10 仕事開始
本当に、慣れとは恐ろしい。
「花ちゃん、あちらの席にお茶運んで!」
「はーい」
「花ちゃーん! 席空いてるかな?」
「奥にどーぞ! 清音さん、三名様入りまーす………………あ、そこの方!」
「(ビックゥ!)」
「お会計……まだですよね?(にっこり)」
「は、花さん!今日も可愛いですっ!」
「褒めても安くしませんし食い逃げ野郎はこの竹箒の餌食になってもらいます(竹箒装備)」
「ギャアアアアア!」
清音さんの指示で茶を運び、客の接待をしつつ只飯食いを捕えて懲らしめる。一段落したときには思わずふぅーと一息ついて額を拭った。
「掃除完了っと」
「花って予想外に容赦ないよね」
「貴方に言われたくないですよ二郎さん」
クルリと後ろを振り向けばにっこり笑顔の二郎。その裏には「当たり前だろハッハッハ」という言葉が聞こえてきそうだ。基本的に二郎は清音さんに関わることじゃないと働かない。あとは商売で得することにしか。何気に守銭奴だ。
「というか、もう出てきても大丈夫なんですか?」
「皆言うよね。こぞりこぞって私を病人扱いしないでくれないかい? まぁ清音にならいくらでも看病して欲しいけどね」
「もうその話はお腹いっぱいでーす」
途中から惚気始めた二郎においらは降参というように両手を上げる。二郎は元々そんなに身体が強い方ではないようで、よく熱をぶり返しては寝込んでいたのだが復帰した途端にコレだ。
あてられる側の身になってくださいねーと言っても二郎……というかこの夫婦は全く懲りない。ホントに全く。
おいらが幾度河原で叫んだか知れない(専ら「淋しいやろがー!!」)。
「熱出したのって一昨日じゃなかったですか? 寝てないと清音さん泣きますよ泣かすんですか、清音さんを」
「……今日は大分体調がいいから大丈夫。それに先約があるから」
「先約……?」
気まずそうに顔を店の外にやった二郎の視線を追う。すると、道行く大勢の人の中に見覚えのある二人組。
一人はド派手な衣装を着くずし煙管を加えている。そして、もう一人は――――――。
「神さま仏さま店主さま、ちょっと私おいとま……」
「か弱い私を置いて逃げる気かい花。あの二人相手に逃げ出したくなるのは分かるけど、私を置いてくな。今度こそ床送りにされる」
「そんなこと言われたって」
「二郎ー! 兄弟でお見舞いに来たよ―――おや、花ちゃんもいるのかい?」
こっそり逃げようとしたら二郎に腕を掴まれて失敗した。あぁどんどん近づいてくる二人組においらは眩暈を感じるよ。
真っ黒な髪と眉間に刻まれた深ーいシワ。
「あは、は。こんにちは一郎さん……………と、シ、四郎さん」
なんで君がいるかな、シロよ。
***
もしも今、願い事が一つ叶うのならば
おいらはこの空間から逃げたい。
「全く二郎は本当に身体が弱いなぁ。今は起きていて大丈夫なのかい?」
「兄さんが出迎えてくれって言ったんじゃないか。あと私が体調を崩す原因は九割貴方ですよ」
「「……………」」
「ちょっと四郎、あんまり女の子を睨んじゃ駄目だよ。怖がってるだろ」
「花、どうしたんだい? そんなに汗だくになって。」
「あ、いえ。なんでもないです……」
なんでもなくない。
何でシロがこんなところに。何でこんなにこっち睨んでるんだ。
……ってか一郎の奴、秘密にしとけって言っただろうがぁあああ!
取り敢えず店の中で話そうってことになり、座ったはいいが何故かおいらまで同席させられていた。
それにさっきから向かいに座るシロの鋭い視線が突き刺さっている。
この時間帯は町内を見回ってるんじゃなかったのか? 職務放棄か!?
それより……ばれてはいない、よな。
「あああの、兄弟水入らずでお話してはどうですか? というわけでお邪魔虫は退散し」
「お邪魔じゃないからいなさい」
「そーだよ。交流を深めようじゃないか」
笑顔で言う二郎に引き留められて、おいらは持ち上がっていた腰を下ろした。
それよりこの兄弟と交流を深めたところで何の得点が付いてくるってんだ。
逆に災難だ。こいつら自体が。
「花、今失礼なこと思っただろ。絶対思っただろ」
「いえいえ、す、すす素敵なご兄弟ですね!」
「そんな引きつった顔で言わなくてもいいよ花ちゃん。むしろこっちが虚しくなってくるから止めてよ」
じゃああんたは兄弟が仲良くするように善処しろよアホたれ、とか言いたい。
でもそれは『花』が言うような言葉ではない。どちらかというと『野火』が言う言葉だ。
「そんな、本心ですよ」
だから、ニッコリ笑って言う。心にもないことを。
そう言えば微妙な顔をしていた彼らも「そうか」とだけ言って、お互いに会話をし出した。
しめた。隙をつけば逃げれる。そう思って、こっそり席をたとうとした。
が、
「おい、お前……花って言ったか」
「………はい、私は花ですが。何か用ですか四郎さん」
とんでもない時に話し掛けやがった。今まで睨みきかせてた奴が。
てか、おいらの状況見たらこの場から逃げたいの丸分かりだろうに。敢えての無視なのか分かっててやってんのかふざけんな。
そんな思いが嵐の如く渦巻いたが、持ち前の技術で笑顔の裏に全て押し込んだ。
まだまだ『狐』は現役だ。
「お前って」
「はい」
「その、」
「………………」
顔の方を指さされて、一瞬嫌な汗が流れた。
まさかばれてる……? いや、そんなはずはない。ばれてたまるか天下の『狐』さまだぞ。でもでもシロってやけに鼻がいいからなぁ。外から帰ったときに匂いだけで夕飯当てれるくらいだしなぁ。
……………ってどうでもいいわ、そんなこと。
「その、」
「……はい」
「簪って、どこで売ってるんだ?」
あの、すいません。
その顔でそんなこと聞くのか君は。
おいらの頭に留めてある簪に手を伸ばしてしげしげと見ているシロは、知り合いからみたら興味深気に見ているように映るだろうよ。
でもさ、見る人によってはあの『杉浦四郎』が女人の方を見てるわけよ。
どっからどう見ても「杉浦四郎にガン飛ばされている可哀想な女人の図」だよ。
「えっと…貰い物ですから、どこかは分かりません」
「そうか……」
申し訳なさそうに言えば、シロの口元がむっと結ばれる。なんだかとっても罪悪感。
でも私が身につけてるもの全て君の一番上の兄さんが揃えてくれたんだよ、って言ったら絶対にへそ曲げるな。
シロは近年稀にみる、究極の兄嫌いだから。
「あの、ところで何でこの簪をお求めで? もしかしてご自身で身に付」
「付けねぇよ」
「そうですか……残念です」
もしかして自分にか、と思ったが違うらしい。残念でならない。それだけ綺麗な顔なんだから女装は絶対イケると思うのに。
それではないと言うならば、何故簪が欲しいのか。尚更分からない。
じっと見つめていたら押しに負けたシロが渋々白状した。
「や、その簪の花ってさ、紫陽花だろ。それでちょっと……」
「え、紫陽花?」
その言葉に、一瞬慌てた。
紫陽花、嘘だ全然気付かなかった。なんてことしてくれるんだ一郎!
でも四郎の次の言葉で全て吹き飛んだ。
「知り合いに、紫陽花がよく似合う奴がいて……そいつにやろうかと」
あいつ、女っ気ないし。
そう続けたシロに開いた口が塞がらなかった。