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紫陽花の七変化  作者: マツ
雨夜の月
21/23

10 『兄』


 クコから話をすべて聞いた。

 そして理解したうえで、真っ先に視界に入った「野火」を全力で殴った。



「ぐぁ……!」



 思わず、といったように漏れた声は、「野火」の声ではない。

 俺が殴った相手が野火ではないと知ると、クコは微妙な表情をした。複雑な感情が入り混じった顔だが、だいたい何を考えてるのかは分かった。

 狐面をつけている相手が野火なのか敵なのか、殴る前にはその判別がついていなかったからだ。

 だが、俺はどちらを殴ってもよかったから、加減はしなかった。狐面が奪われたことを相談しなかった野火も殴りたかったし、狐面を奪った挙句事件を起こして野火に濡れ衣をきせた敵も殴りたかった。

 どちらのほうに殺意が向いているかと言われると、断然後者だが。


 殴り飛ばされた相手が立ちあがる前にうつ伏せ状態の上からのしかかる。

 それでもまだ拘束から抜け出そうとするのを、刀を抜いて首の真横に突き刺すことで牽制する。



「動くな」

「随分と物騒じゃないか、シロ」

「てめぇのことはもう分かってる。それと、おまえがその名で呼ぶな」

「……すべて知られてしまった、ということですか」



 まだばれていないと思っていたのか、野火の真似を続けた男に一瞬キレそうになった。うっかり刀が首にぶっ刺さったことにしようかと思ったが、真っ青になっているクコの顔を見ると、流血沙汰を起こす訳にもいかない。

 そんな俺の葛藤が分かっていたかのようにフゥ、と軽く息を吐く男に怒りが再発しかけたが、男の意識はこちらに向いていなかった。

 頭を器用にくいっと動かし、クコの方を向く。その瞬間、クコの身体は押しつぶされたかのように縮こまった。



「クコ、おまえが裏切ったんだね」

「……うん」

「そうでしたか……やはり、ダメですね」

「に、兄ちゃん」



 兄ちゃん。

 その一言に、俺の頭は殴られたかのような錯覚を感じた。

 しかし、そう呼ばれた本人はさして何も感じていないように、煩わしげなため息を一つ吐く。



「もうここまできたら、何も隠すことなどありませんね」

「兄ちゃん、オレ、もう兄ちゃんに刀を振るってほしくなかったんだ! 兄ちゃんと野火が斬り合うなんて、嫌なんだよ。だから、」

「だから、裏切ったんですか? 冗談じゃない。あのことを知ったんでしょう?」

「あの、こと?」

「私とおまえに血のつながりなどない、ということですよ」



 どういうことなのか分からなかった。

 それはクコも同じようで、先程まで強い光を放っていた目は凍りついていた。ただ、震えながらも唇を動かし、風音に紛れてしまいそうな声で「違う」と呟く。

 しかしそれは男の嘲笑でかき消された。



「馬鹿な子だ。本当に、信じていたのですか? あぁ、そうですよね。あんなにおまえを騙してきた大人から守ってくれた立派な『兄』ですからね。…………名前すら知らなかったくせに!」

「違う、違う、違う!」



 今度こそクコはしゃがみこんで首を振るが、大声でわめいたり泣きだしたりはしなかった。

 しかし、喉の奥からしぼりだされた小さな否定の言葉、縮こまった小さな身体は確かに絶望していた。

 そんな姿を見ていると、俺の中で何かが重なる。クコと同じように「違う」という言葉を吐きそうになったところで、我に返った。

 気づけば首にあてていた刀をずらしていたようで、男の首から赤いものが一筋流れていた。


 そんな状況だというのに、わざとらしく男は低く笑いながら俺を見上げる。



「そういえば、あなたには『兄』がいるのでしたね、四男さん」

「…………黙れ」

「その人はあなたを大切にしてくれますか?」

「……黙れ!」

「あなたを守ってくれますか?」



 男がそういった後、背中から勢いよくなにかに蹴られた。

 体勢を崩した俺の隙をみて、男は瞬く間に刀を掴んで突きつけてくる。その動作は洗練されていて崩そうにも手を出すことができない。

 いまだに野火の狐面を外していない男。そして斬られかかっている俺は、まさに「野火」に殺められようとしている。

 冗談じゃない、と思った。


 ――その刹那、


 恐ろしい音を立てながら、なにかが目の前の男にぶち当たった。当たったと目で認識した瞬間に男が視界から消える。

 何が起こったのか分からなくて、飛んできたモノを追うと、何故か砕け散った木片とぴくりとも動かない男があった。

 次にモノが飛んできた先を見やる。が、予想外過ぎてポカンと口を開けてしまった。

 俺は今日一日、一体何度驚けばいいのだろう。


 その先には男の俺でも見上げるほどの大男が立っていた。その横に食いちぎられたかのような切り株があるのを見て、さきほど投げられたのはまさか木の幹ではないかと思う。

 だが、俺が驚いたのはそれじゃない。

 その大男の隣、平然といつも通りの笑みで、煙をくゆらせる男がいた。



八代(やしろ)、その男を縛っとけ」

「へい」



 指示を聞いてすぐに気絶していた男を拘束するのは八代と呼ばれた大男。

 そして指示をだした本人は近寄ってきて、呆然とそれを眺めていた俺を見るとにやりと笑い、ゆっくりとした動作で手を俺の頭にのせる。



「守ってあげるに決まってるじゃないか」

「……おまえが言うことかよ」

「じゃあ、兄代表ということで」



 それならいいだろう、という一郎に咄嗟に言葉が出てこない。

 おまえが『兄』か。おまえらがいまさら『兄』として振舞うのか。

 言葉が出ない代わりにこんな思いが駆け巡る。だが、不覚にもかけられた言葉と頭にのる温かさを振りはらうことはできなかった。


 ようやく周りのことに気を向ける事ができるようになったのは、視界に狐面が映り込んできてからだった。

 駆け寄ってすばやく狐面を男から引き剥がす。分かっていたとはいえ面と共に滑り落ちた偽物の赤髪に安堵する。

 そして野火の居場所を吐かせようとして胸倉をつかんだところで、この男が気絶していたことを思い出した。

 しまった。舌打ちを一つし、その場から走り出そうとしたところを一郎に掴まれる。



「ちょっと、どこに行く気だい四郎」

「野火がこいつに襲われたかもしれねぇ。捜してくる」

「かもしれない、じゃなくてすでに襲われてたよ」

「……なんで知ってる」



 いくら俺が混乱しているとはいえ、一郎のその一言は聞き捨てならなかった。

 最悪の事態を考えて睨みつけるが一郎は平気な顔して告げる。



「僕が先に回収したからさ。今頃、ちゃんと治療されてるから安心しな」

「生きてるんだな?」

「今はね」



 そう言うと一郎は拘束していた男のそばにしゃがみ込み、そいつの懐をさぐる。

 俺が「今は」というのはどういう意味だと口を開いたときには、奴は手に小さな麻袋を持っていた。



「今は、って言ったのは野火ちゃんがこいつに毒を盛られていたからさ」

「その手のは、」

「毒を扱うなら解毒薬を持ってるだろうからね。たぶん、解毒薬」

「――野火は今どこにいる!」

「はいはい分かったから、案内するから殴るのは止めてったら」



 袋をひったくって走り出す。へらへらしている一郎に堪忍袋の緒が引き千切れそうになったが、八代が拘束した男を担いだ状態で何も言わずに先導を始めたのを見て、怒りを抑える。

 一心に走る俺の耳に、はるか後方から一郎がクコに告げる言葉が不意に聞こえた。



「とりあえず、この件と全く関係ない君も一緒に行こうか。子どもが夜に一人でいるのは危ないからね」


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