第一章
「素晴らしきかな大都会・ミラ! 夢にまで見た街並み! 私は、ついに!! たどり着いたんだわ!!」
しっとりとした黒髪に、辺境の民族衣装を纏った小柄な少女が、両手を天に上げ目を燦然と輝かせる。
どこか獅子を思い起こすしなやかな肢体に、意思の強そうな眉目。
成長すればさぞや驚きの美女になるであろうことは想像に難くない。そんな少女だ。
その少女によって臆面もなく叫び散らされた言葉の残響が朝もやを纏う倉庫街にこだましているうちに、少女はがらりと陰気な顔になって後ろを振り返りつつこう言った。
「だってのに──なんなの、あんたらは?」
心底迷惑そうに言った少女の眼前には、四人のいかつい大男が立っていた。
揃いも揃って見事なまでに悪人ヅラ。僕たち、悪いことしてます!というオーラがゆらゆらと立ち上っている。
「なめてんのか、お前は」
リーダー格と思しき男が一歩前を出て、たっぷりの凄味を見せて言い放つ。
無理もない。大の男が四人で少女を暗い路地に追い込んでいるというのに、こんな反応をされたらそう言いたくもなるだろう。だが男の発言にはまったく動じず、少女はなおもうんざりしながら、
「ハァ……まさか初日にしてウワサに聞く“都会のキナ臭さ”を見るハメになるとは。ってかあんたら、どっちかと言うとゴミ臭いんだけど。ちゃんと毎日風呂入ってんの?」
鼻を押さつつ、目尻には涙さえ浮かべてそう言った。
少女の言葉に白目をピンク色に染めて激昂したリーダー格は「このクソガキ……!」と小さく呟くと少女の顔面に容赦呵責の無い右ストレートを放つ。その様子をどこか面倒くさそうに見ながら、少女はすばやく右手で男の手を掴んで攻撃を止め、右足でリーダー格の腹を蹴り飛ばした。
衝突の瞬間、少女の足首に彫られた刺青がわずかに光り──
その光が消える頃には、男の体は轟音を立てて向かいの壁に叩きつけられていた。
「な……!?」
残った三人は狼狽を顕わにし、驚きの目で少女を見やる。
「まだやるってんなら相手になるわよ。かかってらっしゃい。全員まとめて、このマコト様の築くサクセス・ストーリーの栄えある一ページ目に載せてあげるわ!」
まっすぐに男たちを見据え、自信たっぷりに少女──マコトは言い放つ。
「ッ!! 覚えてやがれ!」
古今東西、チンピラ共通の陳腐な捨て台詞を残し男達は去っていった。
「つまんないわねぇ……」
今までと打って変わり静寂に包まれたミラの路地裏で、マコトはそっと呟いた。
本当なら、あとの三人もぶっ飛ばしてやるつもりだったのだが。都会のチンピラはなんて根性ナシなのだろう。
長い船旅で疲れた三半規管と運動不足でのストレスを解消する絶好のチャンスだったのに……!
身勝手なことを考えながら、マコトは暴れて着崩れした民族衣装をそそくさと直し、その場を後にした。
大都会・ミラ。大陸の東南に位置するこの街は、「魔導革命」によって急速に発展した都市である。
八年前の、勝ちを見越して仕掛けた戦争に敗北したことよってこの国には重度の経済危機が訪れた。
それを乗り切るために国がとった政策は、今までごく限られた人間にしか使うことのできなかった魔術という力を誰にでも簡単に使うことのできるようにする──そんな技術の開発を推し進めるというもの。
成功すれば国内の生活が豊かになることはもちろん、諸外国への強力な交渉材料にもなる。国はこのために膨大な額の予算を立て、果ては今まで一般には公開しなかった魔力や魔術の理論を提供することも惜しまなかった。
やがてそんな国の思惑が実を結び、前述した「魔導革命」という革新的な技術の進歩が巻き起こる。
例えば、感応石という特殊な鉱物を反応させることで魔力を発生させそれをさらに応用させやすいエネルギー、すなわち電気に変える「魔力発電」。これによってそれまで火に頼っていた明かりは電灯に変わり、また数々の電気を動力とする機械が作られることになった。
ミラはその感応石を産出する鉱山街であったため真っ先にその技術が導入され、結果その技術の先駆者たるこの街には人・資源・物資、ありとあらゆる物が集まり、ついには大都市と呼ばれるに至った。
だが急速に発展した一方で、旧市街地である鉱山付近は未だに未整備なままであったりする。
そこにうっかり足を踏み入れると、先刻のマコトのような目に遭うことになるというわけだ。
「なるほどね、うっかりしてたわ」
左手に地元案内のパンフレット、右手にフォークという行儀の悪い格好で食堂の隅に座っていたマコトが口の中のポークソテーを飲みきらぬうちにそう一人ごちた。
ここはミラの中心街に位置する大衆食堂だ。昼飯時なので、店内は非常に混み合っている。
マコトは空腹を訴える身体を落ち着かせるため、適当に当たりをつけて店に入った。
その入り口付近に無料で、という触れ込みで件のパンフレットがあったため、昼食がてら読みふけっていたというわけである。
極東の田舎出身の彼女は、この国の現状をよく知らない。
事実、そこではまだ魔導革命の余波すら来ていないし、もちろん明かりは火に頼るしかなかった。
まあそういうところはそういうところなりの魔術体系の進化というものがあるのだが、それは後にしよう。
とにもかくにも──マコトはこの国では珍しいほどの世間知らずと言えた。
最も、ミラが誇る最先端技術についての知識はその限りではない。なにしろ彼女がこの地を最初の目的地としたのは、その技術に対する強い憧れからくるものだったからだ。辺境の田舎に伝わってくる情報がどこまで正確かはともかくとして。
(さて、と)
米粒一つ残すことなく食事を平らげたマコトは、料金を支払うべく店のカウンターへ向かう。伝票を差し出すと、頭に三角巾を巻きつけた初老の女店主は柔和な笑みで料金を告げた。
「1300ディネロになります」
マコトは黙って財布から金を差し出し、そのまま店を後にしようとする。
「ちょっと! なんだいこりゃ?」
店の扉に手をかけていたマコトを、初老の女店主──改め、性格に難がありそうなおばちゃんの怒声が止めた。
「なにって……お金だけど?」
「こんな金、使えないよ。出すならこれじゃないと!」
そう言っておばちゃんが取り出したのは、マコトには見覚えのない黄金色の硬貨だった。
マコトがよく知る金というのは銅と銀を混ぜた薄汚い大判で、事実今もそれを出した。それでもマコトの住んでいた地方では大層な価値があるもので、それさえ出せば大概の物は購入できたハズだったのだが……
「えー……なにか、不幸な行き違いがあったようで……」
どうやら世間知らずな自分はまた何かミスを侵したらしい。そう悟ったマコトは、脂汗を浮かべながら一歩二歩と後ずさる。
「タダ食いは許さないよ。気の毒だけど、自警隊に通報させてもらうからね」
情け容赦のまったく感じられない鋭い眼光で、おばちゃんは言い放つ。
まずいことになった。そんな自分の置かれた状況に混乱しながらも、なにか言い訳を考えていると──
「まぁ、そう睨みつけないでくれ。金なら俺が払ってやる」
横で見ていた灰色髪の男が、優雅と形容しても差し支えない動作ですっと立ち上がり、二人の間に割って入ってそう言った。
丸渕の眼鏡に使い古したロングコート。マコトよりは相当年上に見えるが目鼻立ちは整っていて、まず美形に分類しても問題ないように思える相貌。
だがそんなこととは関係なく、マコトにはまさしく彼が救いの神であるように感じられた。まったく大げさだが。
今なら男の後ろに後光が差しているとでも本気で錯覚しかねない勢いである。
「あらそう。お人よしだねアンタ。そこの世間知らず娘は命拾いしたね!」
おばちゃんは厳しく言い放つと、ちょうど入ってきたお客に見事な笑みでいらっしゃいませ!と頭を下げた。
その見事な転身を横目に見ながら、何か釈然としない気持ちを押さえつつマコトと男は店を出る。
「お前、新聞読まなかったのか?」
外へ出るなり、男が半ば呆れた口調で言った。
「新聞?」
「大戦後からこの地域じゃ旧貨は使えなくなったんだ。旧貨は加工技術が荒くて偽造し放題の上、敗戦で価値が著しく下がったからな。お前、この国のモンじゃないのか?」
「一応国境ギリギリだけど……こっからずいぶん東の、ヒノってところからきたの」
「あぁ、ド田舎だな。そりゃしょうがないか」
はっきり言って腹が立つ言い草だったが、助けてもらった以上何も言うことはできない。
「とにかく、ありがとね。でもなんで助けてくれたの?」
「……気まぐれだよ」
男は少し間を空けてそう言った。
その一瞬の間にマコトは少しばかり興味を引かれたが、男が足早にその場を立ち去ってしまったために、何がそうさせたのかを確認することはできなかった。
*
「で、襲うハズの女の子に吹っ飛ばされて、怖くなって逃げてきたと?」
鉱山街の奥の奥、街のチンピラが一同に会する集会所。
さして広くもない空間だったが、薄明かりに照らされたその部屋は見るものを慄然とさせる不気味さに満ち溢れていた。
その中心で、さながら辺境に住まう魔王の如く威厳十分に腕を組み椅子に座っている大男──旧市街の長、ガガラはマコトから逃げ帰った四人組の話を聞いてこめかみを引きつかせながらゆっくりとそう言った。
「あ、いえ。吹っ飛ばされたのは俺らではなくて……」
筋骨隆々の浅黒い肌に、弁髪を肩まで垂らしたその姿はチンピラのボスというよりは熟練の武道家を思わせる。そんな容貌のガガラに睨み付けられれば無理のないことだったが、四人組は揃って縮こまり言い訳じみた釈明をした。
「そんなことはどうでもいいんだよ。問題は面子だ。その女にこのことを言いふらされたら、いい笑いモンだ。ついで市街地の自警隊がこちらを甘く見てさらにシマを広げるかもしれねえ。そうなったら……?」
「ここで好き勝手できなくなりますね」
「わかってるならさっさとその女を捜して今度こそムイてこい! 手段と人数は選ぶな。手の空いたやつを全員連れて行け!」
「はい!」
四人の男は滲んだ脂汗を拭い去ることもなく、小走りにその場を去っていった。
(まったく……)
ガガラはズボンのポケットからタバコを取り出し、マッチを擦って火を点けゆるりと紫煙をくゆらせた。
こんな調子では、市街地まで乗り出すことなどまだまだできないだろう。
いつまでも旧市街地でお山の大将に収まっているつもりはない。自分はさらに上へ行く。
そして、心身尽くして戦った恩を仇で返した国に復讐を遂げる。
そのためには目先の問題を解決しなければならない。
(ゆっくりと、確実にだ)
ガガラは目の中に静かな野心を灯らせ、二本目のタバコに火を点けた。
*
同日、夕刻。
露商が店じまいを始め、人込みもまばらになったミラの中心街を、マコトはとぼとぼと一人で歩いていた。
暗くなりかけの街には、早々と電灯に明かりが点り始める。その火とも魔術の明かりとも違う不思議な温かさにマコトは感嘆したが、そんな思いもすぐに立ち消えた。
今日はどうにもツイていない。
朝っぱらから路地に迷い込んでチンピラに襲われるわ、昼間は世間知らずっぷりを露呈するわ。
せっかくどうにかあの辺境を出てきたのに、これではあんまりだ。
それに今晩の宿も保障はできない。なにせ使える金がないのだから。
「ふぅ……」
溜息とともにそれらの考えを頭の隅に追いやって、マコトは歩き続ける。歩いていれば、何もしないで立ち止まっているよりは状況が改善に向かう。これは彼女の持論だった。
そのまま、三十分ほど歩き続けたところで、彼女ははたと足を止める。
妙な違和感があった。考えごとをしながら歩いていたせいで気付かなかったが、先ほどから選択肢はたくさんあったはずなのに人為的に一つのルートを辿らされている。
確信に近い疑念がマコトの頭を渦巻いた。こんなことをする連中にはあのチンピラ達ぐらいしか心当たりが無い。恐らく行き着く先には今朝の数倍のゴミ臭いおっさん達が待ち構えているのだろう。
(リベンジってこと? 上等じゃない。あたしは今、無性に誰かをぶっとばしたいのよ……!)
顔の端をにやりと吊り上げ、舌なめずりをするマコト。その所業は彼女の気分的には野ウサギ狩りと大差が無かった。
ストレス解消という大義名分の下に罠にはまったふりをすることに決めたマコトは、行く道に徐々に人気が無くなっていくのもお構いなしにずんずんと大股歩きで進んでいく。
そうしてさらに三十分。足元は石畳で整備された道ではなく、今朝と同じ荒れた道へと変わっていた。
いつのまにか鉱山街の方まで来ていたらしい。ここまで来れば十分だった。
「いるんでしょ? 今朝のゴミ臭いおっさん達。相手になるわ。出てきなさい!」
彼女なりにたっぷりとドスを効かせて言ってみるも、一向に相手は現れない。
(……? 怖気づいたのかしら)
そう思っていると、不意に彼女の鼻腔を甘い香りがくすぐっていく。
「ん……マズイ、こ……れ……」
気付いた時には、辺りは一面睡眠作用のある煙で満たされていた。
どうにもならない。マコトは塩をかけられたナメクジのように全身の力が抜けていくのを感じながら、ゆっくりと地面に突っ伏し、そのまま気を失った。
意識を取り戻したと同時に、マコトは両手両足を縛る鉄の感触を感じた。
ご丁寧に鎖でがんじがらめにしてある。これでは到底抜け出すことなどできない。
マコトは先刻チンピラを吹っ飛ばした、両手首に刻まれた刺青を介して発動する魔術を修めている。だがこれはただ単純に筋力を増加する類ではなく、腕や足を振るって対象に当て、その際に初めて発動する言わば「ふっとばし専門」の術だった。速度が増せば増すほど乗数的に威力は上がっていくが、まったく身体を動かせない──つまり速度がゼロの状態では何の効用も及ぼさないというわけだ。
ヒノ出身ならば、この術を使える者は珍しくない。魔導革命の遥か以前から、マコトの故郷である辺境ではこうした『魔術を誰にでも使えるようにする』術が考え尽くされてきたのである。
おそらく敵はどこかでこの術を見たことがあり、かつそれによって特性を把握した上でこのように縛っているのだろう。
(油断した……!)
打つ手がない。マコトは背中がじっとりと汗で濡れるのを嫌が応にも感じずにはいられなかった。
彼女の“とっておき”もこの状態では使用不能だ。偶然のことだが、これも痛かった。
「目が覚めたか」
暗闇の奥で低い男の声が聞こえると、同時に部屋に明かりが点る。
ここまでは電線も引かれていないのかその明かりは従来通りの火によるものだったが、それが返って映し出された十数人の男の姿を不気味に見せていた。
思ったより狭い部屋だ。男たちは壁際に縛られたマコトを囲んで、みな一様ににやにや笑いを顔に貼り付けていた。
「部下相手に派手に暴れたらしいな。だがそう縛られたら動けんだろう。前線に昔いたよ。ヒノ出身でお前と似たような刺青を持った傭兵が。戦争もたまには役に立つ」
弁髪の大男──ガガラはそう言うと、哀れみを込めた目でマコトを一瞥する。
「かわいそうだが、女子供になめられたらせっかくこつこつと市街地の連中に植えつけた恐怖が台無しだ。お前はこいつらに好きにさせた後、海に捨てさせてもらう」
「ちょっ……勘弁してよ!! 私まだ16よ!?」
マコトはろくに動かせない両手足をガンガンと壁にぶつけて抗議した。
「だからまずいんだ。気の毒だが仕方がない。……おい」
ガガラはそう言って、マコトに一番近い男に目で合図をする。
男はそれを受け取って、マコトの衣服にゆっくりと手を伸ばした。
「えっ?ちょっとウソでしょ!? やめて離して! この腐れチンピラ! レイパー! 戦犯ー!!」
必死になって抵抗するマコトを煙たそうにしながら、いよいよ男が衣服を剥ごうとしたまさにその時。
部屋の中心の空間──ちょうど男たちの頭上──に突如幾何学模様を刻んだ拳大の赤い魔方陣が現れ、そこから溢れんばかりの眩い閃光が迸った。
「ッ! なんだ!!」
男たちは狼狽を顕にし、マコトの衣服を剥ぎにかかっていた男も手で目を覆う。
中には足をつまずき転ぶものもいて、その不幸は連鎖反応的に周りの男たちにも降りかかった。
さして大きく無い部屋に大量に人間が密集していたため、場は大混乱だ。
「全員、こちらを向け」
閃光が止んでなお混乱の只中にある部屋に、男のするどい声が凛と響く。
チンピラ達は声のする方を一斉に振り返り、そのまま絶句した。
そこには、灰色髪の男に二丁の銃を突きつけられている彼らのボスがいたからだ。
「まずそこの女を放してやれ。顔見知りだ。そうされていると寝覚めが悪い」
ガガラに銃を突きつけたまま、灰色髪の男がしれっと言った。
(顔見知り?)
そう言われたマコトは男の顔を凝視して、目に映った姿に小さな驚きを覚える。
その男は、昼間自分を助けてくれたあの灰色髪の男だった。だが一体、何故ここに?
手近にいたチンピラに鎖から解き放たれ、痺れた両手を何度か握り直しながらもマコトは怪訝に思ったが、この場の空気が気安くそれを質問することを許さなかった。
「さてアンタ。単刀直入に聞くが……“ノイズ”はどこだ?」
「聞いたことがない単語だな」
灰色髪に問われたガガラは、そ知らぬ声でそう答える。
「知っているはずだ。この旧市街を仕切るアンタなら」
ガガラの後頭部に銃をごりごりと押し付けながら、低いトーンで男は言った。
それを見たチンピラ達は全身で威嚇しながらじりじりとにじり寄ってくるが、ガガラの観念したような「やめろ」という声で動きを止める。
「あれは地下にある。この街は変わったが、地下の道は変わっていない。発電施設の地下が探し物の場所だ」
こんな状況でも、ガガラはしっかりとした口ぶりでそう言った。
灰色髪は真意を推し量るようにガガラの瞳を見据えたが、やがて銃をガガラに向けたままゆっくりとマコトのほうへ歩き出す。
そしてマコトの側までくると、無言で引き金に力を込めた。
ガガラは思わず身をすくめたが、弾丸は飛んではこず──代わりに空中に出現した三つの魔方陣がまぶしく光り、次の瞬間には灰色髪とマコトは霞のごとく忽然と消え去っていた。
その場に残されたのは、未だに身をすくめたままのガガラと間抜けな顔をして立ち尽くすチンピラ達だけだ。
「頭……あいつは一体?」
チンピラの一人が口を開く。
「わからねえ。だがそれ以上に……“ノイズ”だと?そんなものに一体何の用があるってんだ?」
*
気が付くと、マコトはミラが見下ろせる小高い丘の上で寝そべっていた。
「あれ? 私……」
思わず呟いて周りを見渡したマコトの目が、こちらを覗きこんでいた灰色髪の男と合った。
「気付いたか」
灰色髪は無愛想にそれだけ言う。
「さっきのも今のも……魔術?都会の魔術はこんなこともできるのね。ってその前に何で助けてくれたの?」
「あー。前者はイエスだ。少々特殊だが、こいつは魔術だな」
そう言って、灰色髪は先刻ガガラに突きつけていた二丁の銃を掲げてみせる。どうやらこれが術の発動媒体らしい。
「後者は……悪いが偶然だよ。あいつに聞きたいことがあったから出向いたら、なにやら騒がしかったんで様子を伺ってみると見知った顔がひんむかれそうになっていた。それで助けただけだ」
「そう。理由はどうあれ助かったわ。ありがとう」
マコトは深いお辞儀とともにそう言う。心からの感謝だった。
「いいさ別に。ではもう行くぞ」
そのまま立ち去ろうとする灰色髪の右手を、マコトはあわてて掴んで止める。
「待って。気まぐれと偶然でも、二度も助けられて何もしないなんて私が許しても後世に私のサクセス・ストーリーを読む大衆が許さないわ! 探し物がどうとか言ってたわよね? 手伝わせて!」
無茶苦茶なことを言い出すマコトの剣幕に若干気圧されながらも、灰色髪はしっかりと首を横に振る。
「すまないが、俺の探し物は只の女の子に手伝える代物じゃないんでな。気持ちだけ受け取っておく」
「そう言うと思ってたけど、生憎と私は只の女の子じゃないのよね」
言いながら、マコトはつかつかと傍にそびえていた大木まで歩いていく。そしてゆっくりと目を閉じ、右手を垂直に構え──見開いた目と共に、渾身の一撃を放つ。
右手首の刺青が眩く光り、凄まじい轟音と共に大木は筆でも折ったかのごとく真っ二つになぎ倒された。
「どう?」
土ぼこりを背に、マコトは不敵に微笑む。
「お前、こりゃ……魔術じゃねえか」
「私の田舎じゃ結構ありふれてるわよ。まあ、私のは他の人よりちょこっとばかし強いみたいだけど」
その『ちょこっとばかし』というのは、マコトの才能の成せる技であった。辺境の技術であるこの刺青は、元より自己に存在する魔力を外側へ放出するための言わば『蛇口』の役割を持っている。蛇口をひねってでる水の量や勢いは、各々にある才能次第というわけだ。
「ああ、そういえばヒノ出身だって言ってたか。噂には聞いてたが……実際に見るのは初めてだ」
灰色髪はなにやらしばし黙考した後、マコトの目をゆっくりと見据え口を開いた。
「いいだろう。手伝ってもらうよ。お前、名前は?」
「マコト。マコト・イザナミ」
「……グレイ。グレイ・ステイウッドだ」
灰色髪の男、グレイがすっと右手を差し出し、マコトもそれに応じる。
いつのまにか日は没していたが、二人のいる丘は眼下のミラに照らされて淡い光を湛えたままだった。