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石川鈴夏探検隊

 買い出しを終えたわたしたちは、コテージのある遠野に向かった。

 ユヅキさんの運転する車は山道をぐねぐねと進む。

 車の窓から木々の濃い緑色や、それらの作り出すくっきりとした影を眺めているだけで、理由もなくどきどきした。

 大きな木の看板がかかっている入り口を入ると、砂利の敷き詰められた敷地に立派なコテージが建っているのが見えた。その前に一組の男女が立っている。

 車から降りたわたしたちを出迎えてくれたのは、ユヅキさんの元バンドメンバーの三崎さんと、その奥さんの静さんだった。

「お疲れ! 今年は賑やかだなあ!」

 三崎さんはヒゲでもじゃもじゃな顔を綻ばせて、柔らかいトーンの声で言った。

「いやー、昔はこれくらいの移動、なんともなかったのになぁ。これが老化ってやつかね」

 ユヅキさんは思い切り伸びをしながら苦笑した。

「またヒゲ伸びました? しーちゃん、ちゃんとトリミングしてあげてる?」

 萌音さんが茶化すと、

「今、生え変わりの時期なのよ」

 小柄で可憐な雰囲気の静さんが、その印象と名前を裏切るようなダミ声で豪快に笑った。

「こんにちは。遠い所、よく来てくれたね。えっと、あなたが根岸さん? いつもユヅキから話、聞いてるよ」

 三崎さんはまっすぐにわたしの前に来て、右手を差し出した。

「はい、えっと、お招きいただいてありがとうございます」

 慣れない握手にそわそわしながら頭を下げた。そんなわたしを見て三崎さんはぷっと吹き出し、「こら」と静さんが低い声で怒って三崎さんのお尻を蹴った。

「いや、ごめんごめん。だってあまりにもそっくりだったからさ、昔のユヅキに。あ、ごめんね、あんなのと一緒にして」

 三崎さんはまだくすくすと笑いながら頭を掻いていた。そのお尻に今度はユヅキさんのキックが飛んだ。

「余計なこと言わなくていいんだよ!」

「あははは、確かにそっくり。わっかりやすいなぁ、ユヅは」

 静さんも目を細めてわたしを見て笑う。

「だよね? 私もびっくりしちゃったもん」

 萌音さんが相槌を打った。

……わたしがユヅキさんに似てる? むしろ逆の人種だと思うんだけど。

 見た目だって、寸詰まりのわたしとほっそりしたユヅキさんでは随分違う。

「あ、これ、妹のネル」

 萌音さんに背中をぐいっと押されて、ネルちゃんはちょっと恥ずかしそうな、不機嫌そうな顔で一歩前に出た。

「やだーー! ちっちゃくてかわいいーー!! ネルちゃん、初めまして!」

 静さんは黄色い声を上げながらネルちゃんに抱きついた。

「はじめまして。お世話になります」

 おお、借りてきた猫のようだ。ネルちゃんは殊勝に頭を下げている。

「で、こっちが私の師匠の石川先生」

 萌音さんに紹介されて、

「先生はやめてください! 石川です、よろしくお願いします。櫻木さんとは、まあ、いろいろと」

 石川さんは困惑しつつ、ごにょごにょと口ごもった。

「ああ、同人仲間なんでしょ? すごいらしいね、いろいろ武勇伝、聞いてるよ」

「おい!」

 ど直球を放り込んできた三崎さんはまた奥さんに蹴られた。

「仲間なんて、そんなとんでもない! 私はすずちゃんのいちファンで」

「櫻木さん、やめて……」

 大真面目に謙遜する萌音さんの横で、石川さんは顔を赤くして懇願している。

「こっちはここいのお友達の……ここいの唯一のお友達の、深杜ちゃん」

 ユヅキさん、なんで今言い直したんですかね?

「お邪魔します! コテージ、すっごい素敵ですね!」

 深杜はいつも通り明るく言った。

「この良さ、わかる!? 嬉しいなあ! 俺、良い子にはめっちゃサービスしちゃう!」

 三崎さんは深杜の手をがしっと握ってぶんぶん振った。

「おまえ、女子高生の手、握りたいだけだろ」

 ユヅキさんが白い目で見ている。


 今回も萌音さんがわたしたちの荷物をてきぱきとコテージに運びこんでくれて、その姿にわたしはうっとりと見惚れ、ネルちゃんはまた少し不機嫌になった。

 三崎さんは山男みたいな見た目に反して「腰が、腰が」と悲鳴を上げながら手伝ってくれた。

「じゃあ、明日の昼過ぎに迎えに来るからなー! 火の元、気をつけろよー! 何かあったら管理人さんにすぐ電話しろよー! 歯、磨けよー! あと、いかがわしいことすんなよー!」

 荷物を降ろし終わると、ユヅキさんは余計なことばっかり言いながら、萌音さんと三崎さんご夫妻を乗せ、宿泊予定の花巻に戻って行った。

 明日はユヅキさんは朝からスタジオに篭り、萌音さんは市内を観光するそうだ。



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



 二階建てのコテージは広々としていて、綺麗だった。

 壁も床も木材そのままで、木のにおいがして、暖色の照明がよく調和していた。広々とした居間には、使えるのかどうかわからないけれど暖炉まである。

 もうひとつの部屋には、わたしたちのために用意してもらった機材、アンプ数台にドラムセット、キーボード、マイクスタンドが置かれていた。

 それらの機材は普段は倉庫に眠っていて、今日のようにバンドマンが泊まりに来た時には無償で貸しているのだという。

 三崎さんは「年寄りバンドマンは若い子を助けなきゃ」と笑っていた。

 わたしも将来、そんなことを出来るようになるのかな?

 ……全くもって自信がない。


「あぁーーーーーーつかれたーーーー」

 2階のベッドルーム。

 運転してくれている大人二人の手前、決して言えなかった言葉を長~く吐き出しながら、わたしたちはベッドに突っ伏した。硬めのスプリングのマットレスで身体がぼよんと弾んだ。

「あれ? すず姉? ……すず姉、死んでる!」

「うぅう、ちょっと休ませてぇ……」

 石川さんは山道のぐねぐねでしっかり車酔いしていた。

 三崎さん達の前で平然としていたのは、やせ我慢していただけだったらしい。

「ここい、これからどうしよっか?」

 ベッドに寝転がりながら、深杜は隣のベッドのわたしに顔だけを向けて訊いた。真っ黒い瞳が半月みたいに、楽しそうにきらきらと光っている。

 わたしは何故か少しだけ照れくさくなって、枕に顔をうずめた。

「ももももも、ぶももも?」

「聞こえないよ」

 深杜が呆れたように言った。



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



「いやっふぅぅぅううううう!! きんもちいいぃぃいい!!」

「みもりぃぃいいい!! あぶないってばぁあああ!!」

 坂道を転がるように自転車ですっ飛ばして行く深杜に、わたしは必死の形相でなんとかついて行く。

「あっはははははははは!!」

「ひぃいいいいいいいい!!」

 後ろからはケタケタ笑うネルちゃんの声と、石川さんの悲痛な叫び声が聞こえる。


「……カッパがいるらしいんですよ」

 石川さんが神妙な面持ちでおかしなことを言い出したのは、つい30分程前のことだった。

「カッパ〜? あの、頭にお皿載せて、しりこだま引っこ抜く、カッパ?」

 深杜が不信感をあらわにして訊いた。

「相撲ときゅうり大好きな、そのカッパです。『カッパ淵』。ここからすぐの所ですから、行ってみませんか」

 石川さんの眼鏡があやしく光った。

 彼女は岩手まで来る道すがら、準備の良いことにガイドブックを読みこんできたらしい。

「すず姉、オカルトも行ける口なんですよ」

 ネルちゃんがわたしと深杜にこそこそと耳打ちした。

「あの、回転寿司屋の地下で強制労働させられている、カッパですか?」

「ちょっと根岸さん、ふざけないでください」

 石川さんは厳しい目つきでわたしを睨んだ。

 ご、ごめんなさい。基準がわからなくて。

「えー? でも、せっかくだからバンド練習したいな」

「わたしもちょっと疲れちゃったから、パスかな〜」

「蚊に食われそうですねぇ」

 乗り気になれず、みんなでぐだぐだ言っていると、

「一千万円です」

 石川さんは人差し指を立て、眼鏡をきらりと光らせた。

「カッパ捕まえると、懸賞金一千万、出ます」

「…………」

「…………」

「…………」

「カッパどこじゃぁぁぁああ!!」

「きゅうり持っていこう! きゅうり!!」

「お相撲はちょっと自信ありますよ、あたし!!」



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



 そんなわけで我々探検隊は、コテージのレンタルサイクルを漕いで、河童伝説の残る秘境、カッパ淵へと足を踏み入れたのだった!

 周囲は鬱蒼と木々が生い茂り、夏だというのにひんやりとして薄暗い。

 涼し気な音を立てる小川から、いつヤツが飛び掛かってくるかわからない。

 我々は慎重に歩を進めた。


「気を抜いちゃいけませんよ、みなさん」

 先頭に立った石川隊長が、きゅうりを握りしめて緊張の面持ちで言った。

「奴め、一体どこに潜んで……あ、こんにちは」

 すれ違った家族連れに挨拶する鶴見隊員。

「隊長~! か、かっぱの像です!!」

 双眼鏡を覗き込みながらネルちゃん隊員が声を上げた。

 前方に小さなお社が見える。そしてその前にはカッパの像が祀られており、足元には(おびただ)しい数のきゅうりがお供えしてあった。

「やはりここの部族は、かっぱを崇拝しているようですね」

 わたしが声をかけると、石川隊長はうむ、と大きくうなずいた。

 その時であった!

「危ない!!」

 かっぱの像に触れようとしたネルちゃん隊員の手を、鶴見隊員がぺしっとはたいた。

 見れば、かっぱの像の頭の皿の辺りに、毒々しい色の甲虫がとまっている。

「こ、これは、カメムシ……!」

 我々は息を呑んだ。

 気づかず触れていれば、お手々が臭くなってしまうところであった。一瞬の油断が命取りになる。まさに危機一髪であった。

「気を引き締めて行きましょう!」

 石川隊長が皆に声をかけた。

「はい!」

 我々の探検隊ごっこは、石川隊長の気が済むまで続くのだった。


「……ここかな? あ、看板立ってる」

 それは小さな池というか、川というか、確かに淵だった。

 そこに「カッパ淵」と看板が立ててあって、おじさんが一人、釣り糸を垂らしている。もちろんその糸の先にはきゅうりがついていた。

「釣れますか?」

「いや〜、今日はダメだね〜」

 まるで休日の多摩川みたいなほのぼの会話を繰り広げる、ネルちゃんとおじさん。

 石川さんは興味深そうにあちこち見ながら写真を撮りまくっている。

「石川さん、せっかくだからカッパ釣りして下さいよ」

 わたしが促すと、

「え? 私、いいんですか? では、僭越ながら」

 おじさんの横で糸を垂らして、満足げな石川さん。

 可愛いやつめ。

 わたしたちは代わりばんこに竿を持って、写真を撮った。

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