やぶからぼう
「岩手行こうか、ここい」
いつものバイトの休憩時間。賄いの豚汁をフーフーしているわたしに向けて、ユヅキさんはにこにこしながらそんな事を口走った。
「え、行きませんけど」
行く理由なんてなかったので、当たり前にわたしは拒否した。
「まあ、待ちなさいよ。まずはお姉さんの話を聞きなさいって」
「あの、だったら最初っから順序立てて話してもらえませんかね? その誘い受けみたいなやつ、マジ面倒臭いんですけど……殴った! この人、わたしを殴った!」
「だってごちゃごちゃ言ってるから! あはは!」
ユヅキさんは拳をプルプルさせながらあっけらかんと笑った。
「あははじゃないでしょ、パワハラ先輩」
「あたしの地元って岩手なのよ。で、毎年今ぐらいの時期に帰ってるんだけどさ」
「そういえばユヅキさんて宮沢賢治好きでしたよね。それでですか」
「そうそう! 毎年、賢治力の補給のために」
なにその謎エネルギー。原子力みたいに言うな。
……あれ? そういえば、前にユヅキさんにもらった文庫本、どうしたっけ。
あ、学校のカバンに入れっぱなしかも。先輩が先輩なら後輩も後輩だったわ。
「のんびりできそうでいいですね、岩手」
「でも、行くの遠いし、しんどいし、退屈でさあ」
「新幹線だか銀河鉄道だかでパパッと行けば良いじゃないですか」
「いま軽くディス入ったよね? ……まず、ユヅキさんは金欠です。車なら(割り勘したら)安上がり」
「えっ? 高校生からガソリン代取るつもりだ、この人こわい」
「友達がコテージ持ってて、そこを貸してくれるっていうからさ、バンドのメンバーと泊まればいいじゃん。山ん中で周り何にもないから、楽器弾き放題。バンド合宿だよ〜? どう、ここたん? 楽しそうじゃない?」
「……それは、まあ、そうですね」
正直に言うと、くやしいけど、めちゃくちゃ楽しそうだった。どちゃくそわくわくしていた。もうすぐ夏休みだし。
お察しの通り、友達のいないわたしは友達と旅行なんて行ったことないのだ。
「ネルの姉ちゃんのモネも一緒だけど、あたしたちは友達んとこ泊まるからさ、あんたらは伸び伸び好きにしてていいから」
「ネルちゃんのお姉さんもですか」
「そうそう。ネルにも話したら『え〜、じゃああたし、ここいしぇんぱいが行くんなら行きましゅ!』ってさ」
「ネルちゃんはそんなアホの子みたいじゃないです!」
「ちなみに石川ちゃんは『まあ、皆さんが行くというのでしたら、まあ、私としては、やぶさかではありませんけども、キリッ』だって」
「……あ、そっちはちょっと似てた」
「8月の頭、2泊3日ね。いやー楽しみだねぇ!」
ユヅキさんが勝手に満足そうにしているので、わたしはちょっと逆らいたくなって、
「えー、しんどいなぁ、どうしようかなぁ」
なんてゴネていたけど、実のところ心はもう遥か岩手の地に飛んでいたのだった。
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
「行く。絶対行く」
教室で、わたしの前の席に逆向きに座り、背もたれに手を載せた深杜は、わたしがその岩手行の話を終える前に、食い気味に返答した。
鼻息が荒くて、目がバキバキにキマッている。
まあ、あんたはそう言うと思ったけど。
「旅行できて、一日中演奏し放題なんでしょ? 行かないわけないじゃん。噂のユヅキさんにも会ってみたいし」
「本当? 普通に車で七時間とか、かかるよ? しんどいよ?」
「ドライブ好き! サービスエリア好き!」
「渋滞も?」
「渋滞きらい……」
何この可愛い生き物。
「あれ? でもさ、練習っていっても、機材はどうする? アンプとか、ドラムとか……向こうでレンタル?」
あ、やっぱり気づかれたか。
「実は、その辺は全部、コテージに用意して頂いてます」
「え、ほんとに!? なんでそこまでしてもらえるの?」
「ただし、代わりに条件がひとつ」
そう、ユヅキさんの提案には、案の定ウラがあったのだ。
わたしたちに課せられた交換条件、それは――
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
「ライブ、やるんですか!? 向こうで!?」
いつものスタジオ『リディアン』に、石川さんの若干非難めいた声が響いた。
「うーん、ユヅキさんが言うには『身内ばっかだから心配すんな』らしいんですけど」
なぜかわたしがフォローを入れる形になった。
あの人、やっぱりちゃんと説明してないじゃないか!
ユヅキさんのインディーズ時代のバンドで久々にライブをやるらしくて、その前座として2,3曲やってくれという話だった。
「え、いい話じゃないですか! やりましょうよ!」
「タダでライブまで出来るの、最高じゃんねぇ」
ポジティブ組のネルちゃんと深杜は呑気に顔を見合わせている。
「そうは言いますけどね、私たちに興味無い、初見の、ちょっと年齢層高めの、しかも岩手の人たちの前でやるのって……初陣にしてはトリッキー過ぎません?」
「……ほら、恥かいても岩手での話ですから。やらかしちゃったら金輪際近づかなければ問題ないんじゃないですかね?」
ネガティブ組の石川さんとわたしは思いっきり後ろ向きな話をしている。
「まあ、確かに何の曲をやるかはちゃんと考えないとね」
ちょっと冷静になった深杜の言葉に、
「そうですよ。根岸さん節全開のエキセントリックな曲を演奏した所で、会場がポカーンってなるのは目に見えています」
若干ひっかかったけど、石川さんの言うことは至極真っ当だ。
わたしだって会場ポカーンは避けたい。いくら自分のやりたい事しかやりたくないとは言っても、最低限状況に合わせた曲を選ぶ位の分別はあるのだ。
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
それからしばらくの間、ライブに向けてわたしたちは練習に明け暮れた。
「ネル、大サビはもっとドコドコ叩いていいんじゃないかな?」
「そうですか? じゃあちょっと変えてみます」
「ごめんなさい、根岸さん、ちょっと音、ぶつかってるみたいだから調整しましょうか」
三人が楽器を手に、わたしの書いた曲について、ああでもないこうでもないと話し合っている。
不思議な光景だった。
ほんの何ヶ月か前までは、カーテンの閉まったままの一人の部屋で黙々と曲を作っていたのに。
それはきっとわたしの本質で、これから先も変わらないだろう。
けれど、こうしてみんなと音楽について話し合うのも悪くない。
将来的にわたしはどちらを選ぶのだろう。それとも、もっと別の方法を取るのだろうか。今はまだ想像すらつかない。
どうせなるようにしかならない。
わたしはどこか他人事のようにそう考える。
それにしても。
心配はまるでしていなかったけれど、二人があっさりと深杜を受け入れてくれて本当に良かった。
――――数日前。
『わたしの友達、一緒にやりたいって言ってくれてるんだけど、連れて行っていい? ギターと歌がバリ上手い、ぴっちぴちの16歳のかわいこちゃんなんだけど』
わたしがアピール完璧なセールスメッセージを送信すると、二人は秒で返信してきた。
『ここい先輩、友達なんていたんですか!?』
『根岸さん、友達いたんですか!?』
心配してくれてありがとうね。ちくしょうめ。
『連・れ・て・行・っ・て・い・い?』
『いや、無理しないでください』
『詐欺メールとかに騙されてません?』
よし、了承は得られたな。わたしは憤怒の表情でスマホの画面を消した。
――――そしてその翌日。
確かにわたしにも、深杜という強キャラを自分の友達として二人に紹介する、という行為に、優越感に似た感情はあったのだけど。
待ち合わせ場所に現れたふたりは、そりゃもう目を大皿のようにして、金魚のように口をぱくぱくさせて絶句した。その様子はなかなか痛快なものがあった。
「嘘じゃなかったんだ……」
「なんでこんな綺麗な人が……」
「えっと、よろしく! 深杜です。石川さんと、ネルちゃん?」
深杜はあまりにも爽やかに初対面の挨拶をした。
ネルちゃんは美術館の展示品でも見るように、無遠慮に近づいてしげしげとその造形を鑑賞している。今にも『このへんの躍動感が良いですなあ』とか言い出しそうだった。
「あっ、あのっ、本当に、あたしたちみたいなへっぽこ弱小バンドで、本当に良いんですか!?」
石川さんは深杜の醸し出す強者のオーラに、明らかに腰が引けている。
「私がここいにお願いしたんです、ギター弾かせてって。もちろん合わせてみて、合格だったらでいいですから」
深杜はちらっとわたしを見ながらそう答えた。
二人はそれぞれオーマイガ、アンビリーバボーと言わんばかりに首をぷるぷる振っている。
「どう? わたしの友達はすごいでしょう? 深杜はわがクラスのアイドルなんだから! ふふん」
わたしは金持ちのバカ息子みたいな情けない自慢をした。
「ここい、私ってここいの友達なの?」
深杜にきょとんとした目で問われて、わたしは硬直した。
「ゔぇ!?」
「冗談だよ、そんな顔しないでよ~、あははは」
拳を振り上げたわたしをあざ笑う深杜。
「深杜さんて、おしゃれですね。仲良くしてもらえたら嬉しいです。えへへへ」
ネルちゃんは見たことのない、はにかんだような笑顔でデレデレしている。そうかそうか、やっぱりそうやって誰にでもなつくんだねキミは。
「かわいいなぁも~! 私、妹欲しかったんだよ~! ネルちゃんは中3? 受験とか大丈夫なの?」
深杜はネルちゃんの左右のほっぺたを両手でサンドしながら訊いた。
「一応、エシュカレーター式ってやちゅなんで大丈夫です! そんな心配してくれたの、深杜さんだけでしゅよ!」
ほっぺを潰されたままで、ネルちゃんは非難するようにこっちを見た。完全にわたしへの当てつけだった。
気遣いができない女ですいませんね。
「深杜さんとネル……みもネル……これはつよつよビジュアルですね……」
石川さんは胸の前で両手を組んでうっとりしている。
すいませんね、よわよわビジュアルで。
もちろんその後のスタジオ練習でも、深杜は各種スキルを遺憾なく発揮して、この弱小バンドの救世主として、二人におおいに歓迎されたのだった。