第07話 精鋭第一小隊 ムター隊長到着
灯火管制の敷かれた前線基地にいると、目が自然と闇に慣れてくる。
対ゲリラ戦闘は夜間に多発する。闇の恐怖を克服して、闇の狂気を友とする者だけが勝者として生き延びる。
何度実戦を経験すれば、そんな心境になれるのか。
ひたひたと迫り来る闇が胸に重く伸しかかる。いつもは饒舌な連中が、身を硬くして一言もしゃべろうとしない。目を見開いて、耳を研ぎ澄まして、些細な変化に注意を凝らす。薄暗い掩蔽壕の中は、まるで地下墓地のような静謐に満ちていた。
突然、沈滞した空気が渦を巻いた。
照明弾が夜空を照らしたのを合図に、激しい砲声が夜のしじまを打ち破った。
相次ぐ爆発音と共に各所から炎が舞い上がった。絶え間ない銃声に混じって、戦友の悲鳴が壕内に木霊する。
直後、掩蔽壕が激震に揺れた。天井から大量の土砂が落下した。迫撃砲の直撃を喰らったのだ。
彼方から指揮官の喚き声が聞こえてくる。どうやら敵兵が基地の一角に侵入したらしい。
援護に回る余裕はない。正面の敵兵は三重に張り巡らせた鉄条網を突破しつつある。
目の前一杯に広がる閃光。
反射的に目を閉じた。対人地雷が炸裂したのだ。
銃眼を吹き抜けた爆風が前髪を掻き上げる。
轟音で一時的に聴覚を失った。
静かだ。
爆煙が風に流れた。
鉄条網に……、カッと眼玉を剥いた敵兵の死体がぶら下がっていた。
目が合えば顔を背けるのは生者の方だ。
早く希望に満ちた朝日が見たい。
掩蔽壕の中で小銃を撃ちまくりながら、ひたすら戦闘の終了を願った。
あれは忘れもしない初陣のとき。なぜ、今頃思い出したのか。
アンネ=ソフィ・ムター大尉は軽く頭を振って、過去の忌まわしい記憶と決別した。
空港の管制塔の窓ガラスは漆黒の闇に染まっていた。
二列に並んだ進入灯の明かりが、闇の中に滑走路を彫琢する。
トルネシア共和国最大の国際空港スアンカレフ。
ハイジャック犯は当地において燃料補給を要求してきた。
「隊長……」
副官のW・ローレンツ中尉だ。
伸び放題の無精ひげが精悍な顔つきを更に引き立てている。
「あと三〇分ほどで、ハイジャック機が到着するそうです」
「わかった。では各分隊の指揮官を招集するように」
スアンカレフ空港に到着してから、間もなく一時間余りが経過しようとしていた。
作戦の大要はすでに伝えてある。あとは現地の状況に対応して作戦の詳細を決定すればいい。
ほどなく第一小隊を構成する三つの分隊の指揮官が集合した。
空港の地図の前で作戦の最終確認に入った。
「いいか、間もなくハイジャック機125便が到着する。滑走路16Lに着陸次第、空港は閉鎖。犯人側と交渉へ入る」
厳しい眼差しで、各人の顔を睨み付けた。
いずれも優秀な部下たちだ。対ハイジャック任務は初めてだが、そのための訓練は積んである。
「交渉は国防総省のお偉方が担当する。目的は時間稼ぎだ。テロリストが靴下一杯の玩具に満足するとは思えないからな」
連中の口元にうっすらと笑みが浮かんだ。
明日は楽しいクリスマス・イブ。隊員の中には家族持ちも少なくない。さっさと事件を解決して、連中を家庭へ返してあげたい。
「作戦開始は夜明け前とする。人質の確保が最優先だ。危険と判断したら、テロリストは容赦なく射殺しろ!」
「了解!」
三人の部下は力強い挙礼で応えた。
士気は極めて旺盛だ。きっと作戦は成功するに違いない。
「ではそれぞれの役割分担を再確認する。まず第三班。おまえたちの担当は陽動だ」
第三班の指揮官、T・クロイツァー中尉が堅い表情で頷く。
「機の前方に発火装置をセット。爆破と同時に機の両翼に展開して突入班を援護せよ」
「了解」
「第二班は機首方向から機内に突入。コクピットを解放した後、客室のテロリストを鎮圧せよ」
「了解」
第二班の指揮官、S・セーガン中尉が気負いこんで挙礼する。
「第一班は機体後部より突入。爆発物に留意しつつ客室のテロリストを鎮圧せよ」
「了解」
第一班を指揮するレナの表情には緊張も気負いも感じられない。
彼女なら乗客の犠牲を厭わずにテロリストを鎮圧できるはず。
乗客一人の命を救うために、より多くの命が犠牲になることがある。
ほんのわずかな躊躇がテロリストに反撃の機会を与えるのだ。
機内に仕掛けられた爆発物に着火されたら、乗客の身柄の安全は確保できない。それではたとえテロリストの鎮圧に成功しても、任務を達成したとは言い難い。我々は最小の犠牲で、最大の戦果を上げる義務がある。
「では各班、別名あるまで待機。任務の速やかな達成を期待する。以上だ!」
三人の指揮官は挙礼して退出した。
入れ替わりに……。
「隊長、国防総省から、これが」
ローレンツ中尉が入室するなり、新しい命令書を差し出した。
即刻、目を走らせる。
「以下の乗客の身柄は最優先で確保せよ、か……。なるほどね」
手にした命令書には二枚の写真が添付されていた。
この二人の乗客の命は他の乗客の命より重いというわけだ。
「新藤秀一郎。二十三歳。シンドウ重工役員。シンドウ財閥会長、新藤源一郎氏の孫……」
なんだ、財閥のボンボンか。
シンドウ重工は軍と繋がりが深い。もし御曹司を死なせでもしたら、軍のお偉方のリベートに重大な影響が及ぶというわけ。
添付された写真に目を落とす。
フーン、なかなかよい男ではあるが。映画俳優で通りそうなイケメンだ。芸能人にはない品のよさも兼ね備えている。身体の線が少し細い気もするが。
顔と身体の特徴を頭の中に叩き込む。
さて、お次は……。
「コニー・エッフェル。二十歳。新藤秀一郎の秘書。上院議員M・エッフェル卿の娘……」
こちらの方は軍と繋がりの深い政治家の娘だ。彼女の父親は軍のお偉方の人事に重大な影響力を持っている。
イケメンの企業家と、その美人秘書か……。フン、面白くない取り合わせだ。
手にした二枚の写真を、ローレンツ中尉に手渡すと、
「至急、写真をコピーしてくれ。命令書と一緒に各班に回覧する」
「了解しました。それともうひとつ耳に入れておきたいことが」
中尉は手にした乗客名簿を手早く捲ると、
「軍関係者が一人搭乗しています。A・アイリーン大尉。国防総省に身分を照会したところ、ハイベル戦略研究所の所員だと」
ソフィは心中で喝采を叫んだ。
A・アイリーン。そうか、彼女が!
中尉はそんな彼女の様子に気付かない。さも落胆したように肩を竦めると、
「残念ですね、大尉。デスクの人間ではテロリストに太刀打ちできないでしょう。助力は当てにできませんね」
「さて、それはどうかな?」
ソフィの口元に笑みが浮かんだ。
士官学校時代の親友の顔が頼もしく思い出された。
そのとき中尉が叫んだ!
「隊長、どうやら来たようです!」
旅客機のエンジン音が頭上を駆け巡った。
さあ、作戦開始だ!
ソフィは通信機のハンドマイクを握り締めた。