無し
第一話:淡白
春。それは出会いの季節でもあり、別れの季節でもある。かくゆう僕も中学の同級生と別れ、新しい制服を着て地元の駅のホームの端で両耳にBluetoothイヤホンをはめて好きな音楽を聴きながら電車が来るのを待っている。オフライン再生のため、視覚から享受できる娯楽がなく、しかたなく周りを見回す。反対側のホーム、階段、改札、多くのサラリーマンやOLたち。これから散々見ることになるであろうそれらが、新鮮だった。思えば最後に電車に乗ったのはいつだろうと僕は考えた。下手したら、電車に乗ったことはこれが人生で初めてかもしれない。もしそうなら、僕は相当外に出ていないか、電車に乗った事を忘れてしまったか、車での移動が主でわざわざ電車に乗る機会がなかったかのどれかだろう。でもそんなことはどうでも良かった。いくら考えたって答えは出ないのだから。やがて電車がホームにやってきてドアが電子音と共に開くと、前に並んでいた人たちが続々と入っていく。列の最後にいた僕は不安と緊張を覚えながら一歩を踏み出し、乗車した。あたりを見回すと空いている席があったが、決まって隣の席に人が座っていたため、それを嫌がって電車の最後尾の隅に立つことにした。スマホを手持ちのカバンにしまって電車のドアの窓から外の景色を眺めると、知らない景色ばかりで改めて地元から遠い高校を選んだのだと実感した。また車内をなんとなく見てみると、僕が寄りかかっているドアのドアの方から朝日が乗車している人と床を照らしていた。それは眩しいほど輝いていた。まるで、希望が具現化したかのように。しかし、心中に渦巻いているのはそれとは対極的な、不安と焦りであった。中学の時のように初動を失敗してしまったらと考えるだけで、それは悪化していった。何もかもがわからないという状況も、不安を増幅させた。電車に乗ってから24分が経ち、ようやく降車駅に着いた。まず第一関門を通過した気分だった。親から口酸っぱく降りる駅を間違えるなと言われ、本当に注意しなければ乗り間違えるような阿呆なのかもしれないと己を疑ってしまうほどだったからだ。駅のホームの端から階段へ向かい、上がってすぐの改札を通過してスクールバスが止まっている駅前へ行こうとしたのだが、東口と西口を間違えてしまって朝から無駄足を踏んでしまった。西口から東口へ移動し、バスが見えたので胸を撫で下ろした。駅前のデイリー浜崎を横切り、横断穂積を渡ってバスに乗り、学校へ向かう道中も窓際を確保できたため、外の景色をぼんやりと見ていた。その景色は、地元に負けないくらいのどかだった。学校に着くと、あまりの大きさに驚いた。玄関はアニメの高校のように5つくらい下駄箱の列が横に広がっており、生徒の数が中学の比にならないくらい多いことがわかった。校舎はすごく綺麗というほどではないにしろ、私立なだけあってフローリングや、トイレの男女を示すタイル、食券機などが整えられていて感動した。階段を登って4階にいき、仮の教室に入った。その後、集団で講堂に入り、入学式を行なった。新入生代表の子が遠くてあまり見れなかったが可愛かった気がする。入学式が終わり、これから一年過ごすことになるクラスが決まった。先生が教室に来るまでの間、周りのクラスメイトは和気藹々と話していた。僕はそんな楽しげな人たちの話を盗み聞きしながら机と睨めっこしていた。(本を忘れてしまったため)早く先生が来る事を願いながら。
家に帰ったのは12時45分頃だった。母さんが用意してくれた昼食を平らげ、「ご馳走でした」と言って手を合わせてから2階にある自室へ足早に向かう。自室に入ると、制服を脱ぎ始める。中学生の時と変わらず、木造のハンガーにブレザーを、黒のプラスチックのハンガーにシャツを、その辺にズボンを放り投げてベットに勢いよく倒れ込む。仰向けになり、天井を見つめてからバックからスマホを取り出して動画を見始める。それに飽きたらゲーム機でゲームをする。そうして時間を浪費してようやく気づいた。いや、気づこうとしなかったと言った方がいいかもしれない。僕は今日、学校で誰とも喋っていないことに。みんなはもうイツメンができかけているのに、僕は一人黙って机を見つめていただけ。虚しい。そう思ったのと同時にどうしようもない焦燥感が湧いてきた。僕はそれを誤魔化すために風呂掃除をして、栓をしてから浴槽にお湯を張るボタンを押して風呂場を出た。これから先の高校生活が灰色に染まる事を危惧しつつ、風呂ができるのを待った。風呂ができた旨の電子音が鳴り響いたのを聞くや否や、リビングから脱衣所に移動しながら服を脱いだ。乱雑に洗濯機に脱いだ服を入れ、タオルを用意して風呂場に入った。浴槽に入るといけない。僕はどうしようもなく自己嫌悪を重ねてしまう。血流が良くなるのか、体が温まっているからなのか、頭も冴えて自己否定や自己批判が活発になってしまうのも辛い点だ。そのため、できるだけ早くそこから出た。頭も体も十分に洗って予め用意していたタオルで体を拭いて寝巻きに着替え、晩飯を食い、歯を磨いて寝た。
翌日、億劫な朝を迎えた。朝はきらいだ。なぜなら、繰り返しの始点であるからだ。思わずため息が漏れる。カーテンから入ってくる朝日が憎らしい。僕は身支度を済ませてバックを持って駅へ向かった。まだ春のはずなのに、少し暑いと感じながら駅のホームまで歩き、電車を待った。一人の通学には慣れっこなつもりだったが、やはりどこか心細いと感じた。学校へ着くと、自分の席の周りで話している人が数人いたので、バックを持ったまま校舎を見て回った。私立なだけあって、なかなかに広く、見応えはある。だが、その分移動教室の時は面倒そうだと思った。そうして時間を潰して教室に戻ったが、まだいたので軽く会釈だけしてバックを席の横に丁寧に置くと、察したようにその人たちは時間の事を口にして去っていった。ここでも会話はしなかった。朝のHRが終わり、1時間目が始まるまで時間があったので、忘れずに持ってきたお気に入りの本「夏の終わりが君の終わり」の続きを読み始める。ガヤガヤと騒がしい教室の中で本を読むというのは、なんだか逆張りなような、空気が読めていないような気がしてきて最初は慣れなかったが、今ではすっかり集中して好きなことができるようになった。こうやって、自分の小さな世界を守って平穏につまらない毎日を過ごす事も幸せなのかもしれない。
第二話:憂鬱
高校生活にも慣れ始めた五月中旬、初めての中間テストの日が訪れた。僕は初めての高校のテストという事もあり、難易度がどれほどのものか分からなかったのと、赤点を取りたくない一心で念入りに勉強した。具体的には、わかりやすくまとめた各教科の授業ノートを見て復習したり、小テストから問題を出すと聞いて今までのプリントを全部引っ張り出してきて復習したりした。その甲斐あってか、テスト初日はさほど難しいと感じる問題はなく、少し気分が良かった。初日は現代国語、歴史総合、生物という暗記パーティーだったため、まだ名前も覚えていないクラスメイトたちは不満を口にしていた。また、先生への悪口を言ったり、問題の是非を確認し合っていた。僕は相変わらず一人だった。心細かった。僕だって問題の是非を確かめ合って安心したかった。正直羨ましかった。先生が来て提出物を各教科ごとに分けて集めてから帰りのHRが始まり、それが終わると普段なら帰れるのだが、歴史総合の係だった僕は提出物を職員室までとどけなければならなかった。正直めんどくさいし遅くなると普段乗っている電車と異なる時刻の電車を調べなくてはならないしで早く終わらせたかったが、歴史担当の先生が職員室におらず、来るのを待たなければならなかった。しばらくして、先生は何食わぬ顔で歩いてきて僕を見るなり、「ああ、帰っていいよ。やっとくから」と肩を軽く二回叩いて言うのである。淡白というか雑というか、そんな先生の態度に少しイラついたが、「お願いします、ありがとうございます」と言って会釈し、その場を離れた。玄関でローファーを履いて外へ出ると、スクールバス待ちの列は3人でしか構成されていなかった。太陽は僕を含めた4人を真上からガンガンに照らしていて、僕は暑さのあまり額から汗が吹き出そうだった。タオルを持っていなかったため、汗が垂れていたら少し面倒だったかもしれない。バスが駅から帰ってきて、列の真横に止まり、プーという高い音と共にドアが二つに折れて開く。運転手さんにきちんと挨拶をして一番後ろの席に座る。奥から座ってくださいと良く言われるためである。バスの中は冷房が効いており涼しい。快適の2文字がフォントとして頭の上に浮かびそうだ。バスが駅に着いたのは、12時30分だった。係じゃなければもう地元の駅に着いていただろうと考えると惜しい。12時46分頃に地元の方角へ行く快速がやってくるが、僕の最寄りの駅は快速が止まらないので乗らなかった。次に来るのは13時6分だったので、駅の端の方へ行ってバックを枕にして寝っ転がった。こうすると、青い空がよく見えて心地がいい。平日の昼というのもあって人がいないので、見られる心配もない。ただ、おすすめはしない。
家に帰った時には13時36分を指していて、遅い昼食になってしまった。あまりお腹は空いていなかったのだが、普通に母の用意してくれた昼食を美味しく食べきれた。母に感謝。さて、ここからが勝負。明日の教科は英語コミュニケーションIと地学、古典文学の三つで、一つ一つが僕にとって強敵であった。そのため、勉強をより頑張らなければならなかった。教科書やら、プリントやらを見ながら復習を重ねた。それは夕方まで続いた。(課題はもうすでに終わっていたので、バックにしまっておいた。)
これを繰り返す日々が続き、五月20日にテストが終わった。次登校する時はテスト返却日。おそらく騒がしくなるだろう。とにかく、無事終わって良かった。クラスメイトたちは意気揚々と放課後の予定を立てている。あるものはカラオケに、あるものは買い物に、あるものは部活でいけないと、さまざまな会話が耳に入ってきた。テスト勉強のことで頭がいっぱいで、お気に入りの本を学校に持ってくるのを忘れてしまい、仕方なくクラスの辺りを見渡しながら会話を盗み聞きしていたので、僕と同じようなタイプの人間が複数人いることを発見できた。それが今日一番の収穫だなと思いながら軽やかな足取りで家へ帰ったのだった。ちなみに、僕のテスト終わりの過ごし方はというと、溜め込んでいたアニメを一気見して、本を読んで、ゲームをし、自室のベットの上でゴロゴロする。高校の友達はいないし、中学の頃の友達からの連絡もないし、こっちから連絡する勇気というか度胸というか、そうゆうのないし、迷惑になったらどうしようとか考えてしまってできない。とにかく、趣味に没頭する充実した時間を過ごした。テストの疲れがぶっ飛ぶほどの楽しさに時間を忘れながら。
月曜日になった。テスト返却の日が来たのだ。いつものように学校へ行くと、クラスメイトの話題は意外にもテストに関するそれではなかった。どうやらソシャゲの話をしているようだった。僕はやっていないそれだったので、あまり分からなかったが。朝のホームルームが終わり、本日の予定表なるものが黒板の端に貼られた。どうやら今日は授業の時間割が違うらしい。というのも、普段の時間割が50分授業なのに対し、それを二分割した時間割で、15分の間で一教科返却、その後10分休憩。さらに昼休みは一時間近くある。クラスメイトはそれを見て、「昼休みを長くするくらいなら早く帰らせろよなー」と文句を言っていた。僕もそう思った。時間が経って、昼休みになった。僕は少し前に見つけた人気の少ないところに自分の弁当と水筒を持って行った。弁当といっても、朝に駅内のコンビニで買ったツナマヨ、明太子、紅鮭のおにぎりだけで、誰かに作ってもらったわけでも、自分で作ったわけでもない。最初に乾いた喉を水筒内に入っている麦茶で潤し、紅鮭のおにぎりの包装を剥がしながら午前中に返ってきたテストの点数を思い出し、内省していた。生物が85点、歴史総合が90点、もともと歴史は好きだった。英語コミュニケーションIが81点、古典文学が71点、もう少し活用をちゃんと覚えるべきだったかな。地学が77点、苦手な割に頑張ったかな。現代国語は84点か、もうちょっとワークを徹底して復習するべきだったかも。あと二教科か。どれだけの点数なんだろうか。そんなことを考えているうちに、コンビニ袋にはゴミしかない状態になった。僕は袋の両端を結んでゴミが外に出ないようにし、水筒と一緒に持って教室へ帰った。前のドアから教室に入って教室全体を見渡すと、窓際の席で黄昏ている女の子がふと目に入った。その女の子は儚げな雰囲気を纏っていて、その表情はどこか寂しそうだった。それはまるで、アニメのワンシーンのような甘美さだった。彼女に夢中になっていると、横から声が聞こえてきた。
「あの子のこと、気になるの?」
声のした方へ首を動かすと、同じくらいの身長で、ショートヘアの女の子がいた。正直にいうと、顔も名前も知らない。そんな異性に突然声をかけられて、しかも声がけの内容も相まって内心気が気ではなかったが、僕は冷静を装ってすましながら答える。
「どうして?」
女の子は後ろに腕を組みながら即答する。「急に棒立ちして一点を見つめてるものだから、気になるのかなって。」
全部見られていたのかと思い、恥ずかしさが込み上げてくるが、それを抑えて目線を下にし答える。
「いや、別に。」
「ふ〜ん。まぁいいや。ごめんね!いきなり。あぁ、そういえばまだ名乗ってなかったね。私は原田陽菜!よろしく〜。じゃあね〜」
僕は手を振る彼女にわずかに手を振って答えた。緊張した。なんとかやり過ごせたと胸を撫で下ろし、席につく。思えばクラスメイトとプライベートな会話をしたのは今日は初めてだった。しかも初めての会話が異性だなんて信じられない。記念日に認定してしまいたいほど、なんだか嬉しい自分がいた。
第3話:協力
テストが全て返却された。残りの二教科は化学と保健体育。保健体育は男性にとっては得意分野の範囲だったので余裕だったが、化学はあまり得意ではない上にテスト最終日だったこともあり、勉強をサボってしまったため一番点数が低かった。家に帰って親に全ての教科のそれを見せると、対して褒められることなく、「まぁいいんじゃない」と言われ返された。褒められるために努力しているわけではないとはいえ、もっとあったのではないかと、そんな言葉であしらうのかと思いながら自室へ向かった。自室に着くと、ベットの上に倒れ込んだ。テストなんて、なければいいのに。あっても誰も得しないのに。と独り言を呟きながら。その日は寝るのがいつもより遅かった。
テスト返却も終わり、またいつもと変わらないであろう日々が、朝日とともにやってきては、地平線に消えていく。いつもと違うのは、ほんの些細なこと。雲の形や量、天候、帰りのHRの終わる時間、そこで配られる大抵どうでもいいプリントなどなど、わざわざ意識する必要もないような事だ。でも僕は、意識してしまっていた。繰り返しているという認識も、差異も、全部。
雨の音が耳につく梅雨の始まり。もうすっかりジメジメとした暑さが身を包み、不快感が染みつく季節に、度重なる移動教室。特に午後のそれは最悪で、時間管理が面倒で仕方がない。昼食を食べて、トイレを済ませて準備をし、旧校舎の方へ向かわなければならない。といっても、特に時間に余裕がない状態になって慌てたりする事はないのだが、時間に縛られるような感覚を覚えてしまって落ち着かないのだ。そんな気持ちのままに科学実験室に向かっていると、後ろから右肩を指で突かれた。振り返ると、そこには前に僕が見つめていた女の子がいた。その子は握り拳を開いて手の中にある消しゴムを見せてきて、「これ、落としたよ」と澄んだ落ち着いたトーンで言った。僕はその声もさることながら、華奢で色白な手のひらやアンニュイな表情に惹かれてしまった。また、僕の消しゴムをわざわざ拾ってくれただけでなく、それを知らせて返してくれるという優しさに惚れてしまったのだった。その後の化学の授業は彼女の事ばかりを考えてしまって集中できなかった。
その日以降、僕は彼女をよく目で追うようになっていった。よく見かけたのは、休み時間中に本を読んでいるところだった。どんな本を読んでいるのか気になって聞こうと思っても、なかなか話しかけられず、眺めるだけの日々が続いた。そんなある日のこと。クラスメイトの女の子が近寄ってきた。原田だ。原田は僕の肩に手を置くとため息をついてこう言った。「昼休み、屋上にきて」。僕は一瞬何を言われたのかわからなかったが、とりあえず頷いた。それを見た彼女は僕の横を通り過ぎて教室を出ていった。怖い。彼女の事はまだあまり知らないが、僕の知っている彼女の普段の口調とはだいぶ違っていて、厳かな雰囲気があった。僕が何かしたのだろうか。退屈な四時間目の授業も終わり、一応昼飯と水筒を持って屋上へ向かう。うちの学校でいう屋上は、旧校舎の屋上のことで、そこだけ生徒に開放されている。というか、屋上に行くための階段を旧校舎以外に見たことがない。現在使っている校舎の屋上にはどうやっていくのだろう。まだ僕の校舎探索が完全ではないのだろうか。
屋上に入るための金属製の扉の前の階段に原田は座っていた。(少し埃臭さが漂っていた。)原田は僕と同じ考えだったようで、鍵を持っていないようだった。原田は僕に鍵の有無を確認する旨の発言をしてきたので、首を振ると彼女は片手で頭をかいてため息をつき、「ここで話そう」と言った。何について話すのかわからなかった僕は、質問をする。「何を?」
すると彼女はニヤリと笑って答えた。
「君が好きな人について」
意外性はなかった。自分がわかりやすい部類なのは最初に原田から声をかけられた時に知れたし、今回も僕の様子を見て察したのだろうとすぐにわかったからだ。ただ、やはり少しは驚いた。なぜこんなにも鋭いのかと。
「えっと、いきなりだね。」
「意外と冷静なんだね。もっと慌てて理由を聞くかと思ったのに」原田はまだニヤついたままだ。
「そんなわかりやすいやつはアニメとか漫画だけだろう」
「詳しいんだね。まぁどうでもいいや。とりあえず横座んなよ。」そういうと原田はポンポンと手でジェスチャーしてきた。僕は緊張しながら隣に失礼した。
「早速だけどさ、陶ちゃんのこと好きなの?」
「陶ちゃん?」
「そう、以前君が見つめてた子の名前だよ〜。で?どうなの?」
知らなかった。好きになった相手の名前すらもわからなかった自分が矮小に見えた。しかし同時に名前をしれたことが嬉しかった。
「えっと...まぁ、はい。」揶揄われるかも知れないと思ったが、彼女の明るさを信じて小声ながらも言った。
「そっか。」
「え。うん...」原田は寂しげな表情をして俯いた。なぜそんな顔をするのか理解ができなかった。
「なんだか昔の私を見ているみたいで嫌だなぁ。」
「え?」
「いきなりごめん!こんなこと言われても困るよね。」
僕は沈黙した。彼女の振る舞いからは到底信じられない。昔の彼女が、今の自分に似ているなんて。
「私ね、中学の時に好きな人がいたんだ。でも、会話はろくにしなかったし、思いも告げられずに卒業してしまって、連絡先も分からないから連絡しようにもできないし、別の高校に行ってしまったからもう、終わったんだ。」
「そうなんだ...」
「だから、君にはそんな思いをしてほしくないの。」
「は、はぁ...」
「だから、私に協力させてくれない?」
「恋路をってこと?」
「そう。余計なお世話かもしれないし、勝手に過去の自分と君を重ねて考えてしまっているのは失礼かもしれない。無茶なお願いだって事はわかってるけど、お願いします。」そういうと原田は僕の目の前で立ち上がって頭を下げた。それに対して、僕は少し悩んだ。本当に彼女を信じていいのだろうか。彼女が具体的に何をしてくれるのかもわからないまま、乗ってしまってもいいのかと。だが、こんなチャンスは他にないだろうと思い、僕も立ち上がって「こちらこそ是非お願いします。」と言い、頭を下げた。僕が顔を上げると、彼女が喜んでいるような姿が目に入った。それを見て感情豊かな人なのかも知れないと思った。僕はまだこの時点では知らなかった。これから始まる騒がしい毎日を。平穏の中にあった小さな幸福が、揺らいでいくことを。
第4話:仲間
教室に前のドアから入り、教壇を登って黒板と教卓を横切りながら窓側から2番目の席に座る。そしてバックから教科書やらノートやらを取り出して机の中に入れた後、水筒を取り出して一口だけ中身を飲む。水筒をバックに戻して本でも読もうと思ったその時、原田が僕の席に来て、「おはよう!今日からビシバシいくからね!」と言った。僕は目的語のない彼女の発言に疑問を呈し、聞いてみた。すると彼女は、「いやぁ〜まぁあとでわかるから!」と誤魔化してきた。怖すぎる。どうせ碌なことしないに決まっている。協力するとは言っていたが、良かれと思って邪魔するようなことがあったらどうしてやろうかな。朝のHRが終わると、早速原田がやってきて、僕を陶さんのところまで強引に連れ出した。男の僕が抵抗しても逃げられない現実に驚きを隠せなかった。また、周りの刺すような視線が痛かった。彼女は勢いよく陶さんの名前を呼んでこう言った。
「あなたに紹介した人がいるの!」
陶さんは一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐに優しい顔に戻って僕を見て、「この人?」と言った。
「そう!名前は...なんだっけ?」
「秋津源一郎...です」
「あー...ごめん、忘れてた。とにかく!秋津くん!悪い人じゃないからさ!仲良くしたってよ〜」
陶さんは困惑しながらも挨拶してくれた。こんな僕に挨拶してくれるなんてなんていい人なんだろう。
「秋津...くん?よろしくね。」
僕は緊張で陶さんの顔を見れずに俯いたまま小声で、「よろしく、陶さん」と言った。印象悪かったかもしれないと思ったが、これが今の僕にできる最大限だったのだ。こんな自分が嫌になる。
「深青でいいよ。というか、深青って呼んでほしいな。(苗字呼びされるの嫌なんだよね...戦国武将みたいで)」
「えっ!あっ...じゃあ、深青さんて....これから呼びます。(これ脈ありか...?)」
「うん。そうしてくれると助かる〜」
「あっそろそろ時間が!次の授業の準備もあるからまた次の休み時間ね!」原田がそういうと僕の両肩をぐっと掴んで陶さんの席から離れる。陶さんは少し微笑みながら、「うん、また。」とだけ言っていた。
授業が終わり、二時間目が始まる前の休み時間は、まず原田とのお達しから始まった。原田が僕に課してきた課題は、自ら陶さんに話しかけることと、話題を振って気まずくならないようにしろとの事だった。すなわち、無理難題である。できる限り出来ないと主張したものの、「仲良くなりたいんでしょ?だったらやれ」と言われやることに。僕なんかが話しかけて迷惑ではないだろうかと心配だったが、仲良くなるためにはこうする他ないのかも知れない。やるしかない。覚悟を決めて陶さんの元へ行き、話しかける。
「あの...陶さん。」
「うん?どうしたの?」
「えっと、その...なんか趣味とかってあります?」
「趣味かぁ〜。強いて言うならお買い物とかかな。」
「よく買うものとかってあります?やっぱり、服とかですか?」
「お洋服もよく買うけど、一番買うのはお菓子とかスイーツかな〜」
「あっそうなんですね。....」
「じゃあさ!今度みんなでカフェとか行かない?」話を盗み聞いていた原田が間に割って入る。
「えっ。」原田にアイコンタクトを図り、止めるように伝えるが、原田はグットサインを出してウインクした。それを見て全く伝わってないことを悟り、諦めた。
「私がいつも行ってるカフェさ!今度新作スイーツ出るんだって!食べてみたくってさ〜。でも一人じゃ寂しいからみんなで行こうよ〜!今週の土曜日とかに!」
「僕はその日空いてるけど...(全日空いてるけど)」
「私も大丈夫。でも、本当にいいの?私、邪魔じゃない?(この二人仲良さそうだし...)」
「邪魔なわけないじゃん!むしろ来てくれないと困るよ〜!!」
「僕も深青さんが来てくれないと寂しい...ってすみません気持ち悪いですよねこんなこと言って...」
「いやいや、全然大丈夫だよ。気にしないで。」
「とりあえずさ!当日のために連絡先交換しない?陽星グラムのDMでいいよね?!」
「あ、僕陽星グラムやってないんだけど...」
一瞬その場の空気が沈黙に包まれる。まるで僕がそれをしていない事にどん引くように。すると慌てた様子で原田が発言する。
「あっ!じゃあMINEは?!」
深青さんもそれに続いた。「そうだね〜。MINEの方が色々と良さそう。」
明らかに気を遣われてしまった。なんだか申し訳なさと不甲斐なさが押し寄せてきたが、それを心の奥底にしまって会話を続ける。
「MINEなら、大丈夫。QRコードで交換しよう。」
その後、少し苦戦しながらも全員交換に成功してその場はお開きになった。ちなみに僕はクラスMINEに入っていなかったので、深青さん経由で、(新学期から二ヶ月経ってようやく)入らせてもらった。相変わらずお優しい方で感謝しても仕切れない。初めてできた異性との連絡先に、思わずニヤけてしまいそうなほど嬉しかった。
その日の夜、自室のベットの上で動画を見ていると、スマホから通知が来た。確認してみると、原田からのMINEだった。内容は、僕に関する事で、カフェに行く時の私服に問題があるのではないかという内容のメールだった。さらに彼女は、着ていく予定の私服を撮ってアップしろと要求してきたので、めんどくさかったが、素直に従うとすぐにダメ出しされた。「ダサすぎる、論外」など、散々言われた。僕がクローゼットから取り出して撮ったのは、英字プリントで「decompose」と書かれた半袖のTシャツだった。原田はくどくど批判した後、それ以外の服は持っていないのかと尋ねてきた。僕は面倒だからと拒否する返信をすると、「見せろ」の一点張りで、何度もメッセージを送ってきたため観念した。クローゼットを再び開けて、普段着ている服を床に広げてベットの上から撮影し、それを送信した。写真に写った3枚のTシャツは、左からアニメのキャラがプリントされたオタクT、真ん中は無地の白T、右には先ほどとは書かれている単語が違う英字プリントTであった。写真に既読がついてもなかなか返信がこないので、こちらから何かを送ろうとした矢先、かなり短い返信が来た。「明日、服屋行くよ。」と。
第五話:下準備
突然だが、僕、秋津源一郎はデパ地下の中の服屋に来ている。遡る事昨日の夜。服屋に行くと原田に言われたのを皮切りに、今日の朝イチで「放課後、玄関前で集合ね!」と言われ、面倒なのでさっさと帰ろうと努力したが、同じクラスの原田に捕まらないわけがなく、無理やり連れてこられて今に至る。
店内の温かみのあるライトが、眩しすぎず暗すぎず、僕たちを照らしていた。光の下で僕のために真剣に服を選んでくれる原田を見ると、彼女の本気がひしひしと伝わってきて心強かった。また、そんな思いに僕は応えられるのだろうかという心配もじわじわと内側から湧いてくるのであった。そんな事を考えているうちに、服の候補が決まったらしく、原田が服を持っきて僕の体に当てた。見た感じ、七分袖の羽織るタイプのTシャツで、色は紺色、薄手で風がよく通りそうな質感であった。これなら9月末、いや10月の中旬くらいにまで着れそうだ。原田の言う通りに試着してみると、彼女は満足そうに頷いき、グットサインを出してきた。何気ないそれが、意外にも心に響き、嬉しさと安堵感がもたらされる。店員さんもお世辞だろうが褒めてくれたし、姿見で自分の格好を見てみても納得のいく仕上がりであった。そのため、早速自腹でそれを購入した。はたして、いい買い物をしたと今週の土曜日に思えるのだろうか。原田のアドバイスは、実を結ぶのだろうか。
帰る道中、道の両脇にあるさまざまな店を見て回った。原田は美味しそうなスイーツやら化粧品やらに食いついて右に左に忙しそうであった。確かにスイーツ店からはほんのり甘い匂いや美味しそうな展示されたスイーツが目に入ったし、人もそれなりにいて人気店なのかと思うほどだった。化粧品に関してはよくわからないが。後ろでそれを見守っていた僕は、いろいろ強引で力が強い彼女も、女の子なんだなと実感した。周りを見ていると、時間帯もあってか他の高校の生徒も何人か来ていて、みんな楽しそうにしていた。中にはカップルらしき男女もいて、お互い制服を着て出かけるという青春限定の様子に、自らと深青さんを重ねて少し照れ臭くなった。同時に、そんな妄想をしてしまう自分を恥じ、原田が僕を見てなくて良かったと心底思った。
すっかり夕方になった頃、僕は一人くだりの電車に揺られていた。原田はデパ地下のある駅から二つ目の駅が最寄りらしく、とうの昔に降りていた。原田が意外と都会な場所で過ごしていることが知れた。だからと言ってどうということもないが。相も変わらず僕は電車の最後尾の車両の隅に立っていた。疲れた体を座って休ませたいのは山々だが、隣が空いている席がないのだ。空いていたとしても、隣に座ってくる人がいるかも知れないから座るかどうか怪しいが。とにかく、僕は車両内を一望できる位置にひっそりと、ドアに体を預けながら立っていた。車両内には僕がもたれかかっているドアの反対側のドアから斜めに突き刺さる陽の光と、ドア付近にいる人の影が伸びたり縮んだりしているのが見える。今日が終わるという哀愁を残していくかのように、ただただ茜色に染まっていた。飽きたので外の景色も見てみると、普段あまり見ない景色に心が踊るようなことはなく、高速で流れていくそれに、疲れた心情が映し出されているようだった。ただ浮かぶのは、「都会なのか田舎なのか絶妙にわからない」や、「駅前だけ栄えてるだけ僕の地元よりマシか」などだった。風情を感じられなかったのだ。イヤホンで聴いている曲にも、あまり心が動かなくなってしまった。それでも時間は徐々に過ぎていき、ようやく地元の駅に着いた。時刻は18時30分。降りる人は僕以外にも意外と多くいて、こんなボロくて狭いホームには似つかわしくないと思いながら、ため息をついて電車を降りた。ホームを歩いて改札の近くへ行き、通ろうとICカードをかざすが、残高不足で足止めを喰らってしまった。イヤホンで曲を聴いていたので後ろからの文句や舌打ちは聞こえなかったが、言われていたらと思うと不快な気分になった。再びため息をついて残高をチャージするために機械の元へ行き、財布をバックから出して適当に千円札を取り出してカードと順々に機械に入れ、無事駅から出ることができた。駅から家までは徒歩なので、電車内で棒になった足を薄暗くなった道で動かしながら帰ったのだった。家に帰って真っ先にしたのは、服を袋から出してそれを見つめることだった。見れば見るほどなんだか自信が湧いてきて、深青さんがこれを着た僕をどう思ってくれるのか、またどんな反応を示してくれるのかと思うと期待に胸が躍った。当日がさらに楽しみになった夜だった。
第6話:まだ知り合いだからデートじゃない
緊張と不安でなかなか寝付けない中、土曜日を迎えた僕は、ピピピピという電子音で目が覚めた。重い瞼を中途半端に開けて時刻を確認すると、まだ朝の6時半だった。昨日の原田からの詳細な連絡いわく、集合時間は10時半なので、早起きもいいとこだった。しかし二度寝すれば遅刻するかもしれないで、階下へ。リビングに着くと母親は現れた早起きな僕を見てその訳を聞いてきたので素直に話したら、かなり驚かれた。その反応になるのも無理はない。僕は、生まれてからから今に至るまで、異性と出掛けたことがないのだから。朝食は溶かしたバターを乗せたトースト一枚とヨーグルト。普段より少ないが、緊張しているためかこれで足りた。歯を磨いた後に着替えを始めたのだが、買った服を自室の姿見の前で着てみて軽くポーズを決めてみるのとなんだか恥ずかしくて落ち着かない。でもとりあえず他の準備を進めて家を出た。地元の駅に着いたのは9時37分。のぼりの電車が来るのが9時43分で、向こうに着くのが10時7分。完璧。土曜日という事もあり、ホームには平日よりも人が少なかった。数分後、電車が来たので乗り込む。車内は全く人がおらず、この駅で最後尾の車両に乗る人も僕以外いなかったので、誰もいない四人席に座り、窓枠に右手で頬杖をついてスマホを眺めた。ガラガラな電車は心地がいい。公共のものを独り占めできたような感覚が、リラックスさせてくれる。そんな快適な移動の体感時間は短く、もう降車駅のホームに足を踏み入れていた。数分歩いて改札を出たのはいいものの、東口か西口のどちらに待ってればいいのかわからなかった僕は、原田に電話をした。電話なら顔が見えないし、相手が知っている人なのであまり緊張しなくて済む。それにMINEだけだと気づいてくれない可能性を考慮した上での判断だ。
「もしもし、秋津だけど。」
「どしたの?」
「いやさ、駅着いたんだけど東口か西口どっちで待ってればいい?」
「あー言ってなかったっけ?東口でお願い。」
「わかった。じゃそんだけ。ありがと」
「いいの!いいの!むしろあらかじめ言わなかった私が悪いし。んじゃね〜」
電話を切って東口に向かう。階段を降りてロータリーの近くへ行くと、一台の車が近づいてきた。その車は僕の近くで止まり、ドアが開いて出てきた人物は、なんと深青さんだった。まるで淑女のような服装をした彼女に、目を奪われた。そして、胸がざわくつのを感じた。見つかる前に逃げようか迷っていると、深青さんがこちらを発見したようで、彼女の澄んだ美しい声で名前を呼ばれた。僕は目を逸らして頭を片手でかきながら震える声で、「深青さん、おはようございます。晴れてよかった、ですね。ははっ...」といった。
深青さんは優しく微笑んで、「おはようう。そうだね。誰か晴れ男か晴れ女なのかもね」といった。するとポケットの中に入れていたスマホが振動した。原田がもうすぐ来てくれるのかもしれないと、藁にもすがる思いですぐさま通知を確認したが、その内容は僕の望んだものと真逆であった。
「ごめん!!ちょっと遅れるかも!!ちょっと待ってて!!」
終わった。そう思った。好きな人と二人きりの状況。こんなの緊張しないわけがない。気まずくならないようにしたいのにそのための話術やコミュ力が圧倒的に不足していることは明々白々であった。どうすればいいのだろうと考えていると、深青さんが話しかけてくれた。
「どうしたの?もしかして陽菜ちゃんから連絡あった?」
「あっ、そうなんです。遅れるって。」
「そうなんだ...何かあったのかな。」
「そ、そこまでは書かれてないですね。で、でもきっと大丈夫ですよ。」
「そうだよね...」
「....(まずい、何か話題を切り出さないと...)」
「....(秋津君と何話したらいいんだろ...)」数十秒の沈黙の後、僕は意味もなく地面を見つめた後に顔を上げ、そよ風を感じながらこう言った。
「きっと、晴れ女は原田ですよ。」
「え?あぁ、そうだね。陽菜ちゃん明るいもんね。」
「なんであんなに明るいんですかね?」
「ねぇ〜なんでだろうね。この後聞いてみる?」
「でもデリケートな話題な気がするのであまり本人には聞きづらいっていうかなんというか...」
「あっ、来た。」
「え?」振り返る。
「ごめ〜んっ!みんなお待たせ〜!いやぁ〜なかなか前髪きまんなくてさ〜。」
「んで、どこにカフェあるの?」と僕が尋ねる。カフェの場所は原田しか知らないからだ。MINEの位置情報サービスを使ってカフェの場所を示してくれればいいものを。
「まぁ、まぁ、焦らないでくれたまえ秋津君。まずはこっちに来なさい。」そういうと手招きしてきた。僕は疑問に思いながらも近づくと、耳打ちしてきた。「二人きりでうまくやれた?」と。僕はそれに対してジェスチャーでso-soと示した。深青さんに聞かれる可能性を0にするためである。しかし原田は意味がわからなかったようで、結局耳打ちし返して「まあまあかな」といった。原田は「よし」と短く言って軽く僕の背中を叩いてくれた。こうゆう男らしい部分は素直にかっこいいと思った。(服装は可愛らしいけど)その後、ようやくカフェに向けて歩き出した僕たち3人は、原田を中心に学校関連の話や今流行っているもので会話が盛り上り、楽しい時間を過ごす事ができた。ふと周りを見渡すと、都会のような街並みが、土曜日ということもあって多くの人によって彩られているみたいだった。しばらく歩くと、路地裏に出た。そしてそこに、カフェがあった。
「ここ、いい雰囲気でしょ!路地裏カフェって言うんだ!」
「へぇ〜」と僕はいった。
「いいね。」
早速入店し、案内された席に座る。冷房が効いていて涼しい。店の雰囲気は落ち着いた木造建築で、照明と陽の光が温かみをより提供している。何より、香りが良い。なんの香りかはわからないが、リラックスできる香りだと感じた。さて、僕はあらかじめ注文するものは決めていた。コーヒーだ。カフェと言ったらコーヒーというイメージに従うことにしたのだ。あまり腹が減っていないというのもあるが。
個人的に深青さんが何を頼むか気になったので、勇気をもって聞いてみることにした。「深青さんはもう注文決まりました?」
「うん。このパフェにしようと思ってるんだけど...ちょっと量が多いから食べ切れるか心配なんだよね...」
「じゃあさ!私と半分こしようよ!それでも食べきれなかったら秋津が食べてくれるだろうし!」
「えぇ...まぁ食べるけどさ。」
「ありがとう〜。じゃあ注文するね。」
「うん!お願い!」
一番初めに来たのはやはりコーヒーだった。注文するときにホットかアイスかと聞かれ、涼しそうな後者を選んだ。告白すると、人生初のカフェ来店かつ初コーヒーなので分からないことだらけだ。しかし、僕もそこまで馬鹿じゃない。コーヒー=苦いというのは知っているので、コーヒーを提供してくれた時に店員さんが教えてくれたコンディメントバーという場所に行き、シュガーとミルクを一つずつとって席に戻る。そして、それらをそそくさとコーヒーに入れてついてきたスプーンでよく混ぜ、ついに一口。
「苦っ!」予想以上だったために思わず言ってしまったその一言は、二人の笑顔を生んだ。その時、初めて見た深青さんの笑顔が、とても綺麗で、僕は一気に心を奪われた。心臓がきゅっとなったかと思えば、早く動いているのがわかった。笑われた恥ずかしさは気づけば無くなっていた。続いてきたのは新作スイーツ。原田が食べたいと言っていたやつだ(第4話参照)。見た目からして甘ったるそうなチーズケーキだった。原田は元気よく「美味しそ〜!!」と言ってスマホを取り出し、写真を撮り始めた。今どきだなぁと思いながら僕はコーヒーを一口飲んだ。もう先程とは違い、さらにシュガーとミルクを倍に増やしたのであまり苦くはない。原田は3分の1くらい食べた後、シェアしてくれた。僕はティースプーンを使って食べたため、間接キスを阻止した。別に意識していたわけではない。あと普通に美味かった。ちなみに深青さんは普通に原田の使ったスプーンを使って食べていた。
最後に届いたのはいうまでもない。原田の注文品が届いてから割とすぐにきたそれは、なかなか大きく、本当に食べ切れるのか不安になる程度だった。深青さんは呑気に大きさについて言及し、原田はまたもやスマホを取り出して写真を撮っていた。僕もこのサイズのパフェはもう二度と見れないかもしれないと思い、撮ることにした。撮り終わると、深青さんが一口食べ始めた。フルーツにクリームを絡めて食べていた。「おいしい〜」と口を手で隠しながら、口の中に食べ物がある状態で話す彼女の姿につい見惚れてしまい、深青さんから「口まわりにクリーム付いてる?」と聞かれてしまった。僕は少し焦りながらも「いや、付いてないです。それより、僕も食べて良いですか?」と誤魔化した。深青さんはそうとは知らずに「うん、いいよ。むしろ食べて〜」と優しい口調で言ってくれた。本当に天使のようだ。ティースプーンを再び使って深青さんが食べている部分の反対側を崩して一口。美味しい。他の感想を聞いてみたいと思い、「これ、美味しいね。」と話を振ってみる。最初に答えたのは原田だった。
「そうだね!甘いし、余裕で全部食べられそう!」
続いて深青さんが話す。「流石に全部は無理じゃない...?」
「もう〜心配性だな〜!大丈夫だって!」
数十分後、残りわずかになったパフェと完全に意気消沈した原田、それを呆れて見る限界ギリギリの深青さん、黙々と残ったそれをまるで処理するかの如く食べる僕の姿があった。無機質なティースプーンとパフェの容器がぶつかる音が響き、なんだか哀愁が漂う。今日一番の収穫は、深青さんは意外と食べる量が多いという事だ。まだ好きな人の事をあまり知らない僕にとって、この情報はかなり重要だ。
しばらくして、空になったパフェの容器を机に中央に押して運び、会計を済ませるためにズボンのポケットから財布を出して席を立つ。原田は「動きたくない...。」と言いつつもノソノソと動いていたので、僕は「先に会計済ませるね」とだけ告げて移動した。すると、深青さんがついてきて、僕にこう言った。「私も払うよ。秋津くんにだけ払わせるのも申し訳ないし...」
「じゃあ割り勘にしましょうか。それでいいですか?」
安堵したような顔で頷く彼女を見て、少し不安になった。僕に貸しを作りたくないのだろうか。会計は2190円だったので、僕と深青さんは1095円払った。ぴったり割り勘で支払えて気持ちよくなった僕は、深青さんの目を見ながら「お互い小銭をたくさん持ってたみたいでよかったです」となんだかキザなような、そうじゃないような台詞を言った。彼女は「そうだね。財布が軽くなったし一石二鳥〜」とおっとりとした声で答えてくれた。彼女の優しさとノリの良さが滲み出ている返しに、心酔して空をも飛べそうだった。
席に戻って原田に声をかける。「原田ー。もう会計済ませたから行くぞ。退店だ。」
「肩を、肩を貸してはくれないかい?」おばあちゃんのような声を出しながらにじり寄ってきた。
「まぁ、いいけどさ。よっ」肩に原田の腕が絡んでくるのを確認してから原田の脇下に左手を入れて持ち上げる。気分はまるで酔っ払いの介抱だ。
「私も手伝おうか?大丈夫?」深青さんが心配そうに尋ねてくれた。本当にお優しい。
「大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます。それでは行きましょうか。」
帰り道、深青さんが口を開いた。「陽菜ちゃんと秋津君って仲良いよね。」
僕はバツが悪そうに答える。「あぁ、まぁ...そうですね。」
「いつからそんなに仲良くなったの?」
「えっと...六月の終わりから七月の頭くらいに、共通の趣味の話で盛り上がってそこから...ですかね、ははは」
「共通の趣味って?」
「あー...恋バナとかですかね...」
「ふ〜ん。(恋バナか...気持ち悪い。秋津くんって意外とそうゆうのに興味あるんだ。てか...)」
「秋津君って好きは人いるの?」
「えっ?あーいやぁ...どうでしょうね、ははは。」視線を逸らしながら言う。
「...やっぱりいるんだね。」こちらを見ながらつぶやくように言った深青さんの表情は、普段の柔らかい表情から真剣な表情に変わっていた。真顔のようだった。初めて見たその姿に若干気後れしたが、口を開く。
「深青さんこそどうなんです?好きな人いないんですか?」そう僕が何気なく尋ねると、今まで割とすぐに返してくれていたのが嘘のように長らく沈黙していた。内容が内容だからかもしれないが、彼女の様子を横目でチラチラと確認すると、明らかに普段とは違っていた。手は握り拳が作られており、俯いて影が出来た表情からは怒り、不快感、悲哀などが滲んでいるように見えた。そのどれか一つなのか、それとも全部なのか、はたまたもっと言語化できないような複雑な負の感情の渦なのかはわからない。わからないが、地雷を踏んでしまったことだけはわかった。どうすればいいのだろう。謝るべきなのだろうか。それともこのまま時間が経つのを待つべきなのだろうか。いや、それだけはない。謝らなければならない。そう思っているのに、「ごめんなさい」と言うだけなのに、どうしてこんなにも怖いんだ。朝集合した駅に向かって一歩一歩歩くたびに、焦燥感は増幅し、精神を削ってくる。それはまるで呪いのようだった。足取りが重くなっていく感覚がわかった。そんな状態がしばらく続いた時、とうとう駅に着いてしまった。朝と同じ場所に立った時、深青さんが僕の三歩くらい前に出て振り返り、「今日はありがとう。楽しかったよ。じゃあ、またね。」と言った後、背を向けて駅の方へ行こうとしたの見て僕は思わず彼女の名前を叫んだ。「深青さん!」
彼女は驚いた様子で振り返ったが、返事はしなかった。僕は続けた。「軽率な発言で傷つけて、ごめんなさい!次からは気をつけますのでどうか!」と両手を合わせて前に出し、頭を下げた。すると彼女は、「いいよ!もう大丈夫!こっちこそ気を遣わせてごめんね!」と言って、再び僕に背を向けて小走りで駅の方へ行ってしまった。なんとか許してもらえたようだ。よかった。いや、許されたから良かったなんて、独りよがりかもしれない。深青さんはケロッとああ言っていたが、あれは空元気で、本当はすごく傷ついたかもしれないのに。そう思いながら、原田を駅前のベンチに一旦座らせた。
「うぅ...きもちわるい...」今までずっと黙っていた原田がつぶやいた。
「調子に乗って食べすぎるからだ。まったく...」僕も原田の隣に腰掛けながら言う。
「あぁ...そんなことより、意外と話せてたじゃん。」
「...原田がそばにいてくれたおかげだよ。ありがとう。」
「なーんだ。もうお役御免かと思ったのに。」
「もう少しだけ頼むよ。」
「...はぁ、仕方ないか。秋津だもんね。」
「ははは、まぁそうだね。」
「でも、わかってるんでしょ?いつかは完全に私抜きで彼女と向き合わなきゃいけないって。」声のトーンが低くなり、真剣な雰囲気が伝わってくる。
「うん。だから、自分なりのペースで、自分なりに頑張ってみるつもりだよ。」僕もそれに答えて、まっすぐ前を見ながら答える。
「ならいいけどさ。」
「あー...話変わるけど、一人で帰れそう?」
「君と喋ってて少しは楽になったし、大丈夫だと思う。」
「じゃあもう駅のホームに行こうか。」
原田は頷いて僕に続いて立った。ホームまで移動して電子掲示板をみると、あと5分でのぼりの電車が来る事がわかった。
「良かったね。あと5分だってよ。」
「とりあえず座らせて。」原田は再び空いているベンチに座った。
「飲み物飲む?」
「あと5分で電車来るから良いよ。」
「そうか。」
その後、お互いスマホをいじって時間を潰し、電車が1番線に止まった。原田は「じゃあまた2日後、学校で」と言って乗車した。僕は頷いて、「ああ」と言ったが、おそらく聞こえてないだろう。ただ、頷いたのは見えているはずだ。電車が発車したのを見送ってから僕は、ホームの端に立った。下りの電車が来るのは13分後だ。僕は突然の寂しさにため息をつきながらスマホの通知を確認した。しかし、原田はともかく、深青さんからもMINEは来ておらず、寂しさは増すばかりであった。
第7話:オキナグサの花言葉
これは、原田陽菜が乗った電車と同じ電車に乗っていた陶深青のお話し。
真ん中の車両の端の席で、地面を見つめる。先ほどの彼との会話を思い出しているのだ。特に、彼が投げかけた最後の質問。脳内で再生されるたびに吐き気がする。古傷が痛むような不快感が腕や脇腹、足首などに走り、また思い出してしまう。言葉で形容したくないほどの出来事を。
物心がついた頃、私は祖母と一緒にいた。母親の居場所を聞いても、祖母は複雑そうな顔をしながら優しい口調で、「大丈夫。いつかきっと戻ってくるからね。」と言うばかりだった。祖母のその顔をみるたびに、母親がいないと認識するたびに、ただただ寂しかった。心の隙間に完全に嵌るものが何処かへ行ってしまって、その代わりに大部分が埋まるものを与えられているようだった。そんな日々が続いたある日のこと。私は小学生5年生になっていた。学校から帰ってきて、無言で家に上がると、見知らぬ女性がいた。その女性は座っていて、片膝を立ててそこに肘を乗せ頭を支えていた。子供ながらに品のない座り方だと思った。今思えば、きっとやさぐれていたのだろう。そして、こちらも見ずに私の名前を呼んだ。呼び方は少しも優しさのない、厳かな言い方で恐怖を覚えながらも返事をすると、首を回して鋭い目つきでこちらを見た。その直後に舌打ちをし、「本当に私の娘か...あーあ、死んでいればイラつかずに済んだのに。」と吐き捨てた。私は不思議と怒りを感じなかった。それどころか、何も感じていないのではないかと錯覚するほど、頭が一瞬で真っ白になり、全身の血の気が引く感覚がした。後々から追いついてきた思考が脳内を走り回り、情報が整理された途端、吐き気がした。しかし、これで終わりではなかった。母親は、あいつは「見れば見るほど憎たらしい」と言って手を上げてきた。顔を殴られ、床に倒れた。逃げようとした足を掴まれ、また転ばされた。やつは笑っていた。私が痛がれば痛がるほど、抵抗すればするほど相手の思う壺だと思い、必死に騒ぐのを我慢し、防御に専念していた。しばらく殴られていると、飽きたのかこの場から逃げようとしたのか、私から離れて荷物をまとめ始め、何事もなかったかのようにこの家を出ていった。私は涙と鼻血を流しながら殴られた時に言われた言葉が脳内に響いていた。「お前を産んだせいで!私の人生めちゃくちゃだ!」
「お前さえいなけりゃ!こんな思いをしなくて済んだのに!」
私は、何のために生まれてきたんだろう。
その日の夜、祖母が帰ってきた。顔面が酷く腫れた私を一目見て、何が起きたのか察したらしく、涙を流しながら無言で抱きしめてくれた。そして、祖母と話し合った結果、見つけたら逃げることを徹底するという対策をとった。(母の実家なため施錠しても鍵で開けられてしまうから)私は親を、恐れて生きることになったのだ。
中学生になってすぐに、中学生になってすぐに、祖母が母親について話してくれた。祖母は緊張した面持ちで徐に口を開き始めた。
「あの子がまだ15歳の時、同級生の男とヤってしまったのさ。」
祖母は、そこで一度言葉を切って、ため息混じりに「私は堕胎するように言ったんだけどね。でもあの子は『この子を殺したくない。生まれてくる子に罪はないから』と言って聞かなかった。」と言った。私は何も言えなかった。強かったのだと思う。ただ、それだけに...。「...そこからは本当に大変だった。悪阻も酷くてね。出産後はうつに襲われ、自殺までしようとしたんだ。あと少し私が遅れていたら、もうこの世にいないだろうね。」祖母は目を閉じて上を向き、搾り出すような声で言った。「もっとも、死んだ方が本人は幸せだったかもしれないねぇ...。」と。私は思わず息を呑んだ。「今思えば、そこから変わってしまったような気がする。よく逃げた男の悪口を言うようになった。それは日に日に荒くなり、ついには暴れ始めた。看護師を殴ったり突き飛ばしたりしたもんだから、私は何度も謝ったよ。特に男性看護師に強くあたっていた。この頃から男性全体を嫌悪するようになった。今でもあの男が私の子につけた傷は消えないんだ。施設にいるのはそうゆうわけだよ。いつかあの男を見つけ出したら....。でも、同時に深青に出会えてよかったと思ってる。」
あまりに壮絶な母親の過去に、思わず絶句した。私は、金がないのに母親の施設代はどうしているのかを聞いた。すると祖母は食い気味に、「それはあんたが気にすることじゃない」と言った。私は「そっか。ごめん。」とだけ言って会話を終えた。
高校生になって、バイトを始めた。シングルマザーかつ、その母親は施設に入っているために貧しく、少しでも家に金を入れるために働ける限度ギリギリまで働いた。放課後すぐにバイト先に行って、ただひたすらに働いて、夜に家に帰る生活。それが私の青春だった。これからもきっとそれは変わらないだろう。
電車のアナウンスが、いつのまにか降車駅に着いたことを告げていた。私は片手で頭を押さえながらのろのろと歩いて家まで帰ったのだった。
第8話:善意
帰りの電車に乗った僕は、再び窓際の席に座った。そして、今日の事を振り返る。最後はちょっとやらかしてしまったが、楽しかった。特段盛り上がったり、エキサイティングできたわけではないが、何気ない日常を好きな人と過ごせた事が幸せだった。次はどこに行こう。夏休みも近いし、また3人で海や川、あと夏祭りとかにも行きたい。そうやって、距離を縮めることができれば、いつかは....。
家に帰って自室に篭り、ベットの上で横になりながら二人にそれぞれMINEする。「今日は楽しかったよ。ありがとう。」という旨のメッセージを文体を変えて送った。原田は割とこういう返信が早い。今回もすぐに既読がつき、返信が来た。「こちらこそ!私も楽しかった!」僕はスタンプで返事をし、そこでトークを終わらせた。そして、深青さんの返信を待ったが、既読すらつかない。きっと忙しいのだろうと自分に言い聞かせて精神を安定させるが、それは無意味であった。落ち着かないのだ。そこで原田にこの事をMINEで伝えると、「まぁ、気持ちはわかるけど、待ちなよ。それしかないでしょ。」と言われて落ち着きを取り戻した。僕はお礼を言ってMINEを閉じたあと、枕に顔を埋めた。やがて天井を見上げ、目を瞑って寝た。
2日後の7月20日(火)海の日が第三月曜日に移ったせいで3連休の後に終業式というかったるいスケジュールになっていた。文句を内心垂れ流しながら登校した。朝のHR前、いつもの3人で会話する。
「今日の放課後から夏休みだー!!」両手腕を上に目一杯に伸ばしながら言う原田。ガキみたい。
「ふふっ。陽菜ちゃんは元気だね。」口元を優雅に右手で隠しながら笑う天使。尊い。
「夏休みは明日からでは...?」
「どっちでもよくなーい?」
「よくない。」僕は腕を組みながら言う。
「あっ!どっちでもいいって言えば!なんで深青っちは私のこと陽菜って呼ぶの?」
「...(無視された)」
「...原田ってあんまりかわいくないなって思ったから、かな。失礼かもしれないけど。」
「そうなんだ!でもそれって名前がかわいいってこと?!」
「うん。女の子らしくてかわいいと思うよ。」
「えー!嬉しい!ありがとう!」そう言って深青さんにボディタッチする原田。
完全に僕は蚊帳の外だった。それを見ているとモヤモヤする。話題を変えるために話を振る。
「みんなは夏休みに何するの?」
「私はたくさん遊ぶ!久々に中学の友達と色んなところ行く予定!」いかにも原田らしいと僕は思った。
「私はバイトかな。」
「え?ずっとバイト?」と僕は尋ねた。
「うん。それくらいしか...できないし。」普段の明るい顔に、一瞬影ができていた。
「そうなんだ...」疑問はあった。でも質問することでまた彼女を傷つけるんじゃないかと思うと、怖くてできなかった。
「あーえっと、もう時間だし、私たちもう席戻るね」原田はこっちを横目でチラチラ見て合図してくれていた。僕も瞬きをして応じた。
「うん、じゃあまた」
結局その後、あの会話の気まずさから僕はトイレに引きこもって休み時間を過ごしたため、あれが夏休み前の最後の会話であった。
夏休み初日、僕は原田とMINE電話を繋ぎながら夏休みの宿題をこなしていた。流石に話しながら数学の計算ができるほど頭が良くないので、英単語を書いて覚える課題をやった。令和の時代に漢字練習帳みたいにたくさん書いて覚えるような超非効率学習をやらされるのが馬鹿馬鹿しい事この上ない。
「なんで深青さんはバイトづけの夏休みを過ごすんだろう。」僕が昨日から思っていた事を話題として出してみる。
「うーん...金がないのか。もしくは金が必要な何かがあるのか。」
「何かってなんだよ。借金とかか?」
「さぁね。でも、もしそうだったら...」
「...なにか手助けできないかな。」
「MINEで言ってみる?」
「ありあり。」僕はシャーペンを置いて机の端に置いてあったスマホをとってMINEを開く。深青さんとのトーク画面を開いて文字を打ち込む。「なにか手助けできることがあったら遠慮なく言ってください。あんまり、無理しすぎないでくださいね。」と送信した。おそらくすぐに既読にはならないだろうと思い、作業に戻った。ちゃんと彼女のためになっているのだろうか。
第9話:羨望
MINEをしてから二週間くらい経ったある日、深青さんから返信が来た。その内容は簡潔で短い。「大丈夫。ありがとう。」とだけ。僕は忙しいであろう深青さんに配慮として、バイトの応援メッセージの後ろに「返信不要」と付け加えて送信した。スマホの電源を落とし、ふと自室を見渡す。目に留まったのは、七月のままになっていたカレンダーだった。真っ白なそれを見て、貴重な夏休みを浪費しているのではないか。本当にこんな生活でいいのかと訝しんだ。そして、僕はそれをめくった。八月という文字が目に入る。時の流れは早い。課題を終わらせるのに全力を尽くしていたら七月が終わっていた。八月もお盆以外は予定がない。外にも出ないだろう。しかし、冷房の効いた部屋からわざわざ出る理由なんてどこにもない。いや、そもそも探そうとしなかった。その必要性がなかったのだ。技術が発達した今、暇は死にそうになっている。そしてそれは、人間の脳が休む時間がなくなるのと同義だ。絶え間なく浴びせられる視界や聴覚からの刺激に脳は疲労し、精神的にも肉体的にも悪い影響が出るだろう。と言うか出ている。それを踏まえた上で、僕はインターネットやゲーム、動画を見続ける。そうして、考えていた事も、現状も忘れてまた今日が終わるのだ。明日も、明後日も、そうやって終わりを迎えるだろう。そうして、迎えた夏休み最終日。終わらせた課題を整理してからバックに入れて、洗ってもらった上履きとかその他諸々準備した。明日はついに深青さんに会って話せると思うと嬉しかったが、夏休みが終わると思うとどうしようもなく悲しくなった。そうして、一喜一憂しながらその日は終わった。
翌日。9月1日(水)帰りのHR前
「終わったー!!」原田が元気よく両腕をあげて伸びをしている。デジャブを感じる。
「始業式なんてなくていいのにね。」深青さんがおっとりした声で言う。艶やかだ。
「本当それなー!まぁ授業よりマシだけど〜」
「でも原田授業寝てるじゃん。」
「うっさいなー!しょうがないじゃん!気づいたら寝ちゃってるんだから!」
声が遠のく。視線が僅かに下がる。時間が遅くなるような、止まっているような感覚を覚える。目の前で繰り広げられている二人の口論は賑やかで、微笑ましい。だから私は、微笑んでいた。けど、二人は夏休み、きっと私とは違って充実していたのだろう。楽しくて、青春という世界の中で満たされていたんだろうなと思うと、心は沈んでいった。もちろん、これらは想像でしかない。でもだからこそ、辛かった。質問をして確かめて仕舞えば、きっと。
「深青さん!」
はっと呼びかけによって意識が外に向いた。私はまだ状況が分からず、「な、なに?」と困惑した声色でいった。二人はぼーっとしていた私を心配して声をかけたそうだ。私はそれに対し、「ごめんなさい。ちょっと一人にさせて。」と冷たく言ってしまった。二人には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。気を遣わせてしまったし、楽しい雰囲気を私のくだらない考えで壊してしまったのだから。そもそもどうしてあの場面であんな事を考えてしまったのだろう。私は、仮面の裏を見せてはいけないのに。
結局それ以降、誰とも話さず家に帰ったのだった。家に帰ってすぐにバイト先へ向かう。朝行く時に予め準備しておいたバックを玄関で回収し、靴をローファーからスニーカーに履き替えて家を出る。自分でも笑ってしまうほど家にいる時間は少なかった。労働の疲労感も同程度だったら良かったのに。ため息をつきながら、自転車に乗って道を走っていた。バイト先について準備をした後、私は業務を淡々とこなしながら、今日の事を考え始めた。善悪、正解と不正解、有意義、無意味。そんな二項対立をたくさん脳内に並べてああなってしまった原因と根本を探る。その間も絶えず手は動いている。考えれば考えるほど、単純で感情的な答えを結論としてしまう。「母親がそもそも悪いでしょ」、「産んでくれなければ良かったのに」と。体が震えた。まるであの人のようじゃないか。ダメだ。ダメ。一瞬にして手が固まる。わかっていても、それは酷くなるばかりで止められなかった。吐き気がする。やはり私も、あの母親の子なのだろうか。いや、そんなはずはない。ありえない。気のせいだ。そう言い聞かせるが、言い聞かせていると認識している時点で単なる自己欺瞞でしかないのだとわかる。だが、それ以外に術はなかった。
しばらくして、バイトが終わった。普段からしているそれが、いつもより長く、息苦しく感じた。
幕間:廻る思考
始業式の日は学校が午前中に終わるので、僕はもう帰りの電車に乗っていた。そこで、今日のことを振り返り始めた。
「ごめんなさい。ちょっと一人にさせて。」と彼女が言った時、僕は曇るまなこと、かすかに震える唇を見た。表情は悲哀に満ちており、余裕がないことがすぐにわかった。きっとまた傷つけてしまったんだ。そのことが、彼女に冷たく言われたセリフよりもよっぽど深く心に突き刺さった。しかし、そう考えてしまう自分が嫌だったが、僕のどんな言動が彼女を傷つけたのか全く分からなかった。そもそも、僕が彼女を傷つけたのではないとしたら...原田か?
スマホを取り出してMINEで原田にメッセージを送る。
「お前、深青さんを傷つけるような言動した?」
数十秒で既読がついて、返信が来た。
「は?するわけないでしょ。それに一緒に会話してたよね?覚えてないの?」
僕は少しイラついて既読無視した。しかし、僕も原田も違うとなれば、深青さん自身の問題なのだろうか、と考えてしまう自分がいた。電車は着実に駅へと近づいていた。
第10話:文化祭準備
9月2日(木)、夏休みが終わって2日目。教室の雰囲気はまだ夏休み気分の学生によって騒がしくなっている。そんな中、ロングホームルームの時間が訪れた。
僕の通っている学校では、文化祭は9月28、29日に行われる。そのため、夏休みが終わったらすぐに文化祭に関する話し合いや準備で忙しくなるのだ。まずはこの時間を使った話し合いが行われた。一年生は出し物をするのが決まりで、食べ物を中心に売り出すのだ。いつくかの生徒が挙手をして案を出す。焼きそばやお好み焼き、餃子、チュロス、ポップコーン、マカロン、焼き鳥などが文化祭実行委員会の人によって黒板に記されていく。そこから多数決で一つに決める。結果、決まったのはポップコーンであった。当日売るそれは、外部から文化祭実行委員会の人が発注するらしい。こうして、授業は終わった。
「文化祭のポップコーンってさ、味は何種類あるんだろうな」僕は原田に話しかける。
「まぁ普通に塩、キャラメル、ストロベリーとかじゃない?」
「そうか...。」
「そんなことより、深青っちのとこ行きなよ。」
「いや...お前が行かないからいけないんだよ...。」
「今回私は助けないからね。」
「嘘...だろ?」
「いいからいけ」そういうと原田は無理やり深青さんの席の近くに俺を運んだ。そして「頑張って〜」と言って彼女は去っていった。僕は彼女の強引なところに助けられている反面、それを嫌っている。
「あ、えーその....元気ですか?」拒絶される恐怖を乗り越えて小声で話しかける。
「...元気だよ。そっちは?」
「元気です。」意外といけるかもしれないと思い、声が少し大きくなった。
「あの、昨日はごめんね。」深青さんはまっすぐこちらの目を向いてそう言った。今思えば、彼女とこんなに視線がぶつかる瞬間があっただろうか。どこかで、お互いに視線を合わせようとせずに、そこで距離感を測って、相手に合わせて動いていた。一歩踏み出さなければ、この状況は。
「全然いいんです。気にしてませんから。」言うんだ。
「...そっか。」
「...」全身が力む。呼吸が速くなるような感覚がある。心臓の音もうるさい。勢いよく広げていた手のひらを握り締めて叫ぶ。
「....?」
「深青さん!」
「は、はいっ!」
「僕と一緒に、文化祭回っててくれませんか!?」
「えっ?あっ...はい。」
「はぁ...よかったぁ。」すっかり安心してしまって、全身の力が緩んで倒れそうだった。よろけながらもガッツポーズをして喜んだ。胸の奥が熱くなるようなこの興奮はなかなか冷めなかった。
幕間:クラスの雰囲気
私は原田陽菜。訳あって秋津源一郎の恋愛指南をやっている。現に今も、彼の背中を物理的に押して彼の好きな人のところに無理やり放ってから、距離を取るために同じ階層の廊下を行ったり来たりしていている。二人の様子が気になって、落ち着かないのだ。一往復終わって教室を覗くと、「僕と一緒に、文化祭回っててくれませんか!?」と言いながら勢いよくお辞儀をしていた秋津が目に入った。私は感動した。あのオン眉メガネがこの瞬間だけ格好よく見えた。頑張って指南してきた甲斐があったと言うものだ。そして私は心の中で、「ここからは私の仕事か」と呟き、騒ぐであろうクラスの人たちの前に急いで行ってジェスチャーをした。口に人差し指を垂直に立てながら、片方の手で落ち着くように促した。クラスメイトたちはみんなそのジェスチャーに従った。空気を読んでくれたのだ。ここでも私は感動した。みんなの民度の高さと、優しさに。そして、両手でグッとサインを作って前に突き出した。感謝の意を込めてのこの行為だったが、クラスメイトの一人がグットサインで返してくれた。まるで、「当然だろ!俺たち仲間なんだからよ!」と言わんばかりに。それを見た他の生徒もグットサインを返してくれた。なんなら他クラスから遊びに来たであろうやつまでもノリを合わせてくれた。みんなに感謝!心があったけぇ!
第11話:名前の漢字を知る
翌日、教室に入ると、複数人に囲まれた。と言っても全員男で、いわゆる運動部の陽キャばかりだった。彼らは話しかけてきた。
「お前は男の中の男だ!」
「頑張れ!応援してるぜ。」
「当日1日目シフト入れないでおくよ。その方がいいだろ?当然陶さんのシフトも空けておくな。その分原田にシフト入ってもらうからあいつに感謝しとけよ〜」
僕は頷いた。そして、顔を上げて潤んだ目で、「みんな、ありがとう。」と言った。陽キャたちはニカッと笑いながら皆似たような返事をして背中を軽く叩いてくれた。僕が席に着くと、陽キャたちは席を囲って話しかけてきた。と言うより、質問をいくつかされた。冷やかされるかもしれないと思ったが、先ほどのことを信頼の糧として躊躇いなく話してみる。すると、三者三様の反応が眼前で繰り広げられた。初々しさに感嘆を漏らす者もいれば、羨ましがる者、「俺も最初はそうだったなぁ」と感慨に耽る者。そして、彼らのおかげであの時、深青さんと会話した時に彼女が笑った理由がわかった気がした。こんなに賑やかで、楽しげで、愉快な反応を見せられたら、自然と笑ってしまう。まるで、自分が幸福の渦の中にいるかのようだった。しばらくすると、担任の先生が教室に入ってきて、朝のホームルーム(HR)を始めると言った。その一言に陽キャたちは焦って自分の席に戻って行った。僕は、「賑やかなだけでなく、慌ただしいものだ。」と思うのだった。
そして、文化祭当日。
原田のいない、正真正銘二人きりの文化祭デートが始まってしまった。震えが止まらない。先々の不安と恐怖が身を凍らせるようだ。僕は落ち着くためにトイレに逃げ込んだ。個室はやっぱり落ち着く。ただ、落ち着いたからと言って早々に出て仕舞えば後悔する羽目になる事はわかっていたので、自分の胸を右手で軽く叩きながら「大丈夫、大丈夫。」と言い聞かせる。そして、ついにトイレから出て、外で待っていてくれていた深青さんを見る。そして、少し爽やかに「お待たせしてしまいすみません。では、行きましょうか。」と言った。ちょっと恥ずかしかったが、好印象に残っただろうか。
まずは体育館でやるステージ上でのダンスを見に行った。開始5分前には席につけたので、緊張しながらも軽く雑談をしていると、照明が切れて真っ暗になった。ステージの方を見ると、そこだけ電気がパッとついた。そして、流行りの曲が流れ始め、ダンスが始まった。正直、ダンスなんかどうでもよかった。手元が暗く、隣に好きな人がいる状況が、心臓に悪かった。少し手を伸ばせば、彼女の膝の上にある手の甲に触れる事ができる。そう考えただけで、青春の香りがした。ダンスが終わると、照明が戻った。深青さんはこちらを見て、ダンスについて話していたが、ダンスをあまり見ていなかったため、よくわからなかった(適当に相槌した)。ダンスが終わって体育館から外に移動した時点でまだ10時前だった。しかし、深青さんは食べ物の屋台を回るために朝食を減らしたらしく、準備は万端という感じだった。僕はと言うと、普通に朝食をとってしまったため、あまり乗り気はしなかったが、言えるはずもなく表面上取り繕って色んな屋台を回った。あちこちから香るいろいろな美味しそうな香りと、楽しそうな人々が印象的だった。その後、飲食スペースとして開放されている教室で食べることにした。まだ時間が時間なので誰一人いなかった。適当に座って買ったものを袋から取り出す。一個一個が少ないのでなんとか食えそうだ。お互い手を合わせてからいただく。深青さんはどれも美味しそうに食べていて、思わず見惚れてしまった。なんだかいつも僕だけ意識して、見惚れている気がする。深青さんは、僕のことをどう思ってるんだろう?そう思いながら、食べ続け、完食した。苦しい。吐きそうなほどではないにしろ、明らかに食い過ぎた。深青さんは、保護者用の文化祭案内プリントを見てどこを回ろうかと考えているようだった。そして、「少し休んだら、二階の展示を見に行こうよ」と言ってきた。僕は「わかりました。では、そうしましょう。」とだけ言って目を瞑った。10分くらい教室で休憩した後、2階に行った。
最初に行ったのは写真部の展示教室だった。そこにはたくさんの写真があった。山、川、海、滝、空などの自然を切り取った写真から、個人の趣味がダダ漏れの写真(電車など)まであった。深青さんは海の写真を見て、「いつか、行ってみたいな」と呟いていた。僕が「海に行ったことないのですか?」と不躾な質問すると、彼女は寂しげに微笑みながら、「実は、そうなんだ。私の名前って深い青と書くでしょ?だから、海を見てみたいんだ。変だよね、こんなの。忘れて。」と言った。僕はそれに対して食い気味に
「全然変じゃないですよ。いつか、一緒に行きましょう。いや、行かせてください。」と言った。彼女は驚いていたが、すぐにいつものおっとりとした微笑みに戻って、「うん。いつか。」と言ってくれた。いつ来るのかわからない。もしかしたら行けないかもしれない。それなのに、嬉しくて、目頭が熱くなるような感覚さえあって、僕にとって忘れられない一瞬になったのだった。
第12話:会心の一撃
僕たちは写真部の展示教室から出て、次の展示を見に行こうと学校の廊下を歩いていた。好きな人が隣にいて、歩幅を合わせて歩く。そんな日常が、視界を色鮮やかにしている気がして、自然と足取りが軽い。こんな楽しい時間がずっと続けばいいのに。そう思った。
すると、前から僕と同じくらいの歳の男性二人組が、こっちへ近づいてきてこう言った。
「あれ?晴賢じゃ〜ん。久しぶりだね〜。」片方の男はおちゃらけた口調で深青さんに絡んだ。そう一方の男は、彼の後ろに隠れながら、目を泳がせて小さい声で挨拶をしていた。どちらも身長が高く、眼鏡をかけていた。男はさらに話しかける。「いやぁ〜元気だった?まぁ積もる話もあるだろうさ。どうだい?一緒に回るっていうのは?おっと、もしかして邪魔してしまったかな?」
「先輩、私は深青です。それと、いやらしいですよ。そういう聞き方は。」
「ああ、そうだったね。ごめんごめん。んで、そこの彼氏くんはなんて言うんだい?」
僕は食い気味に言う。「秋津です。あと彼氏じゃありません。」
「今はね。でもいずれそうなるんだろう?だって、男女の友情なんて存在しないんだから。」
「えっ?」と彼女は言った。
「陶ちゃんは真面目だよね。それに優しい。だから付け込まれるんだよ。俺の言ってる事わかる?」
「例えそうでも、秋津くんはそんな人じゃありません。」
「どうだろう...。彼だって思春期の男。他の男と違うなんて、何を根拠に言ってるんだ?」
「なんなんですかさっきから!大体先輩には関係ないですよね?!」
「ああ、ないね。俺には。でもね、こいつには関係あるんだよ。」
「どういうこと?」
「察しが悪いね。こいつ、お前のこと好きだったんだってさ。今でも好きらしいよ?」
それを聞いた瞬間、深青さんは呼吸が荒くなり、独特な呼吸音が早いテンポで耳に響いてくる。目を見開いて彼女の方を見ると、両手で胸を押さえ、その場に座り込む彼女の姿が目に入った。焦りと同時に使命感が溢れる。咄嗟に横に座り、献身的な声掛けを続ける。彼女の耳に届いている事を信じて。周りの人たちも協力してくれた。特に女性は積極的に背中を摩ったり、肩に手を置いたりしてくれた。それもあってか、しばらくすると呼吸が落ち着いてきた。彼女が失神せずに済んだ事を安堵しつつ、念のため保健室に行くとこにした。いきなり一人で歩かせるのは不安で、僕は彼女の身体を支えながら廊下を進んだ。保健室の前までやってきて、ドアをノックして先生がいるか確かめる。すると、「入ってどうぞ〜」という声が聞こえたので安心した。中に入って事情を簡潔に説明すると、ベットに案内してもらった。そこに彼女を座らせて、横になったのを確認してから毛布を被せると、彼女が話し始めた。「ありがとね。」
「どういたしまして。しっかり休んでくださいね」
「うん....。」表情が暗く、俯いている。
「...どうかしましたか?」
「さっき、先輩が言ってたことが気になっちゃって...」
「怖いんですか?」
「...っ!な、なんで?」
「手が震えてますし、声だって。とにかく、僕はずっと、深青さんの友達です。約束します。」
「ほ、本当?」
「はい。嘘なんてつきません。だから、安心してください。」
「そっか...友達...うん。ありがとう。」
僕は精一杯の嘘を顔に塗って、彼女に見せた。あんなに好きだったおっとりとした笑顔も、不安そうな顔も、今は見たくない。一刻も早くここから離れたい。その思いのまま、適当な理由をつけて僕は彼女の側を離れて、先生に一礼して保健室を出た。
幕間:それぞれの想い
彼が保健室を出て行ったのを見て、ため息をつく。確かに先輩の言う事はもっとものように聞こえる。彼は思春期の男なのは不変の事実。しかし、これまでの事を考えると信頼に足る人物であり、心優しいと言うのもまた事実だ。例えその皮を被っているだけだとしても、友達だと言ってくれた彼を信じたい。
一方、原田は、朝一番からシフトに入っていた。業務は主に三つ。お手製の看板を首にかけながら廊下をぶらつき、時には声を出して宣伝。二つ、レジ係。三つ、品出し。これを一時間毎にこなすのである。といっても、一日中やるわけではない。元々の原田の分のシフトと二人分のシフトが、午前と午後で入っているだけだ。このシフトを表で見た原田は、クラスの陽キャに抗議したらしいが、訳を聞いた途端にすんと大人しくなったらしい。
僕はトイレを済ませた後、手洗い場の鏡で自分の顔を見つめた。酷い顔だ。先ほどの渦巻く感情を隠すための醜い表情が、顔面の上からうっすらと見えてくるようだ。気味が悪い。僕は鏡から視線を外してトイレを出た。まだ保健室へ戻りたくなかったため、自販機に向かうことにした。それも一番遠くの人気が少ない自販機に。魂が抜けたように力無く歩きながら、先ほどの事をぼんやりと考えていた。靄がかかったような頭の中、鮮明に見えるものは皮肉にも、「恋の死」と「自殺」だけ。まるで踊り子だ。誰かを楽しませるために、自分の体力やメンタルを顧みずに踊り続ける、損なもの。
自販機の前へきた。財布をポケットから取り出し、先に小銭を入れる。そして、震える指先でボタンを押した。勢いよく上から落ちてきたペットボトルが、うるさい。結局、一本しか買わなかった。
第13話:すれ違い
僕は重い足取りで保健室の前まで戻った。ドアを開けるのが、たったそれだけのことが嫌で仕方がなかった。呼吸を整えて、仮面を付け直し、引手に指をかけてゆっくりとドアを開ける。先生は職員室にでも行ったのか、いなかった。ベットの周りのカーテンのようなものをどかして彼女の様子を見ると、寝ているようだった。起こさないようにそっと近くの椅子に座ると、彼女は目を開いてこちらを見てこう言った。
「それは?」と彼女は僕が持っていたペットボトルを見て言った。
「ああ、喉が渇いたかと思いまして、買ってきました。」
「...ありがとう。私、午前の紅茶がお気に入りなの。」
「そうなんですね。よかった。」
すると、ドアが勢いよく開く音がした。
「先生!深青っちいますか!?」
原田だ。姿を見なくても声だけで分かった。僕は声を出して原田を呼んだ。近づいてきた原田は、「何があったの?!」と叫びながら勢いよく首を動かして深青さんと僕を交互に見た。僕は落ち着くよう促しながら、事情を話したが、一部は伏せた。原田はてっきり先輩に怒り散らすかと思っていたが、意外な反応を見せた。「先輩って、中学の部活の?」その質問が出た時、僕はハッとした。確かにそこははっきりとはしていない。しかし、その情報が何になるのか。そこがなぜ気になるのか。僕には一切合切わからなかったが、黙って深青さんの答えが出るのを待った。
「...うん。陸上部の先輩。一個上なんだ。二人とも。」
原田の質問は続く。僕は原田がいつ地雷を踏むのかと不安でいっぱいだった。「その人からの気持ちに気づいてはいなかったの?」
「うん。あまり話すこともなかったし。クラスも多分違ったと思う。」
「今回のようなケースは初めて?」
「...そうだね。記憶の限りだと今回が初めてかな。」
「その辺にしとけ。」次の質問をしようとする原田を制止する。
「なぜ?」
「お前が地雷を踏みそうで怖いんだよ。」
「私は...例えそうなってでも、知らなくちゃいけないと思う。今後、今回のような事を避けるためにも、サポートしやすくするためにも。」
「でも、そのために深青さんを傷つけるのか?」
「...」(でもそうしたら、あんたは...ずっと、ずっと友達止まりだよ。)原田は、悔しそうな顔をしながら、俯いた。僕はそんな彼女の気持ちを察せず、ただ疑問だけが浮かんだ。そして、思わず黙った。気まずい沈黙を破ったのは、深青さんだった。彼女は、外の空気を吸いに行くと言って保健室を去っていった。おそらく気を遣わせてしまったのだろう。そのことに申し訳ないと思いつつ、感謝した。これでようやく原田と向き合える。
「原田、何をそんなに焦っているんだ?」
「そう見える?」彼女は腕を組んで窓の外を眺めている。
「ああ。なぁ、何か訳があるんだろう?」
「....あの子、恋愛感情やその関連に対して拒絶反応を示す特徴ない?」原田はそういうとこちらの目を真っ直ぐ見た。
「ははっ、やはり鋭いな。」
「それで?あんたは彼女のためを思って身を引こうと考えているとか?」
「...」僕は図星すぎて何もいえなかった。
「はぁ...やっぱりね。女の勘ってのは悪い方向の推測ばかり当たるなぁ。」
「相手の幸せを第一に置くのは、そんなに悪いかよ。」
「いやそうじゃないの。ただ、私はあんたの恋愛指南役兼友人だからね。少し残酷な質問をするよ。」
「本当に、それでいいの?」
僕はその質問を振り翳された時、高校生になってから初めて、人前で涙を流した。今の今まで貯めてきた「好き」という気持ちと、その死骸が形を変えて溢れているかのようだった。微かに泣き声を漏らしながら、本音を曝け出した。
「嫌だ...嫌だよぉ...」涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、原田に縋るかのように言った。原田はそんな僕に、保健室にあったトイレットペーパーを差し出して、「なんて顔してんのさ。これで拭きなさいな」と柔らかな表情で言ってくれた。その彼女らしい優しさに心打たれ、また涙が出た。しばらくすると、深青さんが保健室に帰ってきてしまい、泣いているところを見られてしまった。彼女はとても困惑していたが、同時に心配してくれていた。好きな人にこんな姿を見られてしまったが、不思議と恥ずかしいという感情はなかった。それどころではなかったのだ。話の続きはMINEでする事になったのだった。原田はカーテンを閉めて、外を見るのをやめた。
14話:驚愕
文化祭1日目はその後、何事もなく終了した。時刻はもう21時15分。僕は晩飯と風呂をすませて、自室のベットでぼんやりとスマホで動画を見ていると、原田から電話がかかってきた。
「...もしもし」
「もっし〜。保健室での話の続きするぞ〜!」
「MINEでよくない?なんで通話なの?」
「文字打つのめんどくさいから」
「あっそう。」
「....とりあえず、深青っちとあんたが恋仲になれるように、話し合おう。」
「あー...えっとですね。非常に言いにくいのですが...」
「え?どうしたのいきなり?」
「深青さんを保健室に連れていった直後に...友達としてそばに居るって約束しちゃいまして...」
「は?」
「はあああああああああああああああ!?!?!?!?!?」
スマホを咄嗟に耳から遠ざけてスピーカーにして話す。
「あの、本当にすみませんでした。」
「いやいやいや!謝られても困るし!自分が何したかわかってんの?!これどうすんの?!ねぇ!」
「だってしょうがないでしょうが!深青さんを安心させるために、彼女のためには僕のあの言葉が不可欠だっただろ!」
「一旦落ち着け私、なんだか急に眩暈がしてきた気がするけど落ち着け....。ふぅ...あのさ、後先考えずに発言するのやめてくれる?約束破って好意を伝えたら、それこそ彼女を刀で斬りつけるようなもんだと思うけど?」
「はいぃ...そうですよね...すみません...」
「....(まぁどのみち、現状のままこいつが好意を伝えたら傷ついていたし、五十歩百歩か。)」
「あぁ、背伸びして身の丈に合わないくさいセリフを吐いたからバチが当たったんだぁ。もうだめだ...おしまいだぁ。」
「まぁそう落ち込まないで。大丈夫、まだ道は残ってるから。(ただ、その道は荊の道だけど...)」
「え?そうなの?」
「うん。深青さん自身の問題を解決するという道が。」
「いや無理だろ。」
「いいや、無理じゃない。きっと何とかなる。」
「...もう切るよ?」
「ちょっと待ってよ!最後に一言だけ!」
「はぁ...どうぞ。」
「秋津。諦めた恋は、一生引き摺るかもよ。」
「...じゃあ、また学校で。おやすみ。」
「.....おやすみ。」
電話を切ると、一気に疲労感がやってきた。スマホを枕元に置き、毛布をかぶって目を閉じる。しばらくそうしていると、スマホが鳴った。画面を見てみると、深青さんからのMINEが入っていた。
「秋津くん。こんな夜分にごめんね。今日、すっごい泣いてたから心配で...私に出来ることがあったら、何でも言ってね。」僕は複雑な心境に陥った。あの涙は、あなたのおかげでもあって、僕のせいでもある。それを知らないあなたは、優しさという暴力を振るう。僕は、なんて返そうか長らく悩んだ末、「わざわざ心配してくださって、ありがとうございます。僕は平気です。」とだけ返してスマホの電源を落とした。真っ暗な部屋が、少し虚しく感じた。
翌日、文化祭2日目。
電車の中で、イチャイチャする他校の制服を身に纏った生徒たちに気づき、不快感のあまり別車両へ移動した。恋愛がどんな悲劇を生むかも知らずに、あんな風に。今日はついていない。
私は朝からクラスメイトの女子に囲まれていた。そして、色々聞かれそうになったその時、陽菜ちゃんが現れ、彼女はいきなり私の手をとってどこかへ向かって走り始めた。ついた先は旧校舎の女子トイレの個室で、少し狭かったし臭かった。陽菜ちゃんはそこでようやく私の手を離すと、口を開いた。
「危なかった。何とか間に合って良かったよ。」
私は何の事かわからず、首を傾げる。すると、彼女は単刀直入にこう言った。
「あのままあそこにいたら、また過呼吸になってたよ」
目を見開いて彼女の瞳を見つめる。それはあまりにも真剣な眼差しで、緊張が走る。
「なぜそう言い切れるの?」私は知った気になって語る彼女に、精一杯の反抗のつもりで言った。
「それは、あの女子たちは恋バナをしようとしていたから。」
「っ!なるほど。」
「それに、秋津との関係を問いただされるだろうね。」
「...」気持ち悪い。率直にそう思った。
「でも、安心して。私が、あなたを守るから。」
「...え?」
「その手の話題から、あなたを守るって言ってるの。」
「でも、何のためにそんなことを?」
「そんなの決まってるでしょ。私自身のためだよ。」
「そんな身勝手な...」
「身勝手でもいいじゃん。大事なのは、お互い得をするか否か。そう思わない?」
「...そう、かもね。」
「じゃあそうゆう事で!私は先に教室に戻ってるから!」
「うん。ありがとう。」
「どういたしまして。じゃあね〜」
私は、トイレの鏡で髪を軽く整えてからゆっくり教室へと帰った。廊下の窓からくるそよ風が、涼しかった。
第15話:暗示
文化祭の2日目は初日とは全く逆の1日となった。入っていなかったシフトに入り、教室でポップコーンを売ったり、補充したりを小一時間続けた。それはまだ良かった。原田は他の友達とどこかへいってしまったし、深青さんとは話す気になれず、一人虚しくトイレの個室でスマホを使って暇を潰していた。
午後3時ごろ、昼飯も食べずに暇を潰していたため空腹感がストレスであったが、片付けの時間が来てしまった。教室の飾り付けを取り外し、ゴミ袋に入れていく。僕は一切装飾品を作っていないので、単純な破棄だが、作った人はどんな気持ちで捨てているのだろうか。片付けがあらかた終わると、売れ残ったポップコーンを自由に食べていいと担任の先生が叫んでいたので、僕は遠慮せず食べた。腹が減っているせいか、とても美味しく感じた。特にキャラメルは味が濃く、美味しかった。そうして、長いようで短いような、短いようで長いような文化祭は終わりを告げた。放課後、僕はすぐに帰った。また日常に戻るのかと思い、寂しさを抱えながら。
少し涼しくなってきて、秋の訪れを感じる頃、ようやく「夏の終わりが、君の終わり」というライトノベルを読み終わった。気が向いた時にしか読んでいなかったので遅くなってしまったが、これでも早い方ではあった。次に読む本を決めていなかった僕は、書店に行くことにした。翌日の放課後、一人だと寂しかったので、原田を誘った。するとノリノリでついて来た。何やら読みたい漫画があるらしい。電車に乗って移動し、駅近の書店に足を運ぶ。そこでそれぞれ求めている本を探した。しばらくすると、原田が声をかけて来た。
「私の用事は済んだよ。あんたは何買うの?」
僕は顎の下を右手の親指で軽くかきながら、「それがねぇ...何を買おうか決められずにここまで来てしまったんだ」と言った。
「はぁ...じゃあ私が選んであげるよ。」
「お!頼む。」
「おっけ〜」
原田が持ってきたのは、「好かれる自分になる方法」という自己啓発本だった。
「え?僕嫌われてると思われてるの?」
「あははっ!冗談だよ〜。そんなにいいリアクションされるともっと遊びたくなるな〜。」
「次は真面目に選んで持ってきてくれよ?」
「わかってるって。」
原田が次に選んだのは、「あの日から」という本だった。表紙は血が乾いて固まった、ヘモグロビンの死色のような色で、中央に白い文字でタイトルが書かれている。色のコントラストが刺激的で、帯がなく、昔の作品のように感じた。
「これ恋愛小説なんだけど、ネットで調べたら、彼氏に依存した女の成れの果てを極限まで陰鬱に書いた作品って出てきたんだよね。やばくない?」
「読むと気が滅入りそうだが、面白そうだ。」
「じゃあ決まりだね。会計してさっさと帰ろ〜」
「ああ。」
そして、会計を済ませて駅に戻り、そこで僕たちは別れて各々家に帰った。一人、帰りの電車で見た夕日が、秋を実感させてきた。
第16話:死する歪み
すっかり枯れ木が立ち並ぶ頃、私はいつものように何事もなく帰宅した。玄関を開けて前を見る。すると、そこには誰だかわからない女性が立っていた。だが、次の瞬間、彼女が発した言葉によってある一つの疑問が脳裏をよぎる。「おかえり、深青。」
気づけば手に持っていたスクールバックを落としていた。まるで時が停止したかのような感覚が全身を硬直させ、なかなか敷居を跨げなかった。私は目の前の女性が実の母親であるという認識があった。その一方で、あまりにも肉のない体に、長い髪、穏やかな声、慈しみを感じるほどの微笑み、上品な立ち振る舞い、それに伴う好印象、全てがかつての記憶の中にある母親と違っていて、混乱を極めた。人は、こんなにも変わるものなのか?いや、そもそもこれが元で、精神疾患による異常が今までの姿だったのだろうか。疑問は尽きない。なぜ今になってこいつが家にいるのか、施設から抜け出してきたのだろうか。わからない。わからないことが多すぎる。警戒心からか、恐怖心からか、思考は止まる事を知らなかった。しかし、それは最も簡単に止まった。
「何を突っ立っているの?入ってらっしゃい。」
そうだ。私は入らなければならない。そして、こいつと話さなければならない。
私が家に入ると、母親は何も言わずにリビングの椅子に腰掛け、目を閉じた。まるで「話があるなら聞いてやる」と言わんばかりの態度に苛立ちを覚えながらも、私も母親の目の前の椅子に座った。そして、鋭い目つきで目の前の怪物を睨みつけながら話しかける。
「あんた、なんで今更帰ってきたの?」
母親は黙っていた。寝ているかのように。何を考えているかわからない。そこが一番腹立たしい。
「聞き方を変えようか?よく敷居を跨げたな。顔の面がお厚い事で。で、目的はなんだ?また私を性懲りも無く殴るつもり?」
「...ごめんね。」
肉体によく似合うか細い声が、同年代の人のそれではなかった。絞り出すかのような謝罪の言葉が、どれだけ重いかがよくわかった。だからこそ、私は何も言えなくなった。いや、言えなくなったはずだった。気づけば、涙と共に言葉が溢れていた。それは、何年にもわたって積み上がり続けていた本音。
「何もかも、今更なんだよ....。今更、母親ずらしないでよ!!」勢いよく立ち上がり、全身を使って怒りを露わにする。
わかっていた。仕方がない事だと。精神病に犯された人間が、まともに育児ができるわけがないのだから。だが、感情が言う事を聞かないのだ。
「私は、ずっと待ってたのに、いざ会えたと思ったら...あの仕打ち..絶対に忘れない!!」
「許せない...!許せないよ...!」私はその場に泣き崩れた。母親はそんな私に寄り添い、声をかけてくれた。
「許してもらうなどとは思っていません。ただ、これからはちゃんとあなたの母親として、今までの分まで、あなたを大切にします。」と。
その言葉を信じたかった。今すぐにでも母親に泣きつきたかった。だが、今更母親ヅラするなと言った手前、引くに引けず、そのままにしていると、母親の方から抱きしめてくれた。正確には、胸を貸してくれた。それによって、私の子供の頃から感じていた寂しさが死んで消え、怒りが、悲しみが、辛さが、憎しみが全て混じって滲み出るかのように、雫は頬を伝って落ちていった。しばらくして、落ち着いた私は、バイト先に電話をして休ませてもらった後、母親に改めて質問をした。
「なんで、帰ってきたの?あと、どうやって帰ってきたの?」髪の毛をいじりながら尋ねる。
「もう退院して良いと、お医者さんに言われましたので。弟に車で運んでもらいました。」落ち着いた声と姿勢のいい状態で動かない様子が目に入る。
「じゃあ、精神病は治ったの?(弟がいたんて知らなかった...)」
「いいえ、まだ薬を飲んでいないといけないのです。ただ、退院する基準を満たしていたため、今こうしてここにいます」
「そうなんだ...(やっぱり別人みたい)」
「私からも質問があります。」
「な、何?」
「高校生活は、楽しいですか?」まっすぐこちらの目を見て、聞いてきた。
「うん、楽しいよ。」
「そうですか...」瞼を伏せて、母親は噛み締めるかのようにしみじみと言った。しばらくの沈黙の後、再び母親が話す。
「ところで、深青。好きな人はいないのですか?」
「いるわけないでしょ。ふざけないで。」苛立ちを隠せず、指で机をトントンと叩く。
「あら、そうですか。恋はいいものなのに。残念です。」
「は?(私の聞き間違い...?)」
「私は、あなたを産めて、本当か良かったと思っているのです。こうして話せているのも、幸せでならないのです。唯一残念なのは、あなたにお父さんがいない事でしょうか。」
「...おかしいでしょ。」俯いて呟く。
「何がです?」
「どうして!?誰よりも恋によって、愛によって、好意によって苦しみ、憎しみに飲まれたあんたが...!なぜそう言えるの?!」自分の今までの“何か”を守るように、全力で訴えた。
「もう、全て過去のことですから。」
「だから気にしてもしょうがないって?」両腕を広げてアピールする。
「ええ、そうです。」
「正気とは思えない...一人の男にそこまで夢中になって、人生を壊してまで...。」
「ですが、それが愛なのです。」
母親はこの日1番の声を出した。気迫のこもったそれに、母親の思想が全面に出ていた。それだけではない。母親は表情ひとつ変えずに言ったのだ。私はそれに気圧され、息を呑んだ。穏やかな表情から気迫を感じる体験が非常に不気味だった。そしてこの日、私は愛を知った。今までは知りたくもなかった、認めたくもなかったそれを、私は知ったのである。視野が広がったような、世界が広がったように感じた。
幕間:らしく
その夜、バイトから帰ってきた祖母が、疲れ切った様子でリビングに入ってきた。祖母は姿勢良く椅子に座っている静寂の主を一目見ると、わざとらしく部屋全体を見回して私を見つめ、不思議そうな顔をして、バイトには行かなかったのかと聞いてきた。私は何の躊躇もせずにそれを休んだ事と、その理由を話すと、祖母はみるみるうちに不機嫌そうな表情に変わり、返事をするどころか話の途中でリビングを出ていった。こんな態度をとる祖母を初めて見たので、驚いていると、母親はクスクスと短く笑った。それを聞くまで、いるのを忘れていた。いや、存在を認識し続けたくなかったのかもしれない。どちらにせよ、不気味だ。それに、祖母の態度は、実の娘が家にいるのが原因なのだとしたら、これから高校卒業するまでこんな息が詰まるような空間に身を置かなければならないのかと戦慄した。
祖母はリビングに戻ってくると、台所で作業をしながら、私に話しかけてきた。
「深青、もう少しバイトの量を減らしなさい。」
「え?どうして?」
「隆二が払っていた施設代が浮いて、その分を仕送りとしてくれるらしいんだ。」
「隆二...って誰?」
「ああ、そういえば言ってなかったかね...あんたの叔父だよ。今まで施設代を払ってくれていたんだ。」
「そうなんだ(どんな人なんだろうか)。」
「もっと、学生は学生らしく、友達と遊んだり、勉強に専念しなさい。」
祖母は丸まった背中を見せながらそう言った。私は短く返事をして、黙った。台所の水の音、食器の音、ガスコンロの音が響く。対して、母親は音ひとつ発していなかった。私は風呂も食事も済ませたので、歯を磨いて、逃げるように寝室へ行った。明日は何事もなければ良いのだが。
第17話:記憶
12月の初め、私はスクールバスの側面の窓が結露するのを眺めて、冬を感じる。あの家から離れることができて安堵している一方で、退屈な学校生活にもどこか不満を感じる現状を、幸せとは呼べなかった。いや、呼ぼうとしなかったのかもしれないが。学校に着くと、先に学校にいて話し合っていた陽菜ちゃんと秋津君が目に入った。近づいて話しかけると、陽菜ちゃんは相変わらず元気に挨拶してくれた。秋津君も少し小声でしてくれた。何を話していたのかと尋ねると、冬休みが近いので、どこかへ行こうと話していたとの事だった。私はすぐにクリスマスの事を考えた。そして、嫌な気持ちになってしまった。
遡る事11年前、純粋無垢だった私は、サンタさんに、「お母さんに会えますように」とお願いした。しかし、当然会えなかった。目を輝かせ、胸は躍っていた私を嘲笑うように、期待は現実という粉砕機に粉々にされたのだ。祖母は、そんな私を慰めてくれていたが、きっと、私と同じくらい彼女の心中も辛かっただろう。今では申し訳なく思う。それから大きくなり、サンタの真実を知った時、失笑しながら納得した事を今でも覚えている。
「イルミネーションとかはどう?」
「いいね!!クリスマスとかに行こうよ!!」
会話は私を置き去りにして進んでいた。それも、最悪な方向に。私は嫌といえなかった。言ってしまえば空気を乱してしまうし、わがままだと思われてしまう。
「深青っちもそれでいいよね?」心臓が強く一度跳ねる。視線は彼女を直視できなかった。
聞かれてしまった。私は意を決して否定の言葉を発しようと努めたが、次の瞬間には微笑みながら、肯定していた。
「うん、いいよ。楽しみだね。」
「じゃあグループMINE作っとくね〜!あと日程とか場所とかこっちで組んじゃうけどいい?なるはやでメッセージ送るからさ!」
「わかった。」
「...お願いします」
「任された!!」
こうして、色々と決まってしまった。今更断る事は私の性格上できないし、ドタキャンなんてもってのほかだ。つまり、行くしかなくなってしまったのだ。外のカップルを見るだけで不快になるというのに、クリスマスに外出するのはともかく、デートスポットであるイルミネーションのところに行くのは辛い。それに、陽菜ちゃんがいるとはいえ、秋津君と行くのは何だか嫌だ。いや、友達だと約束してくれた彼を意識してどうする。彼を裏切るわけにはいかないのだ。当日までに、心持ちを新たにする必要がありそうだ。
第18話:同床異夢
クリスマス当日、空はすっかり真っ暗で、冷たい外を無機質な街灯たちが照らしていた。駅から歩いて集合場所に向かうと、もうすでに人影がひとつ、街灯のもとで伸びていた。
「あっ、深青さん...こんばんは。」
「こんばんは。陽菜ちゃんは?」
「急用が入ったらしく、来れないとさっきMINEが来てましたよ。」
「そう。じゃあ行こっか。」私は冷たくそういうと、足早にイルミネーションがある方へ歩き出す。最悪だ。こんな状況で、異性と二人きりでいるなんて、意識しないわけがない。おかしい。今までだったら何とも思っていなかったのに。なんで...「恋はいいものなのに。」突如母親の発言が脳内に響く。それが答えだと即座に理解した。母親から始まった否定が、母親によって矯正されていく。そんな妙な因果に、憤りを覚えながらも、必死に隠して彼と過ごす。イルミネーションは派手で、明るく、綺麗であった。しかし、ロマンチックというほどでもない。だが、隣に彼がいるだけで、軽い動悸がする。それがたまらなく不快だったが、気まずい沈黙に耐えるのも嫌で、とりあえず会話を始めてみる。**「あのさ、**
僕は原田が仕掛けてくれた二人っきりのクリスマスデート作戦にノリノリで乗った。文化祭の時も割と普通に振る舞えたため、自信が培われたのだ。緊張と期待、不安、胸の高鳴りなどが混沌と化し、よくわからないテンションのまま集合場所へ行った。集合時間より全然早い時間に着いてしまったため、家でゴロゴロしているであろう原田に暇つぶしのメッセージを送る。
「心細い、寂しい。暇」
すぐに返信が来る。
「なんか小動物みたいでかわいい」
「おい」
「嘘だよwてかゲームでもしてればいいじゃん」
「いやそれじゃあダメなんだ」
「何が?」
「お前じゃないとダメなんだよ」
「それをなんで深青っちじゃなくて私にいうかね」
「そういう意味じゃねぇ、頼りにしてるってことだ!」
「わかったわかった。まぁ頑張れ。以上。」
「はい」
MINEを閉じて、足踏みをする。結構厚着してきたのにも関わらず、冷たい横風が僕を苦しめた。風邪をひかない事を祈るばかりだ。しばらくして、やっと深青さんがきた。集合時間のちょうど5分前くらいに来たことに驚いたが、そんなことよりも、来て早々の反応に少しショックを受けた。せっかくのデート(相手はそう思っているかどうかわからないが)だというのに、あまりにクールであり、ドライな反応。まるで冬のようだ。そんなことを考えている場合ではない。目の前を行く深青さんに置いてかれないようにしなくては。
イルミネーションを二人で見ながら歩く。幻想的な雰囲気に呑まれ、その綺麗さに陶酔してしまいそうだった。こんな景色を好きな人と見られることが信じられなかった。胸がじんわりと熱くなるような感覚がして、彼女が横にいると意識するだけで気持ちが高まった。しかし、あまり会話をしていない事に気づき、話しかける。
「あの、
「えっと、深青さんからどうぞ」
「いや、秋津君からでいいよ〜」
「じゃあ、お言葉に甘えて...イルミネーション、綺麗ですね」
「そうだね。」
「それだけです。」
「そっか。実は私もそう言おうとしてたんだ。」
「えっ?そうだったんですか?」
「うん。」
「じゃあ、一緒ですね」僕は嬉しくなって、笑いながらそう言った。
「....そうね。」
急にしおらしくなった彼女の様子を見て、僕は、愛おしくて愛おしくてたまらなくなった。照れていたのだろうか、それとも嫌がっていたのだろうか。それは定かではないが、とにかく愛おしかった。
その後、定期的に短い会話をしながらイルミネーションを周り、時間があっという間に経っていった。気づけばもう7時半で、お腹が減ったので、近くのコンビニまで歩いて適当に済ませた。本当なら、お洒落な雰囲気のレストランなどでゆっくり食べたいが、お金がないのと、歩きながら食べられるものがいいと深青さんがいうのでそうした。その後、解散となった。
「今日はありがとうございました。僕は深青さんと一緒にクリスマスを過ごせて、イルミネーションを見れて、最高でした。楽しかったし。」
「私も楽しかったよ。こちらこそありがとうね。じゃあ、また来年。少し早いけど、あけおめことよろ。」
「はい。あけおめことよろです。また来ましょうね。」
「次は三人で行けたらいいね。」
「そう、ですね」
そう言って僕たちは別れた。僕は家に帰るまでに、何回も一人反省会をした。楽しくなさそうな深青さんの表情が、忘れられそうにない。暗くて見えなかったら、どれだけ良かったことか。やはり、原田も一緒だった方が良かったのだろうか。そう考えるほど、悲しく、切なくなった。夜は冷える。帰り道がとても寒そうだ。
第19話:あなたはだぁれ
帰りの電車の中、車内の明かりによって窓に薄らと映る自分の疲れ切った表情に、醜さを覚えた。もう何もかもが嫌になる。駅を降りて、自宅へ向かう最中も、嫌な靄が心を覆っていた。
家に帰ると、母親だけがいつもと同じ椅子にいつもと同じように座っていた。祖母はもう寝ているのだろう。彼女は私の顔を見るなり、いきなり目を大きく開いてこう言った。
「深青、あなた...変わりましたね。」
何が変わったというのだろうか。この人には、私の何が見えているというのか。わずかに後退りして、口を強く閉じながら身構えていると、母親は続けた。
「今日、デートしてきたのでしょう?」
「...(どうしてバレている..?)
「それなのに、前のような表情が見られない...私の諭しの賜物でしょうか。」
「...(前..?高校生になって初めて会った日のこと...?)」
「そ、そんなわけないでしょ!出鱈目言わないで!」
「あなたが一番よくわかっているはずです。」母親は席を立ってゆっくりと近づいてきた。一歩、また一歩と静かに、しかし確実に距離を詰めて来る。私は片方の足をわずかに後ろにずらして逃げようとすると、次の瞬間には「動かないで」と囁かれていた。私は指先すら動かせないような束縛感に包まれた。鼓動が早くなり、大きく耳の内側から訴えてくる。視界が縮まるような感覚がある。いつかの過呼吸より、ずっと苦しい。母親は最後の仕上げを施すように、私の肩に手を置き、囁いた。「あなたは、もう恋を否定しなくていい。自分の気持ちに正直になるの。大丈夫、力を抜いて。」そう言われた次の瞬間、膝から崩れるように倒れた。上半身は母親が支えてくれた。
「あなたは、私の娘。だからきっと、同じ選択をする。愛に溺れる。必ず。」
意識が遠のく。瞼が鉛のように重い。視界が、黒くなって、途絶えた。
「はぁっ」という息の音と共に勢いよく起き上がる。何があったのかがよく思い出せないまま、あたりを見渡す。目に映る景色は見慣れた自宅の寝室だった。安心したのも束の間、いくつかの疑問が浮かび上がって来る。なぜ何も思い出せないのか、なぜ寝室で寝ていたのか、私の身に何が起こったのか。そんな事を考えながらリビングへ移動する。すると、そこには珍しく髪を結んでいる母親の姿があった。髪型はポニーテールで、普段は見えない頸が見えていた。母親は、こちらを見て笑顔で、「おはよう、深青。」と言った。どこか儚げで、どこか貼り付けたような表情に、思わず視線をそらして低いトーンで返した。その日の母親は明らかに昨日までの母親と異なっていた。まず、よく動いた。よく言えば働き者、悪く言えば落ち着きのない人のようで、食器を運んだり、祖母が普段やっている家事を率先してこなしたり、貧乏ゆすりをしたり、頻繁に足を組み替えたりしていた。しかし、逆に変わらないところもある。私の事は必ず下の名前で呼ぶ事と、上品な振る舞いをする事だ。何か特別な理由があるのだろうか。私は黙ったまま、ため息をついた。こんな事なら、バイトを入れておくんだった。デートの翌日に働きたくないと思い、予定を空けた結果がこれとは、余計に疲れそうだ。
幕間:間違い探し
冬休みは新年の訪れから6日ほどで終わりを告げた。大晦日には年明け前に就寝し、初詣には行かず、餅もお節も食わず、淡々とした生活を過ごした年末年始だった。そして、今日は始業式。自室となっている畳の部屋で、寝巻きから制服に着替える。ストッキングもしっかりと履いて、髪を整えるために洗面所に行く。そこの鏡で自分の顔を見ていると、不思議と昨日とは異なる自分のように見える。一言で言えば、違和感。うまく言葉にできないそれは、見れば見るほど強くなる。しかし、その正体に気づく事はなく、学校へ向かった。教室に入ると、まだ陽菜ちゃんも秋津君も来ていなかった。それどころか、教室には5人ほどしかいなかった。疑問に思い、教室にある時計を見てみると、いつもの登校時間よりも30分ほど早かった。ようやくここで、スクールバスが空いていた事に合点がいった。でも、なぜこんなにも早く学校に来てしまったのだろう。いつもなら家を出る時間をスマホを見ながら、時間を調節しているのに。しばらくして、二人が一緒に教室へ入ってきた。二人を見た瞬間、久しぶりの再会に嬉しくなり、私の方から話しかけた。
「二人とも、久しぶり。元気してた?」
二人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、顔を見合っていた。
「えーっと...元気だったよ。うん。」と陽菜ちゃん。
「あっそのーまぁおかげさまで(?)」
「そうなんだ〜。良かったぁ。体調崩しやすい季節だし、お互い気をつけなきゃだよね〜」
「そ、そうだね。」
「だ、だね〜」陽菜ちゃんは苦笑いをしているようだった。
私はその後も積極的に話をした。休み時間になる度に二人の元へ行ったのだ。それにしても、なぜ二人はあんな反応だったのだろうか。考えてもどうせわからないものを考えても仕方がない。そう思い、頭を空っぽにした。
第20話:死は変化の種
僕はいつものようにスクールバスを降りて下駄箱に向かっていると、後ろから声がした。振り返ってみると、原田がいた。原田は可愛らしいマフラーを身につけていたので、その事について聞いてみると、意外な反応を見せた。しみじみとマフラーを右手で触りながら、祖母のお手製である事を教えてくれた。僕はその微笑ましい話を聞いて、体が暖かくなった気がした。その後もなんて事ない話しながら教室に入ると、深青さんが結構な勢いでこちらに近づいてきて、話しかけてきた。普段は僕たちの方から話しかけることがほとんどで、深青さんから話しかけてくる事は今までなかった気がする。それに、一番目についたのは、表情である。どこか儚げで貼り付いたような微笑みと、妙に大人びた雰囲気。深青さんは冷静だが、等身大の高校生というイメージがあったため、あまりの不自然さに、動揺してしまった。原田も同様だったようで、お互い以心伝心しているかの如く、無言で顔を見合わせた。その後、深青さんは続けて話していたが、そこにもおかしな点があった。トーンだ。そこはかとなく、普段より明るいトーン。何か良いことがあったのかと聞きたくなるような、そんなトーンだった。
朝のHRが終わり、席に座りながら次の授業の教科書やノートを下にあるスクールバックを開けて取り出す。視線は当然、下に向いていた。二つを同時に机の上に出すために上半身を元に戻し、机を見ると、視界の右上の端に、深青さんが立っているのを確認できた。僕は少し体が跳ねた。彼女の顔を見上げると、朝の時と同じだった。不気味な微笑みだ。そして、沈黙を破るために恐る恐る声をかける。
「えっと...なんで黙って見てるの?」
「いや、何でもないの。気にしないで。」
「いや、気にするよ。何が目的なの?」
「目的?そんなの、聞かなくてもわかるでしょ?」
「...(聞かなくてもわかる?そんなさも当たり前の事なのか?)」
そこに原田がきた。僕には彼女が救世主に見えた。この空気を変え、なおかつ良い方向に話を進められるのは原田しかいない。
「え、これどういう状況?」
「あ、陽菜ちゃん。気にしないで。何の問題もないから。」
「いや、問題の有無じゃないというか...質問の答えになってないんだけど...」
「原田、助けてくれ」
「いや、そう言われても...」
「助けを求める必要性なんてないでしょ?だって、私は何もしてないんだもの。」
このような噛み合わない会話が休み時間が終わるまで続いた。やはり普通じゃない。距離感も若干おかしい。どうすれば元の深青さんに戻ってくれるのだろうか。いや、原因もわからない現状で、何を考えているのだろう。しかし、今の深青さんには正直あまり魅力を感じない。いや、感じようとしていないのだろうか。そもそも、魅力を感じるか否かを見定めている場合ではないのかもしれない。とにかく、明日になれば治るだろうと信じて、今日は耐えよう。
退屈な授業を4つ受けて、ついに昼食の時間が来た。いつもなら嬉しいこの時間も、今日は辛いの一言に尽きる。原田がいるとは言え、彼女すらお手上げ状態なのだから弱った。いつものように机をくっつけようとした時、深青さんが澄んだ声でこう言った。
「今日はひとつの机に三つの椅子を寄せて食べましょう。」
「そ、そうだね。」
「まぁ深青っちがそうしたいなら...」
「ありがとう〜。」
こうして、いつもより距離が近い状態で昼飯を食うようになった。
「秋津君、美味しい?」
「えっ..まぁ美味しいですよ。」
「そう、良かった。」
「....」原田は何も言わずに僕を見つめた。言いたい事はわかるが、見つめられても困るので、首を縦に小さく振って止めるようアピールした。すると彼女は、同じように頷いて俯いた後、箸を動かし始めた。だし巻き卵をひとつ摘んで食べ、じっくりと味わっている様子を見て、閃いた。
「深青さんは、可愛らしく食べますよね。」
原田はそれを聞いた途端に咳き込み、水筒の中身を急いで流し込む。一方言われた本人はおっとりしていた。微笑みを浮かべて、「そう?ありがとう〜」とだけ言った。しかし、これだけでは確証が持てなかったので、やるしかないと覚悟を決めた。言えば確実に嫌われ、拒絶され、距離を置かれるような禁句。それを、彼女に真正面から言う、僕の生涯の中で、前例がないほどの大博打。拳を握りしめ、呼吸を整えながら冷静を装い、「深青さんのそういうところ、好きです。」と言った。
深青さんは、深青さんではなくなっていた。
「なんだか照れちゃうな...でも、嬉しい。ありがとね。」
「ちょっとお花摘みに行って来るね!おい、あんたも来い。」
「はっ、はい!」
「いってらっしゃ〜い」
原田について行き、学校の裏までやってきた僕たちは、真剣な表情で向き合った。僕が謝ろうとしたその時、頬に強い痛みが走った。原田は真剣な表情を崩さず、右手を見つめていた。
「ごめん。」僕が左頬を手で押さえながらそう呟く。
「あんたの意図はわかるよ。深青っちの状態を確かめようとしたんでしょ?」
僕は頷く。
「でも、だからって軽々しく『好き』なんて言わないで。結果的に良かったけど、最悪な事態を想像したら、目も当てられないよ。」
「はい...」
「相手も悪戯に傷つけるし、あんただって傷ついてた。それだけの事をしたんだ。ちゃんと反省しろ。」
「...すみませんでした。」
「....はぁ、わかったなら良い。」
「...」
「...あの反応からして、深青っちは死んでしまったね。」
その場にしゃがみ込む。その言葉が、心に突き刺さって、抜けない。原田はゆっくりとしゃがんで、そんな僕の背中に手を置いてくれた。言葉はなかった。しかしだからこそ、指先一本一本から伝わる優しさと、掌から溢れる善意が、心で感じられた瞬間だった。風の冷たさにも、負けないほどの暖かさを、彼女はくれた。
あとがき
「19歳無職、小説を書きました。」をお手に取っていただき、本当にありがとうございます。
突然ですが、第一巻発売を記念して、初期設定およびキャラクターの詳細をほぼ原文ママ書きます(一部ネタバレが含まれるので、そこは消しております)。
主人公:秋津源一郎高一になったばかりの16歳。誕生日は4月3日。身長は162cmで小柄。性格は内気で人見知りが激しく、友達も片手で数えるくらいしかいない。メガネをしていて前髪はオン眉。どうせ自分は恋愛なんて無縁だと諦めている一方で、それを切に望んでいる。好きなものはラノベ本 血液型はO型
ヒロイン:陶深青
陶晴賢の子孫ではないのだが、よく勘違いされるため自身の苗字が嫌い。一人で本を読んでいたり、目を離した隙にふらっとどこかに行っているようなポニテの少女。(性格はマイペースでおとなしい。)齢16。身長は169cmと大きいが、胸が控えめなため全体的な印象はスレンダー。誕生日は5月10日。血液型はO型。好きなものは綺麗なもの
原田陽菜
よく漫画とかに一人はいるハイテンション回し役。焼肉の時には奉行、学校行事では委員会、リーダーを決める際に真っ先に手を挙げるタイプ。勘が鋭かったり、人の事をよく見ている側面もある。髪型はショートで体型は特徴なし。16歳、誕生日は7月29日、B型身長は159cm。好きなものはお茶
舞台:現代日本
あらすじ
淡々と日々を過ごしていた秋津はある日、一度も喋ったことのない陶深青と接触した。その日からというもの、秋津は彼女を見ると心がざわめいてしまうように...。この気持ちが恋なのだと悟るが、自己肯定感の低さから相手に申し訳ないと思い告白をせず、さらには自ら接触もしないと言うラブコメとは思えない展開へ
そこに助け舟を出すのが追加キャラ(原田陽菜)ですよ。秋津の気持ちに気づいている旨の発言をする陽菜に頷くと、彼女は秋津を無理やり連れて陶深青に話しかける。それが何回かあって3人で話すような仲になり、気を遣って2人にしてくれる陽菜だったが、なんだか気まずい。
改めて見返してみると、初期設定の少なさと大きな差異に驚かされます。この時点では深青の母親も祖母も、隆二も出てきていない訳ですからね。
紆余曲折あっての今があると思うと感慨深いです。余談ですが、個人的に曇らせというか、負の感情を抱える人間が好きで、そういうシーンを描くのは特に楽しかったです。
長くなりましたが、そろそろ締めとさせていただきます。
少しでも読んでくださった方々が面白いと思ってくださっていれば幸いでございます。
次巻も、お楽しみに。(と言えるのも読者の皆様の応援あってこそです!ありがとうございます!)




