03 困った時は近隣の民家へ
全然訪れたこともない土地に放り出されたらどうすればいい?
「で? 何で俺の後を付いてきてんだよ」
「行く宛がないから」
おいらなら赤の他人だろうが関係なく、取り敢えず目の前の男に付いていきます。
しれっとそう答えると明らかに嫌そうな顔。
折角の女顔が台無しだと告げると、腰に差してある脇差(長さ1、2尺の小刀)を抜かれそうになった。彼にとって顔のことは禁句らしい。まったく、短気な男だ。
「だっておいら行くとこないもん。この辺なんて未知の世界だもん」
「御愁傷様」
そう言って振り払うようにすたすたと歩く美男……って「美男」と呼ぶのもしゃくになってきたな。
「なぁ、名前何ていうの」
「何でお前なんかに」
「教えないならずっと女男と呼び続けるぞ」
「……四郎。杉浦、四郎だよ」
流石に人目のある場所でそう呼ばれるのが嫌だったのだろう。渋々といった感じでそういう四郎にふーんと鼻を鳴らす。
「何だその反応。お前から聞いといて」
「いや、予想外に平々凡々な名前だなぁと。四郎なんてその辺で呼んだら皆振り返るんじゃないか?」
「喧嘩売っとんのか、てめぇは」
今にも襲い掛かりそうな四郎にでもこれが素直な感想ですと言ったらついに脇差を抜かれた。きらめく白銀をひらりと避けていると良いことを思いつき、満面の笑みで提案する。
あ、でもまだ狐面してるから。四郎はおいらの表情分からないけど。
「提案なんだけどさ」
「首をはねてくださいってか? よしよし、そこに座れ」
「話きけー。四郎なんてどこの四郎君か分かんないから、君のことはシロって呼びたいんだけど。どうでしょう」
ふざけてそう言うと彼の暴走はぴたりと止まった。少し警戒しながら顔を見上げれば、裏拳を避けられたときのような間抜けな……否、呆気にとられた顔。
ちょっとちょっと。
「なんでそこで固まるんだよ。おーい、シロ?」
「……俺が返事する前に呼んでるじゃねぇか」
杉浦四郎はおいらが「シロ」と呼んでも嫌じゃないのか。返された言葉の中に否定がなかったのに少し驚いたが、まぁいい。これから好きに呼ばさせてもらおう。
「シロってなんか犬みたいだねぇ」
「やっぱり呼ぶのやめ―――」
「ないよ」
「……そうかよ」
がっくりと、額に手をやるシロ。
「この道通るんじゃなかった」という声が聞こえた気がしたが、おいらにとっては幸運だった。
***
目標は目の前にある質素な長屋への入り口。
だがその前に乗り越えなくちゃいけない障害物がある。
おいらはようやく縄から解放された両腕を回し、突撃に備える。
「さぁ、そこを退いてもらおうかシロ。そんでもって大家に会わせろ」
「何で自分の部屋にお前みたいな怪しい奴を入れなきゃいけないんだよ。それに言っとくが、大家は俺だ」
「丁度いい。名前は野火、特技は人を化かすことです。どうかここに住まさせて下さい大家さまっ!」
「却下」
「即答!?」
何はともあれ、これから住む場所を確保しないとなぁと。考えてたらシロがこの長屋に逃げ込もうとしたので、捕まえて今に至るわけです。
そうやって言い合いながらも、入り口を封鎖しているシロへジリジリと距離をつめていく。
夏でもないのにシロは何やら汗だくになっている。さっきの荒くれ者たちを追い払ったときの鬼神の如き顔は微塵もない。
あんな勢いで反撃されたら、おいらもこうやって長時間に及んで攻防戦出来ないだろうに。
「野火、とか言ったか。大体なぁ今の江戸に住居を求めること事態が間違ってるぞ!」
「何でだよこの鬼畜シロ助!」
「きっ……あのな、江戸の人口舐めんなよ! 借りれる部屋なんて無いんだよ!」
わ――シロが逆ギレした。
綺麗な顔に小シワがたくさん増殖している。こういう人を宝の持ち腐れって言うのだろうか。
鬼と化したシロの迫力は満天だ。だがその分、隙が生まれる。
「隙あり!」
「あ、てめ……!」
戦闘系じゃないおいらにしては、よくやったと思う。シロがおいらと同じくらいの体格だったら出し抜けただろう。
だが残念なことにシロは男で、体格はおいらより数倍良くて力もあった。
シロの腕を掻いくぐって行こうとしたが、寸でのところで腕に捕まる。
そしてその腕はそのまま腹に回ったかと思えばおいらの体を持ち上げ、シロの小脇に抱えられる状態になった。
「はーなーせー!」
「っこら! じたばた暴れるな!」
大変屈辱だ。この体勢は。
体格差を突きつけられるようで腹が立つ。そんなこと言ってもどうにもならないことは分かっているけども。
こんの、馬鹿シロ! と罵倒しながら地上に上がった鮪よろしく暴れ、柔らかい体を利用してシロの顔面を足(勿論素足ではなく草履着用)で狙ってやった。
「あだっ……てんめぇは!」
「ふんっ諦めて住ませろ」
「だから部屋がねぇって言っただろうがぁああ!」
また結果が出ないまま堂々巡りになろうとしたとき、この場に似つかわしくない間抜けな声が二人の間に流れた。
「あれ―四郎? 一体なにして……」
「あぁ? ………あ、蛾」
シロが顔を向けた先にいたのは、どっからどう見ても遊び人だと分かる男性。
おそらく人を表現するには使用しないような『蛾』という言葉に、おいらは納得した。
派手な色合いの着物を着くずし、手に持っている煙管から煙をぷかぷかさせながら『蛾』と呼ばれた男はシロと、抱えられているおいらを見て、至極真面目に言う。
「四郎、遂に犯罪に手を染めて………」
「んなわけねぇだろ!」
「ぐすっ。お家に帰りたいよ―」
「なに――!?」
うわーんと泣いたふりをすれば明らかに狼狽えるシロ。ふ、ちょろいなとほくそ笑んでいると再びぐいっと強い力で抱き上げられた。
突然現れた遊び人はシロからおいらを奪い取ると、軽いなーとぼやきながらも頭を撫でる。
「おやおや。君、狐の面を付けてるのかい? なかなかやるね。というかゴメンねー僕の弟が」
「おにぃさん?」
「そ、僕はそこで打ちひしがれている奴の兄なのさ」
似てねー
おいらの小さな呟きは聞かれなかったらしい。
シロが何も反撃してこないうちに今までの経緯をお兄さんに話すと、彼はキッパリとシロへ言い放つ。
「住ませてあげな」
「だから、部屋がねぇ」
「同居すればいいじゃん。万事解決だよ。よかったねー野火ちゃん」
最早衝撃が強過ぎて何も言えず、口をぱくぱくさせるシロ。
やっぱシロは面白いなぁと思っていたおいらは、その言葉にぴくりと反応する。確か、こいつにはおいらの名前を教えた覚えはない。
怪しがるおいらに気付いたのか、お兄さんはくすりと笑うとおいらが付けている狐面を指で弾く。
「君、裏では結構有名なんだよ。知らなかったの、お狐さん?」
妖しく笑う男に何も言えなくなった。
まぁ、あれだ。
シロの兄貴がなんでおいらのことを知っているんだとか、なんでシロは荒くれ者から恐れられているのかとか、いろいろと聞きたいことは山積みだ。
でも、今のおいらが言うべきことは一つだろう。
「シロ、これからよろしく」
嘘だろ、という声は聞こえないことにした。