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ひとりじょうずのひとぎらい

 わたしは独りでいるのが好きだ。

 いや、別に強がってるわけじゃなくて。ほんとに。

 中学でも孤立しがちだったわたしが、ごく普通の公立高校に入学して数ヶ月が過ぎていたけれど、案の定友達と呼べる人はできていない。

 それでも特に不都合はなかった。

 わたしにとって、学校にいる時間はもっぱらものを考えたり、音楽を聴く時間だったから。

 その日もわたしは自分の席で頬杖をついて、中学の頃からのお気に入りのバンドの3枚目のアルバムを聴いていた。


 『インディゴフィッシュ』は、メジャーレーベルとインディーズを行ったり来たりして、もう解散してしまった、お世辞にも有名とはいえないバンドだ。

 たまたま深夜の地方局の音楽番組で見たそのライブに、わたしの心は一発で持って行かれてしまった。


「ねえ、根岸さん」

 イヤホンのノイズキャンセラー越しに、わたしを呼ぶ声が聞こえた。

 右後方の席にたむろした3人の女子が、今日の放課後のプランについて話していたことを知っていたから、わたしは聞こえない振りをして、諦めてくれないかなぁと期待した。

「おーい、根岸さんってば」

「……あ、ごめん。何?」

 わたしはたった今気付いたようにイヤホンを外して振り向くと、白々しく「はい何の話でしょう」みたいな顔をした。

「ごめんね邪魔しちゃって! あのさ、今日カラオケ行くんだけど、一緒にどうかなって」

 3人のうちの1人が、想像通りの用件を、申し訳なさそうに手を合わせながら告げた。

 彼女たちとは挨拶やちょっとした世間話位はする、といった程度の仲だった。それでもわたしにとっては、学校での数少ない話し相手ではあった。

「根岸さんと遊んだことないからさ、たまにはどっか行こうよ」

 もう一人がにこにこと友好的な笑みを浮かべて、わたしの肩をぽんと叩いた。

 わたしはなるべく残念そうな顔を作って答えた。

「あー、ごめん、今日、バイトなんだ」

「そっか、残念だなぁ。じゃあまた今度ね?」

「うん、誘ってくれてありがと。ほんとにごめんね」

 わたしは席を立って、トイレにでも行くかのような振りをして廊下へ出た。


 わたしの言葉に嘘はなかった。

 今日はバイトだったし、誘ってもらったことも嬉しかった。彼女たちは優しい人たちで、悪意なんて微塵も感じない。

 なのに、わたしの身体は震えて、腕には鳥肌が立っていた。


 他人に触れられるのがどうしても苦手だった。

 ちょっとした挨拶や会話を交わす程度なら問題なかった。

 けれど、物理的にも、精神的にも、それ以上踏み込んで来られると嫌悪感が抑えられない。

 お陰でわたしは、敷居が低いくせにガンコ親父のいる店みたいな、へんてこな人間になってしまっていた。

 きっと他人から見れば裏表のある人間だとか、外ヅラだけ良い人間に映るはずだ。もちろん弁明の機会なんて訪れることはない。

 わたしは自分のそんな性質(たち)にうんざりしつつも、とっくに諦め、受け入れていた。

 わたしは声をかけてくれた子たちをちらっと振り返り、またイヤホンを耳に入れて、ただ廊下を歩いた。



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



 昼休みになって、皆がわいわいと賑やかに食事をしながら談笑している。

 わたしはというと、午後の体育の授業のことをうじうじと考えていた。

 わたしは体育の授業が嫌いだ。

 いや、もういっそのこと憎悪していると言いきってしまってもいい。


 1.そもそもスポーツは自主的にやるもので、無理やりやらされるのはただの強制労働じゃないか。

 2.大体、昨日あんまり寝てないんだよなぁ。

 3.無理すると体調崩しがちだし。

 4.今日はバイトもあるし、やらなきゃいけないこともあるし。


 ——うん、帰ろう。すぐ帰ろう。

 ちょっと悩んだ振りをしたら、濡れ手に粟でこんなに口実が集まってしまった。これはもう早退せざるを得まい。

 決してサボりではない。

 そもそも進学するつもりはない。最低限卒業だけすればいいのだ。義務教育ではないのだから、別にそれで問題ないはずだ。

 心の中で誰にともなく言い訳をしながら、お昼を摂っている皆さんを尻目に、素早くバッグに荷物を詰め込む。


 なるべく目立たないように廊下に出ると、すぐに職員室に向かった。

 一度勝手に帰って面倒なことになってしまった(さすがに怒られた)ことがあるから、一応担任には伝えておかないと。

 そのひと手間だけが、少し億劫だった。

 職員室で昼食後のコーヒーを飲んでいた担任は、わたしの体調不良という言葉にすんなりと頷き、気をつけて帰れよと形式的な文言を吐いた。

 わたしの諸々の事情を知っているこの人は、一貫して面倒ごとに巻き込まれないような立ち回りに終始している。

 ここで妙な責任感を発揮して熱血指導されても困るし、わたしには都合がよかった。


「あ、ここい見つけた!」

 職員室から出たところで、同じクラスの鶴見さんとばったり鉢合わせた。

 だぼだぼのカーディガンを羽織ったすらっとした身体の上に、小さな頭が載っている。そこにくっついている目や鼻の部品はどれも良く出来ていて、色白の顔に整然と配置されている。さらさらの黒髪は肩甲骨までまっすぐに伸びていて、つやつやと輝いている。

 どこからどう見ても紛うことなき美人の彼女、鶴見深杜(みもり)は、いわゆるクラスの人気者だった。

「鶴見さん」

「あれ、帰るの? カゼ?」

 わたしよりりんご一個分ほど背の高い彼女は、長いまつ毛で装飾された涼しげな目をぱちぱちさせて訊いた。

「ううん、今日はもういいかなって」

「今日はもういいかなって!? そんなことある!?」

 鶴見さんは目を丸くして大袈裟にリアクションした。

「あはは、わたし、内申とかあんまり関係ないからさ、卒業できればいいの」

「なんだそれ、ずるい。ここい、今日はバイト?」

 彼女は『響きが面白いから』というだけの理由で、特段親しいわけでもないわたしを下の名前で呼ぶ。

 人懐っこい彼女は特定の誰かとつるむわけではなく、クラスの誰とでも仲が良いようで、こんなわたしにもフラットに接してくれる。けれど決してそれ以上無理に踏み込んでこようとはしない彼女に、わたしはうっすらと好感を持っていた。

「うん、夕方から。じゃあね」

 わたしはちょっと微笑んで、鶴見さんに小さく手を振った。

「ばいばい」

 鶴見さんも手を振って廊下を歩いて行った。


 誰もいない校門を出ると清々した気分になって、ほっとため息が出た。

 この学校の周辺には本当に何もない。殺風景な公園があって、少し離れた所は住宅街になっている。

 皆が居る学校を背に、駅までの人気のない道を歩きながら、わたしの人生、終始こんな感じになるんだろうな、とぼんやりと考えた。



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



 わたしは学校から電車で3駅の所に、姉と住んでいる。

 大学生の姉は近頃あまり家に寄り付かなくなっていて、お陰でわたしは思う存分趣味に打ち込むことができていた。

 わたしの部屋にはエレキギター、アコースティックギター、ベース、キーボード、マイクスタンド、その他エフェクターやらミニアンプといった機材が雑多に並べてあって、床には黒いコードがうねうねと縦横無尽にのたくっている。


 中学1年の春、『インディゴフィッシュ』に出会ったわたしは、どうしても自分で楽器を弾きたくなって、珍しく親にねだってギターを買ってもらった。

 そのうちわたしは自宅録音だとかDTMだとかいうものにハマってしまい、お小遣いやお年玉、高校に入ってからはバイト代も注ぎ込むようになって、気づけばこの部屋の有様だった。

「よし、アコギ録っちゃおう」

 わたしはひとりで呟くとマイクのセッティングを始めた。

 夜になると音の大きな楽器は弾けないから、明るいうちにアコースティックギターの録音をしてしまおうと思ったのだ。


 曲を作るのが大好きだ。

 新しい曲を作るとき、真っ白いキャンバスならぬ、真っさらな新規データに向き合うと、いつだってどきどきする。

 ここからこの曲はどんな形にだってなれる。

 次はこんなことをしてみようと、思いついては試して、失敗してはやりなおす。

 その世界の圧倒的な自由さと広大さに、わたしはもうずっと魅了されている。



◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇



 横浜駅の繁華街から少し外れた所にある『牡丹(ぼたん)』という名のとんかつ屋さんで、わたしはバイトをしている。

 我ながらこのお店を選んだのは慧眼と言ってよかった。4月の自分を褒めてあげたいと思う。

 お店の性質上、お客さんの回転も早くないし、メニューの種類も少ない。酔っ払いもあんまりいない。

 大将は優しい人だけれど、わたしの私生活についてあれこれ詮索してこない。それから、まかないが美味しい。

 服と髪が油臭くなることだけ除けば本当にいいバイトだった。

 これでもわたしは第一印象の外面だけは良いほうなので、人間嫌いな癖に接客業は苦ではなかった。

 少なくとも学校よりは余程居心地がいい。

 お給料出るしね。


「ここい、曲、聴いたよ」

 一緒に休憩に入っていた先輩のユヅキさんこと東条弓月さんが、食後のお茶を淹れながらそう声をかけてきた。

 明るい色のウェーブヘアに、いつも原色の服。目と口が大きくて、表情豊かで華のある女性だ。

 歳は確か24歳と言っていた。ちなみにちょっとだけ口調が荒い。

 ユヅキさんは元々インディーズのバンドで活動していたらしい。

 バンドを解散した今でも、たまにあちこちのライブに出没して歌を歌ったりパーカッションの演奏をしているんだそうだ。

 わたしの趣味のことを知っている唯一の人で、最近は自作の曲のデータを渡して感想を聞かせてもらっている。

 ユヅキさんの批評はいつも容赦がなくて凹まされることも多々あったけど、だからこそわたしはそれを信頼していた。

「どうでした?」

 やっぱりいつでも人の感想を聞くのは緊張する。わたしは少し姿勢を正した。

「うん、捻くれ者のあんたらしくて面白いと思うよ。独特の空気感があるから、それは大事にしたほうがいい。ただ……これは自分でも分かってるだろうけど、売れないよ? ああいう曲は」

「えっ!? そうですかぁ? 困ったなぁ」

「喜ぶなよ。まあ、別にプロになろうってんじゃないんでしょ? だったら好きにすればいいよ。ただ、気になった点が2つ」

「う……あんまりキツく言わないでくださいね、死にたくなっちゃうから」

 わたしは牽制しつつ身構えた。

「1つめ。何? あの打ち込みのクソダサドラムは!? 音色もフレーズもひどい! ありえない! かわいそう! 曲がかわいそう!」

「それは……ほら、打ち込みならではの、常識に囚われないドラム、的な」

「意図してやってんならいいけど、明らかに人間に寄せてんのに、人間に叩けないドラムだから言ってんの! 腕何本あるんだよ! ヘカトンケイルかよ! もうちょっと打楽器に興味を持てよ!」

「へかとん……? はあ、勉強します」

「それから2つめ。あれ、歌モノだよね? 歌、どこ行った? なんか機械音声がララララ言ってたけど」

「歌詞がないです」

「なんでないんだよ」

「歌詞が書けないからですよ」

「歌詞書けよ」

「……ユヅキさん書いてくれません?」

「やなこった! あんたって結局、自分で全部やんなきゃ気が済まない人じゃん。あたしが後世まで語り継がれる大傑作を書いてきても、どうせ『ピンとこない』で終わるでしょ?」

「それは……まあ、そうかもですけど。わたしが書くと、歌詞っていうか、ただの説明文になるんですよ!」

「あー、頭でっかちだもんなー。でも、それはそれでおもしろいんじゃないの?」

「『開封後は高温多湿を避け、冷暗所で保管してください』みたいになりますよ?」

 目の前にあったとんかつソースの注意書きを読み上げると、ユヅキさんは愉快そうにケラケラ笑った。

「おもろいじゃん! それで一曲書いてみなよ」

「……歌詞って何を書けばいいんですかねえ?」

「そりゃ『喋りたくないけど伝えたいこと』だよ。ここいにはいっぱいあると思うんだけどな、お姉さんは」

 この人絶対適当だ。

 でも、全部自分でやるなら、確かになんとかしなきゃいけないんだよな、ドラムと歌詞。

「あ、そうだ。じゃあ、これあげる」

 ユヅキさんはそう言って、自分のバッグから一冊の単行本を取り出してわたしに手渡した。

「ちょっとは参考になるかもしれない。非論理的思考っていうのかな。まあ、気が向いたら読んでみれば」

 インディゴブルーの綺麗な表紙の本。

 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だった。ユヅキさんの愛読書なんだろうか。こんな派手な人が?なんか可愛いな。

「はあ、ありがとうございます。でもわたし、昔、読んだ事ありますよ? ラッコの毛皮がどうとか」

「内容ろくに覚えてないっしょ?」

「……そうですね。じゃあ、読んでみます」

 わたしはその本を無造作にバッグに突っ込んだ。

「まあ、それはそれとして。もうひとつの、ドラムダサい問題。こちらはわたくし、なんと解決策をご用意しております」

 ユヅキさんはお茶をずるずる(すす)りながら宣言した。

「な、なんですか?」


「ここい、あんたバンドやってみなよ」


 その瞬間、わたしは多分地球上で一番イヤそうな顔をしていたと思う。


「こらそこ、露骨にイヤな顔をしない!」

「だって、さっきユヅキさんも言ってたじゃないですか。自分の好きな事は好き勝手にやりたいんですよ、わたしは!」

「……本音は?」

「……知らない人こわい」

 わたしがそう言って「えへへ」と笑うと、ユヅキさんは呆れて、それはそれは大きなため息をついた。

「えへへじゃないよまったくもう! とにかく一度本物のドラマーに会っておいた方がいいって。後学のために」

「……本音は?」

「その子にここいを紹介したいんだよね」

「『その子』って、当てがあるってことですか」

「そうそう。あたしの友達の妹ちゃん。ドラムめっちゃ上手いんだから」

「……怖い人ですか?」

「全然! 例えるなら……オコジョ?」

「うわ、ピンとこないなー。オコジョってなんでしたっけ、小動物?」

「うん。いや、実はあんたの曲聴かせたら、いたく気に入ったみたいでさ。紹介しろって頼まれてんのよね」

「な、なんで勝手にそういう事するんですか!」

 抗議しながらも、ちょっと嬉しくて頬が緩むちょろいわたし。

「『ドラム、ダサすぎるから撮り直させろ』って」

「わたしその子きらい」

 ムカついてそっぽ向くわたし。

「冗談だって! 同じ音楽好き同士、仲良くなれるって! ねぇ、ここたんお願い!」

「誰がここたんですか!」

 ユヅキさんはわざとらしく大袈裟に両手を合わせてお願いポーズをしている。

 絶対ふざけてる。ほら、今、舌出したもん。この大人は……


 とはいえ、ドラマーと知り合いになれる機会なんてそうそうないのも事実だった。

 わたしの曲を気に入ってくれているそうだし、無理そうなら『それじゃまた』って帰れば良いかぁ。

 そんな最低な打算を働かせながらしばし悩んだ末、ようやく踏ん切りがついた。


「じゃあ、会ってみますよ。大ゲンカになって、ユヅキさんとお友達が気まずくなっても知りませんからね!」

 一応の完結のところまでは書き終えてありますので、失踪だけは(きっと)しません! やった! これは安心! 推せる!

 ……よろしくお付き合いください。

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