04 狐的化け方
まぁ、つべこべ言っても仕方がないと言いますか。
おいらがどうこう言っても結局やつは変わらないだろうし、実弟が「蛾」と称すほど奇抜で派手な奴のことなんざ一欠けらも知りたいとは思わない。
……思わないが
「どうぞ、こちらのお座敷を使って下さいね」
「あ、どうも。ありがとうございます……」
あの事件から次の日。
一郎が「早速、犯人さんを罠にかけようか」とか言いだし、おいらが「花」に化けてからじゃないと行かないという意見を無視して誘拐されるように連れてこられたのだが……。
目の前に広がる質素でいてどこか旧家を思わせる座敷に絶句してしまう。なんだここ。どこだここ。
前にも思ったことだが、一郎は何者なんだろうか。
ふすまの前で現実逃避し始めたおいらを引き戻したのは、ここまで連れて来てくれた女中だった。
「必要なものはすでに中にありますので」
「はい」
それだけ声をかけた女中は心なしかおいらを不憫そうな目で見て、一礼して去って行った。そんな絶望的な顔してたっけか、おいら。
そのまま突っ立っているわけにはいかないので、座敷にあがる。
そして用意してあるものを見てげっそりしてしまった。
「本気でおいらを囮に使う気なんだなあの野郎」
鏡の前にあるのは化粧品やら簪やら「野火」には縁遠いもの。その中には紫陽花の簪もあった。
が、問題はその隣。
うねる赤茶い偽の髪。一体どこから調達してきたのか。手に取るとやけに本物に近くて、ちょっとぞっとする。
……あとで聞いてみようか。いや、でも万が一本物だったら怖いな。髪には元の持ち主の思いがこもるとかなんとか云うし。
ずっと考えているとだんだん不安になったから深く考えないことにしとく。とりあえず着替えるか、と傍らに置いてあった着物を引き寄せる。
すると、庭の方からドサッと何かが落ちる音。それとともに聞き覚えのある「いってぇ~」という声が聞こえてきた。ちなみに半泣き。
嫌な予感がぷんぷんする。臭いくらいする。
「くそ、なんでオレがこんな目に。なにもかも『狐』のせいだ!」
「……なんでもかんでもおいらのせいにしないでくれないかな」
「あ、いたーーー!」
はぁ、とため息が出るのはしょうがないだろう。これであうのは何回目か。しかもまた狐呼びかよ。
「クコ、おいらの名前はいつになったら覚えるんだい? なぁ?」
「ぐっ……のび」
「よくできました。で、なんでこんなとこにいんだよ。しかも塀から落ちたな今の音は」
「落ちてねぇ! 着地に失敗しただけだ!」
「同じようなもんだよ」
半泣きで、しかも顔から突っ込んだのか真っ赤になっている鼻で言うもんだから笑いそうになった。それを感じたのかクコはこっちを睨んでくる。
「とにかくオレがわざわざここまで来たんだ、その狐面よこせっ」
「またかい。こりないなクコ」
前にもそんなことを言っていたがそんなに執着するようなものだろうか。
同業者なら分かるが、クコのような子供が狐面を欲しい理由がわからん。この狐面可愛くないし。
「そんなに欲しいならこっちの面をやる」
「ひょっとこ!?」
この面で満足しろ、と放ると呪われるとでもいうかのように逃げられた。カラン、と音を立てて庭に落ちたひょっとこ面が哀愁をそそった。
***
「なぁなぁ、これから何すんの?」
ずかずかと屋敷に上がって来たクコの第一声がこれだった。
ていうか勝手に塀から侵入してこの子大丈夫なのかと思ったが、一向に人が来ないから上手く忍び込んできたのだろう。塀から落ちたけど。
まぁそれは置いといて今だが、クコは周りの品々に興味深々のようだ。
着物やら鏡の前に置かれた化粧道具類やらをしげしげと見て、最後においらに胡乱気な目を向けてきた。
「野火ってあれなの、誰かから貢がれてんの?」
「んなわけないだろ。誰が貢ぎ相手に鬘を送るんだよ」
「……まさか、隠してるだけで実は禿げてるんじゃあ」
「これは地毛だ!」
聞き捨てならないことを言い始めたクコの頭に拳をひとつ落とす。情け? 容赦? そんなもの知らん。
おいらの拳骨の落下と共に小気味良い音がなった。
「よ、幼児虐待!」
「そんなお前幼くないだろ。拳骨をくらって江戸っ子は強く生きていくんだとかシロが言ってた……ような気がしなくもない」
「どっち!? ていうか嘘だよそれ。オレ聞いたことないもん」
「莫迦な! じゃああのときやられた拳骨はなんだったんだ!」
以前拳骨を落とされた後のシロの言葉がそれだったんだが、嘘だったのか。理不尽だ。ていうか今考えたらおいら江戸っ子じゃない!
「この恨みは夕飯のときにでも晴らさせてもらおう」
「なんか知らないけどシロって人頑張れって感じだね。一緒に住んでる人?」
「あぁ、杉浦四郎。聞いたことあるだろ?」
「ないよ」
すっぱりと言うクコの言葉に仰天した。
まさか、杉浦四郎を知らない人間がいたなんて思いもしなかった。あの鬼っぷりを知らないってか!
「お、お前知らないって……どんな生活したらそんなになるんだ」
「えぇええそんなに慄くほどすごい人なのその人。オレ、江戸に来たの初めてだから分かんないよ」
「あー江戸出身じゃないのか。どこから来たんだ?」
「えと……越中から。そういえば野火これに着替えるとこだったんじゃないの?」
「あ、そうだった」
危うくここに来た目的を忘れそうだった。ていうか言われるまで忘れてた。
取り敢えず化粧よりも着替えるか、と今着ている着物を脱ぎ始めたら隣から声が上がった。
「あ、あれ。野火って男だよね」
「は? 女だけど?」
着替えるもの女物なのにおいらを男と思うとかクコ大丈夫か、頭。恐る恐るといった感じに喋るクコに素気なく言うと、奇声が上がった。
「ぎゃあああああいきなり人前で着替えるとかどんな神経してんだよ!」
「おいら気にしないから。ほら下にも着てるから別に素肌見えない」
「オレが気にするって! それにそういう問題じゃないだろ」
ばかばかばか、といって部屋にあったらしい衝立を引っ張ってくるクコはなぜか半泣きになっていた。なんでだ。
程無くして着替え終わるとぐったりしたクコが。
「ありえないよ。なんで女の人なのにそんな口調なのそんな格好なのそんな性格なの」
「おい、最後の女の人関係ないだろ。一言でいうならおいらだから」
「……その一言ですっごく納得しちゃったよ、オレ」
「そりゃよかった」
さて化粧するか、と鏡に向かうとまだ信じられないような目でクコが見てきた。
「ねぇ、本当に化粧できるの? 無理しない方がいいよ」
「クコ、お前おいらをなんだと思ってるんだよ」
変装をするときには化粧の力も借りる。
べったりとするんじゃなくて、自分の顔の特徴を少しずつ変えるように。そうすれば一番自然に別人の顔が仕上がる。
クコの視線を受けながらも狐の面を外す。隣のクコが息をのむのを感じたが無視。
テキパキと野火の顔の上から花の顔を作っていく。毎回やっている動作だから素早くできる。
「よし、これで完成」
「ほんとうに化けた……」
「だから『狐』なのよ。さぁ一郎さんが待ってるかな」
「……」
「あぁ、口調もね、化けたときからその人になるから野火のときとは違うのは当然よ」
「きもちわり」
「失礼な」
呆然とこちらをみながらも相変わらずな口を開くクコの頭に拳骨一つ。情け? 容赦? そんなもの以下略。
「いっ!」
「さてと、行かなきゃ」
「……拳骨は変わらないんだね」
「え?」
「へへっ、なんでもない」
おいらの拳骨をくらってへラリと笑うクコ。なんだろ、なんかイケナイ扉でも開いてしまったかと思った。
出る前に鬘もつける。ただ結い上げることはせず、犯人を誘いやすいように一纏めにして背中に流す。髪ばかりを狙う犯人だったら、こんなにゆらゆらしている得物は格好の標的になるだろう。
「私も出るから。クコも出た方がいいよ」
「うん」
最後にクコにそう言って、部屋を出た。
狐の面が懐にないことに気づいたのは、随分あとになってから。