〜幕間〜 パーフェクトプラン(後)
「えー? わざわざ船で行くの? 電車ですぐなのに?」
横浜駅前を結構な距離歩かされ、水上バス乗り場に着いた所で、ここいは不満そうに口を開いた。
「わかってないですねぇ。みなとみらいに電車で行くのはモグリですよ。通は水上バスっす」
音瑠はそんなここいの腕をぐいぐい引っ張り、チケット売り場へ向かう。
「天気、晴れてよかったねえ」
「……ミソラってたまにおばあちゃんっぽいよね」
日向でにこにこしている美空をしげしげと眺めながら、深杜がぼそっと言う。
「うーん、わたし、船、酔っちゃうかも」
どうにも乗り気でない様子のここいが、まだゴネていた。
「わあああーーー! すっごい! 気持ちいい! 気持ちいいね、ネルちゃん!」
水上バスのデッキで、海風を受け、きらきらと輝く水面を眺め、ここいはクリスマスの子供のようにご満悦であった。その、もはやギャグのような掌の返しっぷりに、皆が呆れてくすくすと笑っている。
「ね? いいでしょ? 夜も夜景、きれいなんですよ!」
エンジン音と風に負けないように、音瑠が大きな声で答えた。
「そうなんだ? 夜も乗ってみたい! あははは、ちよっと波がかかった!」
無機質な直線で構成されたビルや、三日月形のホテル、大きな観覧車。呆れるほど巨大な豪華客船。
みなとみらいの景色が岸辺を流れてゆく。
「あ! 船! なんか船来たよ! おーーーーーい!!」
すれ違う遊覧船に向かって、深杜が声を上げながら大きく手を振る。
「おーーーーい!!」
「あ、振り返してくれた!」
ここいと音瑠が一緒に手を振る。
「お〜、みんな良い顔するねえ」
その横で美空が嬉々として一眼レフのシャッターを切っている。
「カメラ、好きなんですか?」
前髪が乱れるのを気にしながら鈴夏が訊いた。
「うん、これは父さんのお下がり。人を撮る機会って実はあんまり無かったからさ、うれしいな」
レンズを鈴夏に向けながら鈴夏が答える。
「確かにこういう機会でもないと、わざわざカメラで、ってないかもですね」
鈴夏は恥ずかしそうに顔をそらして、皆と一緒に遊覧船に手を振った。
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
広々とした海辺の土地に、赤茶けたレンガの大きな倉庫が並んで建ち、その間はちょっとした広場のようになっている。倉庫の一階部分には飲食店のテラス席がずらっと並んでいる。倉庫の向こうには背の高いビルと、観覧車。
赤レンガ倉庫。その様子は確かに小洒落ていて、絵になるのだが……
「うーん、やっぱり、どうみてもこれは」
カメラの小さなモニターを覗きながら、音瑠が難しい顔をしている。
「ただの記念写真だね」
深杜の言葉通り、レンガの壁の前で笑いながら変なポーズをしている五人の姿は、どこからどう見てもただの観光客であった。
「この人混みと、良いお天気のせいかなぁ」
美空はあごに手を当てて思案している。
「もうちょっとアングルを工夫してみよっか。後で画像を加工して、色合いを調整してみたら良い感じになるかも。あとは、みんなさすがにニコニコしすぎかな? もっとアーティストっぽく、クールな表情してみようか。目線もカメラから外してさ。特にネルちゃんと深杜ちゃん」
「え? クールですか? うーん」
「なんかカメラ向けられると、条件反射で……」
陽キャ組は慣れないオーダーに戸惑っている。
「『は・て・な』約束したよね? その点、すずちゃんとここいちゃんはいい感じだよ」
「そ、そうですか?」
「や、やっぱりアーティスト性が滲み出ちゃってる?」
「……すず姉もここい先輩も、恥ずかしくてカメラ見れないだけですよね?」
「クールな表情っていうか、強張っているだけでは……?」
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
「ここ、いいね! めちゃくちゃきれい!」
先を歩いていた深杜が振り返りながら言った。
山下公園前の通りには、銀杏並木が細かなモザイク模様の木陰を作っている。道路の向こう側には西洋建築風の建物が並んでいる。
彼女たちは早速レトロなデザインの街灯の周りで、物憂げな目をしたり、無駄に空を見上げたりしながら写真を撮った。
公園に入ると、家族連れが芝生にシートを敷いて休んでいたり、外国人の子供たちが駆け回っていたりと、実にのどかな光景が広がっていた。
園内にはさまざまなオブジェがあり、彼女たちはその一つ一つを吟味しながら、美空の指示で写真を撮っていく。
赤い靴の女の子の像の周りに皆で体育座りになって。あるいはざんぎり頭の変なオブジェをポコポコ叩きながら。はたまた謎のリングや星のオブジェに物憂げに寄りかかって。
公園のベンチに座ってコンガを叩いている国籍不明のおじさんに、よせばいいのに音瑠がズケズケと近づいて行って、一緒に変な踊りを踊ったりもしていた。
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
「あ! マリンタワー! あたし登ってみたいです!」
音瑠が快活に言って皆を振り返る。
横浜マリンタワー。山下公園やみなとみらい、中華街を眼下に見下ろすその威容は、港町横浜のシンボルでありハマっ子の誇りである。
しかし、なぜか誰も彼女と目を合わそうとしないのであった。
「……? どうしたんです? 登りましょうってば!」
音瑠はとりあえず、もっともノリの良い深杜に助けを求めた。
しかし、普段なら大概のことにノッて来てくれる彼女は、右上の方を見ながら下手な口笛を吹いている。
「……あれ? ね、ねえ、ここい先輩」
話を振られたここいはびくっと体を震わせ、悲しげな瞳を音瑠に向けると、ただ首を左右に振るのみであった。
「ま、マリンタワーは、またの機会にしよっか、ね?」
鈴夏が明るく言って話題を変えようとしている。
「あーほら、あそこの壁、綺麗だから写真だけ撮らせてもらおうよ、ね?ネルちゃん」
いつものんびりとしている美空でさえ、どこか焦っているように見えた。
「い、一体どうして……?」
気の良いメンバーたちの豹変ぶりに、音瑠は戦慄しつつ、目の前にそびえ立つ塔を見上げた。
マリンタワー。それは港町横浜のシンボル。ハマっ子の誇り……。
※本文とはまったくの無関係ではあるが、あくまでも、あくまでも参考までに
横浜マリンタワー 106.2m
横浜ランドマークタワー 296m
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
それから一同は中華街をうろつき、野球場の前を通り、電車に乗って横浜に戻ってきた。
「楽しかったですね!」
もうすっかり常連になってしまったファストフード店の窓辺の2階席で、音瑠は眩しいくらいの満面の笑みを浮かべた。
メンバーは皆(ただの観光だったなあ)と内心思ったが、可愛い妹分の喜びに水を差すようなことは口にしなかった。
「あはは、これ、ほんといい写真! ミソラ、後で送ってよ」
美空の横でノートPCのモニターを覗き込みながら、深杜が笑った。液晶モニターには、山下公園のコンガのおじさんと、その前で良い笑顔で踊っている音瑠が表示されている。
「めちゃくちゃ恥ずかしかったですよ! 観光客がわらわら寄って来て!」
前髪をヘアピンで上げた鈴夏が抗議するように言った。
「これとかちょっとおしゃれじゃない?」
ここいが指し示したのは、中華街の裏通りで、肉まんをかじりながらなぜか不機嫌な顔で五人並んで突っ立っている写真だ。
「看板の感じがいいよね。ちょっとプロフィール写真にしては謎すぎるけどね」
美空はそう答えてくすくすと笑いながら、画像編集ソフトを操作する。彩度とコントラストをいじってやると、音楽雑誌のピンナップのような『いかにも』な画になって、皆が「おおー」と声を上げた。
不意に深杜が可笑しそうに、ぷっと吹き出した。
「私たち、バラバラすぎ」
言われてみれば、五人の服装はバラバラで、方向性も何もあったものではなかった。
「そもそも私たちって、何系バンドなのかな」
美空の問いかけに、皆が首を捻る。
「音楽的には……ここい系ですか?」
「やめてよ。別にロックとかポピュラーミュージックとかでいいんじゃないの?」
音瑠の言葉に、ここいはどうでもいいといった感じで答えた。
「ここいさん、あなたポピュラーの意味わかってますか? 『大衆的』だよ? 『大衆的』!」
深杜が呆れたように突っ込むと、
「じゃあアンポピュラーミュージック」
ここいはまた適当に答えた。
「なんか拗らせてそうですね、それ。『横浜系アンポピュラーミュージックバンド』」
鈴夏の言葉に、皆で顔をしかめる。あまりにもいけ好かない響きだった。
「じゃあ、『家系ロックバンド』固め濃いめ多め」
「……ライスもつける?」
「『令和の黒船』とかどう?」
「あ、横須賀もいいなあ。またみんなで写真撮りに行こうよ」
「いいですね! ドブ板通りでハンバーガー食べましょうよ!」
「……ハンバーガー屋でハンバーガー食べる予定を話す人、初めて見た」
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
「よし! それじゃあみなさん、この流れで例のアレ、やっちゃいましょうか!」
音瑠はそう言って手をポンとひとつ叩いた。
彼女のバンドメンバーたちは、新学期に自己紹介の順番が回ってきた時のような、「ついにこの時が来てしまったか」といった感じの、緊張と諦めの入り混じった表情をした。
『バンド名、いい加減に決めますんで、各自案を持ってきてください。決選投票と行きましょう!』
のらりくらりしているメンバーたちに業を煮やした音瑠から、グループチャットにそんなメッセージが送られてきたのは、昨夜のことであった。
鼻歌を歌いながら、音瑠はバッグから単語帳を取り出すと、リングから外して皆に1枚ずつ配った。そしてペンケースからシャープペンシルを取り出し、ここいに手渡した。
「……ごめん、わたしまだ考え中!」
ここいはそう言ってペンを隣の鈴夏に回した。
「ちょっと先輩、ちゃんと宿題やってきてくださいよー!」
音瑠が非難すると、ここいはたいして悪いとも思ってなさそうにヘラヘラと謝った。
「わかりました。では私から。見ちゃダメですよ!」
鈴夏はそう言って、早弁している野球部員のように手と体で隠しながら、紙片になにやら書き付け、すぐにペンを隣のミソラにパスした。
「いやー、緊張するねー」
まるで緊張感のないのんびりした口調でミソラが言い、同様に手元の紙にさらさらと文字を書いた。
「みんな真面目に書いた? ここでひとボケはいらないんだよね?」
次にペンを渡された深杜は、一応皆に確認を取っている。
「ふふふ、実は結構自信アリなんですよねぇ」
音瑠は意気揚々と、さらさらっと書いた。
「わたしこういうのホント無理。センス問われるの嫌。ドリクエの主人公の名前もいつも決めらんなくて、全然冒険に出られないんだよ」
ここいはいかにも彼女らしくうだうだ言いながら、のろのろと文字を書いた。
裏返しにした単語帳を手元に集め、音瑠は皆の顔を見回した。
「それじゃあ覚悟はいいですね?恨みっこなしですよ?」
音瑠はテーブルに広げた5枚の紙をむむむっと睨み、満を持して1枚を手に取り、皆の前でくるっとひっくり返した。
【 § † Ï 9 M α 】
ゴッスゴスに装飾された文字列があらわになって、全員が青い顔をする中、鈴夏だけが静かにガッツポーズを取った。誰かが小声で「文字化け?」とつぶやいた。
「え、えーと、石川さん、これって、『スティグマ』? ……って、読むんですかね?」
誰の案なのかは明白だったので、確認作業を端折ってここいが訊ねた。
「ええ! イイでしょう? この先鋭的かつデカダンスな響き。私たち現代人が産まれ持った心の烙印、魂に刻まれた聖痕……」
鈴夏は陶酔するように高らかに語った。
「とりあえずこの†は無い」
深杜が問答無用で消しゴムでけしけしした。
「ちょっと鶴見さん! なんて事するんですか! その十字架こそ聖痕のシンボルで……!」
「最初の§も小賢しいからやめましょっか」
「ネル! だめ! それは私たちの歴史の第一章を表現して……!」
「gを9に置き換えてるのは何か理由が?」
ここいは強張った笑顔で訊いた。
「良いところに目を付けましたね! 実はスティグマというのはギリシャ数字の6なんですよ。それを反転させることによって……」
「ていうかもう、ひらがなでよくない?」
ミソラが文字を二重線で消して、『すていぐま』と書き直した。
「わあ! かわいい! くまっぽい!」
一人を除き、皆無邪気に手を叩いて喜んでいる。
「ああっ! イヤ! 私のデカダンスが、待ってるクマさんに! せ、せめてカタカナで……!」
店内に鈴夏の悲鳴が虚しく響いた。
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
音瑠は楽しそうに笑いながら、おおいに満足していた。
みんなで楽しく遊ぶという彼女の当初の計画は、概ね完遂されたといってよかった。ついでに写真も撮れたし、バンド名もどうやら決まった。上出来であろう。
そのとき、ここいがおもむろにバッグからごそごそと小さな紙袋を取り出し、音瑠に差し出した。
「ん? なんです?」
音瑠はきょとんとしてそれを受け取った。周りでは皆がニコニコと、あるいはニヤニヤと彼女を見つめている。
「ネルちゃん、お誕生日おめでとう」
ここいの口から、まったく思いもかけない言葉が出た。
「おめでとう!」
皆が口を揃えて、拍手を送った。
深杜が音瑠の背中をどんと叩くと、皆もそれに倣い、音瑠の頭やら腕やらをばしばしと叩いた。
「みんなからプレゼントだよ」
照れくさそうなここいの声は、普段よりずっと暖かく聞こえた。
「ネル、皆さんにお礼は?」
「あれ? ネル泣いちゃった?」
「ああ、うれしかったねぇ、よしよし」
「ネルちゃん、わたしと同い年になったね」
音瑠の完璧な計画に騙された優しいメンバーたちの、暖かい声が彼女を包んだ。
そういうわけで、その日は櫻木音瑠とバンド『すていぐま』の誕生日になったのであった。