07 真犯人
野火が、事件の犯人だった。
いつもと変わらない飄々とした態度を思い出して、思わずそばにあった塀を殴った。
いらいらした。犯人の目星はついたというのに。あとは捕えるだけだというのに。
「……ちくしょう」
訳もなく苛立って目つきがいつもより悪くなっていたらしい。
通りすがりの人が皆青い顔をして俺の周りを遠ざけながら通っていく。
それを横目に見て、苛立ちが引いていくのを感じた。かわりに湧きあがった思いはどう表現すればいいのか分からない。
唐突にふっと湧いた思いは、何故だか俺を焦らせた。
長屋の前まで走っていく。
そして勢いのままに戸を思いっきり開けた。部屋の中には誰もいない。
そのことを確認している自分に脱力した。
野火がいるわけがない。自分が犯人だと、俺に明かしたじゃないか。
俺に捕まると分かっていながらも長屋に戻ってくるはずがない。もし来たとしたらバカだ。
でもかすかに、そんなバカであってほしいと願う自分に気づいて顔を片手で覆った。
俺がバカか。
そう思ったとき、背後で砂利を踏む音が聞こえた。
ハッとして勢いよく振り返る。すると、そこにいた人物はびくりと身体を震わせていた。
「あ、あの……あんたが杉浦四郎で、あってる?」
「……あぁ。そうだ」
そこにいたのは以前野火を追いかけ回していた少年だった。確か、クコとか言っていた気がする。
こいつが俺にいきなり何の用だ。野火の場所でも聞かれたらむしろ俺が聞きたい。
気分が晴れる事がないこともあって睨むが、少年は逃げなかった。
それどころかクシャクシャに顔を歪めて俺に走り寄り、泣きそうな顔ですがりついた。
「オレが悪かったんだ! だから、野火を助けてよ!」
突然叫ばれた言葉と行動に、目を丸くした。
***
「花」の衣装から動きやすい服に着替えて、人気のない場所へ移動した。
選んだのは杉浦に唯一ある墓地。町より高台にあるそこは、ごみごみとした町と海を同時に見る事のできる場所だ。
適当な場所に腰をおろし、沈んでゆく夕日を眺める。
じわじわと暖かな橙色が闇に浸食されていく。そして完璧に日が隠れてきたとき、その音は聞こえた。
何かが飛来してくる音。
予想していた通りの攻撃に思わずにやりと笑う。
飛んできた凶器を受け止めずに避けると、攻撃してきた本人が姿を現した。
月に照らされてやってきたのは昼間に見た「野火」。
緊張の欠片もなく手を振りながらやってきた。
「こんばんは、お嬢さん」
「あはは、こんばんは。胸糞悪いサル野郎」
「口が悪いですよ、お嬢さん」
「気づいてるからお嬢さん呼びは止めろ。軒猿」
「……あれ、本当に気づいてるようですね、狐」
唐突に「野火」の声ではなく、低く響く別人の声を発する。
すると目の前の奴はゆっくりと狐面を外した。ついでと言わんばかりに赤茶髪を引っ張れば、ばさりと落ち、中から色素の薄い茶色の髪が見える。
そいつはむかつくほど小奇麗な面を上げて、にっこりと友好的な笑みを浮かべる。
「改めまして、こんばんは。名前はお伝えできませんが、役職は軒猿で合ってますよ」
「そんなのはどうでもいい。狐面返してもらおうか」
「どうでもいいって……自分の置かれている状況分かってますか、狐さん?」
「あぁ分かってるさ。あんたら、他大名に仕える忍者を始末してるんだろう?」
軒猿というのは個人をさす名前ではない。他の大名に仕える忍者を捕え、場合によっては処分する連中の総称だ。
捕えた後に拷問かなにかをして有力な情報を得ているのだろう。酷いことするな、とは言えない。こっちだって主人の利益になりそうなことがあればすかさず狙うからな。
おそらく単独で行動する「狐」を好機とばかりに襲ってきたのだろう。
でも、仕事による事情で単独行動しているわけではない、ということを知らないのだろうか。
「それだけ分かっていて、なんでこんなに緊張感ないんですかねぇ」
「おめぇだってないじゃないか」
「緊張感ないあなたに変装していたからです。……それにしても、なんですか、その面は」
「狐面の代わりだ。かっこいいだろう?」
軒猿が指さすのはひょっとこの面。春先に手に入れたもので、非常に茶目っ気のある面構えをしている。
返事をすると、目の前の男は非常に残念なモノを見る目をしてきた。そのことに気づいて、じゃあ、と手を伸ばす。
「不快なら、とっとと狐面返せ」
「それはできませんね」
「嫌ならこの情緒溢れるひょっとこ面と交換だ。悪くねェだろ」
「余計に嫌ですよ」
融通のきかねぇ奴だな面倒臭い。
そう呟くと「あなたに言われたくありません」とため息交じりに返された。その上地獄耳かよ。