第四章
圧倒的。ひたすらに圧倒的な力の奔流が嵐のように身体を駆け巡っていく。
力を奪われたときとは逆の、枯れた身体に若々しいエネルギーが舞い戻るような開放感。
八年前は常にこの力を有していたというのだから、まったく自分でも驚く他に無い。
それにしても、こうも切り札を出さざる得ない状況に追い込まれるとは。
ミリア。この分じゃ、お前を救い出すのは当分先になりそうだ──
「ありえない。そんな力、人間が持っていい筈が無い!」
語気を荒げて言ったノイズの言葉に、グレイ──いや、レンは静かにこう答えた。
「お前の親戚にも似たようなことを言われたよ」
言った瞬間、レンは思わず自嘲した。こいつが親戚。あの“暁の魔王”と?
我ながら面白いジョークだ。あいつに比べれば、目の前で驚愕に身を震わせているこいつなど三流もいいところだった。
「……面白い。目覚めた瞬間本気を出すことになるとは思わなかったが、いいだろう」
覚悟を決めでもしたのか、はたまたこちらの実力がわからないのか。ノイズはそう言って、抑えていたらしい力を解放し始めた。なるほど、確かに一端の魔王ではあるようだ。『グレイ』のままでは勝てないのも自明の理と言えた。
夜を待ったのは念のためだったのだが、どうやら正解だったらしい。
それも踏まえて、全部終わったら説明してあげないとな。
レンは側でぺたんと座り込んだ未だに混乱しているであろうマコトを一瞥し、心の中でそう呟いた。
「マコト。そこを動かないでくれ」
言いながら、レンは短く呪文を唱えるとマコトの周囲に防壁を展開させた。ついでに、傷だらけの身体と服を元通りに復元してやる。
「聞きたいことがたくさんあるわ。早めに終わらせてよね、レンブラントさん」
情報が復元されていく淡い光に包まれながら、マコトはそう言った。どうやらもう正体はばれてしまったようだ。
「“レン”でいい。あいつはそう呼んだ」
「あいつ?」
「俺のお姫様だよ」
不思議そうに問うマコトに、レンは何の恥じらいも無く答えた。
「戦闘中におしゃべりとは。随分と余裕ですね」
ですます調をあっさり復活させながら、ノイズがそう言った。ついでに、さっき負わせてやった傷はほとんど修復されてしまっている。まったく、魔王って人種はみんなこうなんだろうか。
そう考えていると、突如レンの間近で爆発音が鳴り響く。ただの爆発音ではない。ノイズの魔力が通っている。それが証拠に、辺りの石畳がぼろぼろと弾け飛んでいく。マコトに防壁を張っていてよかった。今のマコトがこんな攻撃を食らえば、それこそひとたまりもなかっただろう。
「気付きましたか? あなた達が仲良くおしゃべりしている間に、辺りにいくつか罠を仕掛けさせてもらいましたよ。あなたはもう一歩も動くことはできない」
罠。恐らく、見えないかんしゃく玉のような物がそこら中に浮いているのだろう。先ほどの一撃は自身に展開した防壁で防ぐことができたが、この防壁も無限に働くわけではない。不用意に動いて罠に触れてしまえば数発分で砕け散ってしまう。
だが、こんな子供だましなど。
「お前の言葉を借りるなら……俺には、余裕を持つ理由がある」
言い終わると同時にレンは一言呪文を唱え、遥か上空に座標転移する。だがそこから重力の赴くまま自由落下するなどということはなく、眩い白光を放つレンの身体は当たり前のように静止した。
「さすがにこんなところまでは仕掛けていないだろう?」
不敵に笑うレンの目の前に、より一層の怒りを纏わせたノイズが同じく座標転移を行った。なるほど、宙を飛ぶくらいだったらこの三流魔王にもできて当然と言ったところか。
もはや返答は無かった。ノイズは素早く爪を振るい、ついでにそこから生じる『音』で二重の攻撃を仕掛けてくる。
魔王の本気にたじろぐこともなく、レンは座標転移を繰り返してその攻撃を捌き、自身も術式を展開させて反撃を加えていった。
レンによって光を奪われたミラの街。それとは反対に訪れた満天の星空をバックに、白光が瞬いては消えていく。
常軌を逸したが戦いがゆえに、その光景は美しくすらあった。
(……なんだ?)
数十回に及ぶ瞬きの果て、レンは奇妙な感覚に襲われた。
頭の中で展開させた座標転移の術式を発動させることができない。いやそれどころか──口は動かせるのに、声が出ない。
「ク……ハッ! ハハハハハ!! 私が仕掛けた罠。一つだけと言った覚えはありませんよ!」
本当に可笑しくてたまらない、という風にノイズは片手で顔面を覆い、天を仰いで燗に触る大笑いを続ける。
「あなたの周囲の音を“支配”しました。もはやあなたは衣擦れの音ひとつ立てることはできない。つまり術を発動させるためのトリガー・ワードを唱えることができないのですよ!」
確かに、いかに頭の中で展開する術式を簡略化したところで発動の際のトリガーは必要だ。しかしまあ、なんというべきか。人生どこで何が役に立つかわからない。
「こんな空中では攻撃を避けることもできないでしょう。なに、楽に殺してあげるから安心してください。あなたが現世に蘇った私の栄えある犠牲者、その第一号です!」
口の端を不気味に歪め迫ってくるノイズを目の前にしながら、レンはゆっくりと腰のホルスターから二丁の拳銃を抜き取り──しっかりと両手に構え、ノイズに向かって交互に打ち続ける。
弾切れのはずのシリンダーには、レンを纏う白光と同じ光が絶え間なく流れ続け、撃つと同時に勢いよく回転していった。
一発。二発。三発。止むことは無い銃声はいつまでも続き、ノイズの身体はあっという間に無数の魔方陣で覆われていく。
今やこの銃に弾数制限などという縛りは無く、どんな魔術でも思いのままに行使することができる。
だとすれば──手加減も、出し惜しみも必要ない。
無数の魔方陣から放たれた淡い光が、瞬く間にノイズの身体を覆いつくしていった。
「これは……!? そん──」
ノイズが驚愕で塗り固められた表情と共に発した言葉は、最後まで紡がれること無く霧散していく……その身体と一緒に。
レンが放った術は、『情報消去』。マコトに施した情報復元とは全くの逆の、あるべきものをこの世から消す魔術。
全身に浴びれば、いかな魔王でも抵抗する術は存在しなかった。
一滴の血すら残すこと無く──かつてこの地を荒らしまわり、封印された魔王は消去された。
「悪いな。断末魔ぐらい聞いてやるべきだったか?」
音の支配から解き放たれたレンは、もはや応える相手のいない問いを呟いた。
*
「すごい……」
レンの用意してくれた防壁の中で、じっとうずくまりながら一部始終を見ていたマコトは、それだけ呟くのがやっとだった。
これが英雄の力。しかも、単体での。
だとすれば、二人の英雄が力をあわせた挙句に破れた“暁の魔王”とは一体どんな力を持つというのだろうか?
この戦いだけでも完全に理解の範疇を超えているマコトには、とても想像できない話だった。
やがて、空中に浮かんでいた英雄はゆっくりと地面に降り立ってくる。
「あ、グレ……じゃなかった。レン!」
諸々の話を聞くために近寄ろうとしたマコトは、レンの身体に起きた“異変”に驚いて思わず尻餅をついた。
地面に降り立ったレンの身体から、目を覆う程の閃光が溢れ出したのである。
一瞬マコトの視界を完全な白で染めたその光は、収まると同時にミラの街に吸い込まれるように戻っていった。
今や大都会・ミラは完全に元の姿を取り戻している。何も知らない一般市民はこの数分をただの停電だったと思うだろう。
この時初めて、マコトはグレイが『夜』にこだわっていた理由に気付いた。
『グレイ』が『レン』に成り代わる──いや、戻るには大量のエネルギーをその身に取り込む必要があったのだ。
そのためには、人々が明かりを求めて電力を使う夜を待つ必要があった。そういうことだろう。
「マコト。怪我は無いか?」
元の灰色髪に戻った『グレイ』が、マコトを見るなりそう言った。
「あんたに治してもらったお陰で、すこぶる快調よ。……今はなんて呼べばいいのかしらね」
「今はグレイで頼む。本名が広まっては困るんでな」
「わかったわ。……ちょっと、どうしたの?」
突然右手を側の建物につき、肩膝を折るグレイにマコトは心配そうな声をかける。
「すまない。エンプティーだ」
力無い声で応えたグレイは、言い終わると同時に石畳の地面へと倒れ付した。
「あ……おはよう」
いつまで経っても起きる気配の無いグレイを覗き込んでいたマコトは、突然目を覚ましたグレイと目が合ってしまい、わけも無く気恥ずかしさを覚えた。
「ここは?」
起き抜けにもかかわらず、しっかりと意思のある声でグレイは問う。
「あんたと私がお互い名乗りあった丘よ。あの戦い、見てた人もいたみたいでなんだか辺りが騒がしくなってきちゃったから、ここまで運んできたの。大変だったんだから、感謝してよね?」
「ああ。ありがとう。だがまるっきり昨日と立場が逆になってしまったな」
迷うことなく感謝を述べるグレイ。その素直さに感服しながらも、マコトはグレイの言葉に何か趣き深いものを感じていた。
立場が逆。まさにその通りだ。
つくづく面白い関係であると言わざる得ない。出会ったのがつい昨日であることも含めて。
「……言われてみれば、そうかもね。でもまあそれは置いておいて。約束、覚えてるでしょ?」
上半身を起こしたグレイの瞳を真っ直ぐに見つめながら、マコトは問う。
「もちろん。全部話してやるよ」
グレイは先ほど話をはぐらかした時とは違い、マコトをしっかりと見据えながらゆっくりと語り始める。
「俺の正体には気付いているな? お察しの通り、俺はかつて『英雄』と呼ばれた者だ。だが、世間一般に言われるように自主的に立ち上がって“暁の魔王”を封印しにいったわけじゃない」
グレイの語りを邪魔立てすることなく、マコトは食い入るように話を聞き続ける。
「国に命令されたのさ。まあ、元から俺ともう一人の『英雄』はそういう役割を担ってたんだけどな。国に命じられて、秘密裏に事を処理する。何度も似たようなことをしてきたし、今回もそういう任務の筈だった」
「神出鬼没な“暁の魔王”の出現位置をなぜか国が正確に把握していた時点で怪しむべきだったのかもしれないが……罠だったんだ。国はあの魔王の力が俺達より遥かに上だということを知っていた。倒せないとわかった上で、あらかじめ設置してあった封印術式を発動させるための囮にしたってわけさ」
「どういうこと? 国があんたみたいな『英雄』を手放すなんて、損以外に何もないじゃない」
頭に沸いた疑問をそのままぶつける。自分が国王だったなら、そんな暴挙を犯さないだろう。
「色んな奴に言われたけどな、俺達は“過ぎたる力”を持っていたんだよ。国からしてみれば、一個人にこんな力を保有されたのでは溜まったものではない。どうにか処分しなければ──そういう具合さ」
マコトはようやく合点がいった。“暁の魔王”という災厄を沈静化させると同時に、不安要素を国から消し去る。それが国の狙いだったというわけだ。考えてみれば、“国家による束縛”を敗北によって失った後、そのような人物が野放しにされるのは大いにリスクが伴うと言えなくもない。『英雄』が寝返らない保障はどこにもないのだ。
「ともかく、俺はそこでかつての力を失った。ベッドの上で目覚めた時は冗談じゃなく死のうと思ったよ。おまけに自分は死んだことになってるし、秘密保持だとかで一生幽閉と宣告されちゃあな」
軽い調子で言っているが、並の絶望ではなかったことだろう。全てを失った男の苦悩を理解するには、マコトはあまりにも若すぎた。
「……ん?」
グレイの発言を頭の中で整理してから、マコトは気付く。
「ちょっと待ってよ。それじゃあなんでわざわざ“暁の魔王”を封印から解き放つのか説明されてないじゃない。まさか国への腹いせとか言うんじゃないでしょうね?」
ややトーンを落とした声で、マコトはグレイに詰め寄る。もし本当にそういう理由だったらぶん殴って小一時間説教してやろう。
「理由は簡単さ。一緒に封印されちまったんだよ。もう一人の英雄……剣姫、ミリア・アララギがな」
さっき、『レン』が言った言葉を思い出す。「俺の、お姫様」──マコトの中で、すべてはつながった。
「情けないことだがな。あいつには言い足りないことが山ほどあった。それを……死んだわけでもないのに、全部ひっくるめて諦めるなんてことはできなかったのさ。我ながら──馬鹿だとは思うが」
最後の言葉を紡ぐとき、グレイはわずかに目を逸らしていた。まるで、言いようの無い後ろめたさを抱えているかのように。
一体、この男はどんな胸中でこの八年間を生きてきたというのだろうか?
ノイズが封印されていた部屋で語った言葉の意味を、マコトは初めて理解した。いや、「理解」と呼ぶには浅すぎたかもしれない。マコトがグレイの真意を完全に理解できないのは、若いからか、女であるからか──恐らく、その両方だ。
「あとは簡単さ。幽閉施設を抜け出して、戦える術を探して、封印の解き方を探して。今に至る、と」
「しかし……考えようによっちゃ壮大なラブ・ストーリーよね。ある種見事だわ」
「言われてみれば、そうかもしれないな」
恥ずかし気もなく微笑するグレイを見て、マコトは「ああ、これが大人か……」と場違いな納得をした。
「それにしても、ここで“魔王が封印から解かれる様”を見れたことはある意味幸運だった。お陰でこれからの行動指針が立ちやすくなったからな。マコトには感謝してるよ」
それを聞いて、マコトは思わず頬を朱に染め後頭部をぽりぽりとかく。自分がしたことはただの手伝いだったのだが、感謝されればそれなりに嬉しくもなる。
「で、だ。唐突に感じるかもしれないが、俺からもひとつ聞きたいことがある。聞いてくれるか?」
予想だにしないグレイの物言いに、多少動揺しながらもマコトは同意した。
「この二日間でわかったと思うが、俺は一人で行動するには色々と制限がある。“暁の魔王”を封印から解く術を見つけても、仲間がいなければまともに戦うことすらできないだろう。だから」
一拍置いて、大きく息を吸ったグレイは、なぜか柄にも無く緊張しているように見えた。
「マコト、お前について来てほしいんだ。元より、俺の旅の目的の一つが『信頼できる仲間を探すこと』だったからな。お前は強い。信頼もできる。無理にとは言わないが……頼めないか?」
マコトはまさしく仰天した。こんなところまで昨日と同じにしなくてもいいだろう。
一瞬冗談なのではないかと疑ってみたが、グレイの顔はどの角度から見ても真剣そのもので、からかっている様子など微塵も無い。
本気で連れて行こうとしているのだ。
だが何より困るのは、自分が“ついていきたい”と思ってしまっていることだった。
恐らく、グレイが言い出さなければ自分で言っていたのではないだろうか。……正直に言おう。自分はこの男に興味がある。
他に行く宛がないだとか、一つ所に留まれないとか──そういう理由とは関係なしに、この申し出に惹かれてしまう。
だから、困るのだ。
「………」
いつも何かしら喋り散らしているマコトからは想像できない沈黙。背後でゆっくりと立ち上っていく朝日だけが、俯いたマコトの表情に影を入れ、その様相に変化を入れていった。
「そんなこと、こんなにいきなり言う? フツー」
相変わらず俯き加減のまま、マコトはそれだけ呟いた。
「ここで言わなかったら、もう会うことはないだろうからな。それに断られても後悔はしないさ。でなければ、こんな昔話なんてできないだろ?」
確かに、先ほどの話はグレイの自分に寄せる『信頼』の何よりの証だったのだろう。
では、自分もそれに答えなければいけないのではないか?
迷う必要なんて、ないじゃないか。
「わかったわよ。ついていこうじゃない! こうなったらあなたには私のサクセス・ストーリー、その最重要人物を担ってもらうわ! 私の類まれなる文才で、国の陰謀と英雄の復活を華々しく彩ってあげようじゃないの!」
さっきまでの沈黙はどこへやら。マコトは太陽のように輝く笑みを携えて、グレイをびしっと指差した。
「いくらでも担おうじゃないか。だが、本当にいいのか?」
「自分で言い出しといて何言ってんのよ。気が変わらないうちに契約書にでも何でもサインさせておいたほうがいいわよ? 私はあなたが考えているより安くないんだから。けど……そうね。なら、私にも条件を出させてもらうわ」
マコトは顎に人差し指を当てて、考える仕草をする。
そうだ。自分にも、この『英雄』にやってもらいたいことがあったじゃないか。
「私がここにいるのにも色々と事情があるの。……あ、家出だとか言うのは忘れて頂戴。ウソだから。たぶん、いつか私はやらなきゃいけないことができるわ。今はそれを先延ばしにしてるけど、逃れられないのよ。その時が来たら、あなたにも手伝ってもらう。どう?」
我ながら、いい申し出に思えた。これで立場はイーブンになるし、今まで考えてもみないことだったが──この男がいれば、自分の運命だって変わってくれるかもしれない。
それを聞いたグレイも、別段驚いた様子は見せず、むしろ晴れやかな顔すら見せていた。どうやら元よりタダでついてきてもらおうとは考えていなかったらしい。
「そのほうが俺としても貸し借りを考えなくて済んで気が楽だ。願っても無いさ」
笑顔を湛えて肯定したグレイに、マコトも柔和に微笑み返す。
「決まりね。よろしくっ!」
昨日とは逆にマコトのほうから差し出した手を、グレイはしっかりと握り返す。
気が付けば、眼下に見下ろすミラの街はすっかり昇った朝日に照らされて神秘的な色合いを見せていた。
この出会いが、『英雄』の夜を明かすための契機となるかどうか。それはまだわからないが──
少なくともこの長かった夜は明け、世界には朝が訪れていた。