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それから

「ここい、これあげる」

「ひっ!!!」

 突然首筋に冷たいものを押し付けられて、心臓が止まりかけた。

 椅子をガタンと鳴らして振り返ると、そこには缶コーヒーを持った鶴見さんが真顔でつっ立っていた。

「ちょっと!」

 勘弁してほしい。ただでさえ人に触れられるのは苦手なのに、不意打ちは。

「なんか、紅茶買ったら出てきた。私コーヒー飲めない」

 彼女はこの世の終わりのように、悲しげに言った。

「……業者さんの入れ間違いかな? じゃあもらっとく。ありがと」

「私のお金……」

「てか先生に言っといたほうがいいよ。次の犠牲者が出る前に」

「さっき言ってきた。今日来てた業者さんに電話するって」

「じゃあこれ返品したらお金返してもらえるよ」

「そうなの?」

「バイト先のお店の前に自販機あるんだ。たまにあるよ、こういうこと」

「じゃあ返金してもら……って、おい、飲むな!」

「あはは、たまに飲むと美味しいね、コーヒー」

「もう、今度おごってよね」

 鶴見さんは頬を膨らませてそう言って、自分の席に戻って行った。



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



 横浜駅前のファッションビルの脇の通路にはずらっとベンチが並んでいて、ちょっと腰をかけられるようになっていた。

 そこには毎日、時間はあるけれどお金のない若者たちが、電線のスズメのようにたむろしている。

 御多分に洩れずそういった若者の一員であるところのわたしたちもその一角に腰掛けて、スタジオの時間までの暇つぶしをしていた。


「石川さん、これ、書いてきました」

 わたしは石川さんにそう言って、B5のルーズリーフの束を手渡した。

 石川さんはそれを受け取って、うんうん、と頷いた。

「ありがとうございます。助かります」

 それはわたしの全部の曲のコード進行と、ちょっとした決め事だけをまとめた紙だった。別にメールで送ってもよかったのだけど、演奏するには結局、紙ベースのほうが扱いやすい。

 結局あの後なし崩し的に——けれどとても自然に、わたしたち三人はバンドを組むことになった。

 とはいえ今のところは目的も目標もない。ただ一緒に演奏するということ、今はそれしか考えていなかった。

「ベースラインとかオカズとか、全部石川さんにお任せします。もう1から作り直すつもりで、好きに弾いてみてください」


 結局、餅は餅屋ということが前回のスタジオで身に染みてわかった。

 ネルちゃんにしろ、石川さんにしろ、わたしなんかより遥かにそれぞれの楽器の引き出しを多く持っている。

 石川さんのベースの腕前もよくわかったので、ベースに関しては彼女に全面的にお任せすることにしたのだ。


「わかりました、私なりにやってみますね。気になる所があれば言ってください」

 気になる所。気になる所、ね……。

「じゃあ、あの、石川さん」

「何ですか?」

「あのですね、こんなこと、訊いていいのかわからないんですけど……」

「遠慮なくどうぞ」

「『ラ・ケブラーダ』って何ですか?」

 わたしは彼女の着ているTシャツに、雄々しいフォントででかでかと印刷されたカタカナを指差して、訊いた。

「ああ!! これですか!?」

 石川さんはちょっと嬉しそうに文字の書かれたシャツの胸元をつまんで引っ張った。

「プロレス技ですね。カテゴリーとしてはいわゆる空中殺法、飛び技になります。トップロープに飛び乗り、そこから場外に向けて後方宙返りをしながら体当たりする大技でして、オリジナルは……」

 あ、この人、やっぱりそっち方面の人だった。てか振れ幅がやべえ。

「ここい先輩、すず姉にプロレスの話題振っちゃだめですよ……」

 ネルちゃんは非難するような口調で言った。

「わ、わたしのせい!? っていうかこれ、この間の石川さんと同じ人だよね!?」

「あの日は知らない人と会うからよそ行きだっただけで、こっちがデフォっす」

「えぇぇ……」


 今日の石川さんは黒縁メガネで、長髪を無造作に真ん中分けにして、デニムを履いて、上は白地に赤文字の『ラ・ケブラーダ』Tシャツの上にパーカーを羽織ったラフな服装だった。


「……近年のプロレスブームの再燃は、やはりビジュアルが洗練されたこととショーとしてのプロレスに振り切ったことで、女性人気が爆発したことが原因でしょうね。実際現場にも若い女性が増えましたし。体脂肪率低い半裸のイケメンが嫌いな女子はいませんからね」

 めちゃくちゃ早口でぺらぺら喋り続けている。うーん、息はいつ吸ってるんだろう。

「ふ、ふぅん、そうなんですか」

「そうだ! 今度一度ご一緒しましょう! 現場は良いですよ! 配信でなんでも見られる今の時代だからこそ、興行の良さが再認識されていると思うんですよ。ちょうど今、ジュニアヘビーの大会がいだだだだだだ!!」

 ネルちゃんはにこにこ笑いながら石川さんのあばらの辺りを肘でぐりぐりした。

「すず姉、その辺で、ね?」

 その言葉に石川さんは我に返ったようだった。

「わ、私、また何かやっちゃいました……?」

 すげえ、そのセリフ実際に言う人、初めて見た……なんか使い方が違う気がするけど。

「今はバンドの話、しましょう?」

 ネルちゃんの言葉に、石川さんは目に見えて凹んで、上目遣いにわたしを見た。

「すいません、私キモいですよね? 嫌われちゃいましたよね? もう駄目だぁ……」

「そんなことないですそんなことないです! 今度、ゆっくり話聞かせてくださいよ! ね!?」

 わたしは両手と頭をぶんぶん振ってフォローした。

 石川さんは涙目で、顔を赤くしてそんなわたしを見つめた。

「社交辞令ですよね……?」

「わたし、人の好きなものの話聞くの、好きですよ」

 わたしはそう言って笑った。

「根岸さん……やだ、優しい……」

 石川さんは頬を赤らめている。

「ここい先輩、甘やかしすぎですよ」

 ネルちゃんが冷たい目線と声で言った。

「でもわたし、そんなに堂々と好きな物の話、人にできないもん。すごいなって」

「……まあ、それは確かにそうですけど」

 わたしの言葉に、ネルちゃんはちょっと石川さんを見つめたあとで、そう答えた。



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



「バンドやってみて、どうよ?」

 『牡丹』のロッカールームで、ユヅキさんがエプロンを首にかけながら雑に訊いてきた。

「それが、びっくりしたんですけど、バンドってめちゃめちゃ楽しいんですよ」

 わたしの言葉に、ユヅキさんはぷっと吹き出した。

「うん、知ってる。真顔で何言ってんのよ。でもよかった。今まで通り、全部自分の思い通りにはいかないだろうけど、それでも楽しい?」

「そこが楽しいです。わたしにない発想がどんどん出てきて」

「ネルはどうだった? 可愛いやつでしょ?」

「……まあ、可愛いのは間違いないんですけど、なんていうか、良い子すぎて、眩しいです」

 人懐っこくて影が無いネルちゃんは、わたしとは真逆の人間だった。

「ほら、なんていうの……アニマルセラピーみたいな。癒されない?」

「ユヅキさん、暗い人間が明るい人間に癒されると思ってるんなら勘違いも甚だしいですよ。逆です。自分の駄目さを再認識して凹むんですよ。ましてや年下だし」

「ここいは全然暗くないと思うけどな」

「ほんとですかぁ?」

「ただの小心者。そのくせ無茶なことして、人一倍心配もする。向こう見ずっていうか、マッチポンプっていうか」

「ユヅキさんてほんと嫌なこと言いますよね」

 わたしは思いっきり苦い顔をした。


 わかってる。わたしの駄目な所は、全部臆病さが原因になっているのだ。

 人に嫌われたくないから関わりたくない、否定されたくないから意見を求めない。面倒くさいと思われたくないから、弱みを見せられない。

 対してネルちゃんはわたしとはまるで真逆で、人に裏切られることも、拒否されることも何も恐れていない。

 だからこそ屈託なく人を好きになって、平気で近づける。


「ここいはそこが可愛いんだよ。キジも鳴かずば撃たれまい、なのに、ケーン! と鳴かずにはいられず、撃たれないかびくびくしてるのが君だ」

「可愛くなくないですかそれ別に」

「だからいずれショットガンで撃たれる前に、あたしが豆鉄砲で慣らしてあげてんのよ」

「撃たれるのは決まってるんですね……てかハトになってるし」

「その時にネルみたいな子が側にいると、癒される……のかなぁ?」

「しらねえよ!」

 辛辣に突っ込むとユヅキさんはケラケラ笑った。

「おー怖い。まあ……逆に言うとネルのことを、ここいに頼みたいって事でもあるのよ」

「わたしにって、ネルちゃんにはわたしみたいなの、必要ないでしょう。あんな明るくていい子」

 ユヅキさんが何を言っているのか、わたしには全然わからなかった。

「明るくていい子、ね。それはそうよ。でも忘れちゃだめよ? あの子はたかだか中3の小娘なんだから。どれだけしっかりしてそうでもね」

 ユヅキさんは何か含みのある言い方をした。


 ネルちゃんはああ見えてなにか訳ありなのだろうか? 何となくその先は聞かない方がいい気がして、それ以上追及はしなかった。


「でも、驚いたよ。ネルはともかく、石川ちゃんまでここいとやるなんてさ」

「知り合いなんでしたっけ」

「友達の友達って感じ。あたしの大学時代のサークルの友達がネルの姉ちゃん、櫻木萌音(モネ)。石川ちゃんはその友達。なんかほら、夏と冬の有明方面のアレ、その関係らしいけど」

「ああ、やっぱり」

 プロレスオタクなのは知ってたけど、そっちも行けるんだ。手広いことで。

「あの子、また音楽やる気になったんだね。ここい、お手柄じゃん」

「そうなんですかね?」

 どの辺りが彼女の琴線に触れたのかは、正直わからなかったけど。

「ネル、超喜んでたよ。すず姉がベース弾いてくれたって、エライ興奮して。ここい先輩すごいんです、運命の人なんですよ~って、そりゃもう熱烈に」

「まあ、わたしの魅力ってやつですかね」

「ビビりまくってたくせに~」

「……うーん、もちろん嬉しいんですけど、褒められれば褒められるほど、なんか疑心暗鬼になっちゃって。ネルちゃん、可愛いし良い子だし、ドラムも凄い上手じゃないですか。だからなおさら」

「こら、悪い所出てるぞ。ネルも石川ちゃんも、ちゃんと嫌なことは嫌って言える子だよ。第一、ネルから頼んできたんだよ? 『ここいさんって人、紹介してください』って。それでも信じられない?」

「がっかりさせちゃうんじゃないかって、ずっと考えちゃうんですよ」

「人を信じるの、怖い?」

「……ほんとダメですね、わたしは」

 情けなかった。

 だからわたしは全面降伏して、さっさと話を終わらせようとした。


「そっか。よし! 今日もお仕事頑張りますか!」

 ユヅキさんは一度頷いただけで、切り替えるように明るい声を出した。

 一応の完結のところまでは書き終えてありますので、失踪だけは(きっと)しません! やった! これは安心! 推せる!

 ……よろしくお付き合いください。

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