34.遭難
「はあ? 知らねぇぞ、こんなとこに税関だと?」
御者の横に座っていた班長が大声をあげた。馬車の中に居た全員で顔を見合わせる。
馬車が止まった。
御者の頭越しに覗き見れば、大木の丸太が二本、道の真ん中に交差するように渡されている。その両端に、槍を持った門番が立っている。
脇の小屋から男が出てきて、班長に言った。
「ここを通りたくば通行税を支払え。領主さまのご命令だ」
「騎士団の正式な任務なんだが」
班長の言葉に、男は首を振った。
「いかなる例外も認められていない」
そして男は馬車の中をひょいとのぞきこんでから、金額を書いた書面を提示した。皆で息をのむ。
「……ぼったくりもいいとこだな」
男には聞こえない小声で、室内の副班長が悪態をつく。はーん、と班長が納得したように言ってジャケットの襟をつまみ、男を睨みつける。
「そういうことなら、隊服は脱いどくんだったな」
その言葉にぐっと顔をしかめた副班長が、屋内から身を乗り出して声を荒げた。
「おい、どういうことだ。課税は一定額のはずだろう。不正課税か?」
鋭い詰問口調に、アサトがびくりと身体を震わせる。門番が言い訳のような説明を始めるのを遮って、副班長はアサトを連れて馬車を出た。
「すぐに領主を呼んでくれ。話を」
「んな時間ねぇよ。あそこだろ?」
冷めた声で班長が言って、緑色の斜面に建てられた豪邸を指さす。門番が不気味な笑みを浮かべてうなずく。
突きつけられた書面を隅々まで確認して、班長は舌打ちをひとつ。続いて、出発前にアゴロから渡された地図を開き、路銀の入った皮袋を覗きこむ。
「どうする、路銀はきっちりしか出されてないんだろ」
副班長が小声で尋ねる。よし、と班長が言い置いて男に向き直り、
「いいから通せ」
剣を抜――こうとするのを、アサトがひぃと悲鳴を上げながらしがみついて止めた。
「む、無理だよ、あの小屋にも、この先にも、まだいる……!」
はやくもぼろぼろと号泣しているアサトに二人はぎょっとなる。
「そんなに? どんくらいだ」
「に、20、30……」
震える声が示す具体的な数字に、班長が舌打ちを鳴らして、剣から手を放した。胸に手を当てたアサトが、大きく息を吐いて地面にしゃがみこむ。
班長に顔を近づけた副班長がささやいた。
「帰りの路銀が足りなくなるだろ」
「あとで考えるしかない」
予想外の出費に痛そうな顔をする班長たちを馬車の中から眺めて、
「何もめてんだ?」
会話の半分ほどしか聞こえていないヤサルタが、指遊びをしながら不思議そうに首を傾げる。さぁ、とログネルがぼんやり答えた。イグヤとジュオのいびきと寝息が交互に聞こえる室内から飛び降りながら、キューナは襟首を掻いた。その手を班長たちの前に突き出して、
「班長、これで足りますか」
握り締めた紙幣を見せた。
突然現れた大金に、一同がぎょっとなる。
「……お前、これ、どうした」
「本部の部屋に置いとくのも怖かったので、持って来ました」
班長が皮肉げに口角を上げる。
「いいのかよ、逃げるために持って来たんじゃねぇの?」
「そのときはそのときに考えます」
「あそ」
生意気なくらい冷静な新人騎士に呆れて肩をすくめる。
***
税関を無事に通過し、走り始めて数時間後。
背後からものすごい量の馬の音と車輪の音が近づき、併走し、すぐに追い抜いていく。
「うっせぇな」
寝ていたジュオが片目だけを開け、苛立たしげに壁を蹴った。
キューナが首を傾げる。
「なんだろ、商隊?」
「止まれ!!」
屋外前方から、男の野太い怒号がとどろく。
馬車が急停車する。馬が甲高くいななく。御者が、慌てきった声で室内の班長を呼んだ。班長が俊敏に扉を開けて駆け出していく。
「――ひ、ひぃ! 騎士だ!!!」
敵と思しき男たちのみっともない悲鳴が聞こえてきて、班長を追おうとしていた皆の足が止まる。ものすごい量の馬の音と車輪の音が遠ざかっていく。すぐに、馬車は再び走り出した。不自然なくらい平穏に。
班長が憮然とした顔で戻ってきた。
「何だったんだ?」
「知らねー。盗賊かと思ったが、顔見るなりどっか行きやがった。良い運動になるかと思ったのに」
馬車の荷台の狭い部屋に長時間押し込められて、バキバキになった身体を伸ばしながら不満をもらす。
「降ってきたな」
薄暗い曇り空から白いものが絶え間なく降ってくる。ヤサルタが盛大なくしゃみをした。
「急に冷え込むねぇ」
キューナは二の腕をさする。
「雪だからな」
北に向かうにつれて降雪は勢いを増し、瞬く間に一面の雪景色に変わった。
その白い景色を楽しむキューナに、
「よく飽きねえな」
と、イグヤが呆れた目を向ける。
「着いたよ」
御者が言う。地図を見ていたログネルがえっと慌てた声を出して、現在地を確認する。
「下りてくれ。ここまでって話だったからね」
御者はつれなく首を振る。
「はあああ? 基地までじゃないのか?」
「この馬車じゃここまでだよ、あんなところまで馬車で行くのはムリだ。こんな雪じゃ車輪が壊れちまう。雪道はいぬぞりでなきゃあ。私だって死にたくははない」
ジュオが柄に手を掛ける。御者が悲鳴をあげる。班長がジュオを片手で諌めた。ジュオが班長を睨む。
「こんなとこで善人ぶってどうすんだよ」
「交渉って言葉知らねぇのか野蛮人」
ぶるぶる首を振った御者が急いで手綱を降り下ろした。
馬車はあっという間に去っていく。泥混じりの雪の上に轍だけが残る。
「あっテメっ」
「班長、追いますか?!」
慌ててヤサルタが聞くのに、
「馬に追いつける自信があるならな」
「だから言っただろうが」
「ううわあケンカしないでええ」
涙目のアサトが両腕を振り回しながら二人の間に割り込む。副班長が通行人の男を呼び止め、犬ぞりを借りれる場所を尋ねる。男性が指さした先の店に、ログネルと班長が飛び込んだ。開け放たれた扉から、店の中の声がはっきりと聞こえてくる。
「悪いが、犬もそりも貴重な財産なんだ、よそ者には貸せないね。どうしてもっていうなら買い取ってもらうことになるが」
眉間にものすごいしわをよせた班長が店から顔を出し、キューナを呼んで手招いた。
「一応聞くが、さっきので全財産だよな」
キューナは一歩も進まないまま、返答代わりにポケットの中で残りの硬貨を鳴らす。班長はすぐに頭を引っ込めた。
それからケンカに聞き間違えそうなほどの言い争いののち、浮かない顔で皆の元に戻ってくる。
「断られた」
「聞こえてたよ」
「天下の騎士様を何だと思ってやがんだ」
ジュオが怒るのに、副班長が睨みつける。
「やめろそういうの、アイツらみてぇ」
くもり空にうっすらと見える虹色の暈を見上げていた班長が、やがて言った。
「歩くぞ」
「えええっ」
「ここでぼさっと立ってても進まねぇだろ、行くぞ」
さっさと歩き始めた班長の背に、
「おい、時間は?」
と副班長が問う。
「大丈夫だろ」
太陽の位置を指さして、班長が答える。
キューナが聞いた。
「あの、時間って?」
「時間までに着かないと脱走兵扱いだ」
「げ」
「いつまで騒いでる。体力の無駄だ」
前方から急かす班長に返事をして、一同は雪道を歩き出した。
***
「やっと着いたぜホントの北限ー!」
うるせぇとジュオに蹴り飛ばされて、ヤサルタは雪の中に頭からつっこんだ。
石像の台座に座ったログネルが片足をひょいと上げる。
「そのブーツ、もうだめだね」
「ですね……やっと履きやすくなったところだったのになぁ」
アサトの言葉にうなずいて、たっぷりと水を吸って黒くなった革を残念そうに触る。
一足早く基地に着き建物に入って駐屯の手続きをしていた班長が足早に戻ってきた。
「立て、移動だ」
全員を促して門へと向かう。
「え、着いたばっかなのに?」
「今指示が出た。駐屯だと。詳しくは行きながら話す」
アサトとログネルが犬ぞりを捕まえに大通りに出て行く。
「お待たせ致しました! 案内役のミトラ=カクリアです」
モコモコの帽子をかぶった隊服姿の女性が建物から飛び出してきて、皆の前で敬礼した。
その直後、門の前に一台の犬ぞりが止まる。アサトが荷台の上から皆を手招きする。ミトラが御者に行き先の説明を始めた。
全員が乗り込むなり、班長はだらしなく寝そべった。
「副はんちょー、パァス」
俺やる気ないから、と目を閉じて、持っていた資料を投げつけるように隣の副班長に渡す。
「……まぁいいが」
副班長は抵抗することなくそれを受け取って、班長の足の上に置かれていた残りの資料も自分のひざの上に動かして、一番上の一枚を開く。
「北限は北州の中でも貧しい地域だ。資源は常に枯渇しているし、治安は非常に悪い。で、中でも、数十人規模で徒党を組んで村や集落をまるごと奪うという手口が横行しててな」
「うげ」とヤサルタ。
「卑劣ですね」とログネル。
「でも、効率的だな」と目を閉じたままの班長。
「えええ……」
涙目で震え始めたアサトは放っておかれた。
副班長が資料に再び目を落とす。
「去年、北限基地が総力を上げて掃討したが、事前にどこからか情報がもれたらしく、逃げた集団がいくつかあった。これからの時期は気候が変わりやすくて移動が困難になる。だから奴らは毎年、この時期に仲間を増やし戦略を立て、春季に動き出す。その前に、勢力が分散している今のうちに叩いて機動力を減らす、という仕事だ」
「具体的に言うとー、小さい集落いくつか回って、そいつらの残党がいないか確かめてくる、いたら殲滅か捕縛か報告、ってとこだな」
頭の後ろで腕を組んで、目を閉じたままの班長があっけらかんと言った。
「……ソイ、起きてるなら説明してくれれば」
「お前の話が分かりにくいんだろ。背景なんてどーだっていいだろが」
アサトがぽつりと言った。
「厳しいね。この人数で、この吹雪の中?」
表情を曇らせる一同に、ミトラが恐縮しきって小さくなった。ひざのうえで、手袋をつけた小さな手を握りしめる。
「すみません、今、北限は深刻な人員不足なので……去年までは私どもの班も同行していたので倍の人数だったのですが、そのう……例の作戦前に騎士団の2割ほどが失踪して、一割ほどが死傷した上に、作戦においても一割ほどが殉職しまして……」
「は? 二割が寝返ったってことか?!」
イグヤが目を瞠った。
「そんなもんだろ」あくびまじりのジュオ。「元々盗賊側だったんだろ。騎士団なんて、実力さえあれば出自すら問われることなく簡単に入れる。二足のわらじなら実入りも情報も効率よく手に入るしな」
本部にもどのくらいいることやら、とぼやけば、アサトが面白いくらい震え上がる。
「ええ、それで、元帥は、この作戦の実働にはなるべく北限を関与させず、派遣される本部の人間を使うことを決めたんです」
はーあ、と班長がため息をついた。
「なんとなーく分かったわ。おかしいと思ったんだよな、すぐ死ぬだろう役立たずの俺ら若手ばっか呼ばれることとか、この人員比とか。北限の人間が本部の人間以上にならないように、かつ、本部にのっとられないように、ってとこか」
「はい、正にそのとおりです」
うなずくミトラにログネルが心配そうな顔をする。
「それにしたって、北限側がたった一人っていうのはひどいですよね。いくら人手がないっていっても、隊編成の規則どおり、せめてペアにすべきだ」
「ええ、規則どおり、軍曹以下はペア制ですよ?」
にこにこと言うミトラの言葉の意味すること辿りついて、みなが固まり。
「紛らわしいからそのへりくだった態度……ぐ?!」
「とてもお若いで……いった!」
班長とログネルの頭を引っつかんで、副班長が勢いよく頭を下げた。
「大変、失礼しました」
「え? へ? ああ、ふふふ。こちらこそごめんなさい、私の一族、昔から背ぇ低くって」
そういう問題じゃない、とイグヤが小さく呟いて、嬉しそうに微笑む少女のようなミトラの顔を見つめていた。
この様子だとまぁ当分バレやしないなぁ、なんてキューナが考えていたのは、また別のお話。
***
一面の銀世界。
吹雪の中、G班とミトラは犬そりで移動していた。そのそりが急に大きく揺れ、傾いて止まった。
「押すぞ!」
目を閉じて黙って座っていた班長がぱっと目を開けてそう叫んた。全員で雪面に下りる。両足はたやすく新雪に沈み、すぐさま刺すような寒さが全身を襲う。視界は狭い。
真っ白な雪原に向かって、真っ赤な顔のイグヤが吼えた。
「なんだよ畜生!」
青筋を浮かべた班長がその背を蹴り飛ばす。
「早く手伝いやがれ愚鈍!」
「うわっ、はいっ」
皆が慌しく走り回る中、キューナは剣を固定する金具を取り外し、コートの下から剣を鞘ごと引き抜いた。荷台の下を覗き込み、下側になっているエッジの下に剣を差し込み、強く蹴り入れる。
「せーの!」
荷台側から聞こえてきた掛け声にあわせて、突き立った剣を全体重をかけて下方へ押し下げる。自身の剣を持って駆け寄ってきたミトラが加勢して、ごとりと荷台が揺れた。
動き始めたそりにすぐに飛び乗って、キューナは剣を付け直しつつ隣に座った女性に言う。
「ありがと」
「いいええ」
しまった、うっかり敬語を忘れた。だがミトラは気にしたふうもなく白い息を吐きつつ微笑んでくれる。キューナも微笑み返した。
前方では、先ほどミトラに教わってすっかり犬ぞりの操縦が板に付いた班長が背を伸ばして手綱を握っている。その隣に副班長が立ち、前方を睨みつけている。
***
「ぶあああ! 冷てええ!」
真っ赤な顔をしたイグヤが飛び込んでくるなり叫んで、フードを下ろし、全身から雪を払い落とす。
その後ろからヤサルタ。
「見て見てまつ毛凍った!!」
「うっせぇ黙れ下らねぇ!」
「うわひっで、イグヤだってうっせぇじゃん」
小屋に入らないそりを外に固定して戻ってきた二人のおかげで急に賑やかになった部屋に、笑顔になるキューナと、迷惑そうな顔をする先輩がた。二人は気づかず騒ぎ続ける。
「こんなんやっぱ、支給品だけじゃやってけねぇよ!」
あまりの寒さに、座ったり立ったりうろついたりを繰り返すヤサルタ。
「かと言って、装備の上から着れるようなコートって高いよな。買ってこれるわけもなし」
ガタガタと歯の根を鳴らしながら、北限基地で見かけた上官たちの格好を思い出して、イグヤが言う。
「どうせすぐ汚れるしな」
「汚れならいいよ、でも破れたら意味ないもんな。凍えて死ななくても、飢えて死ぬ」
イグヤが皮肉げに笑って人差し指を立てた。
「あとさ、あんま高いの買っても、上官に取り上げられたりしてな」
二人で暗い半笑い。簡素な扉を数枚隔てた先で、狂ったような吹雪がしきりに荒っぽいノックを繰り返す。建物のそこらじゅうが鳴っている。
「……ここ、丸ごと吹き飛びそう」
心もとない天井の梁を見上げてぼそりと呟いたヤサルタを、イグヤがどついて黙らせる。
「大丈夫かルコックド、今頃酔ったのか」
真っ青な顔で黙り込んでいたキューナに気づいた副班長が顔を向ける。ああ、とイグヤが先に答える。
「こいつは寒さになれてないだけですよ、中央よりの生まれなんで」
キューナは目だけでイグヤに礼を言う。イグヤは自然に目線をそらした。
「そうです。すごいですね、寒いと震えって止まらなくなるんですね」
がたがたと目に見えて震える体で笑ったキューナに、ミトラが気づいて飛んできた。キューナの手を引いて暖炉の前に座らせてひっついた。土間に伏せていた犬たちを呼び寄せて近くに座らせる。
「おい、話が途中なんだが」
先ほどまでミトラと額をつき合わせて、今後の作業についてなにやら話し込んでいた班長が、顔をしかめて寄ってくる。
「あ、そうでした。装備が足りないという話までしましたね。ええと、武器の調達には隣町まで行かないといけません。徒歩で片道一時間、そりなら20分。三人もいれば足りると思います。ああ、あと、隊服姿で行くのはまずいので人数分の外套を用意したほうがいいです。それから、村の間で残党同士が連絡を取り合っていることがあるので、作戦開始前には村に通じる全ての道に見張りとバリケードを設けます。その下見に……」
ぺらぺらとミトラが説明する。
「あー……」
指折り数えていた班長がめんどくさそうなうめき声をあげて、手を広げぷらぷらと振った。赤鈍色の髪を乱雑に掻き回しつつ、周囲を見回す。
薪から飛び出していた細枝を折って、ヤサルタの前に突き出す。
「あれ、やれ」
「……はい?」
早くしろ、と急かすように枝の先をくるくる回す。沸点間近に見えるその表情に、ヤサルタはひとまずその枝を受け取って。
「ええと、すんません、何の話ですか」
「あれだよ、お前ら、演習場に描いてたじゃねぇか」
名前は知らん、と断言される。それでキューナには分かった。
しまった。そういえば、いつにも増して忙しい日に、一日だけ消し忘れたのだった。
「とぼけてもムダだ。消し忘れた自分を恨め」
「あー! あれ、ルコックドですよ! な!」
何の悪気もなくヤサルタが言って、隣のキューナにぽんと棒を渡す。
しょうがない。
「……あれ読めるんですか?」
「読めたんなら自分でやるわ阿呆。二割くらいだ」
苛立たしげに足音を鳴らし、盛大な舌打ちを鳴らす。
クウナが使いやすいように独自に省略してある上に、砂地で歪んでいたあれを、何も説明されないまま、二割読めて何のことか意味が分かるってだけでも、充分すごいのだが。
キューナの手が、棒の先に飛び出していた邪魔な皮を引っぺがす。犬を連れたまま土間に下りて、踏み荒らされた土を一度ならしてから、がりがりと線を引く。書き始めたキューナのすぐ後ろから、見張りのように張りつく班長が見下ろしながら順に項目を言ってくる。なんだか緊張するなぁと肩に入る力をほぐしつつ棒を動かす。それでも耐え切れなくなって言った。
「……あの、書きづらいん、ですけど」
「あれこれ聞かれないだけマシだろうが。いいから黙って書け。ふぅん、順に書かれりゃ何となく分かるな。そのよく分からん公式はあとで教えろ」
「ああ、はい」
元はアカデミーで開発された手法だったはず。それを単に、クウナの部下の文官たちが持ち込んできて、便利だというので皆で活用していただけだから、中央の機密という訳でもない。
むしろ、北州騎士団で普及し活用してもらえるなら、クウナたちとしても手間が省けて願ったり叶ったりだ。
指示通りの相関関係になるように並べた項目を線で繋ぎ、計算結果をその下に書き加え、
「ふーん」
びっしりと描かれた図をざっと見通して、班長が考えをまとめる。
「つーことは、おい全員聞け。――」
***
班長が右手を挙げた。
意気揚々と飛び出してきた群集が、ばたばたと倒れこんでいく。
昨晩作った仕掛けは順調に作用し、連携も打ち合わせどおり。
「……よーし」
「お見事。末恐ろしいですね」
上官からの手放しの賛辞に、班長は得意げに笑った。
「安心しろよ、別に北限に攻め込むつもりはねぇから」
すぐ後ろで副班長が「敬語敬語」と呪文のようにブツブツ言っているが班長はシカトした。
ミトラは可愛く笑って言った。
「ああいえ、そういう心配はしていません。いざとなったら私一人で斬り捨てられ……おや?」
柱の影から飛び出してきた男が一人、腕から血を流しながら森のほうへと駆けて行く。
班長が舌打ちを鳴らして、
「ヤサルタ! イグヤ!」
身軽な二人を呼んで、自身も駆け出そうとして――
行く手を阻むように突き出されたミトラの片腕を睨みつける。
「何の真似だ」
「ここは私が」
言うなり背負っていた平たい剣を抜き、
――薄い背が板切れのようにしなる。
ミトラの右腕がバネ仕掛けのように飛び出して、遠方の男がどさりと雪原に倒れた。雪が飛び散る。走り出していた少年二人を一瞬で追い越し男を仕留めた剣に、全員が固まった。
「……遠投……」
呆然と呟く班長の横で、ぐるぐると腕を回すミトラ。
白い雪の上に、じわりと血の色が広がっていく。
伏した男の頭部を、遠慮なしのジュオが蹴り上げる。そのブーツが今度は背中に乗る。
「雪上迷彩とはな。騎士団より金持ちじゃねぇの」
「そりゃそうでしょ」
服の下から金品を漁る。そのまま懐に仕舞いこもうとするジュオの背後から、班長が諌めるように言う。
「おい、取り分は北限と本部で5:5だ」
「は? 俺らの総取りだろ。コイツ、最後しか動いてねぇし」
にこにこと微笑んだままのミトラを一瞥してから、班長が言った。
「道案内と情報も、だ」
「ありがとうございます」
「……こちらこそ」
ミトラから顔をそむけるようにして小さく答えた班長のぶっきらぼうな言葉に、他の班員が首をかしげた。
***
戻るぞ、と班長が言って歩き出した。道案内のミトラを先頭に、一列になって深い雪の中を進む。既に両足の感覚はない。
「吹雪いてきたな」
強風が作る轟音に紛れ、キューナのひとつ前を歩くジュオが言った。数歩先がもう見えない。ごう、とひときわ大きな突風が吹いて、立っていられずしゃがみこむ。風の音しか聞こえない中、かろうじて、かすかにアサトとヤサルタの大声が聞こえた。それからしばらく後に、後ろで誰かが転倒した音が聞こえた。
とっさに閉じた目を何とか再び開けたときには、前方の姿はない。
「え?」
慌てて駆け出そうとして、襟首を後方から引っぱられる。立ち上がる前に、すぐにまた強風が吹いて、視界が白に覆われる。
「俺の後ろにヤスラもいる! 班長たちは!?」
イグヤの声だ。
「見えない!」
首をひねって短く答え、襟を掴む手の手首を離すまいと掴み返す。吹き付ける強烈な風のせいで呼吸すらおぼつかない。顔面の皮膚が剥がれそうだ。寒さと痛みを通り越して、鈍くなってきた感覚にぞっとする。
そうして三人は、真っ白な世界に置き去りにされた。




