05 大家の回想
今朝の目覚めは爽やかとは程遠かった。
まだ微かに痛む腹を擦り、手際よく調理する野火の背中を僅かな敗北を感じながら眺める。
「野火、料理出来たのか」
「ハッ! おいらを誰だと思ってんだ」
「タダ飯食らいで無職の居候」
「…………」
すぐさま返すと野火はグッと言い詰まる。それどころか調理する手を止めて、胸に手を当てている。
……何やってんだ。
「うぅ……亭主に虐げられる妻の気持ちが分かる」
「………………布団、畳もう」
包丁を持ったままアホなことを言う野火(せめてやるなら包丁を置け、危ない)に呆れ果てる。こいつは俺に何を求めているのだろうか。
完璧に無視して放置されていた布団を手に取る俺を見て、野火は振りを止めて調理に戻った。ぶつぶつと言う独り言の一つを聞くと「シロ、乗り悪い」と。
なんでそんなダメ出しされなきゃならないんだ。
そんなことを思いながら、深いため息をついた。
***
「勝手に部屋の物をいじるなよ。あと、知らない人間が来ても部屋にあげるな。それから――」
「シロ、そんな子供に言い聞かせるように言わなくても分かるって」
野火が呆れたように言うが俺は止めなかった。コイツは信用ならん、この一言に尽きる。
また顔を険しくさせると野火が近寄ってきて、眉間をぐいっと引き伸ばされた。
「シロー眉間が大変なことになってますよ」
「誰のせいだ」
九割方お前のせいだと言うとケラケラ笑う野火。一応これから仕事に出るというのに何だ、この疲労感は。
後ろで「いってらっさーい」という野火の見送りをうけながら自室を後にした。あいつはどれだけ俺から気力を奪い取る気だろう。この俺を、声一つでここまで疲れさせるのは野火しかいまい。
重い足取りで歩いていくと、長屋の共同部屋の方から良い匂いが漂ってきた。
その部屋は長屋住民の要望によって作られた部屋なので、その名の通り、誰でも使用できる。
台所もあるため、住民の溜り場になりつつあった。
仕事に行く前に茶を飲んでくか。そう思いながらそこへ足を踏み入れると、見知った顔。
「お、四郎起きてたのか。珍しいなぁこの時間帯に起きてるのって」
「松之助か。今日は……まぁ、いろいろあってだな」
真っ先に声をかけてきたのは笑顔の絶えない男、松之助。昔からの付き合いである男が座っていた。
どうやらこれから朝飯らしく、湯気の立つツヤツヤの白飯を頂こうとしているところのようだ。
「じゃあ飯食うか?」
「もう食った。茶をくれ」
「お前って料理出来たっけ? 一郎が昔、弟の飯がクソ不味いっつーか死ぬ、とか言ってたぞ」
「あの野郎………」
派手な出で立ちの長男がニヤニヤと笑っている様子が真っ先に目に浮かんだ。あの蛾男……今度会ったら叩っ斬ってやる。
「まーさーかー、コレか?」
「…………何だよその小指。へし折るぞ」
「あれ、違うのか」
小指を立ててアハハと笑う松之助にがっくりと肩を落とす。野火と……? 絶対にそれはない。
もしそんなことがあるとしたら、俺は未来の自分を殴り飛ばしてでも正気に戻す。
「違う。ちょっと拾いモノをしただけだ」
「何拾ったんだ?」
「狐」
「ん?」
意識することなく自然と零れた言葉に俺自身が驚く。でも、そう答えておいて正解だったかもしれない。できるなら野火の存在は知られないほうが、いい。
俺の返事に米粒を落としている松之助に向かって、今度はゆっくりと言った。
「狐、拾ったんだ」
だって、同居人があんな変人だなんて知られたくないだろ。