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休む間もない物語 4


          ♪♪♪ ―あったはずの物語―


 彼には、ほとんど何一つとして不便を感じることがなかった。

 学生として毎日を学校の中で過ごす彼は、他の多くの生徒が抱くような日常への不満や自分の中の劣等感を感じたことがないのだ。

 勉強も運動も委員会や学校行事のとりまとめも、何をやっても人並みかそれ以上によくこなせた。成績は良く、友人は多く、教師からの信頼も厚い。明るく爽やかな性格で、誰からも人気のまさに学校の中心的人物だ。

 さらに彼は容姿までも良く、女子生徒からのアプローチだって数知れない。それでいて人に妬みを抱かせないのだから、彼の器がよほど大きいのか、神様があまりにも不平等なのだろう。

 しかし、それは同時に彼の悩みでもあった。

 率直に言えば、彼はモテる。なぜならイケメンで性格が良いから。でも、多分性格とか抜きでも結構モテる。なぜならイケメンだから。

 仲良くなった女子生徒からは大体アプローチを受けるし、廊下ですれ違っただけの相手から告白されたことだって一度や二度ではない。初対面の相手でも、ニコリと笑っておけばとりあえず好印象を持たれる。

 そのせいだろうか、彼には恋愛というものがよく分からなかった。

 何度も言うが、アプローチはしょっちゅう受ける。告白されることだって珍しくない。

 でも、自分のことをよく知らない相手が告白してくるのはどういうわけなんだろうか? 一体、自分の何を好きだと言っているのだろう。そういう相手は結構いる。お互い初対面なのに告白してくるのもかなり多い。

 一目惚れ? 何だそれ、ふざけてるとしか思えない。

 つまりは自分の顔が一般とか平均とかよりも良くて、だから告白して付き合って彼氏にしちゃおうというわけか。女の子にとってはステータスか何かなのか、彼氏。

 しかし現実問題、彼の周りにはそういうのしかいなかった。顔とか容姿とかだけを見て一目惚れとか好きとか言っちゃうような奴ばっかりだ。

 ああ、恋愛なんか下らない。

 そもそも恋愛とはどういうものなんだろう。

 自分の周りにいる、自分のことを容姿で判断して好きとか言ってくる誰かに、俺も好きだよ、とか言ってみればいいんだろうか。なるほど、それで恋人という関係は成立するんだろう。十代の学生の恋愛なんて、ほとんどがその程度のものなんだろう。

 何が楽しいんだ、それ?

 最初に述べたように、彼には日常の不安や不満などなく、何をやらせても人並みかそれ以上、絵に描いたような完璧といっても過言ではない人物だ。

 しかし、そんな彼にも恋愛だけがまったく理解できなかった。



 それは、彼が中学一年生に進級して初めての冬のことだった。

 中学校に進級すると今まで日常にいなかった顔ぶれが急激に増え、それは同時に彼に付きまとう女子生徒が増えることを意味していた。

 しかし、ここでも同じだ。寄ってくるのは彼を容姿で判断したような奴ばかり。場所が変わっただけで環境はまったく変わっていない。

 結局、ここでも彼の完璧ぶりは存分に発揮されつつ、彼は恋愛というものが理解できないままだった。

 いや、そのはずだった。

 その出会いは唐突で、それでも彼はこの邂逅を鮮明に記憶している。

 その日、彼は教師から頼まれた雑務をこなしていて帰宅が遅れていた。夕日の差しこむ校舎を職員室から教室まで一人で歩く。部活動には所属していないから、今日はもうさっさと家に帰ればいい。

 階段を上がって三階へ。ほんの些細なことだが、一階の教室を使える三年生は羨ましい。この時まで、彼はそう思っていた。

 二階から三階へ続く階段の踊り場。彼が昇ろうとしたその先に彼女はいた。

 窓越しの夕日を背に立つ彼女の姿は、逆光の中でも凛としていてはっきりと映る。存在感は希薄なのに強い視線や活発そうな全体像はそこに彼女がいることを何よりも感じさせた。正直、彼は彼女のことを自分と同じ人間だと認識できなかったほどだ。

 そのくらい、彼女は儚くて強い。

 彼のことなど気づいていないとでも言うかのように無表情のまま、彼女は一段ずつ三階から二階へ降りてきた。これだけでもかなり新鮮な反応だ。群がってくる女子生徒たちは彼の姿を見れば、とりあえず下心見え見えの愛想笑いを浮かべる。

「あの……」

 ほとんど無意識に、彼は彼女に声をかけた。

 視線を彼女から離せないまま、彼女に見惚れたままの彼は、傍から見れば滑稽だっただろうか。

 一目惚れではない。断じて。ただ、彼女のどこか人間離れした希薄さと存在感の強さが気になるだけだ。

 心の中でそんな葛藤をする彼に、彼女の反応は冷たかった。

「……ウザい。話しかけないで」

「……え?」

 彼が間抜けな声を出してしまったのも仕方のないことだろう。元来、人望が厚く人から邪険に扱われたことのない彼のことだ。いきなり暴言を吐かれるなんて思いもよらない。

 しかし、彼女はさらに続けた。

「あんたのこと、知ってる。ちょっと顔がいいからってもてはやされてる何とか君でしょ」

 それ、知らないじゃん、と抗議する暇も彼女は与えない。

「噂には聞いてたけどナンパまでするんだ。キモ」

 どうやら変な噂が勝手に流れているらしいことは理解できた。

 しかし、ナンパではないと反論しようにも、他に言い訳が思いつかない。これが初対面の彼女は当然別のクラスだろうし、用事だってない。君のことが気になって、とか正直に打ち明ければそれでナンパ成立だ。

 しかも彼女、本当にナンパされたっておかしくないくらい美人だから困る。彼から声をかけられてナンパだと勘違いしたのも納得だ。

「他の女がどうだか知らないけど、あたしはあんたに興味ないから。顔がいいだけで誰からでも相手してもらえるとか、勘違いしない方がいいわよ」

 よくこれだけの暴言が次々と出てくるものだ、と思わず感心してしまう。

 それと同時に、彼は彼女に特別なものを感じていた。

 どう表現するべきなのだろう……彼女からは強い芯を感じると、そういうべきだろうか。今まで誰からも感じたことのない、確固とした自分を持っている気がする。

 周囲に流されず、環境がどうであろうとあくまで彼女は彼女であると、他者にそう痛感させる空気を彼女は纏っていた。

 そしてそれと同時に、自分以外の他者を拒絶して一人でいるような……

「一応尋ねてあげるけど、あたしに伝えるべき用事か何かあるの?」

「あ、いや……」

 言いよどんだ彼に、彼女はやっぱり、という感情を込めた目を向け、

「じゃあ、さよなら」

 短く言って彼の横を通過していった。

 その背中を視線で追った彼は、

「あの! 俺、名前、光真っていうんだけど!! 君は!?」

 追いかけてきた言葉に、彼女は一瞬だけ立ち止まり、

「……榎本澪」



 この日のことを、澪はもう覚えていないだろう。

 光真も、この後で澪のいじめなどの事情を知り、迂闊に彼女に近付くことはできなくなった。彼が澪に近付けば、的外れな嫉妬をしたいじめグループの女子が澪への当たりを強くする可能性もあったからだ。

 だから光真は、もう澪に関わることもないのだろうなと、そう思っていた。だけど、それでも諦めきれなかった彼は偽善とも言えるような行為で勝手に彼女を救っていき―

 三年に進級してから彼女と同じクラスになったことはもう、奇跡だとすら思った。

 いじめも収まっている。光真に付きまとっていた女子たちも、もう彼のことは諦めてとっくに他の男に夢中になっていた。同じクラスなわけだし、光真から澪にアプローチをかけるのに不都合はもうなかった。

 一年と少しぶりの彼女は初対面の時と何も変わっていなかった。そのことで光真がどれだけ安堵したかはきっと誰にも分からない。

 これから、他者を寄せ付けない澪の心を開けるように努力しようと光真は誓った。

 なぜなら、彼はあの時から彼女のことを―



 たとえ彼女が覚えていなくても。

 たとえ他の誰もが知らなくても。

 これは今に通じる、あったはずの物語。


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