歌
最初に演奏する曲には、歌詞のない、短いインストの曲を選んだ。
肩慣らしと、軽い自己紹介を兼ねたような選曲だ。
深杜のリードギターは絶好調だった。やはり彼女は本番でこそ本領を発揮するタイプなのだろう。その滑らかな音に絡みつくような石川さんのベースラインと、ネルちゃんの歯切れのいいドラム。
自分たちの曲ながら、演奏していて気持ちが良かった。お客さんたちも曲にあわせてゆらゆらと揺れている。良い感じだ。
「こんばんは。キューカンバーデコイです!」
バンド名(仮)を早くも猛烈に後悔しながら、わたしは挨拶をした。
とにかく、大きな声で、はっきり、ゆっくり。深杜に口酸っぱく注意されたことだけを考えて。
「今日は『シガラミ』さんの前に、何曲かやらせてもらいます。よろしくお願いします!」
ユヅキさん達の妹分のわたしたちに、お客さんの反応は暖かかった。「おー」という声と、拍手。初ライブでこの状況は、きっと相当恵まれているのだろう。
2曲目はミドルテンポの歌モノ。わたしが作った曲の中では、多分一番歌いやすくて聴きやすい曲だと思う。反応は上々だった。ステージの上から、お客さん達の笑顔が見えた。
続けて、3曲目。アップテンポの疾走感のあるロック。
ネルちゃんがどんどん乗ってきて走りそうになるのを、石川さんが上手にコントロールしていた。深杜のカッティングは相変わらずキレキレで、お客さんたちもどんどん盛り上がっていくのがわかった。
最後の一音を掻き鳴らすと、歓声と拍手が起こった。
そうしてわたしたちの初ライブは、あっという間に終わってしまった。
「ありがとうございました」
真っ白な頭でそう言って頭を下げて、振り向くとみんなが笑っていた。
ほっとして袖に引っ込もうとすると、今更足がガタガタ震えた。ネルちゃんが近づいてきてわたしの腕を抱えると、
「先輩! やりましたね!」
お客さんたちに手を振りながら笑っていた。
「みんなお疲れ! はい片付け!」
深杜がみんなに発破をかける。
そうだ、浸っている場合ではない。次のユヅキさんたちのために手早く撤収しなければ。
楽器と器材を持って舞台袖に移動すると、ユヅキさんたちが笑顔で迎えてくれた。
「よくやった!」
「初舞台でこれなら、たいしたもんだよ」
「みんな可愛かったよ!」
ユヅキさんと三崎さんと静さんと、みんなで順番にハイタッチをした。
「さあて、じゃあ、あたしらも行こうか」
ユヅキさんはそう言って、まるでコンビニに行くみたいにふらふらとステージに出ていった。三崎さんがそれに続き、静さんはネルちゃんの頭をぽんぽんと叩いてからステージへ上がって行った。
その途端、会場からわあっと大きな歓声があがった。
「どうもどうも! お久しぶりの方はお久しぶり! こんな辺鄙なとこまで来てくれた方、ありがとー! 地元の奴らは、うん、まあ、ども」
三崎さんと静さんがベースとキーボードのセッティングをしている中、暗いステージでユヅキさんは喋り続けている。
「再結成ってわけでもないんだけどさ、一人足んないし。てかそもそも解散してないけどね。まあ、こいつらが? どうしても? ユヅキちゃんとやりたいっていうから? あたしがいないと、なんにも出来ない子らだからさあ」
「ユヅ、うるさい。ちょっと静かにしてて」
「セッティングしてんだよこっちは」
三崎さんと静さんの言葉に、お客さんから笑い声が起こって、暖かい野次が飛んだ。
「あとさ、さっきの子たち、可愛かったでしょ? これからぼちぼちやってくみたいだから、よろしくね! ……と、いったところで、じゃあ、行けるかな? よし、いってみよっか!!」
ユヅキさんが言い終わるや否や、静さんが猛烈な勢いでピアノを弾き始めた。何分音符なのかわからないような、途轍もなく速いジャジーな即興。静さんは黒髪を振り乱しながら鍵盤に指を叩きつけている。
それに負けないくらいのテンションで三崎さんのベースが入ってくる。どっしりと微動だにせず仁王立ちで、まるでギターの速弾きのように自由自在に、野太い音が楽譜の上を駆け回っている。二人の音はまるで喧嘩するように、お互いまるで譲らずに自分の音を主張していた。
ユヅキさんが奇妙なタイミングでタンバリンを叩き始める。小節の頭も、そもそも何拍子なのかすらわからず混乱していると、拍子の裏と表が入れ替わり、そのばらばらな音たちが絡み合って、やがて雲が晴れるように一つの曲の形になった。
息を呑むように見守っていた観客から大歓声が起こった。
暗い会場を照らす原色のライトの中で、皆が熱狂し、身体を揺らし、踊っている。
その顔は皆一様に幸せそうに見えた。
ユヅキさんの囁くような歌声が会場を支配する。
あんなウィスパーボイスなのに、こんなに激しい演奏の中でどうして明瞭に聴こえるんだろう。
そんなことを考えていると、ユヅキさんの歌声は中音域に滑らかにシフトしていき、サビに入ってライブハウスごと大爆発を起こした。
あまりにも圧倒的な声量と響きで、身体ごと魂が揺さぶられた。
息をすることも、瞬きも忘れて、わたしはそれをただ全身で浴びて、そして打ちのめされた。
当のユヅキさんはただ楽しそうに、きれいな顔で微笑みを湛えながら、幸福そうに歌を歌っている。
あの表情は、慈愛だ。ユヅキさんの、歌と音楽への深い愛情だ。
わたしたちは暗い舞台袖で各々楽器を抱きながら、最後までずっと、ユヅキさんたちの姿から一時も目を離すことができなかった。
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
翌日の朝、わたしたちはコテージを片付けて、三崎さんたちにお礼を言い、萌音さんの運転する車に乗り込んだ。
「いや〜、ほんとにありがとう! ありがとう! また遊びにおいでよ! ユヅキ抜きでも構わないからね!? 絶対だよ!?」
三崎さんは昨夜のわたしたちの演奏をとても喜んでくれていた。いつまでも車から離れようとしないので、ユヅキさんがけたたましくクラクションを鳴らした。
「三崎さん、こちらこそ本当にありがとうごさいました。ライブ、素敵でした!」
わたしは窓の外の三崎さんに、精一杯感謝の気持ちを込めて言った。
「楽しんでもらえた?」
三崎さんの奥さんが、腕を組んだままニヤッと笑ってそう訊いた。
「凄かったです! わたし、一生忘れないと思います」
リップサービスでもなんでもなかった。思ったままの言葉をそのまま口に出した。
「……っ!!」
「おいバカ、なに真に受けて感極まってんのよ」
「だってなあ、おまえ」
「じゃあね、タケ、静」
「また今度、かな? 仲良くしなさいよ?」
ユヅキさんと萌音さんもそれぞれお別れの挨拶を交わした。
花巻の駅に到着すると、石川さんと一緒に萌音さんが車から降りた。
「え? お姉ちゃんも新幹線で帰るの!?」
ネルちゃんが驚いている。
「うん、すずちゃんと帰るよ……ユヅキさん、本当に運転、大丈夫?」
「休憩しながら安全運転で帰る。事故んないよ、大丈夫だって」
ユヅキさんは運転席に乗り込みながら、おざなりに手を振った。
「鈴夏さん、気をつけて帰ってね」
「はい、それじゃあまた、次回のスタジオで」
深杜の言葉に軽くうなずいて、石川さんはみんなを見回しながらそう言った。そしてわたしと目が合うと、
「話、聞いてもらって、ありがとうございました」
そう耳うちをして微笑んだ。
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
わたしたちは何度も休憩を挟みながら高速道路を南下していった。
誰も免許を持っていないから運転を交代するわけにもいかず、今回ばかりは流石にユヅキさんに申し訳ない気持ちになった。
それでもユヅキさんは疲れた顔を少しも見せずに楽しそうに振る舞っていた。わたしは初めてユヅキさんをちゃんとした大人として尊敬した。
途中のサービスエリアで一回仮眠を取ってもらうことにして、わたしたちはお土産屋を周って、フードコートで食事しながら今回のライブの話をした。
「ユヅキさんたち、凄かった」
深杜がソフトクリーム片手にぼんやりしながら言うと、
「あたしたち、まだまだ全然ですね」
ネルちゃんはたこ焼きをフーフーしながら答えた。
「はあ、あんなに凄いと思わなかった。正直、へこむ」
わたしはテーブルにうずくまって、たい焼きの尻尾を齧りながら言った。そのおでこに深杜がデコピンをした。
「しっかりしてよ。あれはあくまでもユヅキさんたちのライブで、何年も積み重ねてきたてっぺんの所なんだから、今の私たちから見たら凄くて当然でしょ」
「……わたしたちも、あんな風になれるかな?」
おでこをさすりながら聞くと、
「それはやってみなきゃわからない」
深杜はそっけなく答えた。
「やってやりましょうよ。あたしたちで、あの高い山の隣に、もっと大きくて、もっと変てこな山を作って、ユヅキさんたちを見下ろしてやりましょうよ!」
ネルちゃんが鼻息荒く宣言して、わたしは気が抜けて思わず吹き出してしまった。
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
ようやく車は東京まで戻ってきた。辺りはもうすっかり暗くなっている。
後ろの席で深杜とネルちゃんがくっついてスースー寝息を立てている。わたしは助手席からその姿を何枚か写真に収めて、石川さんに送った。
すぐに『もっとちょうだい』というスタンプが返信されてきた。わたしはくっくっく、と笑った。
「何、気持ちの悪い笑い方してんのよ」
ユヅキさんがまっすぐ前を見たままつっこんだ。
「『尊い』って言うらしいですよ」
「さては石川ちゃんに変な影響受けたな?」
ユヅキさんは呆れたように言った。
「……ここい、疲れてるでしょ? 寝てて良いよ」
「いえ、ユヅキさんが心配なんで」
「居眠りしないって」
「わたし起きてちゃ、めんどくさいですか?」
ユヅキさんはわたしの脳天にチョップした。
「そういうこと言うなって言ってるでしょ? 怒るよ?」
「ごめんなさい」
「でも、誘ってよかったよ。あんたの良いところも見られたしね」
「わたしも、ユヅキさんのこと見直しました……いてっ」
もう一度チョップをくらった。
「生意気」
「だって、運転してるユヅキさんも、歌ってるユヅキさんも、見たことなかったから」
「そうでしょ? トンカツ運んでる勇姿しか見せてなかったからさ」
その言葉に思わず吹き出したわたしを、ユヅキさんは横目でちらっと見た。
「ここい、楽しかった?」
「はい。本当にありがとうございました」
「これからもっと楽しいことが沢山あるよ。今回のことなんて忘れちゃうくらい」
「そうですかね?」
「そうだよ」
「辛いこともいっぱいありますよね?」
「うん、あるよ。両方あるか、どっちも無いか。人間、どちらかしか選べないんだよ。結果はどっちもプラマイゼロ」
「……はあ。ユヅキさんって、こういうとき全然気休めを言ってくれませんよね」
「お? 女子か?」
「いや、女子ですけど。現役女子高校生ですけど」
「辛いことがあればあるほど、きっと良いものが作れるよ、ここいは」
「人の心ないんですか」
「そう思っておけばどっちに転んでもラッキーじゃん」
「ラッキー……ラッキーってなんだっけ」
「……ここい、へこんでるだろ」
わたしはちらっとユヅキさんの顔を見た。ユヅキさんはハンドルを握って前を向いたまま、ニヤリと笑った。
「……はい。ユヅキさんの歌、凄かったです。わたし、知りませんでした。人って本当に、感動して身体がぶるぶる震えるんですね」
「ライブで聴くと、また違うもんでしょ?」
「そんな生優しいもんじゃないですよ。心も身体も魂も、全部持っていかれました。初めてです。あれが本物の歌うたいの歌なんですね」
うつむいて、ひざの上で握った両方の拳を見る。
街の明かりと影がわたしの身体の上を通り過ぎて行く。
「わたしなんかが、歌っていていいんでしょうか。ユヅキさんの歌で、気がついたんです。わたしには大事なものが欠けてる。わたし、ユヅキさんみたいに、心の底から歌を好きって言えない。わたしには——」
わたしのふたつの拳は小さく震えている。
「わたしにはきっと、愛情ってものが足りないんです。それを、知らないままで生きてきたから、人にあげる分を持っていない。ボーカルだって、本当は深杜が……」
「やめなさい」
ユヅキさんが口を挟んだ。慰めではなく、わたしを嗜めるような強い口調だった。
「そんな話聞きたくない。がっかりさせないでよ、ここい」
ユヅキさんは前を向いたままだ。
「同情してもらいたいんなら、抱きしめて頭を撫でてあげる。でも、そうじゃないなら、その先は口にするべきじゃない」
「……ユヅキさんは、どうして歌を歌うんですか」
「え? うーん、そうだね。難しいこと聞くね」
ユヅキさんはしばらく難しい顔で考え込んだ後で、口を開いた。
「口下手だからかな」