0.クライマックス
演習用の広大な草地が、冷たい季節風になびいている。
その空間に人の気配は多い。国の治安を守る、勇敢な北州騎士団の騎士たちが集っている。
――はずなのに、誰もが動けないでいる。
彼ら衆人環視の中央に、剣を持った二人がいた。
一方は、北州騎士団本部の元帥トゥイジ。徹底した上下主義と容赦ない懲罰とを繰り返し、現在の閉鎖的な北州騎士団本部を我が物顔で牛耳っている男だ。
そのトゥイジが剣を掲げる前にしゃがみこみ、額から流れる血を押さえているのは、ほんの一ヶ月ほど前にここに入隊したばかりの新人騎士。G班に所属する二等兵の少年、ヤサルタ。血の気の失せた顔から吐き出される息は荒く、傷は深い。敵を見るような目で上官を睨みつけている。
上官は、無数にいる名も知らぬ部下の一人を、虫けらを見るような目で見下ろした。
「まだ使えない駒が混じっていたとはな」
狂気じみた瞳が輝く。
周囲の全員が動けず息を呑んで見つめる静寂の中、かちり、とトゥイジの手が柄を握りなおす音が、やけに大きく聞こえる。
容赦なく下ろされる上官の速い太刀に、死を覚悟した少年はきつく目を閉じた。
――そこに、草を踏んで近づいてくる、軽やかな足音が一つ。
「な……?!」
トゥイジのひどく驚いた声と、短い剣戟音。周囲のどよめき。
襲い来るはずの傷みが来ない上に想定外の物音を耳にして、何事かと目を開けたヤサルタは、
「……キュー……ナ」
すぐ前に立ちはだかる少女の背を呆然と見上げた。頬をつたう鮮血を拭うこともできないまま。
風になびく隊服と綺麗な黒髪。少女が吹っ飛ばした上官の剣が、遠くに建つ土門にぶち当たって、草の上に落ちた。
不意をつかれ負傷した腕を押さえて、青ざめたトゥイジの怒号が響く。
「な、何をしてるか分かっているのか、この新人!」
そう。
彼女もまた、新人だった。ヤサルタと同じ日に同期として入隊した仲間。同じG班に所属し幾多の苦楽をともにしてきた、ヤサルタの大事な仲間だ。
――そのはず、なのに。
これまでどんな絶望的な状況にあっても冷静に対処してきたはずの彼女が、今、たった一人で、北州騎士団本部で最も歯向かってはいけない存在にまっすぐ剣を向けている。
北州騎士団本部の中で段違いの強さを誇る元帥トゥイジの腕を、不意打ちとはいえ斬りつけ武器をふっとばした、という事実に、周囲は驚きざわめきだす。
決して高くはないキューナの背はすっと伸びていて、上官相手にひるむ様子は微塵もない。
守られていることに気づいたヤサルタは血相を変え、既に全く動かない全身を奮起させて震える声で叫んだ。
「バカ、逃げろキューナ!!」
その必死な声に振り向いたキューナは――場にそぐわぬ、とびきり綺麗な笑顔を浮かべた。
「大丈夫大丈夫、ちょっと予定より早いけど、まぁ何とかなるっしょ」
時計塔を横目に、意味のわからないことをあっけらかんと言って。
そして一人、勇ましく立つ。
北州騎士団本部の最高権力者に向けて、量産型の剣を正眼に構え、新人騎士キューナ=ルコックドは言った。
「――さて、そろそろ全員黙ろうか」
とても新人とは思えない、生意気で凶悪な笑みを浮かべて。
2015/5/24 誤記修正
2016/12/12 修正