24.有志と窃盗
イグヤとキューナがヤサルタに呼ばれて食堂に入ると、奥の一角だけに人が集まりやけに騒がしい。その一角を気にしながら、二人は「こっち」と手を振るヤサルタの両隣に座った。
「なんだよアレ」
「おう、あれの話。さっき誘われたんだけどさ。団結して、上官の宿舎に乗り込んで、一気に改革するつもりらしい。な、オレらも行こうぜ」
意気揚々と立ち上がろうとしたヤサルタの両腕を、右のイグヤと左のキューナが同時に引いた。
すとん、と呆けた顔のヤサルタが席に戻る。
「いや、なんでだよ!」
至近距離から熱く詰め寄られても、イグヤは平然と答える。
「やめとけ、あんなんムリ」
「わかんねーだろ! なんかしねぇと、何も変わらない!」
意欲みなぎるヤサルタの顔を見ながら、キューナはどう説得しようかとちょっと考えて。
「あの人たちは、上官の剣、見たことないんじゃないかな」
「剣? 何、イキナリ」
「ねぇペヘルー」
少し離れたところで別の新人たちと談笑していた青髪の少年を呼べば、情報に敏感な少年はすぐに「どうしたの」と寄ってくる。
「上官の剣って見たことある?」
キューナの問いにペヘルは首をかしげた。真意を探るような目で見返してくる。
「うん。見たいの?」
「うん。見れるかな?」
「うん。着いてきて」
そう言って歩き出したペヘルを先頭に、連れ立って食堂を出て、薄暗い板張りの廊下を進む。
先を進むペヘルのつむじを眺めながら、後ろの二人にキューナが聞いた。
「イグヤとヤスラは、上官の剣って見たことある?」
ううーん、とヤサルタが唸る。
「そういや、ここに来てからは見てないかー。住んでた街で、酒場で暴れてるのとか、取り立てしてるのとかはよく見かけたけど」
「俺も。祭典とかで剣術大会があったから、そういうのも見に行ってたな。そう言うルコックドは……って、そうだったな」
「なによ?」
勝手に納得したイグヤに、ヤサルタが疑問符を浮かべて、催促するように肘で小突いた。
「コイツ、入隊試験の二次の打ち合い、リュデ少将とだったんだよ」
「はああ?!」
ヤサルタの大声と同時、首がもげそうな、ものすごい勢いでペヘルが振り向く。
だから、キューナは努めてへらりと笑ってみせた。
「すっごい手加減してくれたよー。段違いで強いのは分かった」
若干青ざめたふうのペヘルが小さく答える。
「そりゃあそうだよ、リュデ少将は北州騎士団本部の中でも指折りの実力者だよ」
「そうなんだ」
さっすがリュデくん、と脳内で賞賛しておく。
「でも、彼は……ほら、持て余されてるというか」
「そうなの?」
「うん。入隊試験の監督も班の受け持ちも、本来なら少将レベルの仕事じゃない。だけど彼がいきなり中央から赴任してきたから、枠が足りないんだよ。階級下げるわけにもいかないし」
「ふーん、それでか」
納得したヤサルタに、ペヘルが首を振る。
「というのが対面上の理由。実際のところは――実力はあるけど職務に真面目で、どの派閥に与しない若造に余計な権限は与えたくない、好き勝手されたんじゃたまらない、ってところじゃないかな」
「少将も、文句のひとつも言えばいいのに」
キューナの呟きに、ペヘルは「さぁね」と小さく言った。
***
「頭、上げないように気をつけてね。ちょっと遠いけど、安全のためだから」
星空の下、しゃがみこんで、弓兵用に開けられた壁の穴から地上を見下ろす。演習用の的がいくつか置かれた中庭のような空間が広がっていた。
「お、いいじゃん。なんでこんな場所知ってんの?」
「調べた。まともな剣術の指導はしてもらえないって聞いたし、上官の特訓方法とか盗み見れたら勉強になるかと思って。前に連れてきたウルツトは、ここからでも良く見えるって言ってたけど、僕には速すぎて、盗むほどは見えないから、最近は来てなかったんだけど」
三人の視力を図るように見るペヘルの目に、なるほどね、とキューナは表情を緩めた。交換条件を提示されなかったのはこういうわけか。
小窓に張り付かんばかりに頭を突っ込んでいたヤサルタが声をあげた。
「来た。あのオッサン誰?」
すかさずペヘルがフルネームと階級を答える。
ほほう、と歓声を上げるヤサルタ。
「すっげぇ剣だな」
「は? まだ抜いただけじゃん」
怪訝な顔のイグヤに、首を振るヤサルタ。
「いや、武器自体がすげー強そう」
「そっからかよ」
「上官は、支給品以外の武器も自由に所持して良いことになってるから。大抵、自分好みの武器を持ってるよ。剣じゃない人もいる」
「いいなー」
四人が思い思いの窓を選んで覗きこむ先で、大柄な男はジャケットを脱いでシャツの袖をまくると、足元に突き立てていた大剣を引き抜き、ぶん、と素振りをひとつ。
「あんなでけーのとぶつかったら、オレらの剣なんて一撃で折れそうじゃん」
賛同を求めるように左右を見たヤサルタは、全員がうなずいているのを見てとると、眉をハの字に下げた。
「……誰か否定しろよ」
「あれでも出世争いに出遅れたほうだよ。衛兵だし。今日出歩いてないのがその証拠」
「どういうことだ?」
「この自由な日に一人だけとばっちり。居残りで警備してる、ってこと」
「あ、もう一人出てきた」
イグヤの声に、ペヘルが口を開こうとして――気合の声が、夜の空気をびりびりと震わせた。正対して構えた二人は、すぐに打ち合いが始めた。二つの刃と散る汗が、月明かりに煌めく。刃がぶつかり合うたびに、身の毛のよだつ不快な金属音が断続的に鳴り響く。
目にも留まらぬ攻防戦を、四人は息を呑んで食い入るように見つめた。ペヘルのため息と、それから説明。
「あれは捕捉演習って言って、決められた型をどれだけ速く行えるかという鍛錬。だめだ、僕もう見えない」
めがねを取ったペヘルは、眉の上を指でもむ。ぼやけた視界のまま、微動だにしない三つの後頭部を羨ましそうに眺める。
「あんなん、オレたちのだれも、対抗できるわけねーじゃん…」
この前の剣術演習を思い出したらしいヤサルタが、尻餅をついて星空を見上げた。吐き出したばかりの白い息が風に流されていく。
額に拳を当てて、イグヤが呟いた。
「……死ぬ気でいくなら、3人で同時に向かえば、後方から攻めた一人くらいは生き残るかもな。ひとりでも怯んだらアウトだが」
物騒な話のオンパレードに、顔を引きつらせたヤサルタがぎょっとする。
「や、やめろよ、何そのこええ作戦」
「マジな話。全滅するよりはマシだろ」
うろたえるヤサルタを差し置いて、イグヤは賛同を求めるようにぺへルを見る。眼鏡のつるをいじっていた少年は、ゆっくりと首肯する。
「食事に致死性の毒を混ぜる、事前に部屋に侵入して武器を盗んでおく、誤情報で相討ちを狙う。手段を選ばないなら、戦力を減らすのには色んな方法があるけど」
顔をひきつらせるヤサルタ。キューナは丸い目を更に丸くする。イグヤは感心したような声を出す。
めがねをかけなおして三人の顔を見つつ、ペヘルは続けた。
「だけど、これらはあくまでも最終手段。例え運よく僕たちが上官を制圧できたとしても、他の基地から増援が来たらアウト。事情を知らない中央騎士団には、北の若手が突然暴れだしたようにしか見えないんだから、下手をすれば今後ずっと討伐隊に追われ続けることになる。今すぐ全滅させられる確証がない限り、実行に移すのは非現実的だよ」
イグヤは腕組みをして黙りこむ。ヤサルタがこぶしを握ってわめいた。
「じゃあ、お前はこのままでいいってのかよ!」
「何か良い手があるというのなら協力は惜しまない。ただ、僕たちが昇格して権力を得るときまで耐えしのぶのが、今のところ、一番生存率が高そうだとは思ってる」
「それ、何割の予想?」
意地悪い笑みのイグヤが聞くが、ペヘルは暗い顔で首を振る。
「……そん……」
ヤサルタが大きなくしゃみをかます。イグヤが飛び上がった。
「び、びびらせんなよ!」
「おう、わりぃ」
鼻をすするヤサルタを眺めつつ、そろそろ戻ろうか、と呟いて、ペヘルが扉を開けた。
***
戻る道すがら、キューナがたずねる。
「ちなみに、ペヘルは参加する気は?」
「なにに?」
「食堂に集まってたあの団体さん」
あああれね、と興味もなさそうにペヘルは肩をすくめた。
「先導して扇動してるのは、ほとんどが一年めと二年め。あとはちらほら祭好きも混ざってるけど」
途端に不安そうな顔になったヤサルタが言う。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ? このままでいいとは思ってないだろ?」
「ペヘルに倣って、きちんと自分で人選して、周囲を固めていこうかなとは思ってるけど」
キューナが答えるのに、
「同感」
とイグヤがうなずく。
「ん? 結局集まるってことだろ。なにがちげーの?」
イグヤがペヘルを見てから、めがねの位置を直すしぐさをしつつ。
「例えば、お前みたいな感情で突っ走るタイプの奴を省くことで、いらねー危険に巻き込まれるのを防げる」
「あんだとー?!」
「ほら、そういうとこだよ」
「やめなよイグヤ」
意地悪く笑うイグヤの背を押してヤサルタの前からどかし、キューナは三本の指を立てた。
「じゃあさ、三日待ってみようよ。あの集まりが三日でどうなるか、様子を見るの。参加するかどうか決めるのは、それからでも遅くないでしょ」
「うん。まぁ、それなら」
「よかった」
と微笑むキューナに、ヤサルタは釈然としない様子で呟く。
「いいけど……なぁ、なんでそんな慎重なの? お前、班長に歯向かったりとかは普通にしてたじゃん」
「歯向かった……」
ヤスラにはそう見えたのか。何て答えよう、と悩みながらキューナは頬を掻く。
だって、あんなしょぼい反抗軍、上官の目に付いた時点で一掃されるのが目に見えている。
現状が見えているとは言いがたいし、組織としてあまりにもつたない。
班長とかアサトさんとかのように、腕が立って冷静に物事を判断できる人が参加するとは到底思えないし、参加したとしても――所詮、上官の前では実力不足。例えば、上官の一人が一部隊引き連れて突っ込んできたら、それだけで全滅するレベルだ。
それに、ここには、先導できるような人間がいない。
これは、与えられた作業をこなせばいい、班の作業じゃない。隊の指揮だ。唯一の経験者はクウナだけだろうけど、まさか任せてもらえるはずもないし。
と、言うのがキューナの一連の答え。
「ルコックド?」
「……班長と上官はすごく違うし、剣を抜いたら剣を抜かれる覚悟をしないといけないから、かな」
「ふーん」
廊下の先から怒鳴り声が響く。
「――おい、どこ行ってた、片づけだぞ!」
「うおやべっ」
「おい、G班はゴミ捨てだ」
「はいっ」
慌ててペヘルと別れ、三人は食堂に飛び込んだ。厨房にまとめられていた大量のゴミを持てるだけ持って、それらを引きずって宿舎の裏手に向かう。
闇の中、火のついた焼却炉はそこだけ煌々と明るい。先に作業していた別の班の新人に、労いの言葉と交替を告げて、彼らが宿舎に戻るのを手を振って見送る。
「さて、と」
「やるかー」
袖をまくりあげるキューナとヤサルタを置いて、イグヤが踵を返した。
「じゃあ俺は残りのやつ取ってくるわ」
「おう」
「いってらっしゃい」
焼却炉の前にうずたかく積まれているゴミを、二人交互で手早く放り込んでいく。
「いて、ちょいストップ」
ヤサルタが手を止め、かじかんで赤くなった手を炎の窓にかざす。数回握り締めて感覚をとりもどす。キューナもそれに倣った。
「うあー、手袋持ってくればよかった。って、お前……それ血ぃ出てるじゃん」
「まぁ寒いしね。――よし、再開!」
次の袋を放り込んだところで、イグヤがヤサルタを呼ぶ声がした。
「なんだよー、そこまで持ってきたんなら持ってこいよー」
だるそうに言いながらヤサルタが宿舎のほうに向かい始めたとき、燃え盛る焼却炉の中に次の紙束を放り込んでいたキューナが、その赤い穴に唐突に手を突っ込んだ。火のついた紙を引っ張り出し、ばん、と石の地面に叩きつけて火を消す。
「なっ何やってんだよ危ねぇな!」
「ごめん」
少し離れたところから駆け戻ってくるヤサルタに背を向けた角度のまま、キューナはその紙を服の中に仕舞い、
「ううん、重要書類だと思ったんだけど、見間違いだった」
同時に、はずみでとれたオモテの一枚を炉の中に放り込む。
「なんだよ……びっくりしただろー?!」
「うん、ごめんって」
イグヤが不満そうな顔で現れた。
「おい、なに騒いでんだよ。来いっての」
「聞いてよイグヤ、こいつさぁ」
「あはは、イグヤありがと、これ入れちゃうね」
遮って笑ってごまかして、イグヤの手から奪った箱と書類をぱっぱと放り込む。
「これで全部?」
「みてーだな。よしっ」
イグヤがブーツで鉄扉を閉めた。宿舎に戻ろうとして、
「あ、雪」
降ってきた暗い空を見上げる。炉のてっぺんから白煙がたちのぼっては、闇色の中に消えていく。ぱちぱちとはぜる灰が空中に飛び散って、炎の粒のようにちらつく。
何とはなしに、並んで黙ってその景色を眺める。
「……あ、今後畑から何かもらってきたら、ここで焼きたいね」
「お前、さいきん食べ物の話ばっか」
「そう?」
「ヤスラに似てきたんじゃね?」
「そう?」
「おいなんだそれ!」
***
オオリは息を切らして暗い廊下を駆け抜けていた。
……まずい。まずいまずいますい。
昼間の演習でリュデ少将に取り上げられた賭博用のカードを取り戻してこい、と去年の班の先輩どもに命令された。できなければ殺される。だが、上官の宿舎に忍び込んだことがバレても殺される。
なんでだ、今日は上官全員出払ってるはず。
なのに、なんで明かりが、足音が――
扉の開閉音。聞こえてきた硬質な足音にすくみあがる。オオリはとっさに階段の裏側にすべり込んで、必死に息を殺す。
ゆっくりと近づいてくる足音。こちらに向かってきている。じっとしていないで逃げたほうが得策か、いや、でも――
恐怖に耐え切れず腰を浮かせたとき、
「伏せて」
ぐっ、と上から頭を押さえる手。
「!」
突然のことに驚いて暴れだすオオリに、声が短く囁いた。
「バカ、見つかる。殴られに行きたいの?」
ひどく冷静で穏やかな声だった。女の声。温度の感じられる声に、これは従うべき指示だとオオリの直感が告げた。
オオリは全身の力を抜く。その意図を理解したらしく、頭を押す力が緩んだ。
オオリはそのままの体勢で問いかける。
「……あんたは――」
「し」
口をつぐむ。そう言われれば、何も言えない。
暗闇と静寂の中、オオリはただひたすらに待った。一体こいつは何者なんだろうと考えながら。
もう一人一緒に隠れていることで、恐怖は少し薄れていた。思い当たる人間はいない。こんな人がまだ騎士団に残っているとは思っていなかった。
どれくらい経っただろうか。いつの間にか頭から手が離れていた。それでも状況が分からないオオリは、迂闊に顔を上げてまずいことになるのは避けたかった。用心のため、しばらくじっとしている。
(もういいか……)
徐々に首の筋肉が限界を訴えている。意を決して顔を上げる。闇夜に慣れた目が世界を映す。けれど。
「……あ、れ?」
そこには誰もいなかった。近寄ってきた音も、去っていく音も聞き取れなかった。呆然とするオオリの手が何かに触れる。見下ろせば、
「これは……」
取りに行くはずだったカードの束。先ほどの人物が置いていったに違いない。
「……誰、だったんだ……」
呟いた声は、誰にも届かないまま夜の中に溶けて消えた。




