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後伽の書店  作者: 澪
3/5

第1話  商品のない本屋(2)

「わぁ……」

 

 少しだけ充血した紙姫の目に映りこんだのは、彼女の知らない店。住宅街の中に、ポツンと構える瓦屋根の家。高齢の夫婦が軒先で盆栽をしている光景がとても似合う佇まいだった。

 しかし、紙姫の目を引き付けたのは、盆栽代わりに軒先に並ぶ本の山だった。スーパーマーケットでよく見るようなカートに古書が無造作に、それこそ投げ込まれるように入っている。商品として売り出す気があるのかはわからないが、値札がないので売る気はない……でも、なら外に出しておく必要はない。


(あっれ~?)


 国語以外決して成績の良くない紙姫の脳は、早くも疑問で回転が止まりそうだ。でも、それでも興味が惹かれたものの塊から一冊を手に取ってみた。もしも売り物じゃなかったら間違いなくただでは済まされないのだがそんなことはまるで頭の中になかった。

「…………」

 時を止め、単語の羅列を、つまりは文章を丹念に読みほどいていく。くりくりした眼が凄まじい速度で上下運動を繰り返す。

 だが、それが長く続くことはなかった。誰かがおもむろに紙姫の小さな手から本を掠め取ったのだ。何するの、と声をあげそうになってぐっとこらえた。よく考えたらこの本は自分のものではないのだ。

「申し訳ありません、この本屋は立ち読みを禁止しているのです」

 その人物は、非常に優しい声色で紙姫に語り掛けた。叱られると一瞬体を強張らせた紙姫だが、ぎゅっと閉じていた瞼を開けて恐る恐る上を見上げる。

 そこには、建物の外観とはマッチしていても、時代という観点からは恐ろしく外れた様相の男性がいた。

 まず、細身を包む衣装は着物であり、帯の辺りにはいかにも高級そうな扇子が一本挟まれている。切れ長の目を覆い隠すように丸眼鏡が鼻の上に置かれ、血色のよくない唇が三日月の文様を描いている。そして、足元を見ると裸足に下駄を履いていた。

 大正時代の最中に来てしまったのかと慌てて首を振る紙姫だが、それ以外はしっかり平成の世を保っていた。問題ない。

 しかしどうにも現実味がない。ふわふわした感覚に戸惑う彼女に、細目の男性は優しく問いかける。

――本が、お好きなようですね?

 はい。そりゃもう。

 そのままでは本への愛を奔流の如くしゃべりそうな紙姫の表情を優雅に眺めていた――目が細いせいで眺めているのかどうか自信はなかったものの――男性が、帯から扇子を取り出した。そして流れるような仕草で、紙姫の唇にその扇子を当てた。微かな木材の香りが紙姫の鼻をくすぐった。

「ふふ。貴女のその表情で如何に貴女が本を愛しているか、良くわかりました」

「え、えっと……」

 唇に当てられた扇子を指で払いつつも、面前の男性が浮かべる上品な笑いに紙姫は戸惑った。ここまで一挙手一投足が美しく、上品な男性を彼女は未だ知らなかった。

 惚けたように立ち尽くす紙姫に、男は少し膝を曲げて顔を覗き込む。紙姫が小柄なのか、あるいは男が長身なのか、かなり膝を折って二人の目線が並ぶ。灰色の眼と、黒色の眼が引力のように引き合う。

 頬が熱くなる。どうしよう。焦るように両腕をぶんぶん振り、余った袖が一拍遅れて上下する。

 すると男性は、クスリと笑って膝を伸ばした。視線が外れて安堵する紙姫に、遅れて低くてよく通る声が響く。

「どうぞ、こちらへ」

 それが店内に入るよう促されたと紙姫が気づいたのは、数秒のちだった。

 

くちん!

 屋内に入るなり、紙姫は埃に鼻をやられてしまった。古書特有のかび臭い香りは大好きなのだが、思いのほか店内は埃っぽかった。だが、本には埃はない。

 照明もなく、窓も極力閉ざされているが、天窓から一筋の光が、まるで天をつなぐ柱のように床と屋根を結んでいる。その中を埃が飛び交うたびにキラキラとした鱗粉の如く踊る。

 しかし、鼻が弱い紙姫にとってそれは歓迎すべき事柄ではなかった。 

「申し訳ありません。掃除はしているのですが、なにぶん古い家を本屋としているので……」

 しきりに恐縮する男性へ、紙姫は鼻を押さえながらふるふると首を振った。そして今度は首を振る。

 紙姫の家にも大型の本棚に呆れる量の本があるが、やはり専門店は違う。古書が本棚に整然と羅列され、しかも綺麗に陳列されている。

(私のお部屋の本も整理しようかな~)

 そんなことを考えていた矢先。彼女の灰色の眼が、ある張り紙を見つけた。

 そこには、店主が書いたと思しき達筆な字で――あまりにも達筆すぎて紙姫は読み解いた文字に自信がない――、こう書いてあった。

『この棚の品、非売品です』

 

「え」

 度肝を抜かれた。お世辞にも繁盛しているとはいえない雰囲気だが、店の真ん中にある棚を堂々と非売品扱いしているのだから。

 紙姫はとてとてと店主に歩み寄り、ちょっとだけ和服の袖を引いた。店主もそれに気づき、足を止めて振り返る。

「いかがなさいましたか」

 細い目と優しい笑顔は、崩さないまま。この顔がデフォルトなのか営業スマイルなのか、紙姫には読み解けなかった。

「えと……。この本は、いくらですか?」

 躊躇いがちに紙姫は近くにあった本棚から一冊抜き出し、上目づかいで尋ねた。

「申し訳ありません。その棚の本は事情があって売れないのです」

「ええ~!」

 頬に食べ物を蓄えるハムスターよろしく、紙姫は膨れた。それこそ露骨に不機嫌さを露わにした。しかし店主は全く動じない。

 さらに言葉を重ねる。

「この書店にある本は、全て非売品なのですよ」

 奇妙な沈黙が走った。目を白黒させていた紙姫の焦点が合い、次に両手を強く握りしめ、最後に両腕をプルプル震わせながら、

「しんっじられない!!」

 叫んだ。叫んだ拍子に付近の埃が吹っ飛んだ気がした。

 隣近所にこの大声が響き渡ったらとか、そういった概念は一切持つことなく紙姫は叫んだ。そして声を大にし続ける。

「ここ本屋さんですよね、本屋さんが本売らないなんておかしいじゃないですか!?」

 もはや悲愴な叫びにもとれるそのクレームを、しかし店主はもともと細い目を更に細めて、扇子で上品に口元を覆いながら微動だにせず聞いていた。この店主、見た目より相当肝が据わっているようだ。

「ああ、そうでしたね。当店の仕組みをまだご説明しておりませんでした」

 まるでわざと忘れていたかのように、しれっと店主は言った。怒りに震えていた紙姫は、その言葉を受け「ほえ?」と腑抜けた声を放つ。

 天窓から漏れた光が、二人の間にある何もない空間を照らす。スローペースな時の流れの中で、口火を切ったのは店主の方。

「よろしければついて来て下さい。この書店の仕組みをご案内させていただきます」

 売り物でない本棚の列の奥に、店内を一望できるようレジとちょっとしたカウンターがある。その奥は小上がりになっており、襖に仕切られた箇所――紙姫は勝手に居住スペースと思っていたが、どうやら違うらしい――がある。

 ひどく古風な書店の店主は、その襖をあけて後続を意に介すこともなく部屋の中に行ってしまった。

初めて来た客に売り場の奥を案内するとは書店の――いや店として基本がなっていない。一旦燻っていた怒りがまたふつふつと湧き上がっているのを感じた。

しかし、ここでぼーっとしていても仕方ない。怒りに任せて大股で、スカートから太ももがちらちら覗くのも全く気にせず紙姫はずんずん進む。

そして襖を思い切って開けると、そこには。

「こちらが『商品』でございます」

「……ふぇ?」

 怒りとか、そういった感情を吹っ飛ばすほどよくわからないものが、そこにあった。


 六畳程度の和室の中には、かえって清々しくなるほど何もない。あるものといえば、一冊の薄い本と、開いたまま置ける本立てが一つ。以上。

 呆気にとられている紙姫をよそに、店主はどこまでも真剣に言う。

「まずは、本立ての前に座ってください」

「は、はい」

 心の中で、戦いが始まった。このふざけた店主に対する怒りと、何を見せてくれるのかという好奇心との。

 そして勝負は一瞬で決した。紙姫はペタンと畳に腰を下ろし、店主の指示を待つ。

 本の表題には、「浦島太郎」とあった。紙姫も何遍となく読んだ児童書の代表作。

「本を手に取らず、そのままお待ちください……」

 背後から甘く囁くような店主の声。しかしその声が、時折霞の向こうから呟いているかのように朧になる。同時に景色がぐにゃりと歪む。

 不安を覚えた紙姫が慌てて振り返るも、もうそこに店主の姿はない。いっそう掻き立てられる不安の中、何かが目の前を横切り、そして、

――ようこそ。 そして、また会いましょう。

 そんな台詞とともに、歪んだ景色が元に戻る。

 ……否、戻ったのは視界だけだった。景色は元に戻っていなかった。


 そこは、砂浜だった。


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