと思う。だから……」
ためらいを含んだまなざしが、キューナの肩の、派手に焦げた隊服に注がれているのに気づく。
「悪いと思うなら、早くそのケガ治して、この街の再建作業でも手伝ってくれたらいいんじゃないかな」
そのケガね、とキューナが指さしたのは、男の右上腕の深い切り傷。男の左手が血みどろの患部を押さえる。
「あんた、味方多いだろ」
「うーん、友達は多いかな」
はは、と男は豪快に笑う。
二人は足を止めた。倒壊しきった家屋の向こうに、林が広がっているのが見える。男は丁寧に礼を言って、少女に頭を下げ――梁を飛び越えて駆け出していった。男の背が林に消えるのを見送り、キューナはふぅと息を吐き出して――その場に膝をついた。流れ出る汗をぬぐって、片腕でよじのぼるようにしてなんとか反対側の梁を越えて道路に出たところで、
「……あ」
出てきたキューナの前に立ちはだかる、市井の男たち。その表情から、まずい、と思った。
今しがた柱を支えた右腕の付け根をピンポイントで引っぱられて。
「うぐ」
「いたぞ! 強盗どもの逃げ遅れだ!」
自警団。
やっかいだな、と思い通りに動かない全身を叱咤しつつ、騒ぎを広めず逃げる方法をさがし――
「まぁ、団長さん。その方、どう見ても騎士さんじゃないですか」
場にそぐわない、おっとりした女の声がかかった。その声に引き寄せられて、つい皆が状況を忘れて振り向く。
丈の長い若草色のスカートに、真っ白の清潔なエプロン。大きめの木造馬車から降りてきた、どう見てもメイドな女性。
団長と呼ばれた男性はなぜかとても気まずそうな顔をして、キューナの腕から手を離す。
「なにか、御用ですかな」
「ええ。13番地で火事が起きたと聞いて、屋敷から飛んできたところですの」
「そ、そうですか。ここはまだ危ないですので、どうぞあちらへ、避難場所がありますので……」
メイドは遮るようににっこりと笑った。
「お心遣い感謝いたします。ですが、事態はもう収束したように見受けられますわ」
「……い、いえ、その」
メイドの返答は、平たく言い直すと――鎮火した今、もう何も危険がないんだから去る必要はないだろ、という意味だ。
自警団長はこめかみの汗をぬぐった。それに全く気づいていないふうで、メイドは笑顔のまま、焼け跡をぐるりと見渡して。
「ご心配なさらずとも、後片付けのお邪魔はいたしません。ただ、そちらの騎士さんにお礼をしなくてはと思いまして」
目が合った。にこりと微笑むその顔には見覚えがあった。
そうか、ここはドックラーさんの領地だったっけ。
呆然と考えている間に、メイドが歩み寄って来た。
「き、危険です! お下がりください、そいつは強盗どもを先導して――」
「ご心配なく、一部始終の報告は受けておりますわ」
キューナの両手をとって、自身の胸元へと引き寄せた。
「火を消し止めてくださって、本当に、本当に、ありがとうございました」
至近距離に、ヘッドドレスと綺麗なつむじが見えた。
「は……?」
その後ろに、呆けた顔の自警団長。
動けない自警団と、火が消えたことで何事かと集まってきた民衆とが、徐々に周囲に人だかりをつくる。
それをちらりと意識したメイドが、キューナをかばうように団長の前に立った。
「では、逆にお聞きしましょうか。団長さんは、どうしてここで火が止まったとお思いですか? この、強盗の居た場所で。この騎士さんのいた場所で。あれだけの火がこんな街中で中途半端に消えたことなんて、今までにあったかしら?」
「そ、それは……」
団長が口ごもり団員たちが顔を見合わせざわめくのを見て、メイドはさっさと両手を叩いて結論をまとめた。
「お分かりいただけたようで何よりです」
「キューナ!」
人垣を抜けて駆け寄ってきた二人を見て、メイドが――
「まぁ、怪我をされたのね!」
――わざとらしいオーバーアクションで驚いてみせた。
いや、彼女の平素の冷静すぎる言動を見ていなければ、普通のメイドさんだと思っていれば、それは案外と普通のリアクションだったかもしれない。良く通る大声に、自然と注目が集まる。その中心で、メイドはかたわらの馬車を呼び寄せてテキパキと扉を開けた。
「大変、すぐに手当てをしなくては。さぁ、お乗りになって!」
「い、いや、これは……」
断ろうとするイグヤの声が尻すぼみに消えたのは、先に乗り込み御者と話をしていたメイドが、キューナたちだけに見える角度で、いたずらっ子のように微笑み、ほっそりとした人差し指を口元に立てたから。
彼女の魂胆を理解したキューナはとっさに二人の肩をつかんで、
「ありがとうございます、お願いしますっ」
と叫んで、ひきずるようにして馬車に乗り込んだ。
うろたえる二人の声を掻き消すように、ヒヒン、と馬がいななく。
今にも走り出しそうな馬車に、自警団長が慌てて駆け寄った。
「ま、待て、困ります。彼らには事情を」
「怪我の手当てが最優先ですわ。よね?」
「え、ええ……」
「事情をお聞きになりたいのでしたら、団長さんも、明日屋敷にいらしてくださいな」
あたたかい紅茶を入れておまちしております、と指をそろえて丁寧に頭を下げられて、自警団長は市民の視線がある中でそれ以上の無理強いもできず、去っていく馬車を見送ることしかできなかった。




