12.情報屋と女顔
翌朝。
時刻は朝だが、日差しは弱くまだ薄暗い。それでも演習場が一面なにかに覆われていることくらいは見える。
「わー、積もったねー」
一年めが続々と集まってできた人だかりの端で、目の前の白色を見渡して、のんびりとキューナが言う。
初めて見る真っ白な景色に、思わず漏れてしまいそうな感嘆を隠す。
「このあたりはこれからもっと積もるぜ」
イグヤが、物珍しそうに喜ぶキューナをこそ物珍しそうに言う。
楽しみだなと顔をほころばせたキューナを見て、ため息をつくイグヤ。
「なに?」
「今に分かる。――で、ヤスラは?」
「まだ来てな……あ、来た」
人影がひとつ、慌しく飛び込んでくる。
「セー……フ?!」
「うん、たぶん、なんか揉めてるから」
群集の前方を指さす。
「朝っぱらから騒々しい奴だな……」
不機嫌そうにイグヤがヤサルタを見れば、ヤサルタはこれ見よがしに身軽に飛び跳ねてみせる。
「ほらな、だから昨日動いとけって言ったろ?」
重い体を引きずるようにして出てきたイグヤがそれを睨みつける。
「クソ、体力バカが……」
前方で人だかりが動いた。
「揉めてる暇はねぇだろ、順に行こうぜ。今日はオレが行くよ」
C班の少年がやや高めの声でそう言って、目の前にいた数人を押しのけて手近な細い枝を折った。それをぐるぐると丸めて即席のかんじきを作りブーツに引っかけると、まっさらな雪原にざかざかと踏み込んでいく。踏み固めて道を作っていく。しばらく進んだところで白い雪をバケツですくって戻ってきた。その道に全員がぞろぞろと続く。
「立ち止まってバケツだけ手渡したほうが、効率いいよね」
動き出した列に続きつつキューナがイグヤに提案してみると、イグヤは寒さで赤くなった鼻をフンと鳴らした。
「言ってみれば? 誰も聞かねぇと思うけど、そんな不公平な方法」
「そっか」
綺麗な雪を探してすくう先頭ばかりが大変な作業になる。
ここでは全体効率よりも個々人の負担軽減が必要か、とキューナは納得して数回うなずいた。
***
おきぬけのエイナルファーデは上体を起こして目をこすった。扉をしめて入ってきたばかりのキューナの頬は赤く、肩には雪が積もっていて――明らかに外出から戻ってきたばかり。
だというのに、上着を脱ぐなりまたドアノブを握る。
「キューナ、どこ行くの?」
夕食の準備には少し早い時間だ。
「今からG班の下っ端で作戦会議ー」
「あはは、仲いいねー」
手を振って分かれて、キューナは食堂に入った。
イグヤが乱暴にテーブルを叩いた。
「機嫌とろうにも会話すらできねぇ!」
「ていうかまずフルネーム知らないし。何が地雷踏むかわかんねぇから、好き嫌いくらい知りてぇよなー」
昨日どつかれた腹部をさすって、ぼやくヤサルタ。
「でもまぁ、先輩がたが入隊年とか階級に関係なく仲いいのは、まだ救いだよね」
キューナはひとりのんびりと言った。
「どういうことだ?」
「あの輪に入りさえすればすぐじゃん。てっきり、一年ごとに攻略していくの覚悟してたからさぁ」
「……で、どうする」
「うーん」
キューナは腕組みをしたまま、黙って考え込んでいる。
「――情報、あげようか」
三人のすぐ後ろから知らない声がした。
ぺったりとした青い髪。眼鏡をかけた小柄な少年。
「お前、F班の……」
「ペヘル」
そっけない自己紹介。
「同じ新人だよね。情報屋さんなの?」
「仕入れたときだけね。おたくの班長さんと副班長さんについて、でいいの?」
「何か知ってんの?!」
とびつくヤサルタを、ペヘルはゆっくりと見上げた。
「その前に。対価は何かな」
「たいかー?」
首をかしげたヤサルタの横で、イグヤがふざけ半分に舌打ち。
「そのままぺろっとしゃべってくれっかと思ったのに。慎重派だな」
めがねの向こうの両目を閉じて、ペヘルは肩を竦めた。
「さすがにね。まぁでも、キミらに買ってもらわないと価値のない情報だし、破格でいいよ。何かない?」
「ってイキナリ言われてもな……ルコックド、なんかねぇ?」
「うーん」
キューナが知ってることといえば中央のことばかりだから、リュデくんの秘密ーとかしか思いつかない。言えないけど。
「そうだ、同室の奴らのプロフィールでどうだ? 人数で言えばかなりお得だろ」
残念そうな顔をして間髪いれず首を振るペヘルに、むっとするイグヤ。
「何でだよ」
「だってそれって数日観察してれば分かるようなことでしょ。同室じゃないと知りえない情報でもあるの?」
さらっと言われて、
「……うぐ」
言葉に詰まるイグヤ。それを見て、ペヘルはふっと笑った。
「いい人だね」
「……はぁ?」
「あるって言っちゃえば良かったのに。情報なんて、先に聞いたもん勝ちなんだから」
「しまっ……こ、これから何年の付き合いにあるかわかんねぇ奴には誠実にしとくんだよ俺は!」
憮然として言うイグヤに「そうだね、僕もそうする」とペヘルはあくまで温厚に返して。
「情報じゃなくてもいいよ。特技とか、物でもいい」
「皿洗い!!」
元気な声をあげたヤサルタの頭を、すぐにイグヤがはたく。
「雑用名乗り出てどーすんだ、かわってやんのか?!」
「うえ、それはヤだな、寝る時間なくなる。あ、ルコックドが止血できるぜ!」
ペヘルが首を振る。
「それは誰でもできるでしょ」
「え? 俺できねぇ」
「死んだなヤサルタ」
「ええっ」
真に受けて半べそになるヤサルタを、イグヤが意地悪く笑った。
キューナは降参のため息をこっそり漏らす。
ここは最終手段かな、抜け道の一つも教えなきゃいけないかなー、あとでイグヤに「なんでそんなん知ってるんだよ」と詰め寄られるだろうけどなぁ、とキューナが腹をくくった直後、ヤサルタが「あった!」と叫んだ。
「剣、磨いでやるよ!」
「だから、またお前は雑用ばっか……」
「これ見て見て! 昨日、自分のかっちょよくしたんだよねー!」
いきなり食堂で剣を抜くヤサルタに、ぎょっと身をのけぞらせるイグヤ。その二人の間で、見違えるほど鋭利な刃物が光った。
思わず全員が釘付けになる。キューナが聞いた。
「……ヤスラ、それ、自分で?」
「おう! 食堂時代に皿洗いと包丁研ぎはマスターしたんだぜ! 切れすぎて怖いって評判だった!」
「それは包丁としてはやりすぎなんじゃ」
ペヘルの呆れた声をさえぎるようにキューナが席を立ち、手を出した。
「ちょっと借りていいかな」
「おう」
班長たちの情報そっちのけで、つい、キューナは見事な刃先を手に取りじっくり眺めた。それから、足を開き重心を落とし、利き手で構えてみる。
「……」
年季の入った安物の量産品をこれでもかってくらい磨いであるから、異様に、不安なくらいに軽い。でも、その分、振りやすいし扱いやすい。強度はちょっと心配だなぁ、なんて考えたところで――キューナはみんなの視線を集めていることにようやく気づいた。
足を組みなおしながら、イグヤがにやにやと言った。
「はーん。ルコックド、お前、刀剣オタクか」
キューナはごまかすような笑顔を返すしかない。
「あはは、ちょっとこだわるほうかな? ありがとヤスラ、いい剣だね」
そう言うと、ヤスラはものすごく嬉しそうな顔をして。
「お前らのもやってやるよ!」
「よっしゃ、じゃあお願いするわ、……って、ペヘルのが優先だな」
「今晩やってくれるなら、今話すよ」
「おう! じゃあまず班長から!」
「班長は、あの赤い髪の人だよね」
「そうそう。細身の、よく座り込んでる人」
ペヘルは、手元のよく使い込まれたメモをぱらぱらと繰った。
「彼は、ソイ=イソセ。入隊6年目にして軍曹、かなり優秀なほうだね。イソセ家は代々サロト基地で有名な騎士家系。彼だけが本部に来たってことは、いずれは当主ってとこかな。剣の腕は上官クラス。今は単純に年齢のせいで軍曹の地位でくすぶってるようだけど、今後の昇進はまず間違いない。下のほうの上官はアイツにあまり難癖つけたくないって敬遠してる。良い班長に恵まれたね」
「ほーう、すげぇな」
「ペヘルが? 班長が?」
「どっちも! よし、次は副班長!」
「ごつくて髪の短い人。あ、一番年上って言ってたな」
「うん、分かるよ、彼はオサム=ゴードヴィル。8年目で、伍長」
「っつーと?」
「班長の一つ下の階級。ちょっと出遅れてる感じかな。ただ、同世代からの信頼はものすごく厚い。よく頼られてるし、色んな情報が彼に集まってる。僕もちょっとしゃべってみたいんだよね」
「仲良くなれたら紹介するね」
「ありがとう」
「とりあえずはそんなところかな……あ、あと、もう一人」
「追加料金は払わないぞ」
「いらないよ。そこまで狭量じゃない。アサト、って人、いるだろ」
「あー、あのへろへろしてる人?」
「名字までは分からなかったんだけど……あの人、すごいよ。気をつけて」
「うーんと、何が?」
「たぶん、純粋な剣の腕なら、中堅の中で一・二を争う実力者」
イグヤがあんぐりと口をあけてペヘルを見る。
「……嘘だろ、あの人だぞ? いっつも謝っててベソかいてる」
「あの態度でナメられて、前はよく絡まれてたんだけど、そのたびに号泣しながらこてんぱんに返り打ちにしてきたって噂。あの人をからかう奴はもう誰もいないらしいよ」
「まぁそりゃ確かに。真っ先にいじめられそうだけど、せいぜい班長が軽くいじってるくらいだもんな。それで泣いてるけど」
「あ、班長さ、あの人にだけは敬語だったよなそういえば」
「今度手合わせしてもらおうっと」
「もしもしルコックドさん?」
***
ざわめく食堂。混ざり合う湯気と、料理の香ばしいにおい。
所狭しと並べられたテーブルの間の狭い通路を、大皿料理を持った若い騎士たちが慌しく走り回る。
「ぐ」
右手の食器を全て配り終えた直後のイグヤが、不意につんのめる。
「……なにすん」
引っぱられた髪を押さえて振り向けば、
「お、男か」
顔に大きな刀傷を刻んだひげの男が、髪を結わいていた紐を手に巻きつけて、イグヤの鼻先を指さした。
一本に束ねて紐でくくっていたイグヤの白髪が、はらりと肩の上に広がる。
「なんだ、案外と短いな。もっと伸ばせよ、その綺麗な顔に似合うぐらい」
男の軽口に、周囲の数人がグラスを傾けながらげらげら笑う。
「ああ゛?」
「おお怖。せっかくの顔が台無しだぜ」
隣の列で配膳していたキューナは、騒ぎに気づいて彼らの後ろからそっと近寄る。
酒か。周囲に漂う濃密な匂いでぴんとくる。
イグヤが、持っていた食器をダン、と男たちの前に置いた。汗だくの額にびしりと青筋が浮かぶ。
「てめぇらのシュミに俺を巻き込むんじゃねぇよ」
「はあ?」
数人がいきり立って立ち上がる。ヤサルタがキューナの元に飛び込んでくる。
「と、止めようぜキューナ!」
「うーん……」
だんだん派手になる事態を眺めつつ、キューナは頬を掻く。
「ああなったイグヤを沈静化させるのは苦労しそうだなぁ」
イグヤは結構短気なほうだと思うけど、一番つついちゃいけないことだったと思う。何となく。
騒ぎを嫌う近くの何人かが、自分の食器を持って席を離れる。
そのちょうど空いたスペースに、殴り飛ばされたイグヤが突っ込んだ。隣のテーブルが倒れる。すぐさま起き上がってひげの男に飛びかかる。
いいぞもっとやれ、とどこかから野次が飛んだ。
そもそも、血気盛んな騎士たちの中で暮らしていたキューナはこんな事態には慣れていて、死にそうにないし別段急いで止めなくてもいいかな、なんて思っている。ここでの生活で鬱憤が溜まっているのは皆同じだ。
「ヤスラ、これ止めれそう?」
「ええっ、オレ?!」
だって、ここで女のキューナが出て行って仲裁できるかは疑問だ。キューナにかばわれたイグヤが大人しく止まってくれる気は全くしないし、あの酔っ払いたちに、今後余計からかわれる材料をあげるだけの気がする。
別の案として、これを掻き消すような別の騒ぎを起こすというのもあるけれど――扉近くの数人がさっきからちらちらと気にしているように、隣の宿舎棟の上官たちに気づかれる心配がある。
いっそはっきり勝ち負けが着くまで待っているのが一番早いような気がしたのだけど、屈強そうな体格の男は思ったより泥酔していて、なかなか拮抗している。それを面白がってか、衆人環視は一向に減る様子を見せない。こんなとこであんまり目立ちたくないんだよなぁ、とキューナがのんびり考えていると。
「そいつ、俺の班なんだけど」
真後ろからの声に、ひげの男の肩がぎくりと強張った。ゆっくりと振り返った先には、
「……ソイ」
「……はん、ちょ」
赤鈍色の髪をした眠そうな顔の青年が、片足重心で立っている。
乱闘が止まり、自然、食堂が一瞬で静まった。
「お前はそれを分かった上で、やってるって思っていいんだよな」
班長の言葉に、ひげの男が酷くうろたえて、イグヤのシャツから手を離した。
「え、いや、これは……知らなか」
「しっかしお前も進歩ねぇよなぁ。あ? 違うか、わざとやってんのか」
「……は?」
はっ、と班長がひねくれきった満面の笑顔を見せた。
「何年前だ? 俺に絡んできたときと全く同じパターン。残念だったな、期待したように、あんときみたいにボコボコにしてもらえなくって?」
「はああ?」
反射的に喧嘩腰になった男が班長を睨みつけるが、相手が誰かを思い出してはっと首を振り、それきり動けなくなる。
「つっまんね」
興味をそがれたらしい班長は男から視線を外すと、床にしゃがみこんでいるイグヤを無感動な目で見下ろした。
「だっさ」
「……な」
イグヤの顔がかっと赤くなる。
言いたいことを言うだけ言ったらしく、全員の視線を集めていることにも頓着していないふうで、班長は平然とした足取りで食堂を出て行った。
食堂がざわめきを取り戻す。近くで、別の班の一年目たちが耳打ちしあっている。
「え、あの人、上官?」
あの態度とこの収束っぷりじゃ無理もないな、とキューナはこっそり苦笑する。人ごみの間から飛び出したエイナルファーデとキホがイグヤの介抱に向かうのが見えたので、方向転換して、するりと食堂を出た。
廊下を早足で進んで追いついて、無表情の横顔に並ぶ。
「あの、班長、さっきは……」
無視。
ペースを上げて階段をのぼっていく。諦めて立ち止まると、班長の横を歩いていた長身細身の泣きそうな声の青年が、振り返って声をかけてくれる。
「なんだかごめんね。あのね、ソイくんも意地悪したいんじゃないんだ。仕事失敗した新入りを庇って殺された人も少なくないし、班として成果出さなきゃ全滅する危険だってあるし、」
「――アサトさん」
少し離れたところから、班長が低い声で呼んでいて。
「あ、うん、ご、ごめんね」
アサトは恐縮しきった顔をして、背を丸めてそそくさと去る。
「いえ、ありがとうございました……」
キューナは二人を見送って。
「……どうしたものかなぁ」
アサトが口にした、上に立つ者の苦悩も分かるだけに、困り顔で呟いた。
一方、食堂。
「あいつらいつか殺す、顔は覚えた、ぜってぇ殺す。あと、班長もいつかぶん殴る」
まなじりを吊り上げてぶつくさ騒ぐイグヤにはいはいと返事をしながら、腕や脚にこびりついた血をエイナルファーデがぬぐってやっている。
「やめとけ」
睨みつけるイグヤをキホが見返す。
「あれ、A班だろ」
「……なるほどな」
「あれ、大人しくなったね」
「そういうことなら関わりたくねぇよ」
よかった、とエイナルファーデが微笑む。それから言った。
「イグヤはさ、顔が怖いほうじゃないのに剣幕すごいから迫力あるよねー。逆にキホはぱっと見大きくて無表情で怖いけど、落ち着いてるから、なーんか安心感みたいのがあるよねー」
うんうん、とヤサルタがうなずく。
「……ハノアッジ、それってほめてんの、けなしてんの」
怒りと愚痴はどこかに霧散してしまった。
話題にされた二人はなんともいえない顔をする。
「感想を述べてるだけだよ」
エイナルファーデはマイペースに笑った。




