11.閂
応接間や会議室、軍将たちの執務室がある本棟。
書庫や武器庫、医務室などの専門的な部屋が集まる別棟。
それから、軍将たちの宿舎と、下官たちの宿舎。
どの基地も基本的な構造と配置は変わらないものだし、数十年前にこの基地を設立したのは北州を開拓してスカラコット国に併合したほかでもない中央州騎士団で、だから多少の増改築は行われているにせよ間取りや部屋数なんかは出立前におじいから託された機密書類の記載とほとんど変わらないはずで、エイナルファーデにあれこれ聞いて怪しまれるよりはひとまず忍び込んでみればなんとかなるだろうと、キューナは寝静まる夜を待って、飛び込んでみたはいいものの。
「……んん?」
本棟の一階を全て見終わったところで、人目を縫って近くの廊下の隙間に身を隠したキューナは、考えを整理するように目玉をくりくりと回した。
ぎゅうぎゅうづめの物置と絢爛豪華な応接室ばかりで占められていた。どういうわけだろう。聞いていた名簿よりも実際は上官の数が少なくって、部屋が余っているということだろうか。
かつん、と真新しいブーツの爪先を鳴らす。
出直そう、と決めた。
木戸を押し開けて夜の屋外に飛び出すと、ひらりと別棟に身を移す。まずは人気の少ないだろう書庫で、何らかの資料がないか探すことにする。
しかし、
「やたらと……」
思わず呟いてしまうほど、別棟の廊下には文官の往来が目立つ。動くタイミングを見計らっていると、書物を抱えた若い顔立ちの一人が、ある扉をノックして扉を開けて、丁寧な挨拶をしたのが見えた。昔の燭台を模したドアノッカーに、木の札がぶら下がっているのが見えて、なるほど、とうなずく。
「文官の執務室はこっちなわけね」
力なき騎士は迫害されているという訳だ。
ランプの明かりが廊下から全て消えた隙に、板張りの道を駆け抜け――中腹近くにひときわ大きな扉を見つけて侵入する。所狭しと並ぶ書棚のラベルを見て、ビンゴ、と指を鳴らす。
夜目は利くほうだ。入口近くに用意されているランプに触れずに、部屋をざっと見渡して、
「あった」
窓際に向かう。黒の綴じ紐で束ねられた冊子を一冊、棚から引き出す。埃を払って、綴じられている結び目を少し緩めて、表紙の木の板をめくった。
冒頭に記載されている組織構成図をじっくり眺める。毎年中央本部に提出する義務があるが、あれはどう見ても清書版だ、あんなに整っている組織などまずないだろう。案の定、各部隊名の下には、赤と青の二色のインクで書かれた二つの数字が並んでいる。
「なかなか昇進させない方針、か」
反逆を防ぐためなのか、上官の数が圧倒的に少なく一等兵・二等兵が異様に多い。班内で階級ではなく入隊年数で呼んでいるのはこのためだな、と推察する。
綴じ紐を元のように締め上げ、冊子を棚に戻した。
「えーと、次は……」
この近くに並んでいるはずだと背表紙を指さしながら見ていき、右隣の棚に移動する。手近な椅子を引っ張って踏み台にし、一番上の棚から数字の書かれた木箱を引き出した。音を立てないようにゆっくりと床に下ろして、蓋を開ける。取り出した紙は――キューナも先日書いた経歴記入書。入隊時に全員書くもので、階級順に並んでいる。上から順に階級・氏名・担当を見ていき、できるかぎり頭に叩き込む。
間取りと上官のプロフィールを把握したその足で、再び本館に潜入した。
近づいてくる足音を避けるように足音を忍ばせて暗い廊下を進み、柱の影に身を隠して通行人をやりすごす。
聞き覚えのある、鼻にかかったような笑い声がした。アゴロ大尉だ。
キューナは柱の影から頭をそっと出して声のしたほうを見る。闇の中に、突き当りを右に曲がって消える大小二つの影を捉えた。その後を追って、遠ざかっていく二つの足音を頼りに二人を追い――たどり着いたのは、二階の中央付近にある、少佐たちの執務室が並ぶエリアだった。
とすると、大尉と一緒に歩いていたのは昼間の少佐かな、と推測する。
物陰に隠れ、耳を済ませて足音を聞いていると、蝶番の軋む音がして、「どうぞ」とアゴロの丁寧な声。二人分の足音がくぐもって、再び蝶番の軋む音、それから扉の閉まる音。キューナは廊下を駆け抜け、わずかに話し声の漏れ聞こえる部屋を見つけ、ドアノッカーに下がる札を確かめる。乾ききったインクの凹凸を指でなぞった。
――ギーン少佐か。
さっき別棟で見た名簿と合致している。アゴロの直属の上司だ。
軽い足音が階段を上ってくる。キューナはまっすぐ続く長い廊下を見渡して、一番近い窓を開けて下を覗き込み、わずかにでっぱったへりの部分に降り立った。外側から元通りに窓を下ろして、しゃがみこむ。刺すような冷気に身をすくめ、窓枠に指をかけて廊下の様子をうかがう。
階段から廊下に進んできた一つの影は、ギーン少佐の執務室の前で立ち止まってノックした。扉を開け、人影が敬礼する姿が室内の明かりに照らし出される。
少年の背と、閉まり行く扉の間に見えたのは――豪華なカウチに腰かけた昼間の少佐の横顔と、その脇に直立し、少年からひったくった紙を少佐に差し出すアゴロ。扉が閉まり、廊下に暗闇が戻る。
キューナが窓を持ち上げようと指をかける寸前、再び扉が開いた。左のわき腹を押さえた少年が部屋から転がり出てくる。短く切られたこげ茶色の髪と、日に焼けた頬が照らされる。確か、E班の班長だ。両手を使って扉をきっちりと閉め、何回か咳き込んだあと、背を丸めて元来た廊下を戻っていく。
彼が消えるのを見送ってから、キューナは廊下に戻り再び部屋の前に立った。扉に片耳を当てる。アゴロが饒舌に話しているのが聞こえる。
「――……以上が武器の備蓄になります。エートロッシェで確保していた分が少し脱走しまして、連れ戻す際に五匹ほど殺したと。も、もちろん見張りは処罰済みです。今月の不足分も、残った鍛冶でどうにかするようきつく言ってあります」
何の話だ。キューナは眉を寄せて、少佐レベルの業務をしらみつぶしに脳内でたどっていく。
「ふん。減った分の補充のあては?」
「もちろん近隣の村々を当たっています。いますが、農村にはなかなかいないようで」
「当たり前だ。――川を越えた先に、何と言ったか、街があったろう」
「え、ですが、あちらの管轄は」
「本部に楯突くバカもいるまい。税を横取りするわけでもない。ただ、町の鍛冶屋が数人、川を越えて引っ越すだけだ」
「そ、そうですな! では至急、部隊を向かわせます」
酒を勧める音がして、陶器のぶつかる音がする。
「以上をまとめた全ての倉庫の備蓄リストがこちらです。順調ですな」
「どこがだ。お前が当初言っていた数字には程遠い」
「し、失礼しました。――それと、ですね、新たに3匹捕まえて牢にぶちこんであります」
「トゥイジの動向は?」
元帥を呼び捨てにするあたり、敵対する意志が見て取れる。そう珍しいことでもない。
「準備は進めているようですが、備蓄が増えた様子はありません」
「そうだろうな。あいつの財力では、ロワールにたどり着く前に尽きる」
「まったく、そうですな!」
アゴロが高らかに笑った。
「ああ、月曜からの合同演習だが、先ほどサロトから、野営地を確保できたと連絡が入った」
「それは何よりで!」
「ここだ、農夫の駆除も済んでいる」
紙を広げる音。おそらく地図だろう。
キューナの指先がぴくりと動いた。
(……つまり、農村をどかしたということか)
丁寧に耕された貴重な農地は、一度戦地として踏み荒らし踏み固められれば、翌年の収穫は見込めないし、以降数年は元に戻らない。有名な話だ。
「とすると全部隊、お連れになるおつもりで?」
「ああ。屋敷の警備は適当に補充しておけ」
「はい、お任せくださいッ」
「この前のような、余計なことはするなよ」
「はいっ、もももちろんです。それでは、私はこれで」
慌しい足音が扉に近づいてくる。キューナは窓を開けて外壁に隠れた。
すぐに扉が開き、真っ赤になったアゴロがそそくさと退室し足早に廊下の先に消えた。
ギーンは書類に目を落としている。扉が閉まった。
キューナはそっとその場を離れ、廊下を歩きながら口元に指を当てた。
「……本部が、ロワールに何の用だ?」
北州の北西の端にある街だ。何かトラブルでもあったのだろうか。だが、明らかに本部の管轄外だ。
宿舎に戻る道すがら、キューナは足を止めた。
廊下の途中、中途半端な位置に人がいた。男はこちらに背を向けて、ガタガタ鳴る木戸に耳を当てている。
なにをしているんだろう、とキューナは身を隠して目を凝らす。
かんぬきが下りているその木戸に、なぜかつっかい棒がされていることにキューナは気づいた。あの仕掛けは昔、捕虜独房のために作られたもので、今は使われていないはずだし、通常、こんなただの物置の入口にそんなものは設置しない。
扉の向こう側から、錯乱しきったわめき声が聞こえてくる。
「感染症とかではないな? ……ああ、わかった、落ち着け」
男は宥めるような声をかけつつ、重いつっかい棒を力づくで外した。
「いいか、30数えたら扉を開けろ。宿舎への道は分かるな、ああ」
カンヌキを開けて、男は足早に歩き去る。彼の姿が見えなくなってすぐ、扉が勢いよく開いた。飛び出してきた薄汚れた男は、落ち着きのない動作で周囲を見回すなり、悲鳴を上げながら宿舎の方向へと駆け出していく。
「……ふぅん」
物陰から影が呟く。
二人が完全にいなくなったことを確認してから、キューナは開け放たれたままの扉の前まで歩いていった。何の変哲もない物置の中をのぞきこんで、多少散らかっているのは見なかったことにして、元通りに扉を閉めてかんぬきを下ろし、
「どうしよう、これ」
床に転がったままの棒切れを見下ろした。
こんな重いの一体どこから持って来たんだか、と肩をすくめてため息をひとつ。手袋をつけてから棒を引きずるようにして一端を戸の低部に当て、
「よいしょ!」
掛け声をかけて一気に持ち上げ、元通りに扉を固定した。
こういう『イタズラ』をする子たちはわざわざ開けて死体を確認するほど暇じゃないだろうから、、あの人が見つかりさえしなければしばらくは時間が稼げるだろう。
それから、腰のフラップを開けて剣を抜き、剣先をそっと棒に刺す。乾いた繊維の切れる感触が手に伝わる。
「よーし」
同じ『イタズラ』がこれ以上できないように、棒は簡単に折れるようにしておく仕掛けだ。
できばえに満足したキューナは悠然と歩き去った。
***
ぱたぱたと翼はためく音がする。
昼過ぎのやわらかな日差しがカーテンを透かす。
「失礼します。トーミス中将、お荷物が届いております」
「おう、ありがとう」
やけに重い包みを受け取ったウォルンフォラドは、書かれていた差出人『クウナ=アルコクト』の文字に目を見開いて、慌しく席に戻る。一鳴きしたフィーオが寄ってきて、青年の右肩に留まる。
ウォルンフォラドの手が、一番上にくくりつけられていた手紙を開く。じっくり読んだ後、それをフィーオに渡して、今度は小包をほどく。
中から出てきたのは――
「……本当に休暇なんだな、あいつ」
クウナが愛用する特注の剣と、中央州騎士団支給品の数々、それから、『私の家に戻しておくか、預かっといて』と一言書かれたメモだった。
「よう英雄」
そこへ、鼻歌まじりのガスティオルクがひょっこり顔を出した。
「英雄じゃない」
部下と演習の打ち合わせを始めていたウォルンフォラドは、だらしなく着崩した格好を嫌悪感丸出しで睨む。ガスティオルクは気にしたふうもなくずかずかと執務室に入ってくる。進むたび、泥だらけのブーツから土の固まりが落ちて床を汚す。
控えていた部下が、血の気の多い戦闘狂の登場でかわいそうなくらい萎縮した表情を見せる。ウォルンフォラドは用事を言いつけて下がらせてやる。一礼した少年は、伝令顔負けの駆け足で消え失せた。
一方のガスティオルクは、死角のない部屋をしきりに見回して言う。
「あっれ、飼い猫は?」
「俺は鳥しか飼っていない」
ウォルンフォラドはそっけなく返して、来客への礼儀として机上の皿を差し出す。ガスティオルクは途端に嬉しそうな顔をして、深爪気味の太い指が丸い葉を一枚つまみ上げる。音を立ててクチャクチャと噛むのを睨みつつ、ウォルンフォラドも一枚口に含む。口腔内にぶわりと広がる芳醇な清涼感を息を吐いて少し逃がしてから、目の前で恍惚としている日焼け顔を睨む。
「うはー、やっぱ正規品は濃いねー」
「……やっぱりお前、これ噛みに来てるだろ」
「んなこたねーよ」
ここまでが一連の挨拶。
ガスティオルクは出窓に腰を下ろし、片づけを始めたウォルンフォラドを振り返った。
「んで?」
「聞いてないのか、北州に赴任」
「あーなんか言ってたかもな」
「……」
会議でも再三話題になったし、将校連中には直接挨拶に回ったはずなのだが。
ここ数日出しっぱなしにしていた資料を手早くまとめ、棚に戻しながらウォルンフォラドは尋ねた。
「あいつに用事?」
「あーいいや。餅は餅屋に聞く」
「最初からそうしろ」
ガスティオルクが「手早くて良い」と、なんでもかんでもまずクウナに聞いていることをウォルンフォラドは知っている。
ぷす、と空気の抜けたような音がして、ウォルンフォラドは資料から顔を上げた。ひげ面の男が、真っ赤な顔で笑っていた。
「やっだウォンちゃん、効率って言葉知ってるー?」
「……あいつの真似なら似てないぞ」
「きゃああ身代わりにされるー」
がすん。真新しいブーツの硬い爪先が、すそをたくし上げて剥き出しになっていた脛を直撃した。
「イ……っ!」
「ふん」
出窓から床に崩れ落ちるガスティオルクを、冷めた碧眼が見下ろす。
低いうめき声の合間に、細い声音で小鳥が鳴いた。ウォルンフォラドの手がケージを開け、黄緑色の羽をそっと撫でる。その様子を、床にあぐらをかいたまま、ガスティオルクがじっと眺めている。
いつもならここらで「私も私も」と飛び込んでくる声は、今はない。
いつにない静寂。
「……あー」
「何だよ」
頭髪を乱暴に掻き回したガスティオルクは俊敏に立ち上がると、いきなりウォルンフォラドの肩をひっつかんだ。不意打ちの衝撃につんのめって、なんとか踏ん張るウォルンフォラド。
恨めしげな目に、白い歯がにっ、と笑う。
「よっし、メシでも行くか! 前線ぶりか?」
「やめろ、お前とは二度とテーブルを囲まないと決めたんだ」
「ったくつまんねーな、この潔癖症が。おら行くぞ!」
「馬鹿か、執務中だ!」
扉の閉まる音。二つの足音は遠ざかる。
「ほら、お子様のお守してちゃ行けねーとこ、行こうぜ」
「……クー不在の分、お前のお守というのは、ご免なんだが」
「はは! 上手いこというな! わかってるじゃねーの!」
「離せ!」
2015/4/26 挿絵差し替え・誤字修正




