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Hard Days' Knights  作者: 里崎
三週目編
33/73

32.食堂と老婆

休日。

畑仕事を終えて、疲れ果てた下っ端みんなが部屋でぐったりしている時刻。

短い仮眠をとって早々に回復したキューナは、こっそりと宿舎を抜け出し、いつのもように塀に上がった。以前荷運びを頼んだ子どもと、その子どもを建物の影から監視している騎士の姿を確認して、しばらく塀の上でのんびり寝そべり時間をつぶす。

公務の合間の休憩時間に監視を命じられている騎士たちの、交代のタイミングは多い。監視が途切れたことを確認してから、

「よしょっと」

キューナは今日も無事に着地した。

まどろんでいた子どもがその音に目をさまして朝の挨拶をしてくるのに頭を撫でてやって、今の時刻を教えてやる。改めてお昼の挨拶を元気良く交わす。子どもがキューナの頭を指さした。

「あ、そうだった、忘れてた。ありがと」

 キューナはコートの下に手を突っ込み、小さく畳んであった上官用の帽子を取り出して目深にかぶる。子どもに手を振って歩き出した。

 最近覚えた北の曲を鼻歌に、キューナはのんびりと路地を進んでゆく。皆が好んで吹いて鳴らす、素敵な曲だ。

「さてと、まずは――」


***


 厨房から安い肉が焼け焦げるにおいがする。空腹感をうながす絶好のにおいだ。厳しい仕事の合間に唯一の息抜きにやってきた常連客たちが織り成す活気ある喧騒の中、両手に皿を持ち、狭いテーブルの間を慌しくにこやかに駆け回る数人の娘たち。

 食堂入口の内開きの扉がまた動いた。油のしみた板張りの床が軋む音に、注文をとり終えた女主人が戸口を振り返る。

 小柄な、隊服のコートがひとつ、立っている。

「あら、いらっしゃい、若い騎士さん」

「こんにちは」

 キューナは帽子を取って気安い挨拶をする。目立たない奥の席につくなり、すぐに出される一杯の水。

「……あ、お客さんは花水はダメなんでしたね」

 失礼しました、と女主人は手際よくカップを盆に戻す。少し色の付いた水面がゆれた。

「覚えてくれたんだ、ありがと。あればっかりはどうもねー」

 北州では安価な飲料水として普及している花水だが、水源の豊富な南州で生まれ育ったクウナとしては、できることなら植物のにおいのしない水が飲みたいのだ。

 手渡された雪解け水に礼を言って、嬉しそうに飲み干した。空になった陶製のカップを店主の盆に返し、「おまかせ」の注文を省略してお決まりの質問をひとつ。

「で、どうです、最近の街の様子は」

 女主人は嘆くように首をふった。

「相変わらずね。作物は採れないし、騎士はみーんなえばりくさって暇そうにうろついてるし……あ、貴方のことじゃないわよ」

慌てて弁解する正直な女の言葉に、キューナは気にしていないというジェスチャーと一緒に微笑み返した。女はほっとしたように笑んだ。

「何か役に立つ報告ができたらと思うんだけどねぇ。うちも毎日店を回して食べていくだけで精一杯でね」

「充分ですよ。いつも色々状況を教えていただいて、感謝してます」

 照れを混ぜて豪快に笑う女主人の後ろから、「おかあさん、」と声。

「こんにちは、騎士さん」

看板娘のシャヤが可愛らしい笑顔を浮かべて、湯気の立つグリル皿をキューナの前に置いた。

「本日は、雪兎の内臓と根菜のスープです」

「ありがとシャヤ」

とろみがかった琥珀色のスープをのぞきこんで、おお、とキューナの歓声。

「ラッキーなのよ騎士さん。これね、今朝しとめたばかりの大物なの」

 誇らしげに言うシャヤの視線を辿って、キューナも入口近くの大テーブルを見る。昔ながらの狩人の格好をした男たちがカップを手に立ち上がり、周囲から賞賛を受けていた。

 キューナはいただきます、と言って、豊穣の女神に祈りを捧げてからスプーンを手に取る。

「どうぞ、ごゆっくり」

 シャヤが一礼して厨房に戻っていく。

 キューナは大きく切られた兎の肉をほおばった。味は大衆食堂のもので普通だけど、あったかいし、何より量がある。やっぱり畑仕事のあとは、これくらい食べ足さないと足りっこない。

 半分くらい食べたところで、キューナはコートの下から、先ほど立ち寄った伝馬局で受け取った封書を取り出して開いた。出がけに休暇を命じたはずの我が家の執事は、やっぱり今もなおきっちりと留守番を続けているらしい。なかなか噛み切れないスジ肉を味わいつつ、綺麗な字の踊る書面に目を通す。

「……あ、そうか、いま北州に住んでるんだっけ、え、あの人も? へー」

 うつむいてブツブツ言う騎士を、近くに座って食事をしていた職人姿の青年が気味悪そうに見た。


 しばらくして、他のテーブルの給仕を終えた女主人がキューナのところに寄って来た。

「食事中にすまないんだけど、ちょっといいかい」

「ええ、食べながらでよければ」

 スプーンが止まらないので、と笑いながら答えると、女主人も笑って頷く。

「構わないよ。時間がないのは知ってるんだ。でね、いつも通ってくれるいいお客のあんたにこんなことを頼むのは、大変申し訳ないんだけど……」

「なんです?」

 いつも快活豪快がウリの女主人が見せた恐縮しきった顔つきに、キューナはスプーンをくわえたまま首をかしげた。

「あなた、もしかしなくとも偉い地位にいるのよね?」

 女主人の目が、キューナの肩の後ろ、椅子に引っ掛けてある帽子をそっと見た。他の騎士たちが一個つけているだけで大仰に自慢している褒賞が、数個並んで光っている。

 キューナは、頬を精一杯動かしながら顔を上げた。

「うーん。訳あって、騎士団の人間とはなるべく顔を合わせたくないんですよねぇ、それで力になれることなら」

「……あなた、ホントに騎士なのよね? ……ああ、いや、」

 失言に慌てる女主人に、キューナはもっともだと笑う。

「でも、大丈夫よ、会って欲しいのは騎士ではないの」

「んー、貴族ですか」

「ええ」

 騎士個人の顔が利く対象と言えば政治家か貴族だが、その中でこういう食堂に来る人間といえば、暇な貴族の跡取りくらいだ。することはないが権力と金があって、そこらへんの屈強な騎士を適当に金で雇い、市井を荒し好き放題している連中。

 女主人は人目をはばかる様子を見せて、声を一段とひそめた。

「……店で暴れる若いのの中に、娘にちょっかいを出すのがいてね。この前、縁談がどうとか言ってきたのよ。ねぇ、どうにかできないかい」

 貴族に縁談を組まれてしまったら、一介の市民が断るのは難しい。

「んー……」

 キューナは空になった皿の淵で、スプーンをカチカチと鳴らした。

「相手にもよりますねぇ」

 アルコクトの名は北州の貴族にも知られているが、この顔がそうだと分かるのは、中央との行き来があるよほどの名家だけだ。その気になればひょろい貴族とそのお付の騎士の一人や二人、適当にぶっとばすことはできるが、そのあとこの店がどうなるかは保障できない。

 この問題に、クウナの出番があるかどうか。

 まぁ、とりあえず。

「その貴族さまのお名前は?」

「下の名前しか分からないのだけど……ハンティーザとか呼ばれてたわ」

「あ」

 ハンティーザ=ソスルストン。

 言わずと知れた、ソスルストン家の長男坊だ。

 戸口の開く音に振り返った女主人が

「き、来たわ!」

 悲鳴のような声を小さく上げてから、必死に猫なで声を作って来客のもとへと駆けて行く。その彼女を乱暴に押しのけて、金髪の細身の青年は尊大なしぐさで店内を見回した。我が物顔で娘の名を呼び、ずかずかと店の奥に入っていこうとする。

「おい、鍵がかかってるぞ! ここを開けろ! 聞こえないのか!」

 厨房へ続く薄い扉を、派手なブーツで遠慮なく蹴り飛ばしている。

「……あいつかぁ。ちょーっと、めんどくさいんだよなぁ」

 ごくごく小さく呟いてから、キューナは綺麗に平らげた皿と食事代とチップとをテーブルに残して席を立った。椅子にかけておいた帽子とコートを身につけながら、いきなり始まった騒動にどよめくテ-ブルの間を縫うように進む。近くの椅子に残されていた誰かのマフラーを拝借して、北州に来てから切った髪を隠すように、手早く巻きつける。気立てのよさで評判の看板娘をどうにか助けようと群がるものの、うかつに近づけないでいるなじみの客たちを押しのけて、キューナはハンティーザの元へたどり着く。

 一振りだって剣を振るえそうもない、細い肩に、ぽんと手を置く。

「な、無礼者!」

 息まいて振り返ったその激昂顔が、想定外の景色にきょとんとなる。

 屈強そうな市井の大男たちは少し遠くから事態を見守っているだけ。目の前にはやけに小柄な騎士が、たった一人。

 決して高いほうではない自身の目線よりもやや下にある帽子の高さを見て、そこにある褒賞を数え、ハンティーザは得意げに鼻を鳴らした。

「何の用だ下級騎士。待ってろ、今、向かいの店にいる僕の子飼いの騎士たちを呼んでやる。泣いて謝ったって遅いんだからな!」

 周囲が怯えたようにどよめく。その喧騒から察するに、どうやら過去にもこの店で、何度かやらかしているらしい。

「……やっぱ、これだけじゃダメかぁ。でも騎士が遠いのは好都合」

 この店、食事は上出来なのにアルコールを一切置いてないから、酒好きばかりの騎士たちはめったに訪れない。鉢合わせの可能性が低いから、それでこの店を選んでいるというのもある。

 うん、と一人でうなずくキューナにいらだったのか、

「なにブツブツ言って――」

青年の細腕が、目の前の邪魔な帽子を払いのける。

 そして、そこにあった見知った顔に、固まった。

「ひ……」

 斜め後方に飛んだ帽子に手を伸ばし、見もせずにキャッチしたキューナは、それを自分の胸に当て、にっこり微笑んで告げた。

「ご無沙汰しております――ハンティーザ=ソスルストン公爵様」

 公爵、の響きに、周囲がさらにどよめく。

 ハンティーザの目は大きく見開かれたまま。

「な、あ、あ、アルコ――」

「シャヤ! もう出てきて大丈夫だよ」

 ハンティーザの言葉にかぶせるようにキューナは明るく叫ぶ。

 厨房の鍵が開く音がして、シャヤが半泣きの可愛らしい顔をひょっこりと出す。スカートを軽く持ち上げてぱたぱたと母親の元に駆け寄り、少し汚れたエプロンの後ろからハンティーザをにらんだ。

 一方のハンティーザはそれどころではない。数歩一気に後退し、盛大にびびりながらキューナの腰の剣を凝視していた。

「あー……」

 キューナはそれで思い出す。以前、父親の付き添いとして中央州騎士団本部に遊びに来たハンティーザに「見ててやるからやってみせろ」と言われたから、ウォンちゃんとのマジ演習を間近で見せたことがあった。あれがよほど堪えたらしい。それとも、その直後に「ハンティーザ様がお相手なら一瞬で首が飛んでますね」と正直に教えたのがまずかったのかもしれない(とりあえずクウナはそのあとウォンちゃんに結構怒られた)。

「な、何でお前が(ここ)に……」

「北州騎士団の視察です。さて、こちらのご主人に話は聞きましたよ。お遊びはほどほどにしてくださいね」

 年下で階級も下の騎士からの、丁寧なたしなめの言葉に、青年は細い肩をいからせて怒鳴った。

「う、うるさい! お前に指図されるいわれはない! 父さんに言いつけてやるからな!」

 はい、とキューナは動じずにうなずいて。

「じゃ、私はヒデールおじさまに言いつけますね」

 本家の当主の名をさらっと告げると、青年の顔が青ざめた。

 目には目を。騎士には剣を。貴族には権力を。……中央に残してきた部下の一人の口癖だけど、なかなか核心を突いていると思う。

「ひ、卑怯だぞ!! いいか、いくらお前が伯父上のお気に入りだからってなぁ、いくらお前が国王殿下の覚えがめでたいからってなぁ、王子殿下にも慕われてるからってなぁ……!!!」

 ハンティーザの思惑とは逆に、後方のどよめきがどんどん大きくなっていくのに、キューナが力なく苦笑する。

「まぁ、えっと、ハンちゃん、そのくらいで」

「ハンちゃん言うな!!」

 年上の貴族の青年は、今度こそ真っ赤になって絶叫した。

「許さないぞお前、騎士のくせに、貴族の僕を脅すのか!」

「いいえ。あなたが本気になったそのお相手、家の権力は効かないので、きちんと口説いたほうが良いですよ、ってお教えしたいだけです」

 ハンティーザの目線がキューナとシャヤを忙しなく行き来する。

「う――うるさい! この僕が市井の者なんかに、ほ、本気のわけ、ないだろう!」

 ぶるぶる震えながら、つっかえつっかえ叫んだ、が。

 この場にいる誰もが分かるほどの、明らかな嘘だった。

 自分で言ったことに自分で傷ついて、両目を真っ赤にしている始末。こんなんで、口の上手さが出世に大きく関わる貴族としてこの先やっていけるのか、勝手に心配してしまう。

 ……ああ、なんだろう、すっごく癒される。

 キューナは目を細めてしみじみ思った。

 最近ずっと殺伐とした駆け引きしかしてこなかったから。部外者なせいもあって、生死の関わらないこの色恋じみた事態が、とてもカワイイものに思えてくる。

「……えっと、じゃ、シャヤ」

 キューナが後方にちょいちょいと手招きすると、すっかり顔馴染みの娘さんはすんなりそばに寄って来た。

「……あの、ありがとうございます」

「いえいえ」

 至近距離でこそこそ交わされるやりとりを、ハンティーザが嫉妬深い目で見ているのがわかる。

「でさ、この人のこと、どう思う?」

「きらいです!」

 普段の快活さを取り戻したシャヤの容赦ない即答に、ハンティーザは酷く傷ついた顔をした。

「うんうん、どのへんが?」

「ちょ……」

「自分勝手だし偉そうだし、いっつも給仕の邪魔してくるし、食べ方は汚いし、何かあるとすぐに家の話をするし、お店は壊すし、他のお客さんとケンカするし、おかあさんのこと『デブ』とか『ババア』とか言うんですよ! そうそう、この前なんて……」

 饒舌な娘の文句がひととおり尽きたころ、すっかり打ちのめされたハンティーザは、近くの棚にしがみついてぐったりしていた。

「――だ、そうですよ、ハンティーザ様」

「も、もう、言うな……」

 息も絶え絶えに、貧弱な貴族の坊ちゃんは声をしぼりだす。今更おろおろし始めたシャヤの頭を、キューナは笑顔で撫でてやって。

「直すべきところ、ぜんぶ覚えました?」

「……へ? …………あ、」

 ぽかんと口を開けるハンティーザに、キューナはにっこりと微笑む。

「黙ってればカッコいいんですから、自信持って」

 シャヤが驚きに目を丸くして、口元に手を当てる。性格と言動に対する文句はこれでもかってほどに溜め込んでいたようだけど、ハンティーザの万人受けする端麗な容姿に、文句は一つも出なかった。ちなみに、娘さんは結構な面食いだ。

「じゃ、私はこれで。ごちそうさま!」

 マフラーを女主人に渡し、帽子をかぶりなおしたキューナは戸口で一礼して、

「……あ、ハンちゃん。私がここにいたことは、この国を滅ぼしたくなかったら、くれぐれもご内密にお願いします」

物騒な捨て台詞を残して、キューナは颯爽とその場を去った。


 それから、少し歩いて。


 一軒のあばら家をひょいとのぞきこむ。目が慣れる前の暗がりに声をかけた。

「こんちはー。おばあ、何か困ったことは?」

中に座っていた小さい老婆が、良く見えない目をぐっとすがめてキューナを見返し、

「また来たのか。物好きだねぇ」

しわがれた声で言った。

「えへへーまた来ましたー」

キューナは無邪気に笑う。老婆は呆れたようなため息をついて、照明も暖房もない、暗く狭い部屋の中を見回した。

「あいにくと、困ったことしかないねぇ」

「あはは。水、汲んでこよっか」

キューナが入口近くに置かれていた桶を手に取ろうとすると、底のほうにわずかに残っていた水面に水滴が落下して、波紋が広がった。

「その前に、あんた、それ直せるかい。どうにも寒くてね」

キューナは天井を見上げた。真上、むき出しの屋根材に、小さな穴が開いていた。

「ああ、はいはい。ちょっとゆれるかもー」

軽く答えたキューナが、そこらに落ちていた古釘と板切れと石ころを手に、家を出ていった。

特にすることもない老婆は黙って座ったまま、天井の穴を見上げている。

がたん、と音がして薄い屋根が揺れた。しばらくみしみしという音が聞こえていたかと思うと、穴から女の指がぬっと突き出た。

「これだよねー?」

屋根からののんきな声に老婆が返事をする前に、穴は板でふさがれて、釘をうちつける音が鳴り始めた。

 先々週の夕方、腰を痛めて通りの隅に座り込んでいた老婆をおぶって家まで連れてきてくれた不思議な騎士は、しばらくして鼻歌とともに部屋にもどってきた。

「いやぁ、この屋根すっごいゆれるね! 私がズボッってやったらどうしようって思った」

なんて言って笑う。

「さぁて、水汲みに」

「その前に」

老婆は女騎士を手招きして、目の前に座らせる。

「なあに、まだ何かあるの?」

にこにこ笑う騎士の右腕をひっつかんで、老婆の骨っぽい指が、隊服の袖を一気に捲り上げる。

「うわうわ、痛ててて」

騎士の細い腕には包帯が巻かれ、その隙間から見える肌には、青と黄の痣が点々と広がっていた。

老婆の顔に、ぐっとしわが増える。

「……こんなんで、よくへらへらしとるね」

「大丈夫っ、折れてないっ」

はっきり答える騎士を「ばかもの」と厳しくしかりつけて、老婆は背後の木の棚から紙に包まれた緑色の粉を取り出した。キューナに包帯を取るように言い、あらわになった傷だらけの腕に、慣れた手つきで粉をすりこんでいく。

 されるがままの騎士は、黒目をくりくりと動かして、物珍しそうに老婆の手元を眺めた。

「なぁに、おばあって元お医者?」

「古い薬草師だ。前から言おうと思ってたんだがね、あんたんとこの騎士はみんなこんななのかい」

「んー、人によるかなぁ。なんかスースーしてきた」

「鎮痛成分が相当効いてるってことだ。普通の深さの傷じゃあ何ともないんだがね。まったく、これで人んちの水汲みしようってのかい」

左腕も同じように処置してもらい、

「うん。ありがと、すっごく楽になったぁ」

袖を下ろしたキューナが身を引こうとするのを、老婆がまた止める。

「ほれ、足も」

「……えーっと……」

 若い騎士はためらうそぶりを見せた。

「いいよ、腕のほうが痛かったし、充分、いて」

「あたしに見栄張ってなんになるんだい、この馬鹿。心配しなくても金なんて取りゃしないよ。いいから出しなっ」

渋るキューナの右足を無理やり押さえつけてブーツを脱がせる。

「な、なんかおばぁ、元気になったねぇ」

まじまじ見てくるキューナの目を、老婆はぐっとにらみつけて。

「当たり前だよ、腰はもう治ったんだ。あんたみたいな全身ぼろぼろの小娘に何から何まで世話になるほど老いちゃいないさ」

「そりゃ良かった。――う、いてててっ!」

紐を解いたブーツを放り投げてズボンの裾をまくり、包帯を外した老婆は、痣や生傷の間に見え隠れする深い古傷を見つけ、黙って神経質そうに目を細めた。

急に静かになる部屋。

「……あんた、いくつだい」

「……17、です」

ちょっと迷ったキューナは、結局投げ出した両足を隠すことを諦めて、正直に答える。

老婆は引き出しを引いた。別の粉薬を取り出しながら、忌々しそうに呟いた。

「呆れたもんだね! 前々から腐っちゃいたが、近頃の騎士団は中等学舎の子どもまで徴兵するようになったのかい!」

「あぁっいやいや、私は例外だし、これは北州騎士団じゃないよ。ていうか……もしかして、騎士団医だったりした?」

相変わらずの内情に詳しい口ぶりにそう尋ねると、老婆はフンとうなずいた。

「ダンナがね! 偉そうだとか気に食わんとか、治りが遅いとか、なんだかチンケな理由で、何年も前に殺されたよ」

「あー……」

足を滑る老婆の手の感触を感じながら、キューナはおばあから出会い頭に向けられた騎士への罵倒の数々を思い出す。

全部笑って聞き流しながら、おぶって連れ帰ってきたときから、実は結構的確だなぁと思っていたのだ。

「で? あんたをこんなにしたままの、今のナマクラ騎士団医は誰なんだい。一人くらいは知ってるかもしれん」

「うーん。いません」

老婆は手を止め、息を止め、死にそうなほど目を見開いた。

「……怪我したら死ぬってのかい」

「まぁ、簡単な処置なら私とかでもできるけど」

「……ワナゾという男は、まだいるかい」

「聞いたことないですね」

「じゃあ死んだか。ダンナの旧友の息子でね。何年か前に、高官の贈賄やら密輸やらの証拠を集めて、中央州に提出するなんて馬鹿なことを息巻いてたんだよ」

「ふぅん……」

中央にその連絡は届いてない。

血が通ってあったまってきた両足の気持ちよさに、キューナはそっと目を閉じる。一日中日当たりの悪い部屋の、少し湿った空気をゆっくりと吸う。

老婆の低い声が聞こえた。

「……いいかい、あんたはそういう馬鹿なこと、するんじゃないよ」

「……確約できかねます……いててて」

わざと大きめの古傷を狙って押した老婆は、ため息をついて、指をどかしてその傷を見つめた。

「……そうだろうね」

どう見ても、北にはない武器でついた傷だ。年若い女騎士がかぶったままの帽子には、かつて騎士団医助手として通っていた北州騎士団本部では一度も見たことのない形のバッジが光っている。その横に点々と並ぶ針のあとにも、老婆は気づいた。

「……あんた。階級は」

「んー? 一年目だよ」

そっちじゃない(・・・・・・・)

キューナは薄目を開けて、さとい老婆の真剣な顔を見つめた。ぽつりと言う。

「……あのね、私が伝令を頼んだ子に、ずっと尾行がついてるんだ」

「こんな死にかけの老婆がいつどう死んだって、あんたの現状は何一つ変わらんさ」

「……うーん」

心配しなくても、たとえ殺されたって誰にも話さないと、老婆は言外に言っていた。

処置の終わった足をブーツにしまい、キューナは返事をしないまま戸口に向かう。背中に感じる老婆の追及の視線に振り返ると、「持っておいき」と苛立たしげに投げつけられる小包。薬草の粉末が入っているだろうそれをキャッチして、キューナはそのまま、

かかとを揃えて、中央式の(・・・・)敬礼。

「――貴殿の奉仕、心から感謝する。必ずや北州騎士団の再建を誓おう。スカラコット国中央州騎士団本部所属、中将、クウナ=アルコクトの名にかけて」

「な」

完全に噂話の中の、英雄の名に、老婆が固まる。

あっけにとられるその顔をクスリと笑ってやって、

「じゃ、お互い生きてたら、次は騎士団の医務室で会おうねっ!」

茶目っ気のあるウインクを一つ残して、黒髪の少女は軽やかな足取りで走り去って行った。


***


部屋に戻ると、エイナルファーデが夕食の支度に出ようとするところだった。

「どこ行ってたのキューナ」

「散歩ー」

「また? ほんと、気をつけてよね」

「うん」

元気そうなその様子に、エイナルファーデはこれ見よがしに大きな息を吐いた。

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