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怪奇掌編

夏の日

作者:

 

 私にはAという叔父がいる。叔父はおりに触れて、興味深い話を私にしてくれた。

 その内容は多岐にわたるが、今回は幼少期の体験について書いてみたい。


 Aの実家は地方都市の隣町にあった。都市といっても、それらしく栄えているのは中央にある市街地だけであって、そこから外れれば、あたりにはのどかな田園が広がるような土地だった。

 夏休みの某日、Aは父親に連れられて、市民プールに向かった。市民プールは市街地の南端にあり、かなり安い料金で利用することができた。

 Aはしばらくのことプールで楽しく遊び、その後、父親の友人家族と合流した。プールのすぐそばには芝生の広場があったので、彼らはレジャーシートを広げて、ちょっとした野外会食を始めたのだった。

 日が傾き始め、空は茜色がかり、くぬぎやコナラその他の草木で茂みとなっている辺りは、既に薄暗くなりかけていた。広場のすぐ近くには神社があった。その周囲には、社を取り囲むようにして大きな樹木が何本も立っている。

 食事をとり終わって一息ついたAは、そちらの様子というのがとても気になっていた。カブトやクワガタがいるのではないかと思ったからだ。Aは父親に神社のほうへ行ってくると告げた。そしてそれらの獲物を目当てに、一目散と神社の周辺に一人で向かっていった。

 薄暗い木々に囲まれた神社というのは、なかなかに不気味なものがある。確かに神の御社ではあるのだが、隙をついて、いかなる怪異が入り込んでくるやもわからない。そういった気分にもなってくるようだった。木々は社の周りを包み込むようにして林立し、どの木も高々とそびえている。多くの神社がそうであるように、これらは太古に存在した深淵なる森の名残なのであろうか。おり重なった木々のすき間から、その間隙を縫うようにして、ひぐらしの声が鳴り響いていた。

 木々の足元を這い、Aは一人で獲物の探索をしていた。社の前面に立つそれらしい木々を見て回っていたのだが、なかなかお目当てにたどり着く格好の場所は見つからなかった。これまでのところは、スズメバチとの危険な遭遇は無かったものの、目にとまるのは蛾やカナブンといった外道の類いでしかない。はやるAには、満足のいく獲物が是が非にも必要となっていた。大物はきっと、より深い所に潜んでいるにちがいないと、少しずつ茂みの奥の方へと足を踏み入れていた。

 知らず知らず、Aが社の側面に沿って、その裏手へと廻り込もうとしていた時のことだった。

 ――ん?

 にわかにAは耳をそばだてた。何かわからないが、声のようなものが聞こえてきたような気がしたのだ。だが、どこから聞こえてくるのかが、まだよくわからなかった。Aは自分の探索を一時中断した。そして、あたりに注意深く耳を傾けてみた。

「い……」

 何か人の声のように思える音が、Aの耳に入り込んできた。か細くではあるが、やはり誰かの口から発っせられているように思わる。Aはなおも耳をそばだてていた。

「い……た……」

 再び何かが聞こえてきた。少しばかり言葉が増えたように思えた。Aはいっそう耳をこらして、周囲に注意を傾けた。

 すると、また何か聞こえてくる。

「い……た……い……た……」

 どこからともなく聞こえてくるその音は、どうやらイとタという音を繰り返しているように思われた。だが、ぼんやりとそう考えてはみたものの、場所については、まだいま一つはっきりとはしていなかった。

 Aの心には、わずかな好奇心がうずいていた。おそらく「居た」ということではないかと思った。

「何が居たの?」

 おずおずとしながらも、Aは探るようにして問いかけてみた。すると、それはすぐに返ってきた。

「……は……ら……」

「え、何? よく聞こえないよー」 

「……は……らじ……や……」

 ――はらじや……。はら、じや……。はらじゃ。

「あ! 原っていう人?」

 応えは無かった。しかしAは一人、合点のいった様子で、再び問いかけた。

「原さんてだぁれ?」

 間髪を入れずに反応があった。

「……い……た……い……た……」

 その間も、木々の中、ひぐらしの鳴き声は止むことが無かった。人の名前じゃないのかもしれない、とAは思った。では何か。しばらく考えたAは、場所かもしれないぞと思った。そこに何かが居るのだろうと。原ということは、原っぱかもしれない。

「原っぱ? 原っぱに居るんですか?」

「……い……た……い……た……」

 どいもこの言葉が返ってくる時は違うということらしい、というのがわかってきた。イとタは何を示しているのだろうか。しばらく考え込むうちにひらめきがあった。イタではなく、三つ続けてイタイなのかもしれない。

「痛いの? どこが痛いんですか?」

「……は……ら……じ……や……」

 意味がつながったとAは思った。原ではなく腹と考えれば今のところつじつまがあう。

 Aは近くの木々の根本から上のほうに向かい、注意深く視線を送ってみた。だが、特に変わった様子はどこにも見当らなかった。

 Aはその場に足をとどめたまま、じっと考え込んでいた。ひぐらしの鳴き声は引っ切りなしに頭上から降りそそぎ、Aの脳裏を横切っていった。

 Aの視界のほぼ中央に、一本の、そしてそれほど太くはない木が立っていた。はっきりとした理由などはなかったのだが、Aはその木から目が離せなかった。もしやと思うと、少し距離のあるその木に近寄り、裏側に回り込んだ。再び根本から順に、上に向かって調べてみる。丹念に、そして注意深く。

 Aのあごが、相当上を向いたときだった。

「あ、あった!」

 Aは、けたたましく歓喜の声を上げた。目には奇妙な光が反射している。頭よりもかなり高い所に、太いくぎがささっていた。よく眺めてみると、何かが木にへばり付いていた。

「……これ?」

 とAは問いかけた。

「イ……タ……イ……」

 少しの間をおき、正体不明の相手が応える。今度は、はっきりとした苦悶の声が聞こえてきた。

 Aは状況の把握に確信を持ったのだが、いかんせん、釘はAの手の届かないところにあった。木の幹に深々とめり込んでいる釘は、鉛色の鈍い光りを放っていた。

 Aはいろいろ思案を巡らせたのだが、結局自分にはどうすることもできないという結論に至った。一度戻って、父親を連れてくることにしたようだった。

「ちょっと待っててね。すぐ来るから!」

 誰だかもわからない相手に安堵をうながす言葉をかけ、Aは広場のほうに向かって走っていった。


 私は叔父の話を黙って聞いていた。しかし、たまらなくなって問いただした。

「それで、その後どうなった?」

 叔父は軽く吐息をついてから口を開いた。

「そっれが、よく覚えてねぇんだわ」

 叔父の顔は奇妙にも笑っていた。それはとても明るい笑顔のように思えた。だが、本当に覚えていないのだろうか。

 そのとき叔父が聞いた声は、木のうめきだったのだろうか。それとも、神のつぶやきというものだったのだろうか。あるいは……。

 いずれにせよ、その日叔父が遭遇したのは、日常に張り付く怪異ということだったのだろう。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 今風というより、懐古的な文体で個人としてはこういう流れが好きです。また途中でつまることもなく、すらすらと読め、情景を想像しやすかったことなども評価に値すると思います。 [一言] 他の作品も…
2012/10/14 13:30 退会済み
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