まだ焦らない物語 1
卒業式を一週間前に控え、彩花のクラスは最後の思い出づくりといわんばかりに盛り上がっていた。元々ノリの良い奴らが集まったクラスだから、傍から見ると鬱陶しいくらいだ。
で、そんなノリの良い(というか良すぎる)クラスに、あの灰城学園に入学し、しかもAランクの未現体に適合して、かつ凶悪犯を捕えてしまった彩花が帰ってくれば。
「お前ら! 彩花が帰って来たぞぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
『イェ―――――――――――――――――――――――――――――イ!!』
当然のようにこうなる。
既にザ・英雄の扱いだった。
「みんな集まれ! 彩花を胴上げだ!」
「凱旋だ! 酒を持ちよれぃ!!」
「今日は騒ぐぞー!!」
「……いや、いつも騒いでるだろ」
苦笑いとか言うレベルではなく、ここまで来ると純粋に呆れた。あと、酒とか言った奴誰だ。取り締まるぞ、風紀委員(仮)として。
「ていうか、目立ちすぎだろ……」
なんとなく、こういうことになるだろうとは思っていたものの……。
主に外見のせいで学校でも普段から目立つ彩花としては、できるだけひっそりと生きてきたつもりだったのに。このクラスは本当にみんな仲が良いし、どうも陰で目立たないように生きるのは難しい。……目立つのが苦手であっても人嫌いとかいうわけではないし、彩花にしてみればそっちの方が楽しくて良いクラスではあるのだが。
どうやら昨日の時点で、彩花と別行動を始めた契がクラスメイト達に色々と噂を広めたらしい。事故を起こした受験のこととか、Aランクを使っての活躍とかを。
「聞いたぞ彩花。お前、未現体で島半分を壊滅状態に追いやったんだって!?」
一体どういう流れを経てそういう話になったのか、今さら分からなかった。というか、それでは英雄志望じゃなくてリアル魔王だ。
とりあえず、契に一言注意しておこうと、彩花は心に固く誓った。ていうか、あの人いつか倒す。できれば素手で。
そのままクラスメイト達はハイテンションにお祭り騒ぎを始めてしまったが……全員、教師からの自習命令は無視である。
集団のあまりの熱気に耐えきれるわけもなく、彩花はその中心から離れた。
驚いたことに、彩花が戻ってきたことで起こった馬鹿騒ぎなのに、彩花が抜けても止まりはしない。どうやら『彩花の帰還』は、馬鹿騒ぎの目的から名目に入れ替わったようだ。
久しぶりのクラスメイト達に彩花が思わず疲れていると、
「帰ってきた途端に大変だな、彩花」
かけられたのは懐かしい声。
「よ、久しぶりだな」
「ああ、久しぶり……光真」
彩花の目の前できらきらと明るい笑顔を浮かべているのは、彼のクラスメイトであり一番の親友でもある光真。顔良し、成績良し、性格良しと、色々揃いすぎたクラスの中心的人物だ。女顔というわけではなく爽やかスポーツ少年のようなその顔立ちに、彩花は秘かに憧れていたりもする。
「どうだったんだ、灰城学園は? 事故って記憶喪失になったとか聞いたけど、俺のことは覚えてるか?」
「忘れたままで戻ってくるかよ。……光真も灰城、受けてたよな?」
「おう。俺は落ちたけどな」
落ち込む内容のことを、敢えて明るく笑って言ってみせる光真。この笑顔は、城島のそれとどこか似ているかもしれない。明るくて無邪気だ。
まあ、それでも不合格だったことにショックを感じてはいるだろうし、あまり試験のことには触れないでおこう。
「つい昨日こっちに戻ってくるまでいたけど、大変だったよ。どこ見渡しても化物だらけだ」
「やっぱ能力者ばっかりなのか?」
「能力者っていうか……向こうでは適合者って呼んでたな。意味は一緒だけど」
未現体に適合した人物を能力者という人間は、未現島にはいなかった。あくまで能力は未現体のものであり、人間はそれに適合したにすぎない、ということらしい。細かいこだわりではあるが、未現体のためだけに作られたあの島なら、納得できないでもない。
「基本的に校舎内での能力使用は禁止らしいんだけど……なんか、うっかり教室半壊とかよくあるっぽい」
「うっかりで!?」
「ああ。俺も一回だけ現場に遭遇した」
ちなみにその時の犯人は契だった。本人曰く、『壁が脆すぎる』らしい。
「あと……未現体の実技訓練で意識不明の重体者続出とか」
「ちょっと待て、卒業までに何人死ぬんだよ!」
「いや、治療系の能力とかで普通に治してた」
ちなみにそういう時、一番頼りにされるのはシークだった。本人は手持ちのEランクが激減するから嫌そうだったけど。
「他には……二、三年前くらいに真昼間の校舎でいきなり現れた幽霊が行進を始めたとか」
「一体どんな呪いが!?」
「結局、それも能力の暴走みたいなものだったらしいけどな」
ちなみにその幽霊行進、引き起こしたのは当時中等部の生徒だった灯らしい。使い慣れてない能力でやりすぎてそんなことになったんだとか。
そしてここで、ふと気づく。よくよく考えてみると、学園での騒動の中心にいるのは大抵が風紀委員会のメンバーだ。やはり、強力な能力を持つと目立つものなのだろうか。
いや、でも風紀委員会なのに恐ろしく地味な黒猫もいるな、と首を振る。もっとも、彼女の場合は能力そのものよりも本人の性格の問題なのだろう。
いくら英雄志望でも、強力な能力を持つというだけで目立ちたくはないものだ。その観点から見ても、やはり氷とは良い友人関係を築けると思う。
それと、性格という点ではもう一人。
「榎本さんもいいよな」
「ん? 澪がどうかしたか?」
彩花の独り言に、光真が反応した。
「いや、榎本さんの落ち着いてて目立たない性格が良いなって思ってな」
「あれだけのことをしておいて、相変わらずそれが苦手なのかよ、お前は」
この苦笑いは知り合った時から変わらない。
まあな、と適当に返しながら、彩花は話題に上がった女子生徒―榎本澪の姿を探してみた。まだまだ興奮の冷めやらぬクラスメイト達から少し離れた場所、窓際の席に彼女は静かに座っている。
毛先の跳ねている、わずかに茶色の混じったショートヘアはどちらかといえば活発そうな雰囲気だが、彼女は机に頬杖をついたまま黙って窓の外に視線を向けていた。気の強そうな瞳に凛とした態度も、物静かとは程遠く思える。
しかしそれでも、彼女は集団から外れて一人で黙ってそこにいた。まるで、こんな子供じみた馬鹿騒ぎなんか下らない、とでも言うかのように。氷とは少しだけ違う。地味だから目立たないわけではなく、人との間に境界線を引くから近づけないのだ。
「俺としては、もうちょい心を開いてほしいけどな」
光真に言わせると、こういうことらしい。他人に近寄らないし、心を開かない。目立つのが苦手とかではなく、人嫌いのような感じだとか。
「でも榎本さんって、一昨年まで大変だったんだろ? 仕方ない気もするんだけどな」
そうなんだけどさ、と光真は頭を掻く。
彩花の言う『一昨年まで』とは、正確には澪が小学校五年生から中学一年生の生活を送っていた期間を指している。
二人とも噂程度にしか知らないが、どうやら澪はその期間、同級生からのいじめを受けていたらしい。どういったことをされていたのかなど聞いたことはないが、女子の集団から手ひどくやられていた、と。
最初の内こそ気丈に振舞っていた澪も三年間続いたそれには耐えきれず、ついには心を閉ざしてしまったと、そう聞いている。今のクラスはそういうことをする人間なんかいないし、クラスが別になったことでいじめっ子と関わることはなくなったようだが……
「一年間じゃ無理なのかな」
「難しいのは確かだろ。俺たちはカウンセラーじゃないんだから」
全員が仲の良いこのクラスでただ一人孤立している澪に、光真は様々なアプローチをかけた。お人好しな彼は、自分の殻に閉じこもっている彼女を放っておけなかったのだろう。もちろん彩花もできる限りは協力し、せめて二人だけでも友人関係を築ければ、と思っていたのだが。
現実はそううまくいくものではない。今や二人とも、澪からは完全に無視されているような状態だ。
「でも彩花だって、昔はいじめられてただろ?」
「からかわれてただけだろ、俺は」
「いや、トラウマになってるんだから、からかわれてたレベルじゃないって」
光真の言うこともごもっとも。女子にしか見えない女顔のせいでいじめのようなからかいのような行為を受けていた彩花にも、今の澪のような時期はあった。人を避け、自ら孤立し、そうやって極力、目立たないようにしていた時期が。
そんな時に彩花の前に現れて、彼のことをいじめっ子から守ってみせたのが、何を隠そう光真なのだ。
正直、その時のことはあまりにも衝撃的すぎて、彩花はあまり詳しく覚えていない。まさか自分のことを助けてくれる人間がいるなんて、考えたこともなかったからだ。
ただ、それ以来、光真が親友としていつでも一緒にいるようになったことだけは確かだった。
「まあ、俺はもういいよ。トラウマだって今は大分マシになったし」
マシになったどころか、一周回って英雄志望にまでなってしまったわけだが。
「だから、澪も彩花みたいに立ち直れると思うんだよな」
顎に手を当て真面目に考え込む様子は行き過ぎたお人好しにしか見えないが、彩花はそれに救われたのだ。
どうやら卒業間際で焦ってきているようだし、まあ、島に戻るまでは協力しようと思う。
と、いうわけで。
「なあ、榎本さん」
「おい、榎本さん」
彩花と光真、二人で同時に澪にアプローチを実行。
「……」
できるだけ友好的に、明るい笑顔で接してみたものの無視されること数十秒。どうにかして会話に持っていこうと彩花が口を開こうとしたその瞬間、
「……目障り」
ぼそり、と。
取りつく島もない一言が発せられた。