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無骨だんご


 池之端のほとりに小さな茶店がある。私はそこでおじいちゃんのお手伝いをしている。来るのは観光客や散歩帰りのちょっと休みたいお客さんで、私はお客さんが来るたびにあっつあつのお茶を出していた。


 一杯一文。あったかいお茶に甘く煮た数粒の煮豆をつまみに出している。


 お客さんは三種類いて、まず多いのがまったく知らない人たち。大抵江戸は上野の観光目的のお客さん。若い人からお年寄り、男女関係なく幅広い人が訪れる。そして二度と来ることはない。


 次に常連さん。毎日おじいちゃんとの会話を目当てにやってくる人が、日替わりで五、六人ずついる。


 常連さんたちはみなおじいちゃんとの昔なじみだから、同じようにお年寄りばかり。いつも瓦版や浮世絵を持ってきて話のネタにしている。


 その次に来るのが、常連さんほどじゃないけど顔はおぼえている人たち。たとえば、ちょうどいま、そこの表に出ている籐の椅子の左隅に座っている、竹刀を持った若いお兄さんとか。


 十日に一度ぐらいの頻度で、お昼時にやってきてはお茶を一杯飲んで帰っていく。湯呑に湯気が残るぐらいの速さでお茶を飲むと、最後に煮豆を全部口に突っ込んでモグモグさせる。最後に「ごちそうになった」とひと言、一文銭とともに置いて帰っていく。


 はじめてそのお兄さんに会ったとき、私は「怖い人だ」と思った。その仏頂面の怖さと言えば、堪忍袋の緒が切れる寸前の明王、という感じ。


 おじいちゃんにそう言ったら、たいそう笑われたもんだ。


「おさよはヘンなことを言うねえ。あの人はちょっとむずかしいけど、良い人だよ」

「むずかしいけど良い人? おじいちゃんもヘンなことを言うね」

「表情が乏しいからといって、心まで貧相なわけじゃないってことさ。むしろ、真夏でも変わらずに熱いお茶を一気に飲んで平然としているなんて、すごいんじゃないかな?」


 タレたおじいちゃんの両目がキラリとかがやく。おじいちゃんが人を見て目をかがやかせるときは、その人は本当に良い人だ。逆に、おじいちゃんの目から光が消えたとき、相手は決まって悪い人――たった一文のお茶代すら払わずに帰ってしまうような客や、お茶すら飲まないでおじいちゃんに絡んで難癖つける酔っ払いなど――だったりする。


「おじいちゃんの人を見る目はすごいわね」


 私が自分のことのように胸を張ると、おじいちゃんは「いんや」と首を横に振った。


「商売をしていれば人を見る目が養われるのさ。おさよもきっと見分けられるようになるよ」


 私にもすぐに人を見分けられるようになるのだろうか。


 あの竹刀を持ったお兄さんが本当に良い人だと分かる日が来るのだろうか?


 私にはまだ、分からない。


「おさよはまだ、十一だからね」

「おじいちゃん、おさよはもう十三よ!」


 おじいちゃんは「そうだっけか?」と言って笑っている。私もあはは、と笑った。




 夏の暑さが終わり始めた。私は幼馴染のおゆみとずっと前からある約束をしていた。


「夏が終わったら、一緒にお菓子作りの修行をしよう!」


 おゆみは大きな菓子屋の一人娘だ。けれど将来は菓子屋に勤める職人の中から年が近く将来有望なものを婿として迎え入れる予定だから、おゆみ本人が修行をする必要はなかった。けれど前々からおゆみの店のお菓子が大好きな私が「お菓子を作れるようになりたい」と言ったのを聞いたおゆみの両親が、おゆみと共に弟子入りさせてくれることになったのだ。


 三日に一度、昼までの時間、茶店に出ないでお菓子作りを習う。おゆみと一緒に。最初にならったのは団子を作ることだった。


「うちじゃあ本来は団子を出さないけど、均一な大きさの菓子を作る基礎練習になるからね」


 そう言っておゆみの父で職人頭の大吉さんが、その優しい笑みを浮かべながら教えてくれた。


 大吉さんは教え方こそ優しかったが、どれだけの数の団子を作ってもなかなか合格はもらえない厳しい修行だった。二十個の団子を作って、ようやく三つ認められたけど、団子三つじゃひと串にも満たない。


「最初でこれだけキレイな形ができれば上出来だ」


 大吉さんはおゆみの方を見てそう言った。おゆみは二十個の内八個合格をもらっていた。これなら二串分のお団子になるだろう。


「おゆみは器用で良いなあ」

「まあ、これでも菓子屋の娘ですからね」


 おゆみはそう言ってフフンと鼻を鳴らした。私はおゆみの満足げな顔に腹が立って、思わず〈合格〉をもらったおゆみの団子を一つ、自分の口に入れてしまった。


「ありゃ、焼いてないしそのままじゃおいしくないよ。お腹を壊しちまう」


 大吉さんはそう言って奥からひとさじのあんこを持ってきた。


「ほら、一緒に食べな」

「いやいや、そういう問題じゃないでしょう」


 おゆみは冷静に言うが、私は口の中で転がる味のしない団子を噛みしめてなんとか飲みこんだ。そしてあんこをペロッと舐める。


「甘い。うう、団子、焼かないとあまりおいしくないのね」

「水分を飛ばさなきゃ。ほら、今度は焼きの工程をしようね」


 私とおゆみは不合格の団子も串にさして炭火で炙った。


「おさよちゃんはみたらしとあんこ、どっちが好きかな?」


 火から目を逸らさずに大吉さんはたずねる。私は「あんこ!」とはっきり答えた。みたらしのあまじょっぱいのも好きだけど、さっき食べたあんこの味がまだ忘れられなかった。


「じゃあ今日はあんこだ。次はみたらしにしよう。みたらしあんの作り方から教えるからね」

「はあい!」


 私はできあがった団子をていねいに包んでおじいちゃんが待つ茶屋に持っていった。


「おじいちゃん!」

「ああ、ちょうどよかった。それが団子だね?」

「うん! 常連さんにあげて?」

「もちろん。だけどまず、このお茶をあのお若い人に持っていってくれ。団子も一緒にね」


 私は前掛けを付けながらうなずくと、お盆にのせた湯呑と不格好な串団子を持って表の座席へと運んだ。茶屋の背側から入ったので気づかなかったが、あの竹刀を持った仏頂面のお兄さんがうでを組んで目を閉じていた。


「いつも昼前に帰るのに、今日はゆっくりなんだなあ」


 私はそうつぶやきながらそっと近づき「おまちどおさまです」とお盆を置いた。


「……煮豆は?」

「煮豆もありますが……」

「これは?」

「あ、お代は入りません!」

「どういうことか?」


 お兄さんはキュッと眉を寄せて顔をしかめた。怖い顔だった。私は慌てて「すみません」と謝った。


「いや、そうではなく……」

「その、これは私が菓子屋の修行で作ったもので……その、お代は入りませんし、お口に合わなかったら残してもらって構いません!」


 てっきりおじいちゃんのお友だちに出すものだと思って気が緩んだところに、この怖いお兄さんの対応で、私はてんやわんやしてしまった。


 お兄さんはしばらく串団子を見つめてからそっと手をのばした。


(あ……)


 いつもはお茶を先に飲み干してから煮豆を食べるのに、今日はお団子から食べたことに、私はさらに戸惑ってしまった。もしかして不味かったらお茶で流すつもりだろうか――と。


 しかしお兄さんは串団子から一つ、団子を食べると「うん」とうなずいた。その団子を持ったまま湯呑を持つと、お茶をグイッと一気に飲み干してしまった。


(ど、どうなんだろう……)


 お兄さんは飲み干した湯呑をお盆に戻してから、今度はゆっくりと串から団子を引っ張って口にほお張った。一個ずつ時間をかけて咀嚼していく。


 煮豆を数粒ひと口で食べていた人とは思えないほど、ゆっくりと食べる。最後の団子を食べると、指に着いたあんこまで舐めてしずかに言った。


「うまかった」


 するとお兄さんの目尻が溶けるようにすっと笑みが広がった。口元をていねいに拭っても、そこには弓なりのほほ笑みが浮かんでいる。


「これからは煮豆は廃業か?」

「……あ、いいえ」


 思わず見とれていた私は慌てて首を横に振った。

「十日に一度、寛永寺の方に使いできている。その帰り道に寄らせてもらっていたが……うん、煮豆に負けず美味い団子だった」


 そう言ってお兄さんは立ち上がると巾着から一文銭を二枚取り出して私に渡した。


「い、いけません! お代はいただかないつもりで……」

「はて、僕は一文銭一枚しか渡してないつもりだが、手がすべっているみたいだ」


 ほほ笑みの名残がある仏頂面でお兄さんは歩きだした。


 私は(やっぱりお代はいただけない)と走り出した。


「あの、あの……」

「そうだ」


 お兄さんはふと振り返った。つんのめった私はその背にぶつかりそうになってしまった。危ない危ない。


「それで、十日後もまた食べられるかな?」

「えっと、それは……」


 三日ごとに練習するとなると、十日後では練習日に当たらない。――けれど。


「用意します! ゼッタイに来てくれるなら!」

「ああ、来よう。なんなら予約ということでもいい」


 そう言うとお兄さんは竹刀の手元に書かれた文字を私に見せた。


「僕は勇三郎という」

「あ、私はおさよです」

「……だから茶屋の名前が〈さよしぐれ〉なんだね」


 お店の名前を覚えていてくれた! 私はうれしくなって「そうです」とうなずいた。


「じゃあ、一銭は次回の予約席代ということで受け取ってくれるかな」

「はい、よろこんで!」


 お兄さん――勇三郎はしずかに振り返ると颯爽と歩きだした。私の手の中で二枚の一文銭があたたかく刻まれる。


「おさよ、はよ仕事せえ」


 おじいちゃんの声に私は下駄を鳴らして駆けだした。


「なんだ、おさよ。その顔は」

「なに? おたふく顔で有名な私の顔がどうかした?」

「なあに、たこみてぇに真っ赤だぞ」


 私は右手の平でほほを押さえてみた。……本当だ、あつい。


「風邪か? 病気か?」


 過保護なおじいちゃんは私の顔をのぞき込む。


 すると常連のうめばあちゃんが口をすぼませて笑った。


「なあに、恋の病さ。草津の湯でも治らんもんが、じじいの看病ごときでなおるまい」

「ちょっと、おうめさん!」


 私は慌ててうめばあちゃんの肩を叩く。おじいちゃんは首をかしげたが、すぐ「お茶を運んでくれ。団子もな」と言って店の奥に隠れてしまった。


「はあい、ただいま!」


 私は笑顔で応える。そして新しいお盆を手に取った。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 読み終わってからタイトルの意味に気がついて、にやけてしまいました。 素敵なおだんごお話ありがとうございます!
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