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ネルちゃんと石川さん

 その翌日。

 横浜駅前の待ち合わせ場所には、たくさんの人が行き交っていた。

 それらしい姿がないことを確認したわたしは、とりあえず駅ビルの出口がよく見える、目立ちそうな場所に陣取って、スマホを取り出した。時間まではまだ10分ほどある。


 どんな子が来るのだろう。人一倍小心者のわたしはびくびくしていた。

 メッセージをやりとりした感じは、なんか淡々とした印象だったけど……そんなわけはないと思いながらも、肩出し革ジャンにタトゥーびっしりのつよつよマッチョマンが今にも現れるんじゃないかと怯えていた(そんなわけはない)。

 とはいえユヅキさんもわたしの性格は知っているはずだから、そこまで派手な子とかキツい子は紹介しないはず……しないかなあ、あの人?

 そもそもユヅキさん自体、バイトで知り合わなかったら絶対に関わり合いにならないタイプの人なんだよなぁ。


「あの〜、根岸ここいさんですか?」

 声をかけてきたのは二人組の女の子の、制服を着た小柄な子のほうだった。

 中学生だ。

 中性的であどけない顔に、くりっとした黒い瞳。

 華奢な手足は棒のようにまっすぐで、ポニーテールにした猫っ毛の黒髪はツヤツヤしていて、小さな子供みたいな、まっさらな汚れのなさが色濃く残っている。

「え? は、はい! まさか、櫻木(さくらき)さん!?」

 二人でいるとは思ってなかったので、完全に虚をつかれてしまった。そして心の中で、あ、これがオコジョかぁ、と思った。

「初めまして、櫻木音瑠(ネル)です! ネルって呼んで下さい! あたし、ここいさんって呼んでいいですか? 可愛いですよね、ここいって名前」

 あっという間に距離を詰めてくる、随分人懐っこいオコジョだった。

 わたしの方はというと、ネズミのような持ち前の臆病さを発揮して、そんなオコジョをちょっと警戒して身構えた。

 なんかもう完全に食う側と食われる側だった。

 ……つくづく駄目だな、わたし。

「も、もちろん! ネルちゃんも、全然タメ語でいいよ」

「あ、いえ、あたしこれ、癖なんですよ。気にしないでください! その分馴れ馴れしくさせてもらいますから! あ、こちらは、姉のお友達の、石川鈴夏(すずか)さんです」

 ネルちゃんはそう言って、横にいたもう一人に声をかけた。

 わたしより年上に見えた。大学生だろうか?

 きっちりと髪を結いあげて、銀縁の眼鏡を掛けている。

 アースカラーの飾り気のないワンピースには清涼感があって、背筋を真っ直ぐに伸ばしている細身の姿は、なんだか青竹を連想させた。

「初めまして、石川です。今日はこの子の付き添いで。よろしくお願いします」

 石川さんは事務的な口調でそう言って、やはり事務的に頭を下げた。

 なるほど、保護者ってことか。

 こんな可愛らしい中学生が、あやしいお姉さんの紹介で妙な社会不適合者と会うのだ。心配するなという方が無理があるだろう。

「根岸です。石川さんも、ユヅキさん……東条弓月さんのお知り合いなんですか?」

「ええ、少し。この子と一緒に何度か会ったことがある程度ですけど」

 ネルちゃんと対照的に、石川さんは相手と一定の距離を保って付き合うタイプのようで、ちょっとわたしに似た匂いを感じた。

「よろしくお願いします。えっと、じゃあ、とりあえずそこでも入りましょうか」

 わたしは慣れてない感じ丸出しで、ちょっと先のファストフード店を指さした。



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



「ここいさん、デモ音源聴きました! あたし、びっくりしちゃって!」

 席に着くなり、ネルちゃんは前のめりで興奮気味に口を開いた。

「え!? ど、どうだった?」

 そわそわ、どきどき。

「今どきこんな音色のクソダサ打ち込みドラム使う人がいるんだって……いでっ!」

「口の利きかた、気をつけなさい」

 石川さんは凄い反応速度で、ネルちゃんの脇腹をピンポイントに肘で突っついた。

「そ、そんなにダサい……? そこまで……?」

 分かっていたとはいえ、改めてハッキリと言われると凹むもので。わたしは早々にお家に帰りたくなった。

「もったいないっすよ! あんなにいい曲なのに!」

 え、えっ? 何? この子、一旦下げてから持ち上げてくるじゃん……!

「え、え〜? そうかなぁ〜? えへへへ」

 わたしはいとも容易くでれでれした。

「ここいさんの曲、独特でめちゃくちゃ面白いですよ! 何を食べて育ったらああなるんですか?」

 ……なんかそれ、おっぱいおっきい人に訊くやつじゃない?まあいいや。

「わたしなんてものを知らないだけだよ。逆に、今の流行りとかわかんないし」

「いえいえ! 正直な所、ユヅキちゃんから話を聞いたとき、またかぁ、って思ったんですよ。ドラムって、結構モテるんで。でも、ここいさんの曲を聴いて、あたし本当に感銘を受けたんです。周りに流されずに、ひたすら自分の好きなことを追求してる感じ。同年代でこんな人いるんだって、嬉しくて……あの、あたしの言ってること伝わってますかね?」

 ネルちゃんはちょっと頬を紅潮させて、真剣な眼差しで熱っぽく語った。

「だから、改めてお願いします。一緒にやりましょうよ!」

「あ、ありがとう。ネルちゃんは普段、どんな音楽聴くの?」

 わたしは彼女を一旦落ち着けようと何気なく質問してみた。

「そこなんですよね……」

 するとそう言ってネルちゃんは考え込んでしまった。

「あたし、何をやりたいとか、何が好きとか全然考えてなかったんですよ。物心ついた時から家にドラムがあって。友達と楽しくバンドやって、ドラムが叩けたらよかった。単に友達との遊びの延長っていうか。困ったことに、ドラムって叩けば割となんでも楽しいんですよ」

「楽しいの、良いことじゃない?」

 変なことを言うなぁと思った。わたしだって別にご大層な思想があるわけじゃなし。音楽なんてただ楽しいで良い気がする。

「でも、ここいさんの曲を聴いて初めて、これ好きだなぁって思ったんですよ! あまりにも自由すぎて、なんだか、周りの目を気にしている自分が、馬鹿らしくなったんですよね。こんなあたしでも、好きなように生きていいのかなって」

「いや……そんな大したものじゃないよ?」

 わたしは彼女のそのさりげない独白を、よくある慣用表現と思って聞き流してしまった。

 後々その言葉の意味を知ることになるのだけど、その時は、なんだかあまりにも賛美されすぎで、大袈裟な子なんだなぁと思ったのだ。

 

 ——というかここだけの話、わたしは悪い癖が出てきて、だんだん彼女を警戒し始めてすらいた。

 この可愛くて明るくて友達も多そうなネルちゃんが、わたしの曲なんかを聴いて何か思うことなんてあるんだろうか? いや、ないでしょ。

「ここいさんみたいな人、そういないですよ、ほんとに」

 それでもネルちゃんはいたって大真面目に答えるのだった。

「まあ、その辺の話はいずれ。今日はあたしが本気だってことだけ理解して頂ければ……すいません、なんか重いっすね」

「あの、根岸さん」

 その時、ネルちゃんの横で黙って話を聞いていた石川さんが口を開いた。

「ネルの話、真剣に受け止めてあげて下さい。決して、あなたを持ち上げようと調子の良い事を言っているわけじゃない。普段、こんなことを言う子じゃないんですよ。それだけ、本気なんだと思うんです」

「ちょ、すず姉、フォロー大丈夫です! 恥ずい! やめて!」


 わたしはしょうもない猜疑心と、ちっぽけな自己防衛本能を見透かされたようで恥ずかしくなった。

 こんな時にまで、何を保険をかけて縮こまってるんだろう。これは音楽の話じゃないか。わたしの好きなことの話じゃないか。

「……わかった。ネルちゃん、そんな風に言ってもらえて、正直びっくりしたけど、すごく嬉しい。だけど、ダメなところがあったら指摘してよ? さっきみたいに」 

「はい! あのドラムはクソダサいっすよ!」

「……オブラートに包むなとは言ってないよね?」



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



「それじゃあ、とりあえずスタジオ行きましょうか!」

 ネルちゃんが席から立ち上がって明るく言った。事前に取っておいたスタジオの予約時間が近づいてきていたのだ。

「う、う、ウン、イイイ行コウカ」

 わたしは緊張してロボっぽく答えた。

「あの、ここいさん? どうしました?」

 ガチガチになっているわたしの様子に気づいたネルちゃんが、怪訝そうな表情を浮かべている。

「えっと、えっとですね」

 ああ、なんだろ、なんかすごく恥ずかしい。

「わたし、スタジオって初めてで……」

「……はい?」

 ネルちゃんの、マジで何言ってんだかわからない、という視線が痛かった。

「いや、そんなわけあります? 予約は取ってくれたんですよね?」

「それは別にネットで取れるからね。てかわたし、そもそもバンドってやったことなくて」

 ネルちゃんはぽかーんと、ものっそい大きな口を開けて唖然として、やがてなぜか目をキラキラさせ始めた。

「すごい! やっぱここい先輩ってすごいです!」

 何故か呼び名が先輩に格上げされていた。

 なあ、何がどうなってそうなるのだ、きみ。落ち着きたまえよ。

「ずっと一人でちまちまDTMしてただけなんだよね、わたし。だって、バンドって、人間と一緒にやんなきゃいけないじゃん?」

「うわー、こりゃ拗らせてんなぁ」

「こら、ネル!」

 石川さんが見かねて、右肘でネルちゃんに物理的に注意をした。

「いだだだ! だ、だってすず姉、この人、半端ないっすよ?」

「ネル、世の中にはね、様々な理由でコミニュケーション能力に問題を抱えた人がいるの。それをそんな風に揶揄しちゃいけません」

 ……あの、ちゃんとフォローされると却って痛いんですけど。

「わたし、自分の好きなことは全部自分でやりたいんだよ! ……そんなにダメかなあ?」

 わたしの必死な訴え、というか言い訳に、ネルちゃんは真剣に考え込むようなそぶりを見せた。

「ええとですね、それじゃあここい先輩の、音楽をする上での目的っていうのは……? ライブやりたいとか、売れたい、とか」

「いい曲作って、自分で聞いてニヤニヤしたい!! ……今、わたしのこと暗いやつって思ったよね?」

「いえいえいえいえいえ! そんなこと! あはははは!」

 ネルちゃんは嘘をつくのはとても下手そうだった。

「なんでここい先輩の曲がああなったのか、分かった気がします。あの、ガラパ……独創的な曲が」

「ガラパゴスですいませんね。ヤンバルクイナですいませんね」

「ヤンバルクイナは沖縄っす。まあ、今の時代、配信でもなんでもありますからね。ライブハウスでライブして~、なんてこだわる必要はないですけど。ただ、もったいないですよ」

「もったいない?」

「バンドにはバンドの、ライブにはライブの良さって、ありますよ。無理強いはしませんけど、せっかく音楽をやってるんですから」

 うーん、ピンと来なかった。わたしには、強い絆で結ばれたバンドメンバーだとか、ステージで浴びる大歓声だとかがあまり魅力的に思えないのだ。

「まあそれはやれば分かります、いざ行かん、スタジオへ!」

「お、おー……」

 前方を指さして元気に歩き出したネルちゃんの後を、わたしはヨタヨタとついて行った。



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



 その音楽スタジオは、わたしのバイト先の『牡丹』と目と鼻の先にあった。

 ここにスタジオがあることは認識していたけど、こうして実際に来ることになるとは思ってもみなかった。

 入り口が周りの建物より少し奥まった所にあるのが、もういかにも怪しい。

 アルミフレームの立て看板には、『リディアン』と店名が書いてある。

「先輩、リラックスです。スタジオなんてカラオケ屋みたいなもんですよ?」

 ネルちゃんは、なんかもう若干面倒臭そうにわたしをなだめた。

 入り口をくぐると、ちょっとしたロビーのようなスペースになっていて、楽器を持った若者たちが4〜5人で談笑していた。

 隅にはギターの弦やらピックやら、アクセサリー類の小さな販売スペースがある。正面には受付のカウンターがあり、周囲の壁には手書きの値札のついた中古の楽器がかかっていた。そして、大きなコルクボードには、バンドメンバー募集の張り紙が何枚か貼られているのが見えた。


「こんにちは! 予約してた根岸ですけど!」

 ネルちゃんはずけずけと入って行ってカウンターの店員さんに話しかけた。

「あれ、ネルちゃん今日はいつもの友達と一緒じゃないんだ?」

 めっちゃ知り合いだった。

 確かに、女子中学生ドラマーなんてそんなにいなさそうだし、ネルちゃん、目立つんだろうな。有名人なのかな。

「えへへ、今日は根岸バンドの一員として来ました! こちらがウチのバンマスです」

「あ、ど、どうも、根岸です……」

 ネルちゃんに腕をグイグイ引かれて、バンマス様は無様に名乗った。いや、その感じやめて? てか、誰がバンマスじゃい。

「初めまして、ですよね? いらっしゃいませ! ネルちゃん、新しいバンド組むの?」

「すごいんですよウチの根岸は! パトロン募集中、投資するなら今のうちっすよ? あ、サイン書きましょうか?」

「へ〜、ネルちゃんがそこまで言うなんてすごい人なんですね!」

店員さんはキラキラした目でわたしを見た。

 まじでやめて。しぬ。上がりきったハードルに顔面を強打してしぬ。

「それでは会員登録からお願いします!」

「は、はい……」

 一応の完結のところまでは書き終えてありますので、失踪だけは(きっと)しません! やった! これは安心! 推せる!

 ……よろしくお付き合いください。

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