11 春の祭り
今日も今日とて二郎の店へ働きに行き、二人で清音さんの争奪戦を繰り広げ、見かねた近所のおばさん(恰幅で声の大きい)に一喝され、とぼとぼ家路につき、さぁ夕飯作るぞーと包丁を握ったとき。
家主がいつもより早い時間に帰って来た。
「あれ、今日早いな」
「準備したらまた出る」
「はぇ~仕事御苦労さんですね」
疲れているのか、いつもより眉間のしわが三割増だ。ここに帰ってくるまでにどれだけの人を怯えさせたろうか。
ってかこれからまた仕事かい。
若いのによくやるな、と言ったら拳骨を落とされた。なんでもおいらが言うとわざとっぽく聞こえるらしい。失礼な。
「シロや、お前は自分の拳骨の痛さを体感すべきだ……!」
「うるせー。そもそも俺より若いお前に言われたくねぇよ……って、何やってんだ」
「や、シロの拳骨の痛さがどれほどかを教えてやろうかと」
「ほーぅ、俺の拳骨は刃物と同等の威力を持ってんのか」
「周りもビックリ! 頭がかち割れるほどの威力!」
「ふざけんな」
「いてっ」
手に持っていた包丁を構えて見せたら再び拳骨。そして懇々と調理器具を武器として使うな、と叱られた。料理出来ない奴がよく言う。
まぁそんなこと言ったら、半殺しの目に遭うのは確実だから言わない。誰だって命は惜しいです。
「あぁそうだ忘れてた。おい野火、ちょっと腕貸してみろ」
「は? 何す………」
「よし、」
何する気だと聞く前に腕をとられた。
それからおもむろに懐から長ーい縄を取り出し、それでおいらとシロの腕をぐるぐるぐるぐると………。
「……って何やってんだよ!」
「これでいいか」
「いやいや良くない。何で縄で繋がれてんの? そんで何でお前はそんな達成感溢れる顔してんだよ!」
「じゃあ行くか」
「あれ、無視なの。存在空気って奴? つーか一郎と同じ扱い!?」
ワケの分からないまま、戸口へとグイグイ引っ張られていった。
そんなおいらとシロの片腕はさっきの縄で縛られていて、シロが引っ張ったら必然的にこっちも移動する羽目になる。
それより何で縄。何でコイツの仕事においらが付き合わされなきゃならんのだ。
「ヤーダー今日の夕飯は油揚げって決めたんだからー!」
「子供かお前は! あーじゃあ向こうで稲荷寿司でも食わせてやるよ」
「よっしゃー行くぞシロ!」
「……現金な奴」
シロが大変失礼なことを言っていたような気がするが、壮大な心で許してやることにしよう。稲荷寿司がおいらを待ってる!
そして駆け出そうとしたところで気付いた。
「なぁシロ、おいらの稲荷寿司とはどこで待ち合わせ?」
「……なに喋ってんだ。頭大丈夫か」
「稲荷寿司さまはどこだ」
「……お前、知らないのか?」
「何を」
「今日は花見だ」
だから町中が祭り状態になんだよ、と言ったシロの顔をポカーンとした顔で見た。
や、聞いてませんけど。
***
「なぁシロ。こんなやってさ、お前ら本当に花見をしたいのって思わないか?」
「まぁそうは思うが……それ言ったらその言葉丸ごとお前に返ってくるからな」
ずらりと並ぶのは桜の木。花の重さで垂れ下がるほど満開になっている桜の下で、色んな人がドンチャン騒ぎをしている。今日の仕事と言うのは、羽目を外し過ぎた輩を締めあげることだ。
だから一応周囲に目を配っているのだが、どうしても横を歩く奴に目線がいく。
「……野火、それは何個目の寿司だ」
「んー分かんないけど途中までは数えてたよ」
ざっと七十個くらいかな? と首を傾げるそいつに一瞬眩暈がした。
いくら好きだからと言ってここまで食えるものなのか。さっきもチラッと見たが結構速い速度で寿司が消えていた。ふざけんなという言葉が喉まで出かけたが、それを呑み込んでしまうくらい。
このままいくとあと少しで野火の手に持つ稲荷寿司は消えてしまうんじゃあ……。それでまた催促されるんだろうが、それだけは何としても避けたい。俺の懐にも底はあるんだ。
最後の寿司が野火の口に消えたとき、早速実行してみた。
「ねぇシロ稲荷す」
「取り敢えずこれ口に入れてろ。食い過ぎだ」
「んぐっ……なひこへ?」
「水飴。さっき売ってたから買ってみた」
「ふふーん? 甘ぁーい」
成功だ。どうやら野火の頭は稲荷寿司から水飴に移ったらしい。こちらとしては万々歳だ。永遠そいつを食ってろ。頼むから。
機嫌良く鼻歌を歌って、キョロキョロと周囲を見回す。
「いや~江戸の祭りはすごい賑やかですな」
「そうか? 毎回こうだから慣れてくるんだが……あぁ、お前田舎出身だったかそうかそうか」
「その口、使えねぇようにしてやろうか。そうしようか」
ハハハ遠慮すんなよ、との言葉を棒読みしながら野火が縄を片手にブンブン回している………っていつの間にか片手縛った縄解けてやがる。
「いつの間に」
「ついさっき。腕に跡ついたじゃないか。てか何で縛る必要あったのないでしょ」
「この人混みの中でお前が迷子になったらめんどくさいから」
「シロはおいらを信頼しましょうねー。しかも心配じゃなくて面倒だからかい」
「ものの数分で人波に呑まれたお前をどうやって信頼しろと」
そう、コイツは屋台が見えた途端「いなりじゃー!」とか奇声上げてどこかにくらまそうとしたから目が放せない。縄付けといてよかった、と心の底から思った。
その縄は、すでに解かれてしまったが。
この少しの間にも俺の傍から離れ、ふらふらと人混みに引き寄せられていく。
「おい、ふらふらすんな!」
「なぁなぁなぁ、コレいいな!」
「はぁ?何いっ……」
野火の声がする方を向く。が、目の前に広がったソレに噴き出しそうになった。
「お、おま、ソレ……ひょっとこ」
「この口の曲がり具合が何とも言えないよね。キョロっとした目が何か可愛い」
「……お前それ以上近づくなよ。俺も同類と思われる」
「シロは夜叉の面かな」
「止めろ」
おかしな面を両手一杯に抱えようとする野火を見て、眉間にシワがよるのを感じた。
江戸の花見は始まったばかりだ。……正直、もう帰りたいが。
***
本当、やっぱり平和が一番だと思います。
「は、反省してます。すいませんもうしません。だから放じてぐだざいぃー!」
「アァ? なに甘ったれたこと言ってんだ。こういうのは二度としないように体に教え込ませるのが一番なんだよ!」
「ひ、ヒィイイイ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいもう二度としません!」
「そんな言葉約束で許されてたら杉浦の番犬はいらねぇんだよ! おいらの努力を水泡にしやがってもっと見つかんないようにしろや!」
「エェエエエーー!?」
本日七人目の無賃飲食者にシロはぶち切れ寸前のようだ。目をギラギラと光らせ、同じくきらめく脇差を構えている。
対する罪人はと言うと、みっともないくらい震えて謝り続けている。
それでもおいらが怒りながら叫んだ言葉には罪人だけでなく、シロまで目を丸くしていた。何だよ文句あるのかよ的な態度をしてれば、シロもまぁいいかと思ったようでおっかない眼を罪人に向けた。
そんな二人に挟まれて罪人は魂が抜けかけていた。自業自得だ。無賃飲食した奴が悪い。
そうやっておいらまでもが異様な気迫で迫る内に、店側が(見兼ねて)提案をしてきた。なんでも、しばらくこの罪人を己の飲食分働かすのだそうだ。
それが一番妥当な判断だと思う(し、何より奉行所につきだすのが面倒)ので、おいらは店側に一言挨拶をして未だに睨みをきかせているシロの着流しの袖を引っ張って、その場を跡にした。
「くそっ……どいつもこいつも浮かれやがって」
「確かにさっきみたいな人は困るけどさ。皆日頃の鬱憤を晴らしてるんだよな」
「……俺の疲れが取れるときがない」
「んーまぁそれはおいらが頑張って癒して差し上げますよ、旦那!」
「今疲れた。この瞬間に疲れた。お前の声聞いた途端疲れた」
「何故だ!」
常日頃から杉浦を(鬼の形相で)駆け回って、こんな普通なら息抜きの祭でも仕事に追われるシロには確かに安まる時がないだろう。
だから少しでも楽が出来るようにシロに隠れて騒ぎを起こそうとしている奴らをとっちめたり、もし見つけてもシロの目に留まらぬように誤魔化したりした。
が、流石は杉浦の番犬と言ったところか。すぐさま気づいてスットンで行ってしまう。自然と罪人を見るおいらの目も厳しくなるわけで。お前ら今日という日くらい……というか常日頃から大人しくしてろや!とか思うわけで。
「ふぅぇええー……」
「なんだそのワケの分からんため息。てかため息吐くと幸せが逃げるらしいぞ。呑み込め。だした空気幸せごと呑み込め」
「何その知識。どーせ井戸端会議してたおばちゃん達の話聞いてたんだろ」
「…………」
「……図星かシロ吉。おいらヤダよ杉浦四郎の知識がおばさま達の会話で構成されてたら」
「ば、馬鹿野郎んなわけねぇだろ」
「おいらは馬鹿でもないし野郎でもねぇやい」
二人でだらだら他愛ない会話を続ける。
くだらない話だが、シロの周りに漂っていた鋭く突き刺さるような雰囲気が徐々に消えていくのを感じて内心ホッとした。
その雰囲気が消えてから現われたのは『杉浦の番犬』と呼ばれる大家ではない、ただ杉浦家に生まれた強くて目付きが鋭くて女顔な四男だ。
何枚も化けの皮被ってるおいらが言えたことではないが、やっぱり歳相応の表情をしている方がいい。
そうやって一人満足気に頷いていると、向こうの桜の木の下に見知った姿を見つけてしまった。そんでもって向こうも気づいてしまった。
相変わらず派手な服に周りに迷惑な程の煙。歩く公害だ。
「お! 四郎ー野火ちゃーん丁度いいや、こっちおいでー」
「……兄上がお呼びだよ、シロ」
「俺の知り合いに蛾はいない」
「ちょ……おーいコラ聞こえてるでしょ。何となくどういう会話してるか分かるけど分かるからこそ悲しいわコンチクショー!」
「まぁまぁ兄さん落ち着いて、いつものことじゃないか。四郎も意地張ってないで来なさい。久しぶりに一杯やろう」
「二郎さん、あんまり無理はしないで下さいね?」
「君が言うなら、清音」
ワイワイ騒ぐ団体。ちゃっかり同じ長屋に住む松之助も酒を掲げて「四郎ー!」と呼んでいる。
「なんか、家族団欒って感じだな。シロ行くの?」
「蛾は知らんが……松之助がいるし、酒もある」
なんだかんだで仲良いんだな。というか最後まで一郎は兄とは認めないのか。
でも取り敢えず「行く」と言ったシロにおいらはそうか、と返事だけして後ろへ下がる。
それを見てシロが首を傾げたので、おいらも同じように首を傾げた。何だろう、この不思議な光景。
「……お前どこ行くんだよ」
「え、だって家族団欒においらが首突っ込んじゃあダメだろ?」
いつかも言った言葉だ。兄弟水入らずでどうぞ、と言うとシロの眉間がよった。
ちょっと待て待て。おいらはシロにそういう顔して欲しいんじゃない。普通に笑って普通に友人と喋って、望み薄だが血の繋がった兄弟と仲良くしてくれればいいなぁと、思っていたのに。
何故、こうなる。
「野火……」
「な、なんでしょう」
「お前は俺のなんだ」
「え、えとなんだ? シロ、の……は?」
「お前は杉浦の長屋に住む店子だろうがぁああ!」
「そそそうでした!」
一瞬言われた言葉を理解するのに時間がかかったが、痺れを切らしたシロに怒鳴られて納得した。(店子…借家人)
「そんでもって、俺はお前のなんだ!」
「お、大家さまです」
「そうだ。江戸ではなぁ店子といえば大家の子供みたいなもんだ。この意味分かるか」
「シロ、その歳にして子沢山だね」
「違うわァアア! 大家は店子の面倒をみないといけないんだよ!」
ドカァーンと、まさに雷が落ちるかの如く吐き出された言葉を精一杯理解する。
「つ、つまり大家のシロは店子であるおいらの世話をしなくてはいけないと…」
「そういうことだ。分かったら行くぞ!」
「ふぉおおっ!」
いきなり襲う浮遊感。
でも何となく懐かしい感覚がするのは前にも体験したことがあるからだろう。
ここに初めて来た日と同じように担がれながら、そう思う。いや、前と違うところを言うと、それは脇に荷物のように抱えるのではなく、抱き上げるように担がれていることか。
「し、シロ? どうしゃったのさ。見回りはもういいの?」
「どうもしてない。今日は祭りなんだ少しばかりは見逃してやる」
「なんか自棄になってません!? 自棄になってるよね!?」
「コラ動くな! 普通だよっ俺は、いたって、普通だ!」
ズンズンと効果音が聞こえてきそうな足取りで賑やかな桜の木の下まで進む。シロの気迫にこの体勢から脱することを諦めたおいらは、シロの肩に手をやって垂れ下がっていた桜を先の方だけ手折り、シロの髪に挿す。
それを見た一郎がお猪口を掲げながら笑った。
「ははっ似合うねぇ四郎」
「ばっ……何やってんだお前は!」
「……? 四郎、その狐面の子は誰だい?」
慌てるシロに不思議そうに担がれているおいらを見つめる二郎。そう言えば、『野火』のときには会っていないな。
「初めまして、名前は野火。特技は人を化かすことです」
主にシロの給仕係みたいな感じで同居してます。
これからも、
もう、しばらくは。
「よろしくお願いします」