惚れた弱みにもほどがある
『……ま、……さまっ……唯間さまっ!』
「うわっ!」
ドンちゃんの心の内の呼びかけに、私は思わず肉声で叫んでしまった。
どうやら立ったまま気絶していたみたいだ。
ドンちゃんは心配しているのか、そうでないのか分からない無表情で私の顔を覗き込んでいた。
『気絶するほどショックでしたか』
はい、直視できず無意識に脳内実況中継を開催して、受けた刺激を緩和しようとするくらいにはショックでした。ちなみに実況担当のドンちゃんも脳内で勝手に自分で演じていたため、ドンちゃんの性格がぶれていた。
『私、モテの力を舐めてた』
『大丈夫ですよ。一度立ったフラグも再び会わなければだいたいのフラグは自然消滅します』
そうなの?! でもなー、減ってもまた増えるわけで……。
考えたくないけど、一目ぼれで一気に赤フラグ建設、とかもあるかもしれなくて……だからドンちゃんも慌ててたんでしょ?
私は再び青ボタンを長押しした。気絶したため、脳内映像は強制的に切れていたのだ。
映像の中では清楚系美少女が赤面しながら矢代くんを拳で殴り、何事か罵倒しながら走り去って行くところだった。
殴りはしたものの、その頭の上には黄色旗がしっかり立っている。
ツンデレだ。初めて見た。
私が矢代くんの行動を見始めてからまだ10分と経っていない。
それなのに彼は“人妻ルート”と“角ドンツンデレルート”の2つのルートを開拓してしまった。
1時間後とか、想像したくない。それでも――
私は脳内映像に思考を集中させた。
この機能は慣れてくると目で見るように自由に角度が変えられることが分かった。
それだけではない、ズームもできるスグレモノ!
焦点を矢代くんの顔に合わせる。
あ、鼻血。
何の躊躇いもなく、グーパンチだったもんなぁ。
だらりと垂れた血。鼻を押さえ、あたふたと鞄からティッシュを探している矢代くん。
どうしよう、ドキドキが止まらない。
変なうさぎのぬいぐるみに運命の糸が切れて、彼氏にモテ期が来たと言われ、実際にラブコメかっ! なシチュエーションを何度も目撃し心はボロボロな筈なのに、矢代くんの顔を見た瞬間に沈んだ胸の内が一気に高揚した。
ヤバイ。あれだけ打ちのめされた後だというのにどうしてドキドキなんてするの。
まさか私、Mなの?
いや、彼氏が殴られて鼻血噴いている姿に興奮とか逆にS?
どちらにしろ新たな扉を開きそうだ。いやん。
何はともあれ、変わらない確かな想いが私の中にあった。
矢代くんが好きだという想い。
たぶん、どんな女の子が矢代くんに近づこうともこの想いは変わらないだろう。
ならばやることは一つだ。
胃とか痛めそうだけど、何もしないでいる方が耐えられそうにない。
『ドンちゃん』
『はい、何でしょう』
『矢代くんのモテ属性て、消えるんだよね』
『はい、そのために我々運命管理委員会恋愛課は全力を尽くしております』
ドンちゃんの体を持ち上げ、その黒い作り物の瞳を見つめた。
『そしたら絶対、運命の糸も元通りになるんだよね!』
『はい、“神々の記録書”の通りに』
『ドンちゃん、走るよ!』
『やっと、やる気になっていただけましたか』
矢代くんのところに行こう。
辛いけど……もっと辛くなるのは嫌だ。
私は走り出した。
矢代くんは映像に映っていた角を曲がり少し行った先、荒波橋の手前を歩いていた。
「やしっ……あれはっ」
声を掛けようとした時、橋から一人の女の子がまた歩いてくるのが見えた。
あれは……あの深緑色のブレザーは東雲西高校の制服だ。
私は次に何が起こるか身構えた。
さぁ、来い! どんなフラグも叩き折ってやる! ……でも、できれば何も起こりませんよーにぃ!!
矢代くんと女の子がすれ違う。
女の子はそのまま、歩いて離れていった。
……………………あれ? 何も起き、ない!?
じゃない!
女の子のブレザーのポケットからハンカチが落ちた。
こ、これは! 少女マンガでよくある『ハンカチ落ちましたよ、お嬢さん』で始まる恋物語シチュエーション!
矢代くんが気付く前に私が!
私は全速力で走っていき、ハンカチを拾った。
「ぜぇ、ぜぇ……ぜ……お、落ちま、したよ……ぜぇ、っ……おじょ、う、さん!!」
全力で走った私の息は切れ、よろよろとうさぎのぬいぐるみを片手に女の子に近づく姿は完全に不審者だった。
「あ、ありがとう、ございます」
少女は恐る恐るハンカチを受け取り、走り去っていった。
そうね、私でも走り去るよ。でも、ちょっと傷つく。
イヤーカフの赤いボタンを押してフラグを確認する。
よし! フラグは増えていない。
私が小さくガッツポーズをしていると、背後から声を掛けられた。
「…………唯間さん?」
振り返ると矢代くんが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
わーっ! 今の行動、見られてたんだーっ!