01 ある変化狐の話
ある日、ぽかぽかと暖かい小春日和。
ドタドタと廊下を慌ただしく走る音に夢とうつつを彷徨っていた頭がはっきりと覚める。身体を一つ伸びすれば関節が鳴った。随分とこの姿勢に疲れていたらしい。
「野火、居るか!?」
「………せんぱい?」
うるっさいなーゆっくり休ませろや。とも思っていたら、おいらに用事だったらしい。
ぽつり、と呟いた声が届かなかったのか、先輩はわめき声を上げながらおいらを探していた。立派に騒音だな。
寝ているときにズレた狐面を定位置に持って行きながら、そう思う。
それにしても、この陽気の中で眠気に逆らうのは非常に難しい。というか逆らうなんて無理。
例え先輩が得物(刀)を片手に血眼で探してようが、だ。
そういうわけでゴメンネ、センパイ。もう寝る。
「のーびー! おいポン太、野火は何処だ!?」
「野火先輩ですかー? 先輩なら昼寝してくるって言ってましたけど」
「この一大事に!」
「なにかあったんですかー? あ、先輩の気に入ってた茶碗を割ったのがばれたんですか?」
「いや、そうじゃなくてだな………ってあれ割ったの奴か!」
どうやら後輩のポン太がいるらしい。てかポン太それ言っちゃダメだろ。おいらの生命の危機だぞ。
「それは野火を見つけた後で取っちめるとしてだな」
「先輩ー、怒ってばっかだと禿げますよー」
「余計な御世話だ! ……あの馬鹿殿が、ついにやりやがったんだよ。解雇だと」
「はーそれで。あの人、どこまで落ちますかねぇー。よりによって、」
「あぁ。あいつにどれだけ救われてきたか分かってないんだよな」
話の流れ的に、どうやら誰かが解雇されるらしい。それも自分に近しいか、この城の重要人物が。
今、おいらが仕えているのはしがない藩の藩主。
おいらと先輩は先代から仕えているんだが、数年前に世代交代した。
その現城主こと「馬鹿殿」は先輩が言うように救いようのないほどアンポンタンだった。
先日あまりにイラついてかるーく脅かしてやったんだが、効果はなかったらしい。
気に入らぬ家臣がいれば即刻クビ。噂では家までも奪い取ってしまうと言うのだからどーしようもない殿さまだ。
「今回は一番酷い処分だったぞ。あいつ、何したんだ」
「さぁ。で、その処分っていうのはなんですー?」
「この土地から出ていけ、だとよ。自分の領地にいること自体が嫌なんだろうな」
「それは…………野火先輩、何やらかしたんでしょうね?」
バキッ、ズザザザザ………ドシッ
手元が滑った、と思ったら突然視界が目まぐるしく変わる。
気づいた時には眼下に地面。それを見て、先輩とポン太が呆気にとられているのが空気で分かった。
「野火先輩、あそこにいますよー」
「見りゃわかるよ」
「痛ってー………あ、足捻ったかも」
「おめぇ、そこの木の上にいんなら出て来いよ。つーかみっともねぇ。忍者が木から落ちるか、普通」
「忍者も木から落ちる時だってありますよー。ほら、先日先輩が河に流されたのと同じです」
「言うなぁあああ!」
あんまりビックリしたもんで、今まで昼寝していた場所(木)から滑り落ちた。
先輩がわーわー言っているが今はどうでもいい。自分の赤茶色の髪がとてつもなく荒れているのを感じながらも後輩のポン太の肩をガシッと掴んで聞く。
「ちょいとポン太くん? たった今、何言った」
「先輩の川流れ」
「いや、もっと前。聞き間違いでなければおいらが、か、解雇されたって」
「そーですね。はい、野火先輩さよなら」
「納得できるか! 先輩、どういうことですか!」
あっさりと手を振るポン太の頭を叩き、先輩の襟首を掴んでブンブン振る。
きちんと働いていたのになんだこの仕打ち!
「お、落ち着け」
「落ち着けるか! あんの馬鹿殿、黄泉送りにしてやろうか」
「そのときは是非僕も誘ってくださいねー」
「ポン太、いい子」
黄泉で暮らしていただいた方が世のため人のためだと思う。
はーいと手を上げて参加を求めたポン太の頭をぐりぐり撫でていると、先輩がげっとりした顔で呟いた。
「家来にここまで言われる殿さまも全国探してもここだけだろうな」
「奴を貶す気持ちなら負けませんよー」
「幸いなことにポン太は毒の専門家だからね。証拠も残さずちょちょいのちょい!」
「胸張って言うことじゃねぇよ」
先輩は呆れ顔で言うけど、先輩だって馬鹿殿の被害に遭ってるんだ。
内容は分からないけど、いろんな場所で愚痴っているのをよく見かける。
それでも庇うのは馬鹿でも城主だからか? それとも、憐れみ―――
「って、どうでもいいわそんなこと。なんでおいらが解雇なんだよ!?」
「任務サボってー昼寝ばっかりしてるからじゃあないですかー?」
「あのなぁ、ポン太。いくらおいらが昼寝好きでも仕事くらいはちゃんと」
「この前、仕事すっぽかしてましたよ」
「嘘っ」
「うそです」
さらりと言うポン太の頭に無言で一発拳骨を落とした。
「まぁ冗談はここまでにして、野火、最近あの馬鹿になんかしたか?」
ついに先輩の口から『殿』が消えちまった。
そんなことを思いながら記憶を探る。あの人のところに自分から行かないし、会うとしても限られてくる。
だから、最近といったらあのときしかない。
「大したことはしてないよ。ただ余りにも頭にきたんでかるーく脅して………」
ケラケラと笑いながら言おうとすると、庭の方から別の声が聞こえてきた。
「おいおい、聞いたか」
「聞いた聞いた。『狐』の解雇の話だろ」
「なんでも、殿を思いっきり叱りつけたらしいぞ。しかもお得意の変化でわざわざ御父君に化けて」
「そうだ、家臣が大勢いる場でやったものだから面目丸潰れだったそうな」
「元々殿に面目なんてありゃしないのにな」
「違いない」
その会話に、言葉が出てこない。
『狐』というのはおいらの通り名。誰にも見破れない完璧な変装からきているんだそうな。
ちなみに先輩は『狼』、ポン太は『狸』だ。それぞれがその名に似合った面を持っていて、仕事の際につける。
まぁ、おいらは仕事中でなくても四六時中つけてるけど。
……それはともかく、そろそろ誰か喋れ。
さっきから続く沈黙が痛い。お願いだから何か言え、もうこの際何でも言い。
しばらくして願いが通じたのか、先輩の口が開く。が、言葉と一緒に出てきたのはため息。
「どこが『かるーく』だよ。かなりやらかしてんじゃねぇか」
「い、いやー……あのときはおいらも頭に血が上ってたかな、なーんて」
「野火先輩、遠くへ行っても僕は先輩のご冥福を祈ってますからー」
「ポン太くん、それ、おいら死んでる」
勝手に人を死なすな。まだ生きてるし。遠くってあの世か?
「お前の自業自得って奴だな」
「ちょ、馬鹿殿はぁ!?」
「殿はこの城の主。仕えているそちらに否定する権利はないのですよ。それに馬鹿はやめなさい。せめて殿をつけなさい」
「げっ、お前」
「こんにちは、源内さん」
突如、背後から聞こえた声に先輩は顔をしかめ、ポン太は律儀に挨拶する。
おいらは満面の笑みを作ってやった。仮面で覆われて見えないのが残念だ。
「おーやおや、殿の側から離れないあんたがこんあところに何の用だ?」
「君に用があってきたんですよ、『狐』」
わざわざ来てやったんだから感謝しろ、という声が聞こえてきそうだ。
この男、源内智宗は殿の側付きで、何かと問題がある殿が今まで土地を治められてきていたのはほぼ源内のお陰であるといえる。
それにしてもおいらはこの男が大嫌いだ。いつからこんなに嫌いになったかは覚えて無いが、この嘘っぽい笑顔を見てると無性にイライラする。
それでも逆上してしまえばこちらの負けだと思うので、源内がいるときは笑顔で接する。今回もいつもと同じように表面は笑顔、腹の中を罵詈雑言で埋め尽くしているとぺラリと一枚の紙を渡された。
「これはなんだ」
「本来なら殿の直筆でお役目御苦労の文を届けるつもりだったのですが、ご心労で体調が優れないそうなので」
「お役目御苦労って」
「もう諦めなさい。すでに決定したことです」
奴は何でもないような顔して、その紙一枚をおいらの手に握らせた。
それを不憫そうに見ていた先輩が反論する。
「いくらなんでも………今までのこいつの働きに不備があったわけでもあるまいし」
「殿の周りに忠誠心のない者など不要です」
そんなことを言うなら源内よ、この城であんな殿さまに忠誠を誓えるのはあんたしかいなくなると思うのはおいらだけか。
「とにかく、すぐさまこの領地から立ち去りなさい」
「いますぐ!?」
「そうですが、なにか問題でも?」
何がおかしいと言う源内に平手をお見舞いしたかった。ただの女がやる平手はあまり威力がなさそうに思えるが、おいらは忍者だ。奴の頬に一週間は痕を残せる自信がある。
そう思って右手を準備していると後ろから静かに近づく気配に気づいた。しかし反応が少し遅かった。両の手を一纏めにされ、拘束される。
「おい! いったいどういうつもり……!」
「あなたがもたもたしているのであれば、我々が領地外へ放りだします」
拘束された上、麻袋まで被せられては流石のおいらも歯が立たない。
外で先輩とポン太が止めさせようとしているのが分かったが、源内の一言で押さえこまれる。
「それ以上何かしようとでも言うなら減給ですよ」
「それは…………」
「困りますねー」
「薄情者ぉおおおおお!」
何も二人して言うこと無いだろ。
袋のせいで見えないけど二人がさぁさぁどうぞ的な感じで戸を開けている様子が簡単に想像できる。おいら、なんて不幸な。
もがいて抵抗していたが、何かしら薬草を用意していたんだろう。
おいらの意識は真っ暗な麻袋の中で沈んでいった。